強引な取り調べで、やってもいないことを「認めさせ」死刑を宣告されて48年、これは死刑以上のひどい事件である。
誰が悪いのか、警察官は正しい取り調べだったといい、検察はそれを鵜呑みにし、裁判官は検察がいうのだからと、これまた、鵜呑みにしてしまう。
よって、一旦起訴されると、有罪となってしまう。そして、後に、新証拠がでてきても、ひっくり返すといままでの、問題が明らかとなってしまうので、誤りの訂正なんてする気もない。
冤罪事件が、なぜ起こるのか。人を貶めることを快感と思う人がいれば、これはいつでも起こる。袴田さんのケースは、まことに痛ましい。
科学技術の進歩で、過去の事件の誤りが次々と明らかとなってきている。問題をどのように処理していくのか、今後の展開を注視しなければならない。
検察か、警察か、証拠を捏造する。この体質はとことん追及されなければならない。この事件に関わった警察官について、徹底的に調べなければならない。
手法というものがある。彼が、どんな現役時代を送っていたか、その全生涯をあらってみる必要がある。また、その組織の実態を調べ尽くされなければならない。
問題を洗い出す中で、組織の実態、課題が鮮明になる。チェックしないできない組織は、潰さなければならない。この際、本来の警察機能のあるべき姿を取り戻すためにも、徹底的な調査が必要である。
誰がやるか。まずは、取材を仕事とする記者か。彼らは、今や横並びの談合形態になっていて、敏腕記者なんて存在しないから、マスコミにそんな力があると思えない。
とすれば、マスコミもまた、問題組織なのである。どこに、本当に役立つ機能が存在しているのだろうか。どこかが、だれかが、知恵をしぼり、真相を解明する仕組みを作らないと、人間社会は、終末を迎える他ない。
これができない人間社会なんて、なんの魅力もない。