goo

群馬・高崎にある綿貫・「観音山古墳」に行ってきました

埼玉~群馬には、とても沢山の古墳が残っています

先日、群馬・高崎市にある綿貫・「観音山古墳」に、友人に教えてもらって行ってきました

「観音山古墳」は、高崎・市街地の東方綿貫町、井野川西岸の平野に立地し、群馬県の古墳時代後期(=今から約1,400年以上前の6世紀後半)の代表的な前方後円墳として知られています

 

「観音山古墳」の墳丘は、前方部を北北西に向け全長97m、前方部・幅64m、高さ9.4m、後円部・直径61m、高さ9.6mの規模で、二段に土盛り築成され、二重の馬蹄形の周堀を持った形で、きわめて整然とした形態に造られています

古墳入り口には、「観音山古墳」の発掘された折、分った諸事情報を記載した看板が各所にあり、とても勉強になりました

  

看板等で知ったのですが、私が調べたつもりで以下話を進めます  

当古墳の中段部と墳頂部の平坦な部分には、埴輪の配列がされていたようですが、現在はありません

その種類はとても多様で、家・ニワトリ・盾・巫女・三人童女・武人・飾り馬・鷹匠・円筒形埴輪などが出土したそうです  

周堀は二重にめぐり、内堀と外堀は中堤で区分されています (=全長178m、幅143mほど)

埋葬施設は後円部中段に両袖型横穴式石室があり、石室は、後円部に築かれた巨大な横穴式石室で南西に開口し、壁面は榛名山二ツ岳噴出の角閃安山岩の切石を積み上げ、天井石は吉井町産出の牛臥砂岩が用いられているそうです

これって凄いですよね                                                                              巨石の重さは22トンはあるとみられ、古墳周りには巨大石のでたことはありませんから、どのようにして運んだかは想像できません

残念ながら石室内は入れませんでしたが、内部はほぼ埋葬当時の状態を保っているそうです

石室の規模は群馬県内で最も大きく、全長12.7m、玄室の長さ8.1m*幅3~4m、羨道の長さ4.5m*幅1.3~2.4mだそうです

「観音山古墳」はその大きさだけをとれば、この古墳より大きな古墳はいくつもありますが、石室、埴輪、副葬品など、あらゆる点で一級の古墳と言えるようです

副葬品も多く見つかって折、そのなかでも、その昔朝鮮半島にあった「百済」の武寧(ぶねい)王という王様の墓で見つかった鏡とそっくりの銅製の鏡や、往時中国で使われていたと思える同形の銅製水差しは、外来人との交流を想像させます
「観音山古墳」は、朝鮮半島や中国と、何らかの形でつながりを持っていた豪族のお墓なのかも知れません

現在、「観音山古墳」は昭和48(1973)年に国指定史跡となり、出土した遺物の一部は、群馬県立『群馬の森公園』にある県立歴史博物館に展示保存され、見学することができるそうです

下画像  群馬の森公園内です  ( 向って右:歴史博物館 、 向って左:近代美術館 )

「観音山古墳」は歴史の悠久さを感じさせてくれ感激でした                                                             ちょっと慌しく見てきたので、歴史博物館と併せて、又あらためてのんびり行ってみたいと思っています                                  こんないいところを教えてくれた友人に感謝です

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« “ケハギ”= ... “パッションフ... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。