デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

サンクトの旅6

2018-11-20 14:22:16 | 
テレビのニュースは日産のゴーン逮捕ばかり。詳しく報じるというよりはトップニュースとして大事件的な扱い。例によって歩いてクンストカーメラに。スマホのランニングアプリをつかい距離を計ってみる。だんだん寒くなっている感じはある。途中また尿意を催し昨日の30ルーブルの有料トイレへ。トイレに関しては目ざとい自分なのだが、絶対トイレだと思っていた箱がみんな鍵がかかっている。やはりトイレなのだがこの青箱はみんな閉まっていた。11時にクンストカーメラの通用口でシニツキィンさんと待ち合わせ。2年ぶりの再会になる。2年前と同じく隣のフォンドへ向う。昨日無事に許可をもらいレザーノフの辞書を見れたことを報告、そして実際に自分が見たかったものではなかったという話しに、これ以上は無理なのではというような反応だった。すべてやれることはやっていただている、それもとても協力的にやってもらったのでなにか申し訳なくなる。日本の着物を保管している部屋で2年前にも見た着物がすでに用意されていた。前回は遠慮していたのだが触ってみる、手袋を着用するように注意される。思ったより厚手でしっかりしている。問題はこの状態ひっくり返してみると、亀井高孝さんたちが見たものと同じものになった。要は同じものだったのだが、裏返しになっていたということである。おもわず震えが。まさに多賀丸の乗組員が着ていた250年以上前の刺し子の着物が目の前にあるのだ。これをずっと見たかった下北の佐藤さんにすぐに報告しなくてはなるまい。写真を撮影させてもらう。裏返しではないかと最初に発見したのはアイヌ関係の資料を集めに着ていた北海道の佐々木史郎さんだったという。このあとクンストカーメラに戻って日本コーナーにある光太夫が持ってきた扇と硯を撮影させてもらう。一時間ほどの訪問だったが有意義な訪問となった。
このあと歩いてサーカス博物館へ。今日は暇そうで最初はユリアとオーリャとお茶を飲みながら日本の歌舞伎や宝塚の話しをする。ユリアはほんとうに日本のことが好きなんだろうな。去年は上海に3週間旅行したという。
だべり時間が終って、作業に入る。まずはタカシマの道具をもってきてもらい撮影。前回は陳列された状態でガラス越しの撮影だったが、今回は手に触りながら撮影させてもらった。ここでひとつきっとこの道具がここに来たときの経由という記録があるのではないかと聞いたら、それだということですぐにその台帳のようなものを持ってきてくれた。そこにはタカシマの奥さんから買い取ったとあり、1931年何月何日という日付、そしてその中身が書かれていた。驚くべきことにこの中には着物や扇などもあったことがわかる。それはいま保管されていない。ここに移る前にすでになくなっていたという印がついていた。番号を確認して撥とまりの他に保管されている道具を持ってくる。コマとディアボロの道具、そしてなにかわからない道具もあった。すべて写真撮影。そのあと保管されているドイツのショー雑誌「オルガン」のバックナンバーを見る。日本人芸人の広告がないかということだったのだが、この雑誌えらい厚く月間なのだが情報量がえらい多い。この間ユリアはカードを探り日本人芸人の写真を探す。彼女はレスラーという項目の写真の中から日本人のレスラーを探し出す。ここにもいろいろ面白いのがあった。彼女はすでにここで働いて10年近くになるという。だいたい資料のありかはわかっているとのこと。自分も今回探す手順をいろいろ見ているうちにその手作りのシステムが少しずつわかってきた。たぐりよせる方法はまだいくらでもあるような気がした。現にタカシマの情報もいままでのすくなくても3倍は得ることができた。
途中電話が入り今日3時半にくる予定の子どもたちの見学グループが時間が早いがもう着いたので案内してくれというのでユリアは大慌て。こうした見学もここの博物館の大事な仕事。さらにフォーラムの会場となったホールでのさまざまな展示もまた大事な仕事だという。最近面白かったのはサーカスの匂い展。楽屋の匂いや舞台裏の匂いを実際に嗅がせたという。今回のショーのプログラムはえらい立派なものだったがこれも編集しているという。なんかこういう時間って貴重でいとおしいものに感じる。時間が経つのをすっかり忘れてしまった。モバイルリーターのスイッチをオンにすると、とんでもないメールが奥さんから来ていた。今朝親友が亡くなったという。9月にまた具合が悪くなって入院したというので見舞いに行った。一時はずいぶん元気になったように見えたがまた弱ったかなという感じだったので気にはなっていたが、いつものように淡々と話す姿に養生すれば大丈夫かなと思っていた。小学校一年の時からの友人の通夜は21日、そして告別式は22日という。間に合わない。60年近く付き合ってきた男と最期のお別れさえできないのかと悲しくまたなさけなくなってくる。このことはユリアには関係ないので、このことは告げず、時間も時間なのでここを出ることにした。
ホテルまでの帰り道なんども自分のことをののしり、そして友よ、なんでそんな早く逝ってしまうのだとののしった。
部屋に戻り、ネットもラインもつなかったところで情報の整理。ラインはなぜかこのホテルだとつながる。親友の死を伝えてくれた友だちが、告別式で俺が代読するからお別れのことばを書いてくれと言ってくれた。これは救いになった。すぐに書き始める。そしていままでたまっていたものがとめどなく吹きあふれ、号泣していた。ほんとうは友の写真を見て仲間と一緒に泣きあいたかったのだが、ひとりでしゃくりあげるように泣いていた。そして書き終わり友だちに送ったところでベットに倒れ込む。せめて夢の中にでもでてくれるといいのだが。

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