空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

改善とアクドサ。・・・世の中くるってきている。

2007年05月25日 22時34分24秒 | 思考試行
 久しぶりに、社会保険事務所にいった。前にも書いたが、相当「お客様」のために工夫された仕事の仕方にかわっている。窓口は、全部一階にあり、以前のようにそれは、二階です、といったことはない。昼休みも受け付けてくれる。実態にあわせて、業務をする姿勢を貫徹している。形式的でなく、重箱の隅をつついてみたいなことは、もうない。この変貌ぶりはすばらしい。

 それに引き換え、損保会社の対応は、普通ではない。既存の代理店を廃業させたいのか、かなり、意味不明の手数のかかること要求し、訂正印がいるから、などとあまり意味のないことで、書類を返送してきたりする。能率、効率、関係なしで、営業のノルマらしいことは、一切何も言ってこない。そのくせ、売上高によって、手数料をグンと下げてくる。バーをどんどんあげて、それも理由をのべることもなく、このように変わりました、という具合にいってくる。ヤメナというのがアリアリである。契約獲得のためにつみあげてきた、顧客との関係、エネルギーこうしたものもまったく意に介していない。ウラギリ行為を平気でやっているのである。キタナイとしかいいようがない。

 東京海上日動(正式名称はしりたくもない。ダイタイの社名である。)では、直販社員がやめさせられ、裁判になっている、という。どこかの圧力による変更だろうが、過去のいきさつ、社員の生活のことなど、考慮の埒外で、まことに、品が悪い。これは、憲法9条をかえてやろう、と考える勢力と共通するアクドサを感じる。

軽いノリに油断禁物。

2007年05月25日 20時09分11秒 | 思考試行
 やはり、軽くだとか、インチキポイのり、ナントカ劇場にのってはいけない、ということがだんだんに明らかになってきたと思う。まじめに考えないと、結局はひどい目にあうこととなる。真面目ということを、馬鹿にしてきている動きがある。

 戦争をしないということは、本当に真面目なはなしである。それを、戦争できるようにしようとすれば、真面目な話になるとは思えない。軽くとか、ふざけるとか、テクニックをつかってくるかもしれない。真面目に、平和より、戦争がいいなどと、いうとすれば、それは、とんでもない人だといえる。したがって、そんなやり方はしないだろうと思う。

 しかし、今の状況では、戦争でもおきてくれなければ、この景気をかえることはできない、とか、アヤシイことをいう人がいることも確かである。どこで、流しているかはわからないが、とんでもない話である。彼らは、なんでもあり、でくると考えていなくてはならないと思う。軽さでくるような気がしてならない。

日経夕刊記事・・・「未来を予見する力」を読んで。

2007年05月25日 18時12分24秒 | 思考試行
 今日の日経夕刊の一面、左下のカコミ記事「あすへの話題」に、一橋大學名誉教授の野中郁次郎さんが、「未来を予見する力」を書かれている。

 「未来は不確実で流動的であるが、その未来を創るのは人間である。未来を予見することはできないのだろうか。」とはじまる。

 われわれはバブルの行く末を見通せなかったこと、イギリスのブレア首相が、今日のイラクの現実は予測できなかったこと、など、はずした例をあげたあと、氏が尊敬する経営学者ピーター・ドラッガーは、ナチスの本質を暴き、現在の経営で一般化している「戦略経営」「事業部制」「目標管理」「民営化」などの概念を生み出し、情報化社会への移行と「知識社会」を予言した、として、正しい未来を見えていた人として、あげている。

 そして、なぜ彼がそんなことができたのか、それは、子供時代から、父親の関係で、シュンペーター、ハイエク、トーマスマン、フロイトなど、知の達人と身近に接していたことや、彼自身が新聞記者、証券アナリストなどの、多彩な職業を経験したこと。そして、学者としての研究分野も、経営学の範疇をこえて、政治理論、米国史、経済史、哲学とあり、日本美術について、大学で講義していた、という。
そして、「このような「高質の経験」によって形勢された豊かで広く深い「知の生態系」が、彼に鋭い洞察力を与えた。」としている。

 最後に、野中名誉教授は次のように、この記事をしめくくっている。
「知の生態系の発展には、科学性だけではなく人間観、世界観などの大局観が欠かせない。あらゆる知識は、その下でつながりつつ深みを増していく。知は、専門特化し孤立した状態ではなく、相互関係の中で創られる。今の日本は、未来を見通す知の力を、どう育成するかが問われている。」

 放送大学へ、長年席をおき、多くの優れた教授の講義にふれてきた小生にとって、方向だけは、まちがっていないなあ、と思いつつ、生涯学びの姿勢を続けていこうと決心している。先がみえるかどうかは、「別の問題」であるが。

品のなさを利用する品のない戦争勢力。

2007年05月25日 14時51分04秒 | 思考試行
 戦争はごめんだ。といいながら、軍隊経験で、理不尽な扱いを受けたけれども、人間的には、シャントした、という肯定的なみかたをする人もいる。とりわけ、昨今の、自分さえよければ式の行為が目立つようになると、鍛えられなければダメだ、と思うらしい。人の命を、徹底的に、軽視された経験を有していながら、人としての振る舞いや、躾けについて、相当の不満をもっている。まさに、人間扱いではないシゴカレ方も止むをえないとまで、思ってしまうぐらい今の状態をなげいている。

 たしかに、品というものが、なくなってきたと思う。ギスギスと金儲け専一の人が、臆面もなく、公言し、恥じない。自らの財力を誇ったり、時計を、ブランドをと、贅沢の限りをつくしながら、貧しい人々に対して、努力が足りないからと、軽蔑したりする。話にならない品のなさである。

 こうした、現象が、昔はよかった。伝統文化の見直しだ、愛国心の涵養だ、ときて、戦争合法化をめざす勢力の、サポーターの役割をにないつつあるようにみえる。夢をもてないワーキングプア状態に追い込まれた若者は、戦争でも起きて、世の中混乱しないと、チャンスがない、と思う人もいる。テレビのインタビューにそのようにこたえていた。戦争勢力というのは、あらゆる方策を画策する。まさに、「人でなし」である。

技術や道具の進歩にみあって、我々は進歩しているか。

2007年05月25日 07時25分36秒 | 思考試行
 今日は雨だ。給与計算のデータを届けなければいけないし、集金もする予定である。さらに、父親を病院に連れて行く日でもある。そして、天童荒太さんの「家族狩り」を読みかけてしまったものだから、(今、第4部である。)これも気になっている。ブログにも、昨日、一昨日と、少しイレコンダものだから、睡眠不足気味でもある。もう少し、ペースを考えようと思う。

 家族狩りを読んでいて、戦時中はどうだったろうと思う。小生に時代には、もう戦争は終わっていてはいたが、まだ、価値観的には、親は充分権威をもっていたし子供の数も多かったから、結構、健全な感じがする。今の、様相はかなり、病的な雰囲気がある。

 前にも書いたが、女子高校生など、変わりすぎである。おそらく、かわっているのは、すべてのところで、進行しているのだろうから、それだけ、いっても仕方がないのであろうが。

 一方、明らかに、技術、製品などの進歩は著しい。ここのところ、ポット、掃除機など永年辛抱してきたけれども、思い立って、購入したところ、それは、それは、便利になっていること、性能の向上ぶりに夫婦して驚いた。

 すべてが、良い方向にいっているのであれば、いいのであるが、戦争道具の進歩などみていると、人間の根本について、その進歩の度合いが追いついていないような気がする。

 コンピュータの性能をみても、だれもが、すべての機能を使いこなせてはいないし、世界につながるという、このすばらしい道具の成果は、まだ、充分生かせてはいない、と思う。

 だれもが、戦争などしたくないはずなのに、現実には、とめられないのである。世界中の知恵を集めて、なんとかできないものだろうか。