空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

やさしい顔で死んだ猫

2019年04月28日 13時01分07秒 | 思考試行

 ノラ猫が次々と我が家に住みつき、猫との生活がながい間続いた。一時は、10頭以上になり、しかもいずれも避妊できていないため、どこまで増えるか、脅威を覚えるほどであった。

 動物病院の紹介で、猫を捕まえるのに長けた人を紹介され、生活はきびしい最中であったが、次々と避妊手術をしたのだった。その後は、適当にバランスが保たれ、メンバーの入れ替わりはあっても、すべて、避妊し安定した状態が続いた。

 不思議に、猫との縁はきれることなくきたが、最後の猫が今いて、もうこれが最後かなと話し合っている。転居して、新しい猫が来る可能性がないこともあるが、当方の年齢からして、新たに飼うこととなると、最後まで面倒をみることができない可能性もある。

 最後の猫も最近かなり痩せてきて、トイレもキチンとできていたのが、トイレの周辺でするようになり、もう正常なトイレはできない状況となってきた。気分が変わったのだろう。認知症とは違うようだが、足腰も相当弱ってきており、年齢相応に弱ってきている。

 最後の二頭になった時、今の猫は、まだ衰えを見せてはいなかったが、転居前からエサだけ食べにきていたオス猫がいた。転居するとなって、このオス猫を放置するわけにはいかず、なんとか捕まえて、今の家に連れてきていた。この猫は、純粋なノラであって、飼われた経験はないので、相当荒んだ顔つき、体つきであったが、そのご去勢したために、家の周辺にいて、遠くへいくこともなくなっていたので、なんとか連れてきたが、この猫は、トイレは自然のままで、とうとうオシメをつけることとなった。

 顔つきは、そうとう穏やかにはなったが、それでも、後ろから触ると、飛び上がってびっくりしていた。精神的にはたいへんな思いをしていたのだろう。二頭の猫の相性も良くなかったが、時間が経過して、揉めることもなくなった。

 そして、去年その猫はやせ衰え、最後を迎えた。顔つきはどんどん、やさしくなり、本当の安らかな顔となっていた。この猫の生涯は、厳しいノラ猫生活から、なれない、飼い猫時代を経て、一応、平穏な最後を迎えることができた。

 幸せな生涯であったのではないか。そのやすらかな顔が、転居前に家に来ていたときの顔つきと比べると、雲泥の差であることは確かである。

 生き物と暮らすなかで、さまざま刺激をうけるが、そういう姿をみせてくれて、癒されていることを実感する。