デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

サンクト編7 ガラ公演

2010-09-21 16:57:05 | お仕事日誌
今日は8時半から夏の宮殿見学ツアー。一回BDTを呼ぶ時に水野さんや尾崎先生と一緒に6月白夜の季節に訪れたことがある。紅葉が始まったばかりの秋も悪くない。昨日の自分の発表について、見知らぬ人たちが何人か寄ってきて、とても面白かったと名刺を渡してくる。やはり昨日早竹虎吉の錦絵や、濱碇の絵ビラを見せたのが大きかったようだ。日本のサーカスについてはまったく未知ということもあったのだろう。サーカス場に行くと、マカロフ先生が、本当にあなたの発表はとてもよかったとまたしてもおほめの言葉。
5時半にシマダの本を書いたイシマルさんと待ち合わせ。向こうの方から見つけてくれた。彼の書いた本を四冊持ってきてくれた。ちょっと高いがその価値は自分にとってははかりしれない。ただルーブルがもうないので、セルゲイを探しお金を立て替えてもらう。イシマル氏は今年69歳、シマダグループでは棒の上に登って逆立ちをしていたという。あの凄い技を演じていたわけだ。その人本人とまさかここで会えるとは、ますますシマダがこっちに近づいてきたことを感じる。話が少しくどいというか、繰り返しになっているがしかたがないだろう。
そのうちにガラ公演をはじめるベル。ここで別れる。最初に表彰式。休憩後はもう見た番組ばかりだったので、袖から見学。ガラだけのために出演したチンパンジーと人間のハンドツゥーハンドはビタリーの会社の演目ということで、ぜひ見ろと言われたのだが、これが傑作。どんだけ笑ったか。それとよく会社に資料を送ってくれているウクライナ出身のドイツにいるクラウンも見る。通路のベンチに座っていたら、こちらに向かって笑いかける男が。なんとワレンチン・グニョーショフではないか。抱き合って再会を喜ぶ。しかしすっかり太って昔の面影がない。ガラ公演のラストに「私のピエロ」の演技のあと、歌手が現れて歌を披露ししているときに花束をもって登場した。マカロフさんの演出らしい。なんでもアル中、そして薬もやっているらしい。まだ世間に認められず、小さなアパートで若いアーティストたちと一緒に新しい演目をつくるために夢中になっていた彼の転落の始まりは、成功だった。世間に認められ、フランス人の金持ちの娘と結婚、アメリカ、そして日本での自分の番組の公演と一挙に成功の頂点にのぼりつめたはずなのに、それで金を得たことで、転落がはじまった。人生の機微を思わずにはいられない。
公演後場所を変えて、ハーティー。これがまたすごい規模のパーティー。いつものようにアジア三兄弟とマカノフ、ビタリーと一緒のテーブル。今日はモスクワのサーカス学校の校長サービナさんも加わる。
23時すぎに脱出。ホテル前でみんなとお別れ。マカロフさんがスラフスキイがこうしてお前と会わしてくれたんだ、ぜひまた続けて交流を続けていこうと言ってくれる。うれしい。ほんとうにうれしい言葉だ。スラフスキイ先生にはいろいろ教えてもらい、なにも恩返しができなかったが、マカロフさんとの新たな友情をもとに、アジアのサーカスの本を書けという、世界のサーカス百科をつくれという先生の言葉を実現できるかもしれない。


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