デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

ダメじゃん小出 負け犬の遠吠えVol.16

2007-06-16 23:46:20 | 観覧雑記帳
公演名「ダメじゃん小出 負け犬の遠吠え Vol.16」
作・出演 ダメじゃん小出
会場 内幸町ホール
観覧日 2007年6月15日午後7時半から

横浜でのソロライブ、そして先日は山本光洋との二人会と、このところ立て続けにライブを仕掛けているダメじゃんの恒例のライブ。果たしてその鮮度は保てているのか、新しいものが見れるのか、そんなことが気になりつつ、カザフから帰国したその当日にライブ会場を訪れた。体調は最悪、深夜の飛行機でほぼ一睡もできず、本当につまらかったら間違いなく寝るはずだ。
しかし結果は、寝るどころか、旅の疲れがすっかりふっとんでしまった。楽しい、思い切り笑えたライブだった。
「オープニング」は、中国のぱくりテーマパークのミッキーに扮しての中国ネタ。中国にもっている日本人の潜在的な思いを、思い切り暴露している。
横浜のライブでもやっていた「袖ヶ浦リョウ」、これ結構好きである。小さなエレキギターを抱えての自作自演の歌なのだが、突っ張り風のリョウのキャラクターをうまく出しているし、今回は最近みんな感じているはずの電車の遅延をネタした歌には、鉄ちゃんの小出の含蓄がうまく散りばめられ、みんなの心をつかんだのではないだろうか。
ここから前回の負け犬からやり始めている、録音テープを流しながらの「東京知権(?)」。前回は検察が取り調べの時に使う段ボールはどこで作られているのかを、あちこちに電話して取材したテープを流した。今回は自らが献血しながら、献血された血はいくらで病院に売却されていたかに迫る。最初の電話でいきなり、400CCの血だと、およそ36000円で病院に卸されていたことがわかり、場内からはアッーという声が上がった。あんまりあっさりわかったので、ここで赤十字には厚生労働省からの天下りがいるのかに話題を転換する。次の取材先の東京献血センターの広報の人の対応が、実におかしかった。こっちが望んだ通りの対応をしどろもどろになりながら、答えていた。
正直いってこうした手法は、ラジオとかでやるのなら面白いとは思うが、舞台ではどうなのだろうという気がしている。ただ取材のテープを流すだけだったら、正直芸にならないのではという気がしてならない。ただ今回は電話に出た人、ふたりが実にはまっていたので、確かに可笑しくはあった。いわいるランニング形式で、ネタの合間、舞台で小出が着替えている時に、流していたが、これも方法としてはもう少し考えた方がいいかもしれない。そしてみんながアッと思っていたはずの血液の値段がわかった段階で、天下りの話に転換するのではなく、もう少し突っ込むほうが良かったようにも感じた。取材のやりとりを、自分がある程度シミレーションすぎたのかもしれない、即興でのやりとりを自由にふくらませる方が良かったかも。
「ナマズ」のメイクをしていた時は、またエビスさまと七福神の話かと思ったが、ネットカフェでたむろする、地震予知のために雇用されながら、予知に失敗、解雇されたナマズの話だった。相変わらずこうした寓話ものは上手につくる。
石原慎太郎に物真似をしながらの、「東京都ヘブンアーチスト」は、面白かった。瞬きだけでなく、そのあといろんな芸をしたあとに、あの人を小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべる石原慎太郎像は、ほぼ完璧に出来上がっている。ジャグリングとか、ひもを使ったネタとか、うまく自分の特技を生かしている。最近よくやっているハムサンドの具を次々に頭にのせるやつもそうだが、しっかりした芸を、きちん見せながら、笑いをとるようにもっていくことで、ずいぶん幅ができた。
「今を生きる」は、コムソンを辞めた中年おやじの独り言なのだが、中で話している内容は飽きさせないが、シチュエーションがあまりにもストレートで、ひねりがなかったかも。
今回の最大傑作は「Mr.コーン」であろう。何回前にジャパネット高田に扮して、めちゃめちゃテンションの高い演技を見せてくれたが、あれ以来の、久しぶりのハイテンションにまさに酔っているような小出を見た。アメリカ人を揶揄していくわけだが、すごいなあと思ったのは、正確には覚えていないが「他の国の貧困をどう解決するか」というフレーズをもとに、ヨーロッパ、中近東、アメリカ、アフリカの地域性を見事に浮かびださせたことである。ヨーロッパは貧困がなんだかわからない、中近東は解決がわからない、そしてアメリカは他の国がなんだかわからないというオチは、秀抜であった。最近の小出のネタのなかでは、群を抜いている。
構成的にみてもちょうどいい感じだったし、やっている方がのびのびとやっている感じだし、十分に楽しめた。しかし1週間ほど日本を離れ、新聞も読む時間もなかったので、いくつか知らない話があったのはちょっと悔しかったなあ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰国

2007-06-15 00:47:27 | お仕事日誌
ビールを飲んでから、食事は断り、いよいよ寝る体制に。ところが結構機体が揺れ、その度に目が覚め、ほとんど寝れないうちに、朝飯が出てくる。そしていよいよ着陸。
ほぼ定刻どおり8時50分に成田着。気温は19度、昨日家に電話したとき昨日から梅雨入りとのことで、肌寒いくらいかと思ったが、外に出るとムッとした空気。携帯を返し、スーツケースを送り、成田エクスプスで新宿まで。やっと寝れた。11時すぎに出社。メールは一度アルマトゥイでチェックしているので、たいした情報はない。ひとつ大きな懸案があるのだが、なかなか担当がつかまらない。机の上にはソフトバンクの新しい携帯が置いてある。大野さんにいろいろ初期設定をしてもらう。西田さんに電話で帰国報告。昼は近くのそば屋で大盛りそば。リトルに電話。リトルもいよいよあと3日で楽。帰りの手配の確認。今日は気功の予約をとってあったので、15時に会社を出る。治療中はたぶん爆睡していたと思う。ただボロボロの身体に気が吹きこまれ、身体が少しずつ蘇ってくるのがわかる。いい日に予約をいれていたものだ。小出の公演にはまだ時間があったので、八重洲のブックセンターで本の物色。ここまでくると買いたい本に出会える。19時すぎ内幸町ホールへ。寝てしまうのではと心配していたのだが、気功の先生が寝ないような気をいれてくれたのか、公演が面白かったのか、まったく眠気をかんじないまま、最後まで。面白かった。帰りは光洋ちゃんと三雲君と一緒になる。ふだんであれば軽くビールでもといきたいところだが、さすがに今日はしんどい。まっすぐ家に帰ることに。品川駅でまた駅そばを食べ、ウィング号で帰宅。漬け物でビールを2本飲んで、就寝。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タシケントから日本へ

2007-06-14 00:27:02 | お仕事日誌
6時半に目が覚める。昨日いったい何時間寝たことになるのだろう。たぶん14時間以上は確実に寝たはずだ。シャワーを浴び、コーヒーをいれ、パソコンに日記を入力する。いままでこんな時間はなかった。はじめてこんなゆっくりとできた。
9時半すぎに受付のおばちゃんが部屋にやってくる。昨日ローマから電話があったので部屋に来たのだが、とにかくよく寝ていたのでそのままにしていたという。きっとすごいいびきをかいていたのだろう。バフロムが起きたかどうか調べてくれと電話をかけてきたので様子を見に来たとのこと。まもなくバフロムがやってきて部屋で簡単な朝食をとる。また来るからと言って、いったんバフロムは引き上げる。荷物の整理。12時前にバフロムがやってきて、一緒にサーカス場へ。ここで何人かと落ち合い、レストランに行こうということに。町の中心にあるばかでかいレストランの前には、ものすごい人の群れ。ビデオ撮影班もでている。中に入ると何百人もの人が、それも男ばかりが10人ぐらい丸テーブルに坐ってプロフを食べている。調理場からテーブルまでは何人もの給仕たちが手渡しで、プロフを並べる。大きな皿にのったプロフをふたりずつ食べる。食べ終わると、すぐに席を立ち次のグループと交代する。何なのかと思ったら結婚のお祝いらしい。明日が結婚式で、今日は前夜祭、朝と昼は男たちだけがプロフを振る舞われるとのこと。今晩は男女混じっての食事会になるらしい。いかにもイスラム的な習慣だ。
13時サーカス場に戻る。ディレクター室には入れ代わり立ち代わりいろんな人がやってきて、バフロムの判断を仰ぐ。強烈だったのは、バフロムが知らないところでテレビの撮影が今日行われたということがわかり、次々に担当者が呼ばれ、怒鳴りまくっていたこと。前にもこんな風景を見たことがある。まさに権力者バフロムである。最後はテレビクルーを入れてしまった、受付の保安係が呼ばれ、およそ5分にわたって怒鳴りまくられていた。すごいなあ、バフロムは・・・
15時から特別にショーを見せてもらう。ショーの中心はダンス、バフロムに以前長崎のテーマパーク用にダンスのグループがないかと問い合わせたことがあったのだが、そのためにわざわざ用意してくれたようだ。この話はすでにダメになり、そのことは昨日バフロムにも言っていたのだが、とにかく見てくれとのことになった。公演後バフロムは部屋に誰も入れるなと秘書に命じた上で、もうダメになったとはいわないで、あと1週間待って返事するからといい、こう褒め、そしてダンサーの中にはまだきちんと仕事をしていないものがいるとも言ってくれと頼まれる。了解したあと、担当の3人が呼ばれる。ほんとうに申し訳なかったのだが、バフロムに言われた通りに言う。
帰りの飛行機は、21時。そろそろ時間も迫ってきたのだが、バフロムは意に介さず自分を伴い、仕事関係で二カ所まわり、それから昨日のレストランで食事をしようという。時計を見たら、もう18時半。ほんとうであれば19時には空港にいたいところ。バフロムは20時行けば大丈夫だという。サーカスで働いている3人の女性と一緒に食事。このうちふたりの女性は若く美しい。じっと見ていたら目が灰褐色なのに気づく。エキゾチックだよなあ。いままでウズベクの人たちとは何人も会っているのに、こうした瞳の色に気づかなかった。時計を見たら19時半、ホテルにも戻らなくてはいけないし、出ることに。スーツケースを引き取り、空港へ。空港はもうバフロムの独壇場。列をつくっている日本人観光客を無視し、知り合いの人(空港に働いている人はみんな知り合いだと思う)を通じ、なによりも先に自分を通してくれる。ちょっと格好悪いよなあ。20時20分には搭乗口へ。ほんとうはここまでは誰も入れないのに、彼は入ってきてくれ、ここでお別れ。たばこを吸っていると、搭乗の案内。そこそこ機内は埋まっているが、おかげまで自分の席の隣はあけてあったので、ゆうゆう座れる。明日は事務所に寄らないといけないので、今日はとにかく寝ないと。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タシケントへ

2007-06-13 09:00:45 | お仕事日誌
9時すぎに目がさめる。荷物の整理。ローマはイーリャにむりやり起こされ、やっと仕度。10時早々とサーシャが迎えに来る。軽く朝飯を食べ、ワーシャを待つ。出発時間予定の10時半すぎにワーシャが奥さんとやってきた。ウォッカとムチのお土産つきだ。なんとかカバンに無理やり詰め込み、下のサーシャの部屋に寄り、お別れをいう。ほんとうにいい男だったし、奥さんもとても感じのいい人だった。近々黒海の近くのセバストポールに引っ越すらしい。ぜひこんどはセバストポールにも来てくれとのこと。行きたいよなあ。クラウンのデニスも見送りに来てくれた。とにかくいまのアルマトゥイは車がめちゃめちゃ多い。空港までの渋滞を考慮し、サーシャが独自の回り道を探し出したようだ。30分で空港に着く。まもなく搭乗手続きが開始。見送りに来た3人とお別れ。
13時25分定刻通りタシケント行きの飛行機に乗る。ずいぶんと小さな飛行機だった。タシケントに着いたのは現地時間の14時半。入国手続きを待っていたら、バフロムが姿を現す。出迎えの人は誰も入れないところに、彼はいつものように入ってきて、通関の手続きもなんも問題なく処理。警察官が何故か、自分のカバンをバフロムの車に持って行ってくれ、しかも車に乗りこんできてびっくりしたのだが、なんでもバフロムの甥とのこと。タシケントはアルマトゥイに比べて暑い。去年も泊まったサーカスホテルに案内される。荷物を置き、そのままバフロムが経営するレストランで食事。ここはもう何度も来ているが、ラグマンが美味しいところ。ふだんはほとんど飲まないバフロムが珍しくウォッカを飲む。さかんにお前はほんとうにいい奴だといってくれる。去年日本に来たときちょっとだけアテンドして世話してやったのが、よほどうれしかったようだ。ラグマンとシャシリークを食べる。そのままサーカス場へ。カフェに皆集まって、バフロムが来るのを待っていた。今日は亡くなった副団長のエドワルドが死んで40日の供養の日らしい。ウズベクでは死後7日後、そして40日後、1年後に供養をするらしい。カフェにはエドワルドの写真が飾られてあった。昨日アルマトゥイで会ったばかりのパーシャが、供養の言葉を求められたときに、突然泣きだし、言葉にならず、そのまま姿を消したのが印象的だった。皆が、言葉にならないということ自体が、パーシャのエドワルドへの思いを表現していると言って、もらい泣きしていた。自分もエドワルドとは何回か会っているし、去年日本でも会っている。いかにも小賢しい感じで自分はあまり好きになれなかったが、そうした悪ぶったところに皆愛着をもっていたようだし、こうした人物がバフロムにとっては重要だったのだろう。しばらくこの場に同席したあと、ホテルまで送ってもらう。まもなくして下の受付のおばさんが、プロフとお茶と野菜と水とジュースと、ウォッカをもってきてくれる。ありがたい心遣いだ。荷物を整理しようとトランクを広げたところで、急に睡魔が。そのままソファーに横になる。気づいたらもう24時。たぶん6時間ぐらい寝たのだろう。部屋のドアの鍵を締めて、寝室に行き、本格的にまた寝る。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カザフ出張第五日

2007-06-12 08:57:29 | お仕事日誌
9時すぎに目がさめ、トイレに行こうとして茶の間を通ったら、ローマが横になっている。昨日はここで寝たらしい。シャワーを浴びているあいだに、ローマがパソコンで今日提出する荷物リストを作成。この間イーリャとテレビでやっていたメロドラマを見る。最初はなんということなくただ見ていたのだが、めちゃめちゃ単純なラブストーリーにはまってしまう。ローマはメンバーに電話しながら、リストを完成させていく。イーリャがサーシャの奥さんに呼ばれる。最後どうなったか教えてねと言い残しイーリャは、サーシャの部屋に。思いがけないどんでん返しのエンディングに唖然としたが、ハッピーエンドだったのは救い。どうやらローマのリストは完成したらしい。昨日頼んでおいた日本のカーゴ会社からの連絡を待つが来ないので、こちらから電話。昨日の状況の説明。そういう事情であれば、申し訳なかったし、カザフのカーゴ会社を通じて、ほかのエージェントと組んだ方がいいだろうということになる。12時過ぎに昨日のカーゴ会社へ。成田までとルスツまでの二通りの見積もりを出してもらうに依頼。
サーカス場に寄って、変身マジックをする女性アーティストと面会、ビデオを見せてもらう。去年タシケントで会った、舞台サーカスのディレクターパーシャとばったり。出張でこっちへ来たらしい。3人でタクシーに乗り、セサミ劇場という着ぐるみ人形劇団のマネージャに会いに行く。ここで食事をとりながら映像を見せてもらう。マネージャーのアンバールは、元サーカスの芸人さんらしい。日本公演も興味があるが、日本のなにかユニークなショーをカザフでオーガナイズしたいという希望もあるようだ。パントマイムや、日本の和妻の話しをしたらとても興味をもったようで、すぐに映像資料を送ってくれということになる。近々モスクワに行くというので、いまカスチュークのサーカス場でやっているショーに日本のアーティストがでていると言ったら、ぜひ見に行くと言ってくれた。

アルマトゥイサーカスの団長から連絡、今日20時に一緒に食事をしたいとのこと。いったんローマの家に戻る。歩いて戻ったのだが、道々ローマの最初の奥さんとの別れ話の原因を聞かされる。なんでも最初の子供を出産してまもなく、奥さんの実家にいったとき、奥さんのお母さんから誘惑されたことがあり、それが一度ならず二度もあり、それを奥さんに告白できずにいたのだが、三回目に誘惑されたとき、お母さんを蹴っ飛ばし、それが原因で仲がおかしくなり、別れてしまったという。いろんなことがあるものである。
部屋に戻ると、イーリャが先日撮ったショーのビデオが、みんな遠くから撮っているせいで、あまり出来のいいものではないという。実際見てみたら、確かに三台で撮っているが、みんな遠くから、しかも三脚でスイッチオンで撮りぱなしなので、雰囲気はわかるのだが、質としてはいいものではない。しかもバンブーの芸は、照明が逆光になり、フレームから外れている。穴があったわけだ。これだったら抑えでも自分でビデオを撮るべきだった。いまさら言っても遅い。自分が見たときのものではなく、ほかの日にやった公演を撮ったビデオがあるはずなので、これもダビングしてもらうことにする。
19時半団長から電話、近くまで車で迎えに行くとのこと。奥さんも一緒だった。山のふもとにあるリゾート地にあるレストランに案内される。日本のレストランもあったが、せっかくなのでカザフレストランへ。ヨールトの個室で食事。またウォッカである。23時すぎまで一緒に飲み食べる。会計を待っている間に日本レストランの看板をみていたら、ここには日本にあるものはなんでもあるし、エーデルワイスも咲いていると書いてあるのにおもわず苦笑。桜の間違いなんだろう。
帰りは一滴も飲まなかった奥さんが運転、家まで送ってもらう。イーリャがダビング作業をしていた。写真のディスクと、ビデオのディスクがすでに用意されていた。また今日もウッォカ攻め。この3日間胸痛がはげしいし、首も痛い。もうこのへんが限界である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カレンダー

2007年6月
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

バックナンバー