デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

サンクト編3 クロンシュタットへ

2010-09-17 15:20:39 | お仕事日誌
サーカスの手配で今日は運河見学のエクスカーションが午前中に組まれている。どうするか迷ったのだが何事も早めにということで、クルーゼンシュタインの子孫で何度かやりとりをしていたアレクセイに電話、12時に会うことにする。相変わらずの渋滞で10分ぐらい遅れてアレクセイがやってくる。大きな男だ。車で街を案内してくれるという。車のなかでロシア語版の「環海異聞」と彼が編集発行したく「世界一周」のアルバムをもらう。こちらからもプレゼント。まずはクルーゼンシュタインの記念碑に。ここで記念撮影。バルト海を見に行こうということで、ネヴァ川河口を目指す。このあたりはいままで一度も足を踏み入れていないところ。新しい街のようだ。雄大な河口が見れるかと思ったら、工事用の砂を採掘するために大きな砂場が横たわり、見れない。彼もこれは意外だったようす。クロンシュタットに行こうということになる。ここから25~30キロのところにあるという。クロンシュタットは行きたかったところ。またしても渋滞が待ち受けていたが、この渋滞をくぐり抜け、フィンランドに向かう道路に出て快適なドライブに。そしてクロンシュタット島までの素晴らしい高速道路に驚く。ソ連時代は海軍基地があったところということで、その名残がたくさん残っている。ナジェージダ号出発時にもあったのか城砦のあとも。静かな街だ。ナジェージダの出発した港に到着。軍艦が碇泊していた。ここからいよいよ大洋に向かい出発したとき、漂流民5人は何を思ったのか。ということに思いふけようとしたらアレクセイがあまり時間がない、急ぎましょうという。彼はこのあとにミーティングが控えているようだ。あっという間の滞在ではあっんたが、クロンシュタットを訪れることができるとは思いもよらなかったこと、ありがたかった。15時半またしても市内は渋滞ということでサーカス場の近くで下ろしてもらう。面白い男だった。
サーカス場からホテルまでは10分ほど。朝から何も食べていない、売店でビールと寿司(!)を購入。日本円で500円以上するこの寿司、いままで食べた弁当では最悪の部類に入る。すぐに下痢症状。このホテルとても快適なのだが、便座とトイレットペーパーの位置が微妙。
18時すぎに歩いてサーカス場へ。特別ゲストはほぼ全員揃っていた。いつものようにハデルハーンとウォッカが待っているレセプションに。マカロフさんがいたので、日本のサーカス芸人のロシアでの足跡について協力を依頼すると、快諾してもらう。驚いたのは彼がシマダグループと一緒に働いていたということ。そんなことを話していると奥の方からヤクーツクのセルゲイがやってくる。呼びかけるとびっくり。聞いてないぞ、俺はという感じであるが、俺もお前が来るのを聞いてないぞというやりとりに。ハデルハーンとセルゲイとアジアチームが揃ったことはなによりなことだ。
19時から今日はプログラムBの公演。公演前に特別ゲストの紹介、昨日は他の場所に座っていたので逃れたが、今日は強制的に特別ゲスト席に座らせられたので、コールのあと立ち上がってお辞儀。
昨日のプログラムよりははるかにいい内容の番組だった。ロシアの番組が少なかった。久しぶりに腹をかかえて笑ったのはアメリカのミュージカルコミック、そしてロシアのクラウンデユオ。これだけサーカスのクラウンで楽しめたのは久しぶりである。
一本ホイールの芸、ディアボロ、ハンドバランスと見応えのあるアクトが多かった。これは芸のすごさというよりは見せ方に工夫があった。あざとい見せ方ではなく、サーカスのアクトをいかに構成してお客さんに感動を与えるかということへの目配りが見事であった。
公演後またお前たちかよと言われそうになるのだが、またウォッカを飲みにレセプションへ。帰りはマカロフさんと同じサーカスアカデミーの一員のヴィタリーさんとハデルハーンと同じ車。ここでマカロフさんにこうしてここでお前と会えて良かった、いろいろスラフスキイからも話を聞いていたので、会いたかったし、交流したいと思っていた。そうだアカデミーのメンバーになってもらおう。ヴィタリーもいるのでふたりが承諾したので大丈夫だとも、ありがたい話である。23時ぐらいホテル到着。


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