仕事は各人が、その持ち場を得て、生計のもとにしている。動機はさまざまにあって、嫌であっても仕方なくしている人もいるだろうし、好きで好きで収入を度外視してやっている人もいるだろう。
高収入を得ることのできる仕事もあれば、収入が得られない仕事もある。遊んでいるようにしか見えない人が高収入の「手立て」を持っていて、楽々と優雅な生活を送っている人もいる。
概ね国の仕事の場合は、支払いを確実に受けられることとか、買いたたかれたりしないから、建設業などの場合、業者にとってみれば、歓迎すべき仕事であろう。
コロナ事件で、さまざまな給付金がでているが、この事務についての仕事は、相当に大規模であり、また、おいしい仕事であることは、容易に理解できる。流れの具合から、やはり、相当なややこしいことが起こっていることが疑われている。
国が何かやるたびに、仕事を受けることができたら、これはたまらないだろう。儲かって儲かって仕方がないことだろう。そして、そんなおいしい立場にいるものが、今回はっきりした。
仕事をこなすために、何段階もの仕組みがあって、「中抜き」のしやすい構造になっている。実際に仕事をしなくとも、その段階に入り込めば、利益を得ることができる。
大体、大きな仕事となれば、利益がついてくる。そうすると、さらにこれに群がる層ができてくる。政権と無関係とはいえない。権力と利益は密接な関係がある。彼らは、すべてを明らかにできないように仕組みをこさえる。
最終的に、これを許さないのは、選挙しかない。おかしいことがあれば、ただちに選挙結果に現れるようでなければ、政治権力はなにも恐れることがない。
敏感に反応する有権者たることが、無駄な税金の使い方を許さない確かな方策である。
一方、貧しい環境に置かれてしまった人々は、どのようにあがいても、決して収入はあがらず、収奪されるばかりという人もいる。真面目にはたらいても、生計の維持さえあやしい待遇でしかない。こんな仕事があること自体が不公正である。
これもまた、選挙でこういうことはおかしいという勢力を伸ばすほかない。合理的な社会にできるかどうかは、すべて選挙にかかっている。有権者がしっかりしなければならない。
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