フランスでは、創価学会をカルト集団としているという。本当だろうか。よくは調べていないので、真偽は不明である。
だが、本当だとすれば、これは、卓見と言えると思う。小生も、その体質において、行動の仕方において、オーム真理教とダブルような感じを持っている。それは何か。
「教祖」がいて、絶対化している。池田氏は絶対である。これだけで、小生など違和感を感じるに充分である。宗教は、迷い、疑いから、スッキリしているというようでは、疑わしいと思っている。特定の一人が、絶対化されているのは、論外である。
どこか、本質的には、間違っているかもな、ぐらいの感覚がほしい。なぜなら、証明できないのだから、証明できないものとしての扱いをしなければならない。絶対化するところに、諸悪の根源があるのではないか。
その結果、他者へのまなざしは、真実から離れて、曇ったままである。その価値観は、異様である。その現れとしての、選挙のときのあの結束した活動ぶりは、普通ではない。今も、ポスターが信者の住むところすべてなのだろうか、家の窓、ベランダ、壁に、はりつけてある。
これは、異常である。宗教と政治がモロに結びついている。宗教の側から、政治行動に結びつけている。信仰と政治を結び付けている。どんな、集会をしているのか。全員が、同一方向へ向かう不自然さ、危うさを感じる。
だが、本当だとすれば、これは、卓見と言えると思う。小生も、その体質において、行動の仕方において、オーム真理教とダブルような感じを持っている。それは何か。
「教祖」がいて、絶対化している。池田氏は絶対である。これだけで、小生など違和感を感じるに充分である。宗教は、迷い、疑いから、スッキリしているというようでは、疑わしいと思っている。特定の一人が、絶対化されているのは、論外である。
どこか、本質的には、間違っているかもな、ぐらいの感覚がほしい。なぜなら、証明できないのだから、証明できないものとしての扱いをしなければならない。絶対化するところに、諸悪の根源があるのではないか。
その結果、他者へのまなざしは、真実から離れて、曇ったままである。その価値観は、異様である。その現れとしての、選挙のときのあの結束した活動ぶりは、普通ではない。今も、ポスターが信者の住むところすべてなのだろうか、家の窓、ベランダ、壁に、はりつけてある。
これは、異常である。宗教と政治がモロに結びついている。宗教の側から、政治行動に結びつけている。信仰と政治を結び付けている。どんな、集会をしているのか。全員が、同一方向へ向かう不自然さ、危うさを感じる。
私も幼い頃はわけわからず信じていました。
が、成人してから、選挙活動を無理じいされるようになり、疑問を感じました。他にもおかしなことが多く、宗教からは外れた組織と感じました。
特に、父の手伝いで公明党の党員名簿整理をした時、党員は全員、創価学会員でした。全員創価学会員で、名簿には創価学会での役職を書く欄までありました。
政教分離ならば、こんな名簿にならないはずですよね。政教一致を現実に確認できました。
(私は脱会しています)
子供の頃から、という方は、多くおられますね。なんで、この人が、と思う場合に、よくお会いします。
キリスト教だって、それぞれの家の宗旨だって、何となくというか、幼少期からのすり込みで継続しているので、自覚的になるのは、そのずっと後からですからね。
その宗教が、おかしいと気付くのは、たいへんなことだと思います。脱会できてよかったですね。