日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
群馬・高崎に祀られた「十一面観音菩薩」堂を見てきました
群馬・高崎といえば、「高崎白衣大観音」様が有名です
高崎観音山丘陵に建つ「高崎観音」は、群馬・高崎一帯の守り神のようなものですが、素朴に祀られた観音様も各地・各所にあります
先月下旬、高崎市の史跡を探していたら、市内高崎城址近くの高崎神社裏で、「十一面観音菩薩」様が祀られている祠があるのを見つけました あまり知られていない(私だけかもしれませんが・・・)観音様の所在を知るのは、何かを発見したような感じがし、とてもドキドキした気持ちになりました
参道の入り口に建てられた石碑に、十一面観音菩薩様が、「上野国三十三番札所」・『十一面観音菩薩』と書かれていました
石碑(=下画像:右)によると、「上野国三十三番札所」となったのは、暦号・大同(だいどう)(=西暦806~810年)の時代だそうですから、今から約1200年前のこととなり、随分由緒があるのだなと感心です
「十一面観音菩薩」とは、どんな観音様なのでしょう
「十一面観音菩薩」は、梵名・“エーカダシャ・ムカ ”といい、仏教の信仰対象である菩薩様の一尊です 梵名の意味は文字通り「11の顔」をもつの意で、観音菩薩の「変化身」の1つといえます
ネットで、十一面相の内訳を調べてみたら
1、 頂上部 佛面(如来相) ・・・ 如来相とは功徳を表します
2、 正面三面 菩薩面(寂静相) ・・・菩薩面は果報を表します
3、 右面三面 瞋怒面(しんぬめん)(威怒相)
4、 左面三面 狗牙上出面(くげじょうしゅつめん)(利牙出現相)
5、 後部一面 暴悪笑面(笑怒相)が通常である。
これら面相の由来は救済と破壊の二面性を持つ「シバ神」の影響を大きく受けているのだそうです しかし「シバ神」を祀るインドでは造像例は少なく、「玄奘三蔵」法師が翻訳した「十一面神呪心経」などの普及で、中国、朝鮮では信仰を集め多く作像されたのだそうです
観音像は日本には飛鳥時代に伝来したと考えられています 奈良時代になると、観音像は多く作像されるようになり、平安時代中期に「千手観音」が現れるまでは「十一面観音」が最も多くつくられたようです
一般的に平安時代(=794年-1185年/1192年頃)以降、これら「変化身」の観音、即ち「千手観音」・「十一面観音」・「馬頭観音」等々が、信仰の形に合わせ沢山作像され、現れてくるようになったのだと思われます
札所には最近設造された、観音坐像を刻んだ石碑もありました
札所は丁度梅の樹が満開になり、遅い春を知らせていました・・・右は高崎神社裏手伽藍です
ところで札所の「十一面観音」様のお顔は、祠の奥深くに納められ見ることが出来ません なんとも残念至極です
私が訪れたこの日、閑散としていた札所で、私以外に旅行姿の熟年女性がカメラを片手に、あっちこっちをパチパチ やっているのを見かけました だまって、お互いの撮影を邪魔しないようにして帰ってきましたが、有名とは思えぬこの札所を知っているなんてと、自分を棚に上げて、感心しました
後で知ったのですが、観音様を巡るツアーがあるくらいに、最近人気だそうです
この人気は、白洲次郎の妻・正子の生誕100年を祈念して発刊された正子著・「十一面観音巡礼 愛蔵版」によるものらしい
この本の紹介をみると、正子が『大和の寺々を中心に、近江、京都、若狭、美濃、信州へと「十一面観音像」を訪ね歩き、秘められた謎と美に迫り、その奥深い魅力を綴り上げた傑作美術紀行』だとありました
ひっそりと佇む観音様の気高さ、美しさをカラー写真と地図を載せたものになっているそうですから、私も覗いてみようかな
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