デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

サンクトの旅7

2018-11-21 15:08:29 | 
昨日は完全に酔っぱらっていたので友人の死をみんな知らせることができなかった。起きてすぐに漂流民の会の人たちに通夜と告別式の日取りをメールで知らせる。そのあと家に連絡して自分からの供花を告別式に間に合うように手配してもらう。漂流民の会からも供花ということで理事さんに連絡、木村会長に手配をお願いする。ここまでやってからホテルを出る。うそのような青空が広がる。サンクトに来てこのような青空を見るのは初めてだ。友人が永遠の旅につくのを見送ってくれるためではないかと思うと、また涙が込み上げてきた。
歩いて東洋学研究所へ。シャープキンさんの案内でまずは東アジア研究室へ行って部屋を案内される。ここにはネフスキイもいたのである。そしてゴレグリャド先生も。シュープキンさんのデスクでいろいろ興味深いアイヌ関係の資料を見せてもらう。これだけでも今日来た意味はあったような気がした。一応ないとは思いますが、アルヒーフに行ってリストももう一度確認しましょうということになった。アルフーフの部屋おおばさんはとても感じのいい人だ。日本関係のアルヒーフのリストを見て、シェープキンさんがおもわず「あった」と言う。みると間違いなくレザーノフの長年探し続けていた辞書の表題があるではないか。これにはシェープキンさんもびっくり。とにかくこれを出してもらう。他の2冊とは違って茶封筒にはいっていた。ノートが4冊ほどまとめられている。そしてあの見慣れた字が。レザーノフの字である。あの2冊も間違いなくレザーノフが自分で書いたものであることが証明されたのではないかと思う。気持ははやる、早くページをめくりたい。しばらく一緒にシェープキンと一緒に前の辞書と見比べながら見ていく。これは増補版というより改訂版と言ったほうがいいようだ。もちろん前の辞書にない語彙もある。ただこれは語順も違っていたりするので、そうとうしっかりと比較研究しなければならない。とても今日だけなのはわかる。とにかく今日できるだけやれるところまで見ることにする。研究室に戻って荷物をとり、ノートを出して見ていく。今日はたぶんすぐにサーカス博物館に行けるだろうと昨日ユリアに言っていたので、Whatappで何時まで博物館にいるか聞く。5時半ぐらいに行くことにして、必死になってノートをとる。これはシェープキンさんも言っていたが、あきらかに最初の頃と最後の方の筆致が違っている。丁寧に書かれていたのがかなりうしろの方はあせって書いているような感じだ。急いでいたのだろう。おそらく長崎でとられていたノートや松前やサハリンでアイヌから聞き取った言葉をあつめたノートを見ながら、清書しようとしたのが、だんだん時間がなくなってきて焦っていったのだろう。それはシトカに向う前のことであろう。この改訂版こそを翻訳しないといけないのではないかという思いを強くする。5時前までかかってノートをとれるだけとって、語数をカウントして作業を終える。あとはこれのコピーがもらえるかどうかなのだが、前とはちがって手続きがいろいろ大変そうだ。今後はメールのやりとりをしながらやっていこうということになった。共同で翻訳して出版できないだろうかと思う。そんなことを話してシェープキンさんと別れる。ここちよい疲労感だった。外は初めてみるサンクトの夕焼けがひろがっていた。友人はこの空のむこうに逝くのだと思った。
途中ドームクニーガによってユリアおすすめのチョコレートを買ってからサーカス場に向う。ユリアは今日はいくつもの団体が来て博物館見学をしているので大変な一日だったようだ。またお茶室でオーリャも交えながら、お茶会。
19時に約束があったので30分ほどいてここを出る。ユリアが地下鉄の駅まで送ってくれた。きれいな丸い月が見えた。駅前でユリアと抱き合って別れる。ほんとうに彼女には助けてもらった。そしてとてもいいお嬢さんだ。とにかく彼女やサーカス博物館を支援しつづけて行こう。
サンクトで地下鉄に乗るのは初めて。次の駅で降りるとちょうど19時前、約束通りで駅でカテリーナさんが待っていてくれた。歩いて彼女のアパートへ。途中レンコムのスタジオを通る。彼女のアパートもレンコムの関係者用の住宅だったらしい。ここで犬と88才になるお母さんの出迎えをしてもらう。お土産のセルゲイからもらった魚をプレゼントしたらえらく喜ばれた。彼女のお手製のボルシチとグルジアのピローグをいただきながら、いろいろな話しをする。今回は3人いるうちふたりの日本学者と会えたということは大きな収穫だと思う。今後の辞書をめぐる展開についていろいろアドバイスをもらう。これはシュープキンさんも言っていたことだが、東北大が訳した辞書のなかに入っていない教科書の部分こそ翻訳にする価値があるのではないかとも言っていた。これは自分も今回あらためて教科書をみながら思ったことでもあった。今後は共同作業ということで進めていくべきだろう。犬が散歩の時間が待ち遠しいようで、テーブルの下にもどって自分の股間を何度もなめるのには参った。21時過ぎにお母さんにお別れ、カテリーナさんは犬の散歩のついでに通りまで送ってくれた。
22時過ぎに部屋に戻る。通夜が無事終わったこと、自分の書いた別れの言葉は友人が家族に渡してくれて、どうするかは家族の判断に委ねたというメールが届いていた。こちらの時間で明日の早朝5時から告別式となる。


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