DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

「この階級、この選手」のおさらい(スーパーフェザー級編)

2021年05月16日 05時08分22秒 | ボクシングネタ、その他雑談

「1990年代初頭からこれまでの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を各階級3人ずつ挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。」

上記の見出しで始まった「この階級、この選手」。2014年7月24日から昨年2020年の5月25日まで、全17階級の自分の記憶に残った選手たちを掲載してきました。今回の「この階級」であるスーパーフェザー級で選出した選手は、同級の1990年代初頭を代表し、WBA、WBCと2度同級王座を獲得した超絶技師ヘナロ エルナンデス(米/帝拳/2016年5月5日)、伝説のガーナ人アズマー ネルソンと4度拳を交えたジェシー ジェームス レイハ(米/2016年5月19日)。そしてボクシング後進国ブラジルから突如として誕生した「ブラジルアン・ボンバー」アセリノ フレイタス(ブラジル/2016年7月13日付け)の3名でした。

1990年代以降、畑山 隆則(横浜光)、粟生 隆寛(帝拳)、三浦 隆司(帝拳)、伊藤 雅雪(横浜光)など日本からも素晴らしい世界王者たちが誕生しました。しかし何といっても内山 高志(ワタナベ)は同級史に残る素晴らしい選手でした。2021年5月の段階で振り返ってみると、「何で内山を記載しなかったのかな?」と自分自身に疑問を感じてしまいます。2016年に集中して3人の同級の代表選手を選出しましたが、内山はその頃世界のベルトを腰に巻いていました。「この階級、この選手」を書く時、過去の選手を中心にしようという意識が先走りし過ぎてたんでしょうね。強すぎるために、対戦者探しに苦労した内山。そのため、試合間隔が開き気味でした。彼には同級の連続防衛記録を更新してほしかったです。

内山を選出しなかったと言っても、自分が選出した3選手に不満があるわけではありません。帝拳ジムとマネージメント契約を結び、その技術(特に左が凄かった)で当時のスーパーフェザー級で安定政権を築いたエルナンデス。特に秀でた能力があったわけではないですが、全体的にまとまった選手レイハ。今振り返って見ると、両者は一つの時代と、その次の時代の橋渡し的な役割をしてくれました。共に「アフリカの怪人」ネルソンと対戦。ネルソンと言えば、1980年代の初頭から1990年代の後半までの約20年もの長きに渡り、世界の一線級で大活躍した選手です。ネルソンが対戦した相手には、サルバドール サンチェス(メキシコ)、ウィルフレド ゴメス(プエルトリコ)、パーネル ウィテカー(米)等、ボクシング史に名を残した名選手が多数います。いくら全盛期の過ぎたネルソンだったとはいえ、エルナンデスとレイハは偉大なガーナ人に勝利を収めています。

(「この階級、この選手」の先駆者的存在だったネルソン)

  

(エルナンデスは1度、レイハは何と4度もネルソンと対戦しました)

またエルナンデスとレイハは、当時物凄い勢いで成長していたオスカー デラホーヤ(米)とも対戦しています。ネルソンと激戦を演じ、その名声を上げたエルナンデスとレイハでしたが、飛ぶ鳥を落とす勢いだったデラホーヤには完敗を喫してしまいました。デラホーヤは両者に勝利を収めた後、順当にスーパースターへの階段を上っていきました。ちなみにエルナンデスとレイハがデラホーヤと対戦したのは、スーパーフェザー級ではなく、ライト級でした。

エルナンデス、レイハより数年遅れて登場したのがフレイタスでした。彼が世界王座に就いた時の戦績は21戦全勝全KO勝利。フレイタスの実力は、その戦績に沿うものでした。さすがに世界王座獲得後は対戦相手の質も上がり、判定勝利を経験する事もありました。しかし最後まで、野性味あふれるボクシングを見せ続けてくれました。フレイタスがパーフェクトレコードでスーパーフェザー級王座に君臨していた時期に、他の3団体でも全勝の王者たちが格団体の王座に就いていました。WBAにはキューバの生んだ技師ホルヘ カサマヨール(キューバ)、WBCにはあのフロイド メイウェザー(米)、そしてIBFには長身パンチャー・ディエゴ コラレス(米)。当時のボクシングの専門誌にいは、この4人がいつ誰と対戦するのかという話題で話が盛り上がっていました。フレイタスはカサマヨールに僅差の判定勝利を収めWBA王座を吸収。メイウェザーはコラレスに予想外の快勝を収め、後の偉大なるボクサーは、着実にその地位を固めつつある段階でした。その後カサマヨールとコラレスは同級で2度対戦し、1勝1敗と星を分けています。

(2002年1月に行われた「フレイタス対カサマヨール」)

「この階級、この選手」は、当時を振り返ることを目的で記載しました。その振り返りをもう一度振り返って見ると、当時の記憶がさらに深く蘇ってきます。当時からスーパースター候補生の一人だったメイウェザーでしたが、その後スーパーウェルター級まで制覇するほど成長するとは予想していませんでした。ひょっとしたら現行の同級王者の中から、怪物的ボクサーに成長する選手がいるかもしれませんね。

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続「ボクシング 10年」PartⅫ(「恐怖の男」の時代)

2021年05月14日 05時43分03秒 | ボクシングネタ、その他雑談

このDaispo Boxingを始めた当初、不定期ながらも数回に渡り「ボクシング10年」という、自分(Corleone)がボクシングに興味を抱いてからの約10年の間のボクシング界について、ザっとしたものを書いていました。第一弾は2004年6月23日。当時引退したばかりのリカルド ロペス(メキシコ)がどれだけ凄いボクサーで、軽量級、特にミニマム(旧ストロー、105ポンド/47.63キロ)とそのひとつ上のライトフライ(旧ジュニアフライ、108ポンド/48.97キロ)のその後の課題はロペスの後継者を生み出すことであると強調しました。

昨年の9月にSuperchamp1991というものを購入。そこには私がボクシングに惹かれる直前、1991年春先の世界王者たちの顔ぶれが掲載されています。その顔ぶれを見てみると懐かしさと同時に、自分にとって新鮮味がある王者たちが載っています。あの時代から30年。「ボクシング10年」の続編的ものとして各階級の世界王者たちを簡単に紹介していきます。

今回焦点を当てるのはスーパーウェルター級です。まずは1991年春先時点での、同級王者たちの顔ぶれを見てみましょう。防衛回数は当時のものになります。

WBAジュニアミドル級:ジルベール デレ(仏/防衛回数0)
WBCスーパーウェルター級:テリー ノリス(米
/2)
IBFジュニアミドル級:ジャンフランコ ロッシ(伊/4)

このクラスはウェルター級とミドル級の中間に位置するため、スーパーウェルター級、又はジュニアミドル級という呼称で呼ばれています。階級の呼び方についてですが、日本のようにすべての団体を同じように呼ぶのは稀で、今日現在でも、多くの英語のサイトでは、「ジュニア」、「スーパー」の呼び方が入り混じっています。中にはジュニアミドルやスーパーウェルターではなく、ライトミドルと呼ばれる場合もあります。

1990年代初頭の全階級を通じて最強のトップ3の選手として挙げられていたのは、不敗のメキシカン・フリオ セサール チャベス。ライト級の統一王者で、ディフェンスマスターとしてその名をボクシング史に刻んだパーネル ウィテカー(米)。そしてスーパースター、シュガー レイ レナード(米)に引導を渡したテリー ノリス(米)の3名でした。

(ノリスの名を世界に知らしめた「ノリス対レナード」戦)

今回紹介するのは、ノリスが活躍したスーパーウェルター級。ノリスのニックネームはテリブル(Terrible)。当時のノリスは伝説のレナードすら歯が立たなかった、まさに「恐怖(テリブル)の男」でした。そして当然の如くスーパーウェルター級は、ノリスを中心に回っていました。ノリスがその名声を獲得したのが1991年2月に行われたレナード戦。そしてその一戦から数年、ノリスの快進撃は続きました。同年6月には元ウェルター級統一王者ドナルド カリー(米)をも撃退。師走には、竹原 慎二(沖=日本初の世界ミドル級王者)と激闘を演じたホルヘ カストロ(亜)と花の都パリで対戦。大差の判定勝利を収めています。翌年1992年には後のWBA同級王者カール ダニエルス(米)、スーパーライト級、ウェルター級の2階級を制覇したメルドリック テーラー(米)、そして2度ウェルター級王座を獲得したモーリス ブロッカー(米)と名だたる選手たちを次々にその軍門に下しました。1990年代初頭から中盤のノリスは同級だけでなく、ボクシング界の牽引車でした。

(同級、そして当時のボクシング界の牽引車だったノリス。精悍な顔つきです)

最初にノリスのようなスーパースターを出してしまうと、他の選手が霞んでしまうのはしょうがないと言えばしょうがないでしょうな。

WBA王座を保持していたデレはノリスに続くスター候補生でした。この年の2月には、三沢基地に勤務する傍ら、八戸帝拳ジムに所属し、日本、OPBF(東洋太平洋)王座を獲得したカルロス エリオット(米)と、カリブ海に浮かぶフランス領グアドループ島で対戦。エリオットの顎を砕き、念願の世界王座奪取に成功しています。そして10月には本場アメリカのリングに乗り込み、人気者ビニー パジエンザ(米)の挑戦を受けます。しかし残念ながら最終回TKO負けを喫してしまい、短命王者に終わってしまいました。

(スター候補生に留まってしまったデレ)

IBFタイトル保持者のロッシは、現在でも同級世界王座の最多防衛記録(11度)の保持者でもあります。ロッシのボクシングは良く言えばずる賢く、悪く言えば雑のもの。しかしそれでも2度同級王座を獲得し、2つ目のタイトルは11度も防衛したのですから大したものです。またロッシは後に、世界王座返り咲きを狙っていたデレの挑戦を2度退ける事にも成功しています。

(同級タイトル最多防衛記録保持者のロッシ)

まだまだマイナー団体だったWBOの王者は中々の実力者ジョン デビット ジャクソン(米)が君臨していました。ジャクソンは伝説のトーマス ハーンズ(米)が所属していたクロンクジム出身の選手。主戦場としていた階級が重なっていただけに、ハーンズとも何度もスパーリングで拳を交わしていたのではないでしょうか。

ジャクソンはWBOスーパーウェルター級の初代王者として1988年師走にタイトルを獲得。1992年師走までに6度の防衛に成功。その後、王座を返上しミドル級でWBA王座をも獲得しました。ちなみにジャクソンからミドル級王座を奪ったのがノリスに挑戦したカストロで、カストロは後楽園ホールのリングでそのベルトを竹原に奪われています。またジャクソンは引退後、トレーナーとして活躍。一時期ライトヘビー級で安定政権を築いていたセルゲイ コバレフ(露)を指導するなど、その手腕を発揮しています。

(ミドル級も制したジャクソン)

ボクシングに関心を寄せ始めた時、ノリスという素晴らしい選手がいたせいでしょうか。当時からスーパーウェルター級には親しみを感じています。1991年春の時点では、スーパースターへの階段を上り始めたばかりのノリス。しかしこの時期から2年余りのあいだ、ノリスの超快進撃が続きます。初めてこの選手の試合を見たとき、「日本人選手が同級で世界王座を獲得するのは無理だろう」と強く思いました。実際は、ノリスが活躍するずっと以前に、輪島 功一(三迫)、工藤政志(熊谷)、三原 正(三迫)の3人の日本人世界王者が誕生していましたが。

ウェルター級とミドル級という伝統の階級に挟まれている同級ですが、その2階級に負けず劣らずに、常に好選手を輩出し続けています。7月には4団体王座統一戦、IBF/WBA/WBC王者ジャーメル チャーロ(米)対 WBO王者ブライアン カスターニョ(亜)が予定されています。また、個人的に注目しているティム チュー(豪)も同級に在籍中。今後も目が離せない階級となることでしょう。

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意見番(05‐02‐21)

2021年05月02日 05時35分19秒 | ボクシングネタ、その他雑談

*まさかのマービン ハグラー!素晴らしすぎですね、この選択は。これぞまさにマーベラス、と言ったところでしょう!両誌の比較云々ではないですよ、今月は!

   

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「Best I faced」:ウィルフレド バスケス(04‐23‐21)

2021年04月23日 05時41分25秒 | ボクシングネタ、その他雑談

*米国のリング誌が不定期的に行っている「Best I faced」というコーナーがあります。これまで自分が対戦した相手で誰が一番強かったか、というインタビュー形式のものです。特に引退した選手のものになると、その選手を含めた当時の記憶と記録が蘇るため、非常に重宝しています。

今回の主人公は、WBA王座の3階級制覇を達成したプエルトリコの生んだ強打者ウィルフレド バスケス。各階級での世界王者時代に、日本のリングでも防衛戦を行った、我々にも馴染みのある選手です。

20年以上プロのキャリアを続け、リングに登場する事68度。日本人ボクサーにとり天敵だったバスケスは、下記の各項目の名手として、誰を挙げたのでしょうか。

ジャブの名手(Best Jab):
エロイ ロハス(ベネズエラ/帝拳)。1996年5月に、WBAフェザー級王者だったロハスにバスケスが挑戦。10回終了時までは大きくリードされていたバスケス。しかし11回にその強打でロハスをとらえ、逆転TKO勝利に成功。バスケスが3階級制覇を達成しています。「ロハスは長身で、リーチも長く、放たれるジャブは固かった」との事。

防御の技術(Best Defence):
オーランド カニザレス(米)。1995年1月に対戦。カニザレスは保持していたIBFバンタム級王座の16度目の防衛に成功し、同級での連続防衛記録を更新した名選手。2階級制覇を目指しバスケスに挑みました。両者が持てる技術をフルに稼働させた好試合でしたが、体格で上回ったバスケスが若干のリードを保ち判定防衛(2対1)に成功しています。

頑丈なアゴ(Best Chin):
六車 卓也(大阪帝拳)。1988年1月に大阪のリングで、バスケスが保持していたWBAバンタム級王座の初防衛戦として対戦。結果は引き分けでしたが、バスケスは「とにかく六車はタフだった」とコメントを残しています。この試合での六車のタフさは、今でも語り草となっています。

パンチのスピード(Fastest Hands):
ナジーム ハメド(英)。1998年4月に、バスケスが英国に乗り込んで対戦しています。バスケスは当時のボクシング界の中心的選手だったハメドと対戦するために、保持していたWBAフェザー級王座を返上。ハメドが保持していたWBO王座に挑む形で行われました。ハメドのパンチはとにかく早かったそうです。

足の速さ(Fastest Feet):
パンチのスピードと同じく、ハメドを挙げています。ハメドのフットワークは早く、そしてトリッキーだったそうです。

賢さ(Smartest):
ここでもハメド。バスケス曰く、ハメドは「賢く、速く、高い防御技術もあり、そして素晴らしいパンチャーと、万能な選手だった」と称賛。

強さ(Strongest):
ロキー カシアニ(コロンビア)。1997年8月に、WBAフェザー級王座の防衛戦で対戦。バスケスが明白な判定勝利を収めています。ガッツのある選手だったそうです。

パンチ力(Best Puncher):
ハメド。ハメドのパンチは早いだけでなく、強く、そして予想外の角度から飛んできたとか。まあそれは、ハメドと対戦したすべての選手が感じた事でしょう。

技術者(Best Skills):
ハメド、ロハス、そして2度対戦したラウル ペレス(メキシコ)を挙げています。

総合(Overall):
ハメド。早くてトリッキーで、戦うのがとても難しかったとの事。

ハメドのオンパレードのような感じを受けますが、アラブのプリンスは、プエルトリコの巨峰に認められるだけの名選手でした。

56勝(41KO)9敗(4KO負け)2引き分けというレコードを残しリングを去ったバスケス。日本のリングでは3勝(2KO)1引き分けという結果を出しています。六車のタフネスには大苦戦し、横田 広明(大川)の変則的なボクシングを捕まえきれず。「大した王者ではないな」と思いきや、当時の日本ボクシング界のホープだった葛西 裕一(帝拳=同ジムの名トレーナー)には125秒の速攻勝利を収めてしまい度肝を抜かれました。その後3階級制覇を果たした後、渡辺 雄二(斉田)の顎を砕く圧倒劇を演じてしまいました。

(その強打で世界3階級制覇を達成)

体は固く、パンチもスロー。葛西を応援していた自分にとって、憎い存在。どららかと言えばプロたたき上げで、泥臭いボクサー。当時はそれほど評価していた選手ではありませんでした。しかし今振り返って見ると、チャンスとなると、まさに機を見るに敏。その強打を当て、同級の強豪たちをバッタバッタと倒していきました。またキャリアを重ねるごとに上手さを加え、巧者カニザレスにも競り勝ってしまいました。今の私にとって、記憶と記録に残る名ボクサーの一人です。こういう味のある選手、最近はあまりいませんよね。

今回のリング誌のバスケスの欄には、次のようなコメントが添えられていました、「このような名選手が殿堂入りしていないことが不思議でしょうがない」と。全くその通りだと思います。

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続「ボクシング 10年」PartⅪ(名古屋初の世界王者)

2021年04月14日 05時50分19秒 | ボクシングネタ、その他雑談

このDaispo Boxingを始めた当初、不定期ながらも数回に渡り「ボクシング10年」という、自分(Corleone)がボクシングに興味を抱いてからの約10年の間のボクシング界について、ザっとしたものを書いていました。第一弾は2004年6月23日。当時引退したばかりのリカルド ロペス(メキシコ)がどれだけ凄いボクサーで、軽量級、特にミニマム(旧ストロー、105ポンド/47.63キロ)とそのひとつ上のライトフライ(旧ジュニアフライ、108ポンド/48.97キロ)のその後の課題はロペスの後継者を生み出すことであると強調しました。

昨年の9月にSuperchamp1991というものを購入。そこには私がボクシングに惹かれる直前、1991年春先の世界王者たちの顔ぶれが掲載されています。その顔ぶれを見てみると懐かしさと同時に、自分にとって新鮮味がある王者たちが載っています。あの時代から30年。「ボクシング10年」の続編的ものとして各階級の世界王者たちを簡単に紹介していきます。

今回はスーパーバンタム級となります。ここ数年、日本国内では屈指の激戦区とされる階級で、同時に、定期的に日本人選手が世界王座に絡み始めた階級です。それではこれまで同様、1991年春先時点でのスーパーバンタム級王者たちの顔ぶれを見てみましょう。防衛回数は当時のものになります。

WBAジュニアフェザー級:ルイス メンドサ(ベネズエラ/防衛回数2)
WBCスーパーバンタム級:畑中 清詞(松田
/0)
IBFジュニアフェザー級:ウェルカム ヌシタ(南ア/2)

他のジュニア/スーパークラス同様に、この階級でも団体によって呼称が違いますね。このような階級の場合、リングアナウンサーは契約体重をクラス名の代わりにアナウンスしていた場合がありました。例えばこの階級の場合、体重リミットである122ポンドのように。

コロンビアの技巧派メンドサは、3度目の世界挑戦で王座を獲得したしぶとい選手。この年の秋にWBCバンタム級王座を失っていたラウル ペレス(メキシコ)に僅差の判定で王座を奪われてしまいます。しかしその後1998年まで戦い続け、同級からスーパーフェザー級の間で4度もの世界返り咲きを目指しタイトル戦のリングに登場。世界王座奪回はなりませんでしたが、世界戦以外で黒星を喫しなかった好選手でした。

(しぶとい技巧派メンドサ)

ちなみにペレスからバンタム級王座を奪ったのがグレグ リチャードソン(米)で、リチャードソンから王座を奪取したのが辰吉 丈一郎(大阪帝拳)。ペレスのスーパーバンタム級王座を奪ったのが、日本のリングでもその剛腕を見せつけたウィルフレド バスケス(プエルトリコ)となります。

現在は畑中ジムの経営者として、田中 恒成を育てるなど、その手腕を発揮している畑中。「名古屋初の世界王者」という栄冠を手に入れましたが、世界王者としては短命に終わってしまいました。2月に強打のペドロ デシマ(亜)とのダウン応酬の激戦でタイトル奪取に成功した畑中。しかし6月の初防衛戦で、その後辰吉の天敵となったダニエル サラゴサ(メキシコ)に僅差の判定で敗れてしまい、虎の子のタイトルを失ってしまいました。サラゴサにとり、畑中から奪った王座が2度目のスーパーバンタム級でのベルトでした。その後この王座は失ってしまいますが、数年後には再び同王座の獲得に成功。そのサラゴサの3度目の王者時代に、辰吉をその軍門に下す事に成功しています。

(名古屋初の世界王者・畑中)

ヌシタはアルファベット表記にすると「Ncita」となります。WOWOWや日本の専門雑誌では、広く「ヌシタ」として紹介されてきましたが、当初ワールドボクシング誌では「エンシータ」と明記されていたようです。この選手、中々の実力者で、当時に世界王者たちの中で一番評価が高かった選手です。海外での試合経験も豊富で、世界王座を獲得したのは、何とボクシング不毛の地である中東のイスラエル。翌1992年の師走まで同王座を保持していましたが、4度の防衛戦をイタリアで行っています。この時期、IBFスーパーバンタム級/ジュニアフェザー級には実力のある選手が就いており、ヌシタを下したケネディー マッキニー(米)、そのマッキニーからベルトを南アフリカに持ち帰ったブヤニ ブングなど、その時代を代表する好選手たちでした。

(南アフリカの強豪ヌシタ)

まだまだマイナー団体だったWBOの王者はプエルトリコのオーランド フェルナンデス。そのマイナー団体の中でも一番評価が低い選手の一人でした。Superchampにも、「全団体全階級を通じて最も知名度の低い王者の一人」、「次の試合で陥落するだろう」と散々に書かれていました。しかもそれらのコメントは的を得たもので、同誌が発売される以前に行っていた無冠戦で、負けが先行している格下相手に判定負けを喫していました。そして5月末には王座からも転落しています。ただその後、敗れたとはいえ、ジュニア ジョーンズ(米)、マルコ アントニオ バレラ(メキシコ)、ケビン ケリー(米)等、当時の一流選手たちと拳を交えています。

(マイナー団体の中でもマイナーな存在だったフェルナンデス)

当時の世界王者たちも中々注目に値する選手たちですが、どうしてもサラゴサやバスケス等、彼らの後継者たちに注意がいってしまいます。その後もバレラ、エリック モラレス(メキシコ)、マニー パッキャオ(比)、西岡 利晃(帝拳)等、超が付く実力者たちを定期的に輩出してきた同級。今後、彼らに続く好選手たちが続々と誕生していくんでしょうね。

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「Best I faced」:ニコライ ワルーエフ(04‐08‐21)

2021年04月08日 05時50分19秒 | ボクシングネタ、その他雑談

*米国のリング誌が不定期的に行っている「Best I faced」というコーナーがあります。これまで自分が対戦した相手で誰が一番強かったか、というインタビュー形式のものです。特に引退した選手のものになると、その選手を含めた当時の記憶と記録が蘇るため、非常に重宝しています。

今回はボクシング史上最大級の体格の持ち主で、WBAヘビー級王座に2度就いたニコライ ワルーエフ(露)になります。

(ロシアの巨人、ワルーエフ)

ワルーエフは213センチの身長と、145キロの平均体重で試合に臨んでいました。この数字がどれだけのものか、現役と歴代ヘビー級王者と比べてみましょう。ワルーエフと同じ時代に活躍したクリチコ兄弟(ウクライナ)。ビタリの身長は202センチでウラジミールのそれは199センチでした。現WBCヘビー級王者タイソン フューリー(英)は身長206センチ、平均体重120キロ。現役でも最大級の体形の持ち主であるフューリーより、ワルーエフは一回り(二回りかな?)大きいということになります。ウラジがフューリーと対戦した時、ウクライナ人がかなり小さく映った印象が強く残っています。

アンソニー ジョシュア(英/198センチ・109キロ)とディオンティー ワイルダー(米/201センチ・100キロ)はクリチコ兄弟と同サイズ。モハメド アリ(米/191センチ)、イベンダー ホリフィールド(米/189センチ)はこれらの選手たちと比べるとかなり小柄ですね。マイク タイソン(米)に至っては、176センチぐらいの数字が出ています。タイソンとワルーエフは40センチほども違う事に!!!

(身長はフィートやインチで、体重はストーンで明記されていますが、ワルーエフに強大さは分かるとおもいます)

「Russian Giant(ロシアの巨人)」の異名を持った、というか見たままのワルーエフ。ジョーンズは下記に挙げた各項目の名選手として誰を選んだのでしょうか。

ジャブの名手(Best Jab):
ラリー ドナルド(米)。2005年10月に、WBAヘビー級王座への挑戦権を賭け対戦。2対0という僅差の判定勝利を収め、世界王座獲得へ向け前進しました。ワルーエフは数々の好打者と対戦しましたが、ジャブに関しては、実力はありながらも世界挑戦に届かなかったドナルドを挙げています。

防御の技術(Best Defence):
ルスラン チャガエフ(ウズベキスタン)。2007年4月に対戦。ワルーエフは0対2の判定で敗れ、一度目の世界王座から転落してしまいました。サウスポー・スタイルに加え、185センチというワルーエフから見て小柄なチャガエフは、とても戦いづらい相手だったそうです。そういえばチャガエフも2度、WBAヘビー級王座を獲得しました。

頑丈なアゴ(Best Chin):
ジョン ルイス(米)。ワルーエフは2度、世界王座を獲得していますが、その2度ともルイスに勝利を収めて世界のベルトを腰に巻くことに成功しています。多くの選手がこの項目に値するボクサーでしたが、あえて一人を挙げるとしたらこのルイスだと言っています。

パンチのスピード(Fastest Hands):
デビット ヘイ(英)。クルーザー級でIBF以外の3つのベルトを統一し、ヘビー級に転向してきたヘイを挙げています。ヘイはスピードのある素晴らしい選手だったが、ヘビー級よりクルーザー級の選手と揶揄しています。ワルーエフは2009年11月にヘイに2度目のタイトルを奪われた試合を最後に、現役から引退しています。

足の速さ(Fastest Feet):
ジャブ部門と同じくドナルドを挙げています。

賢さ(Smartest):
イベンダー ホリフィールド(米)。確かホリフィールドはワルーエフと対戦した時、既に46歳でした。ワルーエフは自身を破った二人の選手(チャガエフとヘイ)より、ホリフィールドのボクシングのIQの高さを賞賛していました。

強さ(Strongest):
ジャミール マクライン(米)。2007年1月にスイスで対戦。マクラインが膝の負傷のため3回で棄権してしまいましたが、体の強さ、体力は抜きんでていたとの事。

パンチ力(Best Puncher):
ホリフィールド。この選出は意外な気がします。ただ、この記事を読んだボクシングファン達のコメントを集約してみると、「ソニー リストンやジョージ フォアマン等に比べると、ホリフィールドのパンチ力は劣るだろう。しかし彼のパンチ力は過小評価されている」とのことです。

技術者(Best Skills):
ドナルド。

総合(Overall):
ホリフィールド。ワルーエフは特にホリフィールドとドナルドを賞賛しています。ワルーエフがホリフィールドと対戦したのは2008年師走。スイスで行われたこの一戦は、ロシア人にとってヘイに敗れた試合の一試合前のものとなります。ワルーエフはここでも2対0の僅差の判定勝利を収めています。試合が行われたスイスは、両者にとって中立国。しかしホリフィールドへの声援が多かった試合でした。

(スイスのリングで対峙したワルーエフとホリフィールド)

ワルーエフがここで挙げた選手たちは、2000年代後半を代表する選手たちばかり。彼らはロシアの巨人とのみ対戦したのではなく、互いに拳を交えました。ホリフィールドはルイスと3戦続けて対戦し、1勝1敗1引き分けの戦績を残しています。ドナルドには完敗。ルイスはマクラインに判定勝利を収めていますが、チャガエフには判定負け。ヘイはワルーエフから奪った王座の初防衛戦でルイスをTKO。引退に追い込んでいます。

ワルーエフの終身戦績は50勝(32KO)2敗(KO負けナシ)と素晴らしいレコードを残しました。外見に似合わず、基本に忠実で丁寧なボクシングを披露した現役時代のワルーエフ。出来れば見たかったですね、同時代に活躍したウクライナの巨人兄弟との対戦を。

現在もワルーエフは、生まれ故郷のサンクトペテルブルクに在住。政治家として活躍すると同時に、政治関係や子供向けのテレビ番組にレギュラーとして出演し、忙しい日々を送っているとの事。そして奥方と3人のお子さんと幸せに暮らしているようです。

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意見番(04‐02‐21)

2021年04月02日 05時46分00秒 | ボクシングネタ、その他雑談

*両誌ともネタ切れ状態。どっちもどっちという感じですね。次号は現地時間の明日、ウズベキスタンで行われる世界戦の結果となるのでしょうか?それとも先月半ばに米国・テキサス州で行われた「年間最高試合」候補でしょうか。どちらにしろ楽しみです。

 

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続「ボクシング 10年」PartⅩ(ハグラーの後輩たち)

2021年03月25日 05時42分38秒 | ボクシングネタ、その他雑談

このDaispo Boxingを始めた当初、不定期ながらも数回に渡り「ボクシング10年」という、自分(Corleone)がボクシングに興味を抱いてからの約10年の間のボクシング界について、ザっとしたものを書いていました。第一弾は2004年6月23日。当時引退したばかりのリカルド ロペス(メキシコ)がどれだけ凄いボクサーで、軽量級、特にミニマム(旧ストロー、105ポンド/47.63キロ)とそのひとつ上のライトフライ(旧ジュニアフライ、108ポンド/48.97キロ)のその後の課題はロペスの後継者を生み出すことであると強調しました。

昨年の9月にSuperchamp1991というものを購入。そこには私がボクシングに惹かれる直前、1991年春先の世界王者たちの顔ぶれが掲載されています。その顔ぶれを見てみると懐かしさと同時に、自分にとって新鮮味がある王者たちが載っています。

今回は伝統のミドル級となります。当時のミドル級といえば、日本ボクシング界にとって遠い存在でした。日本国内ランキングは設置されていましたが、同級の日本人世界王者は存在せず、日本人がミドル級の世界王座に挑戦した事すらありませんでした。あまりにもかけ離れた存在だったため、「ミドル級か、そんな階級もあるんだな」と、その程度の感覚しかありませんでした。

その後、幾つものマービン ハグラー(米)の素晴らしい試合を見る機会を得ました。そして数年後には竹原 慎二(沖)が日本人として初めて世界ミドル級王座に挑戦し、獲得するという歴史的快挙を演じました。年を追うごと親しみのわくクラスとなっていきました。

1991年春以降、ジェームス トニー(米)、ロイ ジョーンズ(米)、ジェラルド マクラレン(米)、バーナード ホプキンス(米)、セルジオ マルティネス(亜)、ゲナディー ゴロフキン(カザフスタン)など、数々の名選手を定期的に輩出してきたミドル級。世界的に見て、中間的(middle)な体重のクラスですが、ボクシングの中心的(middleではなくcenter)なクラスと言って過言ではないでしょう。

ハグラーのラストファイトとなるレナード戦から4年。1991年春先時点でのミドル級王者たちの顔ぶれを見てみましょう。防衛回数は当時のものになります。

WBAミドル級:マイク マッカラム(ジャマイカ/防衛回数2)
WBCミドル級:ジュリアン ジャクソン(バージン諸島
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IBFミドル級:マイケル ナン(米/5)

好選手たちが名前を並べていますね。偶然というのでしょうか、それとも実力選手たちが揃っているからでしょうか、当時のWBO王者クリス ユーバンク1世(英)を含め、4名とも世界2階級制覇を達成しています。マッカラムは3階級まで制覇しています。

マッカラムは伝説のヒットマン、トーマス ハーンズ(米)と同じくクロンクジムでその腕を磨いた選手。スパーリングではハーンズを相手に五分以上のパフォーマンスを演じたとか。ただ実力は認められていながらも、華がない選手でした。1991年春の時点ですでにジュニアミドル級(現スーパーウェルター級)に続いて2階級を制覇。しかしより報酬の得られる他団体王座との対戦を選んだためWBA王座を返上。ミドル級で別のタイトルを獲得する事はありませんでしたが、1994年にはライトヘビー級王座を獲得し3階級制覇を達成しています。

(「ボディー・スナッチャー」の異名を持った技師マッカラム)

ジャクソンもマッカラム同様、ミドル級は自身2階級目の世界王座となります。ジャクソンの世界初挑戦は1986年まで遡り、マッカラムが保持していたWBAジュニアミドル級王座に挑戦。しかし2回TKOで敗れています。その後世界王座を獲得し、あのテリー ノリス(米)を下すなど防衛回数を伸ばしていましたが、目の怪我(網膜剝離)のために一時戦線離脱。しかし前年1990年11月にミドル級で再び世界のベルトを腰に巻くことに成功しています。1998年まで戦い続けたジャクソンの終身戦績は55勝(49KO)6敗(全KO負け)。勝っても負けてもほとんどの試合がKO/TKOと、常にスリリングな試合を提供する選手でした。

(カリブの強打者ジャクソン)

長身のサウスポーで、スピードを活かしたボクシングを展開したナン。スピードスターとして、あのシュガー レイ レナード(米)の後継者の筆頭、スーパースター候補生として将来が大いに期待されていた選手でした。しかし欠点として試合毎の波が激しく、また、この本が発売された直後に当時無名だったジェームス トニー(米)に大逆転の11回TKO負けを喫してしまい世界王座から陥落しています。その後スーパーミドル級王座を獲得し、2階級制覇を達成しますが、肝心の試合で負けてしまうという癖が抜けきらず。結局は並みの世界王者として終わってしまいました。最近、ちょくちょく彼の試合を見ますが、リング上でのパフォーマンスを見る限り、もっともっと活躍できた選手でしょう。

(スーパースター候補生だったナン)

まだまだマイナー団体だったWBOの王者はクリス ユーバンク(英)。現WBA同級暫定王者の実父です。決して悪い選手ではなかったんですが、最近のボクシング専門誌での掲載では少々誇張され気味の感じを受けます。この年の秋にはWBOスーパーミドル級王座を獲得し、2階級制覇達成に成功。その王座は14度も守ることになりましたが、まあ、ミドル級、スーパーミドル級共に、第4の世界王者という地位がお似合いだった選手でした。

 

(現役時代のユーバンクと、現世界王者である実子と。何かカッコいいミドルエイジですね)

どの時代でも通じるであろう実力者たちが世界王者として名を連ねていた当時の世界ミドル級戦線。しかしマッカラムは華がなく、強打が魅力だったジャクソンは打たれ脆さも兼ね備えたていました。リング上でもポカミスの常習者だったナンは、リング外でもドラッグの常習犯としてその人生を不意にしてしまいました。実子の活躍もあり、ある意味一番の成功者はユーバンクだったかもしれません。

現在のミドル級王者の顔ぶれは、村田 諒太(WBA)、ジャモール チャーロ(WBC)、ゲナディー ゴロフキン(IBF)、デメトリアス アンドラーデ(WBO)と中々の実力者が揃っています。これからもミドル級からは好選手が誕生していくんでしょうね。

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さらば、レオン スピンクス

2021年03月22日 05時31分29秒 | ボクシングネタ、その他雑談

現役時代、そして引退後もリング内外で話題を提供し続けた元世界ヘビー級王者のレオン スピンクス(米)が先月5日に逝去されました(享年67歳)。心よりご冥福をお祈りいたします。

私(Corleone)にとってレオン スピンクスは、記事でのみ知る選手です。調べれば調べるほど、リング内外で色々と話題になった方だったという事が分かってきました。

スピンクス氏はアマチュアで3年連続全米王者となり、その集大成として1976年に行われたモントリオール五輪に出場。ライトヘビー級で金メダルを獲得しています。178勝(133KO)7敗という見事なアマチュア歴を残したスピンクスはオリンピックが行われた翌年にプロデビュー。モントリオールから僅か2年後の1978年2月、プロ僅か8戦目で伝説のモハメド アリ(米)を破り世界ヘビー級王座を奪取してしまいました。

(プロ8戦目で、あのモハメド アリを破り世界ヘビー級王座を獲得してしまったスピンクス)

ここまでの実績のみを振り返って見ると、スーパースター誕生の感がありますね。しかしスピンクスの真のストーリーはここから始まることになります。7ヵ月後に行われたアリとの再戦に敗れると、徐々に徐々にと下降線のキャリアを辿っていく事に(ひょっとしたら、急激にと言った方が妥当かもしれません)。翌年モナコで行われた後のWBAヘビー級王者ゲリー コーツィー(南ア)との再起戦では、123秒の間に3度倒されてKO負け。1981年に、当時安定政権を築いていたラリー ホームズ(米)の持つWBC王座に挑戦するも一蹴されてしまいます。その後はクルーザー級に階級を下げ、世界逆2階級制覇を目指すも、後にWBCクルーザー級王座を4度獲得するカルロス デ レオン(プエルトリコ)や、WBA王者ドワイト ムハマド カウィ(米)等同級の実力者たちには歯が立たず。北米(NABF)クルーザー級王座や、WBC米大陸ヘビー級王座を獲得するなど奮戦した時期もありましたが、1986年以降は黒星が目立つ状態に。1995年師走まで戦い続けたスピンクス。生涯戦績は26勝(14KO)17敗(9KO負け)3引き分けと散々な結果を残してしまいました。

リング外では銃刀法違反やドラックの所持のため警察にお世話になった経験があり、WBCヘビー級王座を獲得したトレバー バービック(ジャマイカ/カナダ)と大乱闘を演じるなど、良くも悪くもマイク タイソン(米)のプロトタイプ的な存在として脚光を浴びる事も多々ありました。また離婚と破産を経験し、一時はホームレス状態だったという話も聞きます。引退後は経済面に加え、健康状態もすぐれなかったとか。特に最近は、認知症やがんとの闘病生活が続いていたようです。

日本にもゆかりのあった方で、ボクサーとしては1987年に名古屋のリングで、WBC米大陸ヘビー級王座を獲得。プロレス活動で何度も来日されていたそうです。

(プロレスラーとして何度も来日したスピンクス)

 

(アントニオ猪木氏とも対戦)

実弟のマイケル氏は、レオン氏と同様にモントリオール五輪に出場し、ミドル級で金メダルを獲得。プロ転向後には、ライトヘビー級で統一王座の座に輝き、ヘビー級でも世界のベルトを腰に巻いています。兄弟揃って金メダルを獲得し、プロのヘビー級王座をも獲得してしまうとは。凄いものです。また実子のコーリー氏もプロのリングで活躍。ウェルター級の3団体統一王座、IBFスーパーウェルター級王座を獲得するなど、2000年代後半を代表する好選手でした。

(ドン キング氏の横のメガネをかけた方がレオン氏。手前が弟のマイケルさん。ベルトを巻いているのが実子コーリー)

レオン氏がリング内外で話題を提供し続け、歴史に名を残した事だけは確かですね。

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さらば、脅威なる男・マービン ハグラー

2021年03月15日 05時06分22秒 | ボクシングネタ、その他雑談

1980年代、シュガー レイ レナード(米)、トーマス ハーンズ(米)、ロベルト デュラン(パナマ)等と共に、黄金の中量級を牽引した史上最強のミドル級王者の一人として挙げられるマーベラス(脅威なる)マービン ハグラー(米)。先日13日に突如逝去されました(享年66歳)。

私(Corleone)は多くのボクサーを尊敬しています。その中でもハグラーは、トップファイブに入る選手でした。同氏の試合、特に今でも語り継がれているトーマス ハーンズとの一戦は、これまでに何度も何度も見てきました。また、ハグラー氏に関する記事を読むのが本当に楽しみでした。心よりご冥福をお祈りいたします。

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