デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

カザフ出張第4日

2007-06-11 08:50:54 | お仕事日誌
朝飯を食べ、10時すぎにサーカス場へ。メンバーはそろっているのだが、照明の人がまだ来ていないらしい。どうも照明さんへ連絡がいっていなかったようだ。しばらく待ってから11時すぎに撮影開始。カメラマンはふたり、サーシャと、娘さんのダーシャ。ダーシャは自分がもってきたカメラを見て、これなら大丈夫、使い方もすぐにマスターしてくれた。撮影がはじまると、仕切りはすべてイーリャがとる。いろんなポーズをとらせ、位置や背景を決めていく。空中ものは、あとからとることにして、全員集合写真を撮って、地上芸を撮る。ダーシャもさまざまな角度からとるのだが、背景が気になるらしく、いろいろ注文を出す。最後が空中ブランコなのだが、やはり飛んでいるところをとるのはかなり難しい。なんとかフライングらしいシーンを撮って撮影終了。結局終わったのは13時半、けっこうかかった。14時にカーゴ会社とアポをとっていたので、すぐに白タクをつかまえて、その会社へ。ローマの話しでは、いままでつかっていたカザフ側のカーゴ会社はいろいろ問題があり、帰りの荷物が間に合わずに仕事を失ったことも一度だけでなかったという。ローマの知り合いのヴァロージャと、何度か仕事をしてまったく問題がなかったので、今回はこの会社を通じて日本に荷物を送りたいらしい。この会社とは日本側のいつもつかっている会社から連絡をとってもらっているのだが、まだ話しが見えていないようだ。とにかく一度クライアントにだしている見積もりより高くなると困るので、見積もりをだしてもらうようにする。明日ローマが荷物リストを提出することに。日本に電話、この旨日本側の会社と連絡がとりたいので、明日連絡をもらうように頼む。
サーカス場に戻り、今日いろいろ手配してくれたリングマスターのコーリャにお礼のランチをごちそうすることになる。サーカス場のカフェでランチ。ここにすわっていると、いろんな芸人さんが立ち寄ってあいさつしてくる。やはりサーカス場という拠点があると、こうして芸人さんたちが集まってくるわけで、いい雰囲気だ。そのうちのひとりとローマが長々と立ち話。ビザとか担当している人だが、なんでも昨日アスタナのサーカス団長から、たいへん失礼なことをしたという謝りの電話があったとのこと。もちろん日本には問題なくアーティストを派遣するとのこと。反省するだけの自制心はもっていたようだ。
テーブルにはワーシャやかつて日本で公演したことのあるダスバトリョフ、日本で公演したがっているアーティストが集まってきて、乾杯が重ねられる。

歩いてローマの部屋に戻る。サーシャの部屋に寄り、写真を見せてもらう。すでにディスクに落とす作業がはじまっていた。とても自分では撮れないような写真ばかり。ダーシャとサーシャに感謝。ふたりに感謝するために、また宴会がおこなわれることに。当然のことだ。
18時すぎからふたりに感謝の夕べがはじまる。そして20時過ぎに、いよいよ真打ち登場とばかりにハーリックが現れる。いきなり抱きついてきて、すぐに自分の急所をつかまえ、ここは元気か、立っているかというのはハーリックらしい。これを見ていたダーシャが目を円くしてびっくりしていた。ハーリックが入って雰囲気が一転、馬鹿話に花が咲く。ハーリックがローマを諭すように、焦るなよ、とにかくお前は健康を大事にしないというような話しをするのを見ていると、やはりこのコンビが一番だということを実感する。カザフサーカスの発展のために、そしてアーティストのためにも、ハーリックが大将で、ローマが番頭というのが一番いいのだが、ふたりとも国立のサーカス団には戻れないし、戻りたくもないわけで、それが傍目から見ていると辛く、理不尽にも感じる。健康を大事にしろという話しにのって、自分もそうだ、昨日の朝はうなっていたらしいじゃないか、もう飲むのもほどほどにというのを付け加えたら、その話はイーリャから聞いたなということで、なんでそんなことを大島に言うんだと激怒。藪蛇になってしまった。とにかく人のいうことを聞かない頑固者だが、酒が入っているから始末に終えない。それを知っているイーリャは聞き流し。遅くなったので、みんなもさあ帰ろうということになったら、ローマがもう一杯やれと、無理やりみんなウォッカを注ぐ。しかたなくみんなで最後の乾杯をしてお開き。自分はそのまま寝室に直行。
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カザフ出張第三日

2007-06-10 13:04:44 | お仕事日誌
朝飯を食べ、10時すぎにサーカス場へ。メンバーはそろっているのだが、照明の人がまだ来ていないらしい。どうも照明さんへ連絡がいっていなかったようだ。しばらく待ってから11時すぎに撮影開始。カメラマンはふたり、サーシャと、娘さんのダーシャ。ダーシャは自分がもってきたカメラを見て、これなら大丈夫、使い方もすぐにマスターしてくれた。撮影がはじまると、仕切りはすべてイーリャがとる。いろんなポーズをとらせ、位置や背景を決めていく。空中ものは、あとからとることにして、全員集合写真を撮って、地上芸を撮る。ダーシャもさまざまな角度からとるのだが、背景が気になるらしく、いろいろ注文を出す。最後が空中ブランコなのだが、やはり飛んでいるところをとるのはかなり難しい。なんとかフライングらしいシーンを撮って撮影終了。結局終わったのは13時半、けっこうかかった。14時にカーゴ会社とアポをとっていたので、すぐに白タクをつかまえて、その会社へ。ローマの話しでは、いままでつかっていたカザフ側のカーゴ会社はいろいろ問題があり、帰りの荷物が間に合わずに仕事を失ったことも一度だけでなかったという。ローマの知り合いのヴァロージャと、何度か仕事をしてまったく問題がなかったので、今回はこの会社を通じて日本に荷物を送りたいらしい。この会社とは日本側のいつもつかっている会社から連絡をとってもらっているのだが、まだ話しが見えていないようだ。とにかく一度クライアントにだしている見積もりより高くなると困るので、見積もりをだしてもらうようにする。明日ローマが荷物リストを提出することに。日本に電話、この旨日本側の会社と連絡がとりたいので、明日連絡をもらうように頼む。
サーカス場に戻り、今日いろいろ手配してくれたリングマスターのコーリャにお礼のランチをごちそうすることになる。サーカス場のカフェでランチ。ここにすわっていると、いろんな芸人さんが立ち寄ってあいさつしてくる。やはりサーカス場という拠点があると、こうして芸人さんたちが集まってくるわけで、いい雰囲気だ。そのうちのひとりとローマが長々と立ち話。ビザとか担当している人だが、なんでも昨日アスタナのサーカス団長から、たいへん失礼なことをしたという謝りの電話があったとのこと。もちろん日本には問題なくアーティストを派遣するとのこと。反省するだけの自制心はもっていたようだ。
テーブルにはワーシャやかつて日本で公演したことのあるダスバトリョフ、日本で公演したがっているアーティストが集まってきて、乾杯が重ねられる。
歩いてローマの部屋に戻る。サーシャの部屋に寄り、写真を見せてもらう。すでにディスクに落とす作業がはじまっていた。とても自分では撮れないような写真ばかり。ダーシャとサーシャに感謝。ふたりに感謝するために、また宴会がおこなわれることに。当然のことだ。

18時すぎからふたりに感謝の夕べがはじまる。そして20時過ぎに、いよいよ真打ち登場とばかりにハーリックが現れる。いきなり抱きついてきて、すぐに自分の急所をつかまえ、ここは元気か、立っているかというのはハーリックらしい。これを見ていたダーシャが目を円くしてびっくりしていた。ハーリックが入って雰囲気が一転、馬鹿話に花が咲く。
ハーリックがローマを諭すように、焦るなよ、とにかくお前は健康を大事にしないというような話しをするのを見ていると、やはりこのコンビが一番だということを実感する。カザフサーカスの発展のために、そしてアーティストのためにも、ハーリックが大将で、ローマが番頭というのが一番いいのだが、ふたりとも国立のサーカス団には戻れないし、戻りたくもないわけで、それが傍目から見ていると辛く、理不尽にも感じる。健康を大事にしろという話しにのって、自分もそうだ、昨日の朝はうなっていたらしいじゃないか、もう飲むのもほどほどにというのを付け加えたら、その話はイーリャから聞いたなということで、なんでそんなことを大島に言うんだと激怒。藪蛇になってしまった。とにかく人のいうことを聞かない頑固者だが、酒が入っているから始末に終えない。それを知っているイーリャは聞き流し。遅くなったので、みんなもさあ帰ろうということになったら、ローマがもう一杯やれと、無理やりみんなウォッカを注ぐ。しかたなくみんなで最後の乾杯をしてお開き。自分はそのまま寝室に直行。
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カザフ出張第二日

2007-06-09 13:01:09 | お仕事日誌
9時すぎに目が覚める。かなり深い睡眠になった。ローマのテンションが高い。今日の公演に神経を使っているのだろう。朝飯を食べて歩いてサーカス場へ。ここからは歩いて5分ぐらいのところにあるので便利。思っていたより暑くない。長袖のジャケットでちょうどいい。公演は11時から、一般のお客さんも見れるようにしているようで、メンバーの知り合いたちがたくさん集まっていた。アルマトゥイサーカスの団長は、やはり昨日遅くアメリカから到着したらしく、まだ来ていない。ローマの楽屋で待機。空中ブランコのワーシャがやってきて、昨日の練習でキャッチャーが突き指してしまったので、今日はあまりいいショーができないかもしれないと言って来る。キャッチャーの突き指というのはちょっと心配。今日はアスタナサーカスの新しい団長も来ることになっているようだ。団長が来たというので団長の部屋へ。アメリカのリングリングサーカスでジギトとして長く働いていたようで、英語はぺらぺら。しばらくしてアスタナの団長もやってくる。いきなり抱きつかれる。めちゃ酒臭い。しかもふらふら、びっくりする。この時ローマに向かって、アスタナのメンバーは日本公演にはださないと言ったらしい。ローマはびっくりしていたが、もう時間なので楽屋に戻る。ふたりの団長と一緒に客席へ。ビデオが三台設置されていた。今日は自分はビデオなど撮らずに、じっくり見てくれということ。11時すぎに日本公演用のプログラムの公演がはじまる。アシスタントも衣装を着てのオープニングは、17人もいるので実に華やか。それに「不思議な惑星」という今回の番組のテーマにふさわしい衣装がいい。前回のオリエンタルなムードとは一転して近未来のイメージが実に新鮮なオープニングだった。これを見てほぼ安心した。人間車輪のあと、クラウンのデニスがでてきて、観客とボールと遊ぶシーンが少しあって、すぐにバンブーにつながっていくのだが、このつながりがとてもよかった。バンブーでもこのボールを使ってエンディング。いい演出だ。そして続いて空中ブランコ、いままでルスツでやってきた空中ブランコに比べて、動きがダイナミック。クラウンが入り、シフォン。ナターシャは今回の公演では3回出番があるからたいへんだ。彼女のシフォンもリングも、静止系のアクトより、旋回しながらの動きが多いので見応えがある。クラウンのレプリーズの内容は少し変えた方がいいかもしれないが、デニスの着ている衣装がなかなかいい。ローマも持ち味をだしている。最後の空中ブランコは、やはりキャッチャーが突き指したということで、ジャンパーが思い切って飛べないようで、失敗が続出。しかたがない。
実際どんなショーになるか、ローマやイリーナを信じていたとはいえ、若干の心配があったが、いいショーになっている。よかった。一緒に見ていたアルマトゥイの団長もいいショーになっていると褒めていた。このあと20分の休憩があり、日本公演には参加しないが、来年以降のためにということでいろんな番組を見せてもらえる。いくつかいい番組があった。特にネコのショーをしていたふたりのクラウンのレプリーズ、ビンを使ったジャグリング、サッカーボールのジャグリング、デュオのエクブリストが良かった。
公演後ローマの楽屋へ行くと、真っ先に空中ブランコのワーシャがやってきて、いいショーが見せられなくて申し訳ないと謝りに来た。信じているから早く治療して、ルスツではいいショーを見せてくれと答える。

帰り途中近くのカフェで、メンバーたちがビールを飲んでいた。これに加わる。新しい衣装を着ての公演は3回目だということで、いろいろ失敗もあったようだが、無事に終わってみんなは安心しているようだった。一様に表情が明るい。
明日はカザフ国内の学力テストが一斉におこなわれる日らしく、メンバーの何人かもこれを受けることになっているようなので、写真撮影は明後日11時からということになった。メンバーたちとわかれて、ローマの部屋に戻ってランチ。二部のショーでデビューしたローマの犬たちも戻っていた。例によってウォッカが開けられ、飲みながらダメだし。ローマたちもいろいろ反省点もあるようだが、自分が安心しているのを知って、落ち着いたようだ。ローマをいつも助けてくれている同じ階に住むコンピューターのプログラマーのサーシャ、ネコのショーをしていたマラトらも加わり、宴は延々と続く。なにかの話しのときに、自分の最初の本は、スラフスキイにずいぶん助けられたという話しをしたら、ローマがびっくり、自分の最初の先生はスラフスキイだという。自分がしばらく便りも来ないから死んだのかもと言ったら、ローマはそんなことはない生きている、すぐモスクワに電話する。今年93才になるスラフスキイの声をまさかここで聞くとは思わなかった。元気な声で、いつモスクワに来るのだ、来たら必ず会いにきなさいと言って電話を切った。うれしくておもわず涙がでてきた。これを見ていたマラトもおもわずもらいなき。これからまた杯を重ねることになり、何時に寝たか覚えていない。

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カザフ出張第一日

2007-06-08 12:57:56 | お仕事日誌
5時起床。メールをチェックして、5時40分にスーツケースを引きずって、富岡駅へ。6時の電車に乗り、YCAT。6時半のバスに乗る。8時前に成田着。8時半からチェックイン。携帯に電話。今日成田から帰国するワーリャ先生を見送りにきたナージャから。いま空港に到着したという。同じターミナルだったら会ってお別れをしたいところだが、違うターミナルなので、あきらめる。チェックインのあと、朝飯。前回は昼食が出るまでえらい時間がかかり、腹が減ったことを思い出し、がっちり食べておく。携帯を借りることにするが、カザフスタン、ウズベキスタン使用の携帯は、結局ドコモだけ。借りる手続きをしているうちに搭乗時間がやってくる。急いで搭乗口へ。結構な人出である。家に電話。飛行機は定刻通りに出発。関空で30分ほど待って、再び機上の人に。富岡多恵子の「湖の南」を読み終える。何度も居眠り。現地時間17時すぎにタシケント着。暑い。30度だという。ここはたばこが吸えるところがたくさんあるのがいい。2時間ほど待ってアルマトゥイ行きの飛行機に搭乗。日本人は自分だけである。カザフ時間21時40分アルマトゥイ着。ほとんど一日かかって移動したことになる。ローマ、空中ブランコのワーシャ、そしてサーシャ、そしてデニスと顔なじみのメンバーが出迎えに来ていた。サーシャの車に乗って、ローマの家へ。どうもここが宿舎になるらしい。イーリャと再会。到着を祝う宴が用意されてあった。いつものようにウォッカとプロフで杯を重ねる。やっと24時すぎに就寝。みんな明日の公演に神経質になっているようだ。

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いよいよ明日から

2007-06-07 22:33:42 | お仕事日誌
また9時ウェスタンユニオンに寄り、送金。それから武蔵小山のウズベキスタン大使館へ。本来であれば来週火曜以降にしかビザは出ないのだが、招待電が効いたようで、今日出してくれるとのこと。ただ15時以降になるので、また来なくてはならない。いったん会社に戻り、不在中にやらないといけないことを片づけ13時半会社を出て、まずは入管へ。オリジナルの出生証明書を提示。問題なく受理してもらう。近々在留資格認定書が出るだろう。この足でまた、ウズベク大使館へ。すぐにビザをもらう。16時過ぎ会社に戻る。バフロムにタシケント到着日の便名を知らせるファックスを入れ、秘書に電話。リトルの荷物の件で、業者さんと確認。
DM発送準備は黙々と続けられている。今日はほとんどなにも手伝えず。しかも明日からカザフということで、なにか敵前逃亡のような罪悪感を感じてしまう。
17時半函館のTさんと千駄ヶ谷駅前のユーハイムで打ち合わせ。ほんとうはせっかく東京にきているのだからゆっくり一杯やりたかったのだが・・・
18時半代々木から帰宅の途へ。
さていよいよ明日からカザフ、ウズベクである。どんな出張になるやら。
あとは帰国してからの報告になる。

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