DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

続「ボクシング 10年」PartXⅤ(渋い!?実力王者が占める!)

2022年04月06日 05時18分19秒 | ボクシングネタ、その他雑談

このDaispo Boxingを始めた当初、不定期ながらも数回に渡り「ボクシング10年」という、自分(Corleone)がボクシングに興味を抱いてからの約10年の間のボクシング界について、ザっとしたものを書いていました。第一弾は2004年6月23日。当時引退したばかりのリカルド ロペス(メキシコ)がどれだけ凄いボクサーで、軽量級、特にミニマム(旧ストロー、105ポンド/47.63キロ)とそのひとつ上のライトフライ(旧ジュニアフライ、108ポンド/48.97キロ)のその後の課題はロペスの後継者を生み出すことであると強調しました。

昨年2020年の9月にSuperchamp1991というものを購入。そこには私がボクシングに惹かれる直前、1991年春先の世界王者たちの顔ぶれが掲載されています。その顔ぶれを見てみると懐かしさと同時に、自分にとって新鮮味がある王者たちが載っています。あの時代から30年。「ボクシング10年」の続編的ものとして各階級の世界王者たちを簡単に紹介しています。

今回は世界的に見てまだまだ軽量級の部類に入るフェザー級。57.15キロ/126ポンドが上限のクラスです。日本からも幾人かの名選手を輩出してきた階級ですが、全体的に見ると日本人選手にとり体重の差を感じ始めるクラスとなります。日本からは西城 正三(協栄)、柴田 国明(ヨネクラ)が敵地で王座を奪取に成功。2人とも日本ボクシング界に輝く実力者でした。1990年代以降、越本 隆志(Fukuoka)や、粟生 隆寛(帝拳)、そして長谷川 穂積(真正)など、西城、柴田の後輩が続きましたが、どの選手も短命に終わってしまい、世界王者としての印象はほとんどありません。

まずは1991年春先時点での同級王者たちの顔ぶれを見てみましょう。防衛回数は当時のものになります。

WBAフェザー級:アントニオ エスパラゴサ(ベネズエラ/防衛回数7)
WBCフェザー級:マルコス ピジャサナ(メキシコ
/1)
IBFフェザー級:ホルヘ パエス(メキシコ/8)

当時、世界的に評価の高かった選手は(俗に言うパウンド フォー パウンドというものです)、ヘビー級統一王者のイベンダー ホリフィールド(米)、メキシコの生きる伝説フリオ セサール チャベス、ボクシング史上最巧選手の一人として挙げられるパーネル ウィテカー(米)という、当時はおろか、ボクシング史に残る名選手ばかり。WBAタイトル保持者だったエスパラゴサは、それらの選手に次ぐ実力者として認知されていました。

(安定政権を築いたエスパラゴサ)

ガードは固く、フットワークもしなやか。放つパンチは多彩で、しかもコンビネーションにはボディーを交えてくる。基本に忠実で常に慎重なボクシングを展開する。まさに評判通りの強く安定した選手でした。常に敵地で戦う精神的図太さも兼ね備えていました。タイトルを奪取試合と7度の防衛戦をすべて自国外で戦っており、その内訳は米国3試合、イタリア、日本、ベルギー、メキシコ、そして韓国でそれぞれ一試合ずつ。これだけリング内で強いエスパラゴサでしたが、リング外ではかなりのトラブルメーカー。トラブルメーカーと言っても、決して素行が悪かった訳ではありません。リング外では実に紳士的な振る舞いをしていました。しかし金銭面でプロモーターやマネージャーと揉め、裁判沙汰になったり、試合間隔が少々空き気味になったり...。結局はこの年の3月に、伏兵朴 永均(韓国)にタイトルを明け渡していました。惜しいことにエスパラゴサは、朴に敗れたあと現役を引退してしまいました。

パンチがあってタフでやや変則的なファイターだったピジャサナ。「武骨なメキシコの戦士」という言葉がぴったりでした。層の厚いメキシコ国内王座を7度も防衛し、世界獲得間違いなしの太鼓判を押されていた選手。実力はありながらも、彼の挑戦を受けた王者たちのそれはピジャサナを上回っていました。アフリカの英雄アズマー ネルソン(ガーナ)には大善戦するも連敗。エスパラゴサをもう少しで落とせる所まで追い込みますが、痛み分け。豪州の突貫王ジェフ フェネック(豪)の牙城を崩すことも出来ず、4度の世界挑戦は実らず。しかし英国の新鋭ポール ホドキンソン王座決定戦で逆転TKO勝利を収め念願の世界王座奪取。実に5度目の正直で緑のベルトを腰に巻きました。その王座とは1991年11月、3度防衛後にホドキンソンとの再戦に敗れ決別。その後一つの白星を加えると、15年という長いキャリアに終止符を打っています。

(激戦王ピジャサナ(右))

スローでパンチをブンブンと振るいながら前進するタフファイター。しかしパンチの回転力は遅く、そこを突かれ苦杯を喫する事もありましたが、こういう癖のあるファイターも味があっていいですよね。

ちなみにホドキンソンから王座を奪ったのが、我がお気に入りのボクサーの一人グレゴリオ バルガス(メキシコ)でした。このバルガスも先輩ピジャサナ同様、メキシコ国内フェザー級王座を7度防衛して世界王座を獲得しています。

話題性ならエスパラゴサとピジャサナの上をいったのがIBF王者ホルヘ パエス(メキシコ)。短身でずんぐり方のパエスは、コミカルなキャラクターに加え、打ち合いが大好き。会場は常に満員で、パエスの試合中は常に盛り上がっていました。また、サーカス出身者という特性を大いに活用し、バク転やら奇抜なコスチューム、髪形など試合前後のパフォーマンスも大うけ。正に「人気者」という言葉がぴったりの選手でした。

(人気者パエス)

このSuperChampが発売さた時期には既に同王座を返上。上の階級でさらなるビックマッチを求め奮戦中でした。この後パエスが対戦した相手には、ボクシング史上最技のパーネル ウィテカー(米)を筆頭に、ヘナロ エルナンデス(米)やオスカー デラホーヤ(米)等実力者がズラリ。その見た目に囚われがちなパエスですが、確かな技術があったが上に、小柄ながらも超一流選手たちと渡り合えたんですね。

またパエスは世界王者ながらも、防衛戦の合間に無冠戦に出場し、まさに戦うチャンピオンでした。しかしパエスもピジャサナも同じメキシカン。当時、両者による対戦話は挙がっていたんでしょうか?

世界中を駆け回った実力者エスパラゴサ。5度目の正直で世界を獲得したしぶといピジャサナ。コミカルな人気者パエス。癖のある王者がこうも揃っていたとは。まだまだ自分は勉強不足です。

さて、まだまだマイナー団体だったWBOのフェザー級王者は、マウリツィオ ステッカ(伊)という選手でした。ステッカは2度、WBO王座に就き、それぞれ1度の防衛に成功。2度目の世界王座を失った後、欧州王座を取ったり取られたりし、1995年3月の自身の最終戦となった試合では、イタリア国内スーパーフェザー級王座を獲得しました。実力的には、マイナー団体、又は欧州レベルの選手だったのでしょう。ただこのステッカ、1984年のロス五輪で金メダリスト(バンタム級)を獲得した実力者。当時はもっと活躍が期待されていた選手だったんでしょうね。

(アマチュアのエリートだったステッカはWBO王者に)

ちなみに実兄コリスは1984年にWBAジュニアフェザー級(現スーパーバンタム級)王座を獲得しています。

1991年以降、WBA王座を18度も守ったクリス ジョン(インドネシア)。5度世界フェザー級王座を獲得したマヌエル メディナ(メキシコ)、一時期ジョー小泉氏のマネージメントを受けたいたルイシト エスピノサ(比)、奇想天外なボクシングを展開したナジーム ハメド(英)や、超実力者ファン マヌエル マルケス(メキシコ)等数多くの実力者を定期的に輩出してきたフェザー級。しかし良いですね、当時のフェザー級も。決してきらびやかな王者たちではありませんでしたが、渋いというのでしょうか、味がある選手たちが顔を揃えて。

現在ライト級を主戦場にしているワシル ロマチェンコ(ウクライナ)も、プロ僅か3戦目で同級の王座を獲得しています。これからもどんどん面白い選手たちが登場していくんでしょうね、このフェザー級には。

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