日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
群馬・川場村の「武尊神社(ほたかじんじゃ)」に行ってきました
先日、群馬・川場村に行ってきました
川場村は、群馬県北部・「武尊山(ほたかやま)」の山麓にある村です
21世紀初頭に日本中で行われた平成の大合併の折、群馬北部の辺りは沼田市に利根郡8町村を加えた枠組での合併が検討されていました
そんな中で川場村は、姉妹都市として交流のあった「東京都世田谷区との合併」を選択肢の1つとして、県境を接しない飛び地合併を検討したそうです
結果は、現実的に村と区とでは160Kmも離れている上、群馬県の中に東京都の飛地ができるのは、地域感情や手続き(=県議会・都議会の議決および両知事の承認が必要となる)といった面など様々な難しい問題を生じさせかねない事から、実現しなかったようで、現在も合併せず単独の村として、観光開発を懸命に進めています
側にそびえる「 武尊山(ほたかやま)」は、日本百名山の一つで、標高2,158mの成層火山です
「武尊」と書き、「ほたか」と呼ぶので、北アルプスの「穂高岳(ほたかだけ)」と区別するため、「上州武尊山」とも呼ばれます
川場村へは関越道沼田ICをおりて、川場村方面の案内に従ってR64を車で走らせ、約10分・川場村中心街の川場田園プラザにつきます
プラザからさらに北方、川場温泉にある後ろに、「武尊神社」は鎮座していました
見事な造りの神社です
この神社は、享保3年(1718)湯前薬師堂として建立され、宝歴5年(1755)に修復、享和4年(1804)現在の本殿が完成したそうです
本殿は川場村指定重要文化財となっており、三間四面造りの大床勾欄を四面に回すお堂造りで、屋根は銅板入母屋造り、正面千鳥破風・向拝唐破風付の変わった構造の建築様式です
湯前薬師堂がいつ頃「武尊神社」となったかは定かではなく、片品村花咲に有った「武尊神社」を宝暦5年(1755)に分祀して創建したものと云うのが主流のようです
「武尊神社」と呼ばれるものは、利根沼田地域には18社あり、日本武尊を御祭神とする神社は26社に及ぶそうで、これらの神社は古くは山岳信仰の山であった「武尊山」を祭神とするためか、別の本殿を持たず拝殿のみとなっているようです
重厚な感じの屋根は現在鉄板葺きされ、風雪に耐えるように造られている入母屋造りが、とても立派に見えました
正面に千鳥破風を付け、一間の向拝には唐破風の軒を付ける立派なものでした
全体的に棟高な印象で、周囲には龍などの細かい彫刻が沢山施されています
これらの彫刻は、中国の故事に因んだ極彩色の透かし彫りの欄間で、中国文人や楽人などの彫り物が多く見受けられました
中に囲碁をしている欄間もあり、囲碁好きな私にはとても興味深く見てきました (下右画像)
これらの彫刻物は雨風によって彩色もはげ、大分痛みが激しく、今のうちに修復すれば何とかなるのではと素人目で思います
とにかくこのまま放置では、何とももったいないなという感じです
社殿正面の二本の腕木の竜の彫り物や、社殿内の天井に描かれた迫力満点の巨大龍の板画も見ごたえありました (下画像)
特に天井画は墨で描かれた龍画で、躍動感が伝わってきますが、板が腐ってきており、このままでは消えてしまいそうで、見物者としてはもったいないな~とため息が出ました
川場村の文化遺産は、村で管理なんでしょうが、是非頑張って保存してほしいですね
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