デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

昼下がりの冗事

2010-09-26 15:16:10 | お仕事日誌
今日は昼下がりの公演がある日。家を7時半すぎに出る。9時から仕込み開始。今日はらっぱらぱんだけの公演なので、簡単に準備が終わるかと思ったが、いろいろ段取りがちがい、いつものような感じの仕込みと場当たりであった。昨日まで予約が11人ぐらいだったのだが、出演者関係、当日もふくめ合計30人の集客。このふたりのコント、まとめてみると、ますます面白いということがわかった。80分の公演、存分に笑わせてもらった。いろいろ手違いもあり、本人たちには満足がいかないものだったらしいが、十分に楽しめた、いい公演だった。片づけを終え、いつものようにマークシティーのライオンで軽く打ち上げ。今日のくじは、生ビール大。なんと二回くじをひき、二回とも一等賞。こんな事を生れて初めてじゃないか・・・・
二次会には参加せず、そのまま帰宅。さすがに疲れた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さわやかな結婚式

2010-09-25 15:05:58 | お休み日記
雨がまだ残っているなか、今日も10キロ走る。雨はほとんど上がったが、風が強い。今日から富岡八幡宮のお祭り。早朝にもかかわらず各地区で食事の準備が始まっていた。
今日は「アートタイムス」編集長永重君の結婚披露宴。神楽坂の小じゃれたフランスレストラン。12時すぎにスタート。いきなり新郎新婦によるパフォーマンスが路上で行われる。本当に雨があがって良かったと思う。雨が降っていたら、この最大イベントは絶対に無理。あっけらかんと雨が降るのを考えずにこのイベントをやろうとしたのは、アッパレな心がけである。自分は乾杯の音頭を一番最初にしたもんだから、あとは完璧に食事会ムード。美味しかった、ロシアでの貧しい食生活を十分にとり戻す内容と量であった。いい結婚式であった。最後に旦那さんがシンガポールに転勤、当編集長もついていくことになったとの衝撃的な話が。向かえに座っていたデスクの大野と、シンガポールでもアートタイムスの編集長をやってもらおうと話し合う。ということでお開きのあと、編集長留任を告げておいた。二次会もあるとのことだったが、若い人たちにまかせ、自分はここで切り上げ、帰宅。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

めっきり寒く

2010-09-24 06:58:53 | お仕事日誌
八日間走っていなかったので、早起きしてたっぷり10キロ走る。半袖、短パンで走ろうとしたら寒くてとてもとても、急遽長袖のトレーナーと長パンツで走る。しかし極端だよなあ。10時出社。精算と日曜日の昼下がりの準備を先にする。昼下がり、らっぱらぱんのソロライブ、予約がもうひとつだな。面白いのに。これが済んでからサンクトで撮ってきたビデオをダビング。ハードディスクからDVDに落す作業。モスクワから待っていたDVDが来たので、同僚と一緒に見る。そのあとついでにダビングしたばかりのサンクトのプログラムの注目番組も見てもらう。プレゼンのひとつのメドがついたかな。
18時過ぎに退社。サンクトではそんなに浴びるようにウォッカというわけではなかったのだが、そこそこは飲んでいたので今日は肝臓お休みの日にしておく。
なんかやっと一区切りついた感じ。さあ前へということだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンクト編 7 帰国の闘い

2010-09-22 18:03:31 | お仕事日誌
帰国の日。10時にサーカス場で打合せ。帰りにうどん屋さんというファーストフードの店に寄り、かきあげうどん。日本円にして300円なのだが、これがなかなかいける。ウェイトレスのお姉さんが日本のと比べて味はどうでしたかと聞いてきたので、とても美味しかったと答える。店の内装も原宿のファーストフードぽっく、また流れる音楽も日本の曲。入ったのが11時すぎと早かったのだが、昼時とかは結構人気かも。
部屋に戻り荷物のパッキング。それでなくても本をたくさんもらったのに、昨日とどめに4冊の本を購入。完璧にエクセスモードである。どうきりぬけるかだな。12時45分ピックアップの予定だったが、この市内の渋滞では予定どおりなんか無理。バスが来たのは13時20分すぎ。モスクワまで同じ便の中国から参加したグループと一緒。このチームカザフスタンの国境の雑技団らしいが、中国人とウィグル系のエキゾチックな顔だちをした少女が何人かいた。14時前に空港着。チェックイン前にカバンを計ると26キロ、せめて23キロぐらいしないとまずいだろうということで、バックを開け、本を何冊か取り出し、計ると23キロ。まずはこれでやってみよう。15時10分からチェックイン。23キロとエクセスですがと女性の係員が言おうとすると隣の上司らしき人が、いいよこのくらいと助言、なんとかここはしのいだ。モスクワには定時通り着陸。乗り換えの時間が1時間10分しかないのでちょっとドキドキしたのだが、なんとかなるだろう。中国のメンバーのフライトは夜の10時だという。ここで団長のガオさんとお別れ、今後も交流を続けようことだ。彼のロシア語は完璧。
さてこれからが今日のメインイベント、国際線のチェックイン。がらがらなのはいいのだが、荷物を計量するとなんと24・4キロになっている。男の係員が完璧エクセス、外に出てまず超過料金を払ってから来てくださいという。でもなんでサンクトで23キロが、ここで24・4になるのだ!しかたがなく外に出て、料金所を探すが見つからず、またチェックインカウンターに行くと、あの嫌な男の係員がおらず、愛嬌の良さそうなお姉ちゃんがひとり。ダメもとでチェックイン。計量された数字を見て、顔をしかめる。ここの計量機ちょっとおかしくないと言ったら、そうなのよねえ、よくわかっているわね、でも1キロ分だけでもいいからカバンから取り出してという。そこにまたあの嫌な男が現れる。金を払ってきたのかと確認するが、お姉ちゃんはカバンから荷物を取り出したからとなだめ、なんとかなる。このお姉ちゃんに救われ、結局最大の難所をクリアー。時計を見るともうボーディングタイム。
まあこれでなんとかなったわけだ。
家に帰って本だけを計量した6キロあった。これじゃなあ。でも持ってきた本は貴重なものばかり、苦労してきたかいがあったというものだ。
日本は雨、しかも気温も20度ちょい、昨日までは熱暑だったらしいが、いい時に帰って来たものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンクト編7 ガラ公演

2010-09-21 16:57:05 | お仕事日誌
今日は8時半から夏の宮殿見学ツアー。一回BDTを呼ぶ時に水野さんや尾崎先生と一緒に6月白夜の季節に訪れたことがある。紅葉が始まったばかりの秋も悪くない。昨日の自分の発表について、見知らぬ人たちが何人か寄ってきて、とても面白かったと名刺を渡してくる。やはり昨日早竹虎吉の錦絵や、濱碇の絵ビラを見せたのが大きかったようだ。日本のサーカスについてはまったく未知ということもあったのだろう。サーカス場に行くと、マカロフ先生が、本当にあなたの発表はとてもよかったとまたしてもおほめの言葉。
5時半にシマダの本を書いたイシマルさんと待ち合わせ。向こうの方から見つけてくれた。彼の書いた本を四冊持ってきてくれた。ちょっと高いがその価値は自分にとってははかりしれない。ただルーブルがもうないので、セルゲイを探しお金を立て替えてもらう。イシマル氏は今年69歳、シマダグループでは棒の上に登って逆立ちをしていたという。あの凄い技を演じていたわけだ。その人本人とまさかここで会えるとは、ますますシマダがこっちに近づいてきたことを感じる。話が少しくどいというか、繰り返しになっているがしかたがないだろう。
そのうちにガラ公演をはじめるベル。ここで別れる。最初に表彰式。休憩後はもう見た番組ばかりだったので、袖から見学。ガラだけのために出演したチンパンジーと人間のハンドツゥーハンドはビタリーの会社の演目ということで、ぜひ見ろと言われたのだが、これが傑作。どんだけ笑ったか。それとよく会社に資料を送ってくれているウクライナ出身のドイツにいるクラウンも見る。通路のベンチに座っていたら、こちらに向かって笑いかける男が。なんとワレンチン・グニョーショフではないか。抱き合って再会を喜ぶ。しかしすっかり太って昔の面影がない。ガラ公演のラストに「私のピエロ」の演技のあと、歌手が現れて歌を披露ししているときに花束をもって登場した。マカロフさんの演出らしい。なんでもアル中、そして薬もやっているらしい。まだ世間に認められず、小さなアパートで若いアーティストたちと一緒に新しい演目をつくるために夢中になっていた彼の転落の始まりは、成功だった。世間に認められ、フランス人の金持ちの娘と結婚、アメリカ、そして日本での自分の番組の公演と一挙に成功の頂点にのぼりつめたはずなのに、それで金を得たことで、転落がはじまった。人生の機微を思わずにはいられない。
公演後場所を変えて、ハーティー。これがまたすごい規模のパーティー。いつものようにアジア三兄弟とマカノフ、ビタリーと一緒のテーブル。今日はモスクワのサーカス学校の校長サービナさんも加わる。
23時すぎに脱出。ホテル前でみんなとお別れ。マカロフさんがスラフスキイがこうしてお前と会わしてくれたんだ、ぜひまた続けて交流を続けていこうと言ってくれる。うれしい。ほんとうにうれしい言葉だ。スラフスキイ先生にはいろいろ教えてもらい、なにも恩返しができなかったが、マカロフさんとの新たな友情をもとに、アジアのサーカスの本を書けという、世界のサーカス百科をつくれという先生の言葉を実現できるかもしれない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カレンダー

2010年9月
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

バックナンバー