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DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

あの試合から30年(2団体ライト級ほか:1995年5月6日・その2)

2025年05月07日 05時06分13秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の昨日となる1995年5月6日、米国ネバダ州で行われた試合結果です。
2団体ライト級戦(王座統一戦):
WBO王者オスカー デラホーヤ(米)TKO2回1分43秒 IBF王者ラファエル ルエラス
(米)

*この年の2月にデラホーヤとの対戦のためIBFジュニアライト級(スーパーフェザー級)王座を返上し、階級を上げてきたジョンジョン モリナ(プエルトリコ)との大激戦を制し、プロとして筋金を入れる事にも成功したデラホーヤ。今回はIBFタイトル保持者のルエラスとの王座統一戦に臨む事になりました。

(デラホーヤとルエラスによる王座統一戦が実現)/ Photo: Wikipedia

デラホーヤ、ルエラス共に細身の長身選手。しかしこの日のボクシングスタイルは対極的なものでした。IBFタイトルホルダーであるルエラスは、試合開始のゴングと同時にガードを高く上げWBO王者に肉薄していきます。デラホーヤはそれに対し左ジャブで応戦し、激しい攻防が繰り広げられることに。

初回同様、ルエラスが攻めデラホーヤが迎え撃つという展開が続いた王座統一戦。デラホーヤは2回中盤、右からの見事な左ショートフックで先制のダウンを奪います。実質、このダウンで試合が決まったと言っていいでしょう。試合再開後、これまた見事な右ストレートでダウンを追加したデラホーヤ。今回もルエラスはカウント内に立ち上がりましたが、その後の連打でレフィリーは躊躇することなく試合をストップ。僅か5分弱の攻防ではありましたが、見応えのある攻防に終止符が打たれました。

(見事な左フックでダウンを奪ったデラホーヤ)/ Photo: Youtube

2月のモリナに続け、現役世界王者を破り王座統一戦に成功したデラホーヤ。当時のデラホーヤは、一戦ごとに勢いと存在感を増していました。

(WBO王座に続き、IBFタイトルを吸収したデラホーヤ)/ Photo: Daily Mail

なおこの試合を放送したHBO局は、この試合が行われた時点では「WBOを主要団体として認めない」としています。まだまだマイナー団体として扱われていた当時のWBO。ということはこの勝利により、デラホーヤが世界初戴冠となり、トーマス ハーンズ(米)の偉業も、5階級制覇ではなく4階級制覇として見られていたということになりますね。

 

WBCスーパーフェザー級戦:
王者ガブリエル ルエラス(米)TKO11回25秒 挑戦者ジミー ガルシア
(コロンビア)

*ラファエルの実兄ガブリエルも同興行に登場。好戦的なガルシアを迎え保持する王座の2度目の防衛戦に臨みました。

試合はガブリエルが打ち続けるワンサイドマッチとなりましたが、ガルシアも挑戦者らしく奮戦。しかし試合が長引くにつれ、テレビ解説者も危惧するほど一方的な試合展開に。迎えた11回、主審をようやく試合をストップしましたがガルシアの被ったダメージは甚大なものでした。

(試合はまったくのルエラス(右)のワンサイドマッチに)/ Photo: the New York Times

ストレッチャーで運ばれ病院に直行したガルシアでしたが、残念ながら13日後の5月19日に帰らぬ人に。重い十字架を背負うこととなったルエラスですが、悲しみを乗り越えて力強く現役生活を続ける事となりました。

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あの試合から30年(ジュニアウェルター級ほか:1995年5月6日・その1)

2025年05月06日 05時16分33秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前となる1995年5月6日、後楽園ホールで行われた興行です。
ジュニアウェルター戦(スーパーライト級10回戦):
前WBAジュニアウェルター級王者ファン マルチン コッジ(亜)判定3対0(99-94、98-94、98-95)坂本 博之
(角海老宝石)

*「平成のKOキング」坂本が、19戦全勝(14KO)の勢いで世界王座に2度就いた強豪中の強豪コッジと対戦。3回にアルゼンチン人のボディー攻撃で2度のダウンを喫してしまった坂本。しかしそこから盛り返し、コッジ相手に大善戦をしました。

(日本の若武者が世界の強豪に「挑戦」)/ Photo: Youtube

結果はコッジが明白な判定勝利を収め実力を見せつけた形に。しかし坂本は敗れたとはいえ、その後が期待できる内容でした。

(後楽園ホールのリングで貫禄を見せつけたコッジ)/ Photo: Youtube

コッジはこの試合後、3度目の世界王座獲得に成功。坂本は翌年にOPBF(東洋太平洋)ライト級王座を獲得し、世界挑戦に向け順調に歩んで行くことになりました。

 

フライ級戦(10回戦):
元WBAフライ級王者ヘスス ロハス(ベネズエラ)TKO7回 大場 貴志
(姫路木下)

*日本フライ級期待の大場が、10連勝の勢いを持って元世界王者ロハスに「挑戦」。前半戦は善戦する大場でしたが、徐々にロハスとの実力差が浮き彫りになり最終的にはストップされる形に。

この試合から数年後、名古屋のリングで世界2階級制覇を達成する事になるロハス。その試合を含め長きに渡り、世界のトップ戦線で戦い続ける事になります。

 

フェザー級戦(10回戦):
元WBAバンタム級王者ルイシト 小泉(エスピノサ/比)TKO8回 シンヌン 山木
(山木/タイ)

*元世界王者と35勝(34KO)2敗の超強打者による対戦は、予想通りの大激戦に。初回、2回とルイシトがダウンを奪えば、シンヌンは4回と5回にお返しのダウンを奪います。最後は8回、ルイシトが3度のダウンを追加し打撃戦を制すことになりました。

この試合後、ジョー小泉氏のサポートを受けフェザー級で世界王者に返り咲いたルイシト。都合5度日本で試合を行いましたが、この試合が一番印象に残った試合と言っていいでしょう。

 

フェザー級戦(10回戦):
ジュン ゴーレス(比)判定3対0(100-93、99-93、99-94) 在元
(韓国)

*当時、世界が期待されたプロスペクトの一人として挙げられていたゴーレスが元世界1位のと対戦。好試合が期待されていた一戦でしたが、蓋を開けて見ると思わぬ凡戦に。真剣勝負なだけに、たまにはそういうこともあります。

 

ジュニアフライ級戦(ライトフライ級10回戦):
ガンボア 小泉(ジョマ/比)TKO6回 
 喆雨(韓国)

*後に4度目の世界挑戦でWBA最軽量級の暫定王座を獲得し、その後同団体内での王座統一に成功したガンボアの日本のリングでのデビュー戦。軽量級離れした強打を披露する事には成功しましたが、対戦相手のレベルがひどすぎました。の戦績をBoxRecで調べてみると、1991年2月に4回戦で判定負けを喫した以来の実戦に臨んだプロキャリア僅か2戦目の選手。世界を目指す選手がこのような選手と対戦しているというのは、ちょっとこれはいただけませんな。ただ、調整試合として見るのであれば別話ですが。

 

*ジョー小泉氏が自ら主催者となり行われた「ワールド・チャレンジャー・スカウト」。私(Corleone)の記憶違いで、これは第一回ではなく2度目の同興行でした。後楽園ホールは満員御礼となる大盛況だったようです。何と言っても当時の坂本の人気がその理由に挙げられますが、今現在(2025年5月)、世界戦以外でこのように集客力のあるイベントが日本国内で開催できるのでしょうか?残念ながら、難しいと言わざるをえないでしょう。

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あの試合から30年(IBFバンタム級:1995年4月29日・その3)

2025年05月04日 05時09分48秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から約30年前となる1995年4月29日、南アフリカで行われた試合結果です。
IBFバンタム級戦:
挑戦者ムブレロ ボティーレ(南ア)KO2回1分24秒 王者ハロルド メストレ
(コロンビア)

*この年の1月に、あのオーランド カニザレス(米)が返上し空位となっていたIBFバンタム級王座を獲得したメストレ。初防衛戦で15戦全勝(9KO)のボティーレの挑戦を受けるため南アフリカの地に降り立つことになりました。

(南アフリカで決行されたIBFバンタム級戦)/ Photo: BoxRec

日本で言う春真っただ中に行われたこの試合ですが、試合開始時の気温は4度と冬の寒さ。常夏のコロンビアから来た王者には、高地ヨハネスブルクの寒さはこたえたのかもしれません。

基本に忠実なボクサー同士による一戦は、両者がキビキビとしたボクシングを展開するという好スタートを切ります。挑戦者はややぎこちない動きをするメストレに対し、シャープなジャブで対抗。王者も負けじと応戦します。

(短い時間ではありましたが、両者がキビキビとしたボクシングを展開した好試合に)/ Photo: Dailymotion

長期戦も予感された戦いでしたが、終焉は突如とやってきました。2回、きれいな右でコロンビア人をフロアに送ったボティーレ。パンチを被弾してから若干の間をおいてダウンを喫したメストレ。見た目以上に効いたようで、何度も立ち上がろうと試みたメストレでしたが糸の切れた人形のようにその度にフロアに逆戻り。結局テン・カウント内に立ち上がることが出来ずに試合終了。衝撃的な王座交代劇となりました。

僅か4分半の攻防でしたが、長期政権を期待できるパフォーマンスを演じたボティーレ。全盛期のカニザレスとの一戦も見てみたかったです。

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意見番(05‐01‐25)

2025年05月01日 05時36分04秒 | ボクシングネタ、その他雑談

*「ビックジョージ」について書こう書こうと思っているのですが、中々時間が取れなくて...。そのうち記載します。

Photo: Amazon.co.jp

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あの試合から30年(IBFジュニアミドル級:1995年4月29日・その2)

2025年04月30日 05時08分51秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の昨日となる1995年4月29日、米国メリーランド州で行われた試合結果です。
IBF
ジュニアミドル級戦(スーパーウェルター級):
王者ビンセント ペットウェイ(米)KO6回2分7秒 サイモン ブラウン(ジャマイカ/米)

*前年1994年9月に、長期政権を築いていたジャンフランコ ロッシ(伊)を破り世界王座を獲得したペットウェイ。初防衛戦に、ウェルター級とスーパーウェルター級で都合3つの世界タイトルを獲得してきた強打のブラウンを迎える事になりました。強打者同士によるこの戦いは、稀に見る大激戦となりました。

(初防衛戦に臨んだペットウェイ)/ Photo: SoundCloud

初回終了間際、ブラウンの右フックからの連打で王者が糸が切れた人形のようにダウン。ペットウェイはもう少し時間があれば、この回で試合は終わっていたほどの大ダメージを被ってしまいました。3回、今度はペットウェイがお返しのダウンを奪っています。ブラウンの左ジャブの打ち終わりに見事な右を重ね元王者をフロアに送る事に成功。ブラウンが被ったダメージは、初回にペットウェイが受けたものより甚大でした。

(強打者同士による対戦は、ダウン応酬の大激戦に)/ Photo: Youtube

5回、明らかな低打(反則打)でペットウェイがダウン。レフィリーはローブロー(低打)と気づかなかったため、公式なダウンとして数えられてしまいました。しかもブラウンはペットウェイが膝を付いているにもかかわらず、2発のパンチを放つ暴挙を行っています。これは明らかな反則行為ですが、それに対し主審は注意すら与えませんでした。ラウンド終了後にも打ち合う両者。レフィリーはそれを制止することも出来ずにブラウン陣営の抗議の的となっていました。

荒れた試合の流れは続く6回にも継続されます。今度はアクシデント・ヘッドバットで試合が一時中断。再開後、ペットウェイの見事な左フック一発でブラウンをKO。驚くことにフロアに倒れたブラウンは、意識を失いながらもパンチを放ち続けていました。3度のダウンはいずれも凄いものでしたが、ダウン後のブラウンの無意識ながらも戦い続ける姿勢は、驚き以外の何物でもありません。

(崩れ落ちていくブラウン)/ Photo: Facebook

(無意識状態でもパンチを放ち続けるブラウン)/ Photo: TikTok

強豪相手に衝撃的な勝利を収めたペットウェイ。不安定なボクシングを展開しますが、提供する試合は常にエキサイティングでした。

前日お届けしたバーナード ホプキンス(米)の戴冠劇、そしてこのジュニアミドル級戦に加え、元IBFライト級王者フレディ ペンドルトン(米)、後のWBAミドル級王者ウィリアム ジョッピー(米)、ジュニアミドル級とミドル級で世界獲得したジョン デビット ジャクソン(米)等も出場した今回の興行。この時期のドン キング氏は、継続的に贅沢な興行を提供し続けていました。

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あの試合から30年(IBFミドル級:1995年4月29日・その1)

2025年04月29日 05時18分49秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前となる1995年4月29日、米国メリーランド州で行われた試合結果です。
IBFミドル級戦(王座決定戦):
バーナード ホプキンス(米)TKO7回1分10秒 セグンド メルカド
(エクアドル)

*2016年まで世界のトップ戦線で戦い続けたホプキンスですが、世界初戴冠は3度目の正直で実る事になりました。

前年師走に拳を交えている両雄。メルカドの地元であるエクアドルの首都キトで行われたその試合では、倒そう倒そうと気が逸るホプキンスに対し、メルカドがうまくパンチを当て2度のダウンを奪っています。既にその実力を評価されていたホプキンスがそのままズルズルとペースを持っていかれる事はありませんでしたが、引き分けで何とか首の皮を繋ぐのが精一杯。しかしそれでも敵地のど真ん中で行われた死闘で負けなかったのですから、流石と言えば流石です。

4ヵ月ぶりに行われた両者による再戦は、前回とは異なりほぼホプキンスのワンサイドマッチで進んでいきます。比較的静かな立ち上がりを見せた戦いでしたが、3回からホプキンスの左右のパンチが当たりだし始めます。3回、4回、5回とラウンドを重ねる毎にホプキンスにペースが偏っていったこの試合。特にホプキンスの右パンチの的中率に素晴らしいものがありました。

(再戦はホプキンスの(右)の一方的な展開に)/ Photo: Youtube

7回、クリンチを分ける際レフィリーが突如試合をストップ。主審はエクアドル人の反応が鈍かったためとしていますが、メルカド陣営からストップに対し何ら抗議はありませんでした。前回の死闘と重ねると、あっけない幕切れとなったこの戦いでしたが、この試合以降ボクシング史に歴史を残すことになるホプキンスが、30歳、30戦目にして世界の頂点に君臨する事になりました。

1993年5月の初の世界戦では、当時のスーパースター候補生だったロイ ジョーンズ(米)を大いに苦しめましたが、勝利の女神は微笑まずに僅差の判定負け。メルカドとの初戦では、命辛々の引き分け。背水の陣で臨んだこの一戦では、その後のホプキンスの一部を見るような老獪さ、絶妙な試合運びを見せ勝利。しかしホプキンスがその後20年もの間活躍し続けるとは、想像すらも出来ませんでした。

(ようやく世界のベルトを獲得したホプキンス。ここから偉大なる歴史を作ることに)/ Photo: Sports Illustrated

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あの試合から30年(IBFフライ級:1995年4月22日・その2)

2025年04月24日 05時40分16秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の一昨日となる1995年4月22日、米国ネバダ州で行われた試合結果です。
IBFフライ級戦:
挑戦者ダニー ロメロ(米)判定3対0(116-111、116-112、115-112)王者フランシスコ テヘドール
(コロンビア)

*当時の世界王者最候補生で、将来的にはスーパースターになるであろうと大きな期待を寄せられていたロメロ。同じトップランク社所属の軽量級のドル箱スターだったマイケル カルバハル(米)のピークが過ぎ、「小さな石の拳」(カルバハルのニックネーム)と入れ替わるようにして登場した若干20歳です。23戦全勝(21KO)という素晴らしい戦績を引っさげて、ついに初の世界挑戦に臨む事になりました。

(世界初挑戦が決まったロメロ)/ Photo: Youtube

超新星ロメロの挑戦を受けたのは、僅か2ヶ月前に世界王座に就いたばかりのテヘドール。3度目の挑戦で世界のベルトを腰に巻いたコロンビア人は、42勝(30KO)2敗というこちらも挑戦者に負けない素晴らしい戦績を持っていました。2つの敗北は母国コロンビアの外で喫したものとなります。

初回、遠距離からシャープで的確なジャブと、スムーズなフットワークで挑戦者を翻弄したテヘドール。2回にはロメロがその強打で王者をバタつかせますが、クリーンヒットはその一発のみ。軽いパンチながらもテヘドールが機動力を活かし試合をコントロールしていきます。

中盤戦も王者のペースが続きます。5回、接近戦でもテヘドールがロメロが得意とする接近戦でも上回ってしまいます。続く6回、ペースを変えるためか、ロメロが丁寧に左ジャブを付き始めます。それが功を沿うしてか、ロメロのパンチの的中率が上昇。それに比例するかのようにテヘドールの動きが鈍り始めます。前半戦と異なり足が動かなくなったコロンビア人。リング中央での打ち合う場面が増え、試合のペースもロメロに流れていきます。二十歳になったばかりの若者が、このように試合中に自分のボクシングを修正するとはいやはや凄いものです。

回を追う毎にロメロのペースになっていったこの試合。11回終盤にはその右強打で王者の足をふらつかせました。そしてこの試合も終わりに近づいた最終12回2分50秒過ぎ、連打からテヘドールをロープからはじき出す形でダメ押しの形でダウンを奪ったロメロ。序盤はテヘドールの上手さ、経験に苦戦を強いられたものの、戦い方を変え、その強打に加え学習能力の高さを誇示。内容の濃い試合を制し、世界のベルトを腰に巻くことに成功しました。

ロメロの故郷であるニューメキシコ州アルバカーキには、ジョニー タピア(米)という実力と人気が備わった選手がいます。タピアがWBOスーパーフライ級/ジュニアバンタム級王座を獲得してから半年。ロメロもようやく同胞のライバルに追いついたことになりました。そして当然の如く「タピア対ロメロ」戦実現への期待が高まっていきました。

この試合が終わった時点(1995年4月22日)での、フライ級の世界王者たちを確認しておきましょう。

WBA:セーン ソー プルンチット(タイ/防衛回数4)
WBC:勇利 アルバチャコフ(協栄/露/6)
IBF:ダニー ロメロ(米/0)
WBO:アルベルト ヒメネス(メキシコ/0)

*今振り返ってみると、見事なぐらいに実力のある選手たちが顔を並べていたんですね。

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あの試合から30年(IBFヘビー級:1995年4月22日・その1)

2025年04月22日 05時35分57秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の昨日となる1995年4月22日、米国ネバダ州で行われた試合結果です。
IBFヘビー級戦:
王者ジョージ フォアマン(米)判定2対0(115-113x2、114-114)挑戦者アクセル シュルツ
(独)

*この試合が行われた前年にあたる1994年11月、当時の王者マイケル モーラー(米)に逆転勝利を収め45歳10ヶ月で世界ヘビー級王者に返り咲いたフォアマン。すでに「時の人」となっていたフォアマンは、さらに輪をかけたようにさらなる注目を浴びる事になりました。

当時のフォアマンは自身が優秀なマッチメーカーとして知られており、自分と同等、もしくは大きな体格を持った選手(レノックス ルイスやリディック ボウなど)との対戦は避ける傾向がありました。別の言い方をすれば「危険度の高い相手とは戦わない」ということになります。

ボクシング史に残る勝利を収めたモーラー戦から5ヵ月。フォアマンは初防衛戦に臨む事になりました。11月に獲得したタイトルはIBFとWBAの2つのベルトでしたが、WBAから科されていたトニー タッカー(米)との防衛戦は回避したため、その王座は剥奪されてしまいました。空位となった王座は、タッカーとブルース セルドン(米)により争われ、セルドンが新王者となっています。

46歳となったフォアマンに選ばれたのは、21勝(10KO)1敗1引き分けの戦績の持ち主シュルツ。前年9月に、元WBA王者ジェームス スミス(米)に勝利を収めている26歳です。スミス戦以前に欧州王座を賭け、後のWBO王者ヘンリー アキンワンデ(英)と2度対戦し1敗1引き分けと王座奪取ならず。実力的には世界タイトルに挑戦するレベルではなく、欧州が限界の選手といっていいでしょう。そんな選手を相手に、フォアマンはあわや王座転落の危機にさらされるほど苦戦してしまいました。

(新たな歴史を作る予定だったフォアマンでしたが...)/ Photo: Wikipedia

この試合が決まった時、「よくもまあ、こんな都合のいい選手を見つけてみたものだ」と思いました。これといった武器を持たないシュルツ。フォアマンの強打を恐れたのか、それとも初のビックイベント登場での緊張からか、序盤戦は委縮したボクシングしか出来ませんでした。しかし回を重ねるごとに固さが取れていったドイツ人。高いガードから左右のパンチを放ち、打っては離れるという基本的なボクシングを決行。王者のパンチを受けたら必ず打ち返し、大ベテランにペースを譲りません。中盤戦以降はフォアマンがパンチを貰う場面が度々あり、序盤戦で稼いだポイントもドンドン吐き出していく形に。結局は試合終了のゴングを聞くのがやっとでした。

(予想外の大健闘を見せたシュルツ)/ Photo: BoxRec

判定が表す通り、どちらの手が上がってもおかしくなかったこの試合。純粋なボクシングマッチとしては、終始打ち合いがあり大変面白いものでした。試合後のインタビューは、腫れた顔を隠すためにサングラスをかけて臨んだフォアマン。この試合後、IBFから科された指名挑戦者との防衛戦、対フルンソワ ボタ(南ア)との一戦を拒否したため、WBAに続いてIBFタイトルも剥奪されてしまいました。

この試合がフォアマンが出場した最後の主要団体のタイトル戦となりましたが、ビック・ジョージ(フォアマンのニックネームは)1997年11月まで戦い続けています。大善戦むなしく世界タイトルまであと一歩届かなかったシュルツ。この試合後、2度の世界挑戦も実らず、結局は無冠で終わっています。

 

下記はこの試合が終わった時点(1995年4月22日)時点での、世界ヘビー級王者たちとなります。

WBA:ブルース セルドン(米/防衛回数0)
WBC:オリバー マッコール(米/1)
IBF:ジョージ フォアマン(米/0)
WBO:リディック ボウ(米/0)

*実力は元統一王者のボウが抜きん出ています。その他はと言うと、世界王者に慣れただけでも運が良かったと言わざるを得ないメンツとなってしまいます。ボウを除けば、この30年で最弱のヘビー級タイトルホルダーのメンバーと言っていいでしょう。

この試合から一ヶ月前に仮釈放されたマイク タイソン(米)を中心に、翌月5月にはレノックス ルイス(英)とイベンダー ホリフィールド(米)が再起戦を予定。徐々に活発化しつつあった当時のヘビー級戦線でした。

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あの試合から40年(統一ミドル級:1985年4月15日)

2025年04月15日 05時14分31秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から40年前となる1985年4月15日、米国ネバダ州で行われた試合結果です。
統一ミドル級戦:
王者マービン ハグラー(米)TKO3回1分52秒 挑戦者/WBCスーパーウェルター級
王者トーマス ハーンズ(米)

会場はシーザースパレスの屋外特設リング。砂漠の街ラスベガスでは、朝晩はまだまだ寒い時期です。そんな中、ボクシング史に燦然と輝く名勝負が、40年前のラスベガスで行われました

(ボクシング史に残る名勝負が実現)/ Photo: Wikipedia

60勝(50KO)2敗2引き分けという凄まじい戦績の持ち主であるハグラーにとり、この試合は11度目防衛戦となりました。強豪相手に防衛回数と白星を伸ばしてきた帝王ハグラー。その牙城に挑んだのは、打倒ハグラーの最候補と謳われていたハーンズです。1981年9月に、宿敵シュガー レイ レナード(米)との歴史的一戦に逆転負けを喫したハーンズ。しかしその後、1982年12月に行ったウィルフレド ベニテス(プエルトリコ)との、こちらも歴史的一戦、に勝利を収めスーパーウェルター級王座を獲得。世界2階級制覇を達成しました。1984年6月には伝説の「石の拳」ロベルト デュラン(パナマ)を恐怖の右パンチで粉砕。レナード戦からの完全復活を印象付け、いよいよハグラーにチャレンジする事になりました。

(ついに実現した一戦)/ Photo: Redbubble

ハグラー、ハーンズは共に当時の最強戦士(俗にいうパウンドフォーパウンド)の一人に数えられていました。ハーンズは40勝(34KO)1敗と、ハグラーのそれには一歩劣るものの、こちらもまた強豪選手たちを次々に倒し続け築いてきたもの。二人合わせて100勝(84KO)ですからとんでもないことです。

十力拮抗者同士の一戦は、13対11で「ハグラーが若干有利」という試合前の掛け率にも反映されていました。この両者が対戦するのですから、さぞ凄い試合になる事は容易に予想が出来ました。しかしまさか試合開始のゴングと同時に火の出るような打ち合いを演じるとは...。試合時間は僅か472秒でしたが、その8分間の間、瞬きも出来ないパンチの交換が行われ続けました。

(凄まじい打ち合いを演じるハグラーとハーンズ)/ Photo: Boston Com

最初に仕掛けたのはスロースターターとして知られていたハグラー。初回のゴングが鳴ると同時に、右フックを豪快に振りかざしハーンズに襲い掛かります。そんなハグラーの予想外の先制攻撃に、ハーンズは慌てることなく対処。逆にそのシャープな強打で帝王をバタつかせます。しかし挑戦者が矢継ぎ早にパンチを放っても全く怯むことなく前進を続けるハグラー。初回の攻防だけを見ても、二人が並のボクサーでないことが確信出来ます。

(凄まじい打ち合いを続ける2人の英雄)/ Photo: the Fight City

初回のハーンズの強烈な右で額を割られたハグラー。驚くことにハグラーの石頭は、ハーンズの右拳を破壊してしまいました。最初の3分間にその強打でハグラーを仕留めきれなかったハーンズ。2回にはすでに疲れとハグラーの強打からスタミナ切れ状態となってしまいました。すでにこの時点で勝敗は喫していたこの一戦。フィナーレもこの試合を象徴するかのように訪れます。3回、その独特の右パンチで挑戦者にダメージを加えていったハグラー。この回の中盤にライバルがグラつけば、走るようにして右の強打で追い打ちをかけハーンズをキャンバスに送ります。カウント内に何とか立ち上がったハーンズでしたが、主審のリチャード スティール氏は試合の続行を許しませんでした。

(ハーンズを豪快に倒したハグラー)/ Photo: the Boston Globe

「戦争(the War)」と銘打たれたこの一戦。まさに8分間、核戦争のような壮絶な打ち合いが行われました。以前知人から「ハグラーとバーナード ホプキンス(米)が対戦すればどちらが勝つだろう?」と聞かれました。ホプキンスはミドル級史、そしてボクシング史にも残る試合巧者なだけに、私(Corleone)は「勝敗は分からあいが、かなり接戦した試合になるだろう」と答えました。その考えは今でも変わっていません。全盛期のゲナディー ゴロフキン(カザフスタン=引退)や現ミドル級王者ジャニベック アリムカヌウェ(カザフスタン)も、ハグラーと対戦すれば好勝負を演じる事は可能でしょう。しかしハーンズとの大一番に勝利を収めたハグラーの姿を見てしまうと、ホプキンスもゴロフキンも影が薄くなってしまいます。確かなことは、ハグラーはミドル級史上「最高」の一人である事でしょう。まさにハグラーはそのニックネーム通りの「マーベラス(Marvelous)」にふさわしい偉人です。

(勝ち名乗りを受けるハグラー)/ Photo: the Washington Post

レナード戦に続き、偉大なる敗者となってしまったハーンズ。この敗戦に関し、何一つ恥じる事はありません。ハーンズもまた、偉大なるグレートであることは疑いの余地はありません。

(敗れてもかっこいいハーンズ)/ Photo: Facebook

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終了、引っ越しに(雑談:04‐14‐25)

2025年04月14日 17時13分23秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今年の11月18日(火)に「goo blog」のサービスが終了するようです。「青天の霹靂」とはまさにこの事ですね。

他のブログに引っ越しになるとは思いますが、面倒くさいですね...。

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