DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

意見番(09‐30‐18)

2018年09月30日 00時05分03秒 | ボクシングネタ、その他雑談
2018年9月30日ごろの意見番です。



*まだまだ続く井上フィーバー。来月号も続きそうです。年間最高試合候補のWBOフライ級戦がその対抗馬になるでしょうね。

一翔のスーパーフライ級での世界挑戦がいつになるのか?気になるところです。
コメント (4)

スーパーフライ級(09‐13‐18)

2018年09月13日 00時21分15秒 | ボクシングネタ、その他雑談
2018年9月13日現在のスーパーフライ級王者たちです。

WBA:カリ ヤファイ(英/防衛回数3)
WBC:シーサケット ソールンビサイ(タイ/2)
IBF:ジェルウィン アンカハス(比/5)
WBO:空位
OPBF(東洋太平洋):アンドリュー マロニー(豪/0)
日本:奥本 貴之(グリーンツダ/0)

*先週末8日、米国・カリフォルニア州で同級のトップ選手による試合が3試合行われ、シーサケットへの再挑戦権を保持するファン フランシスコ エストラーダ(メキシコ)、同級で4階級制覇を狙う井岡 一翔(Sankyo)が強豪相手に勝利。空位のWBO王座をドニー ニエテスとアストン パリクテの比国勢が争いましたが引き分け。井上 尚弥(大橋)の後継者はいまだに決まっていません。

エストラーダとの再戦が予定されているシーサケットですが、その前にイラン ディアス(メキシコ)と防衛戦を予定。その試合は来月6日にタイで決行されます。同級での世界王者としての実績ナンバーワンのアンカハスは今月28日、3試合続けて米国のリングに登場。メキシコのアレハンドロ バリオスの挑戦を受けます。ニエテスとバリクテ陣営は再戦に乗り気なため、ひょっとしたら年内にも両者によるリマッチが実現するのではないでしょうか。

個人的に一番の注目は一翔の今後の進路。先週勝利を収めたマックウィリアム アローヨ(プエルトリコ)戦を見る限り、まだまだスーパーフライ級に体格が適合していません。一年とは言いませんが、少なくとも一試合はスーパーフライ級での世界挑戦前に挟むべきでしょう。


前回、2013年1月29日のフライ級王者の面々は下記のようになります。

WBA:河野 公平(ワタナベ)
WBA(暫定):リボリオ ソリス(ベネズエラ)
WBC:佐藤 洋太(協栄)
IBF:ファン カルロス サンチェス(メキシコ)
WBO:オマール ナルバエス(亜)
OPBF(東洋太平洋):アーサー ビジャヌエバ(比)
日本:帝里 木下(千里馬神戸)


こちらはその前、2011年1月13日のスーパーフライ級王者たちです。

WBA:ウーゴ カサレス(メキシコ)
WBA(暫定):ドリアン フランシスコ(比)
WBC:トーマス ロハス(メキシコ)
IBF:クリスチャン ミハレス(メキシコ)
WBO:オマール ナルバエス(亜)
OPBF:粉川 拓也(宮田)
日本:佐藤 洋太(協栄)


2010年1月27日のスーパーフライ級王者たちの面々はどのようになるでしょうか。

WBA(スーパー):ビック ダルチニアン(豪)
WBA(正規):名城 信男(六島)
WBA(暫定):ノニト ドネア(比)
WBC:ダルチニアン
IBF:シンピウェ ノンクアイ(南ア)
WBO:空位
OPBF:河野 公平(ワタナベ)
日本:中広 大悟(広島三栄)


最後は10年と1月前、2008年8月19日まで遡ります。

WBA(レギュラー):クリスチャン ミハレス(メキシコ)
WBA(暫定):ラファエル コンセプション(パナマ)
WBC:ミハレス
IBF:ビック ダルチニアン(豪)
WBO:フェルナンド モンティエル(メキシコ)
OPBF:冨山 浩之介(ワタナベ)
日本:河野 公平(ワタナベ)

*常に日本人選手が世界王座に絡んでいたという印象を持っていましたが、決してそうではないんですね。
コメント

意見番(09‐10‐18)

2018年09月10日 01時10分33秒 | ボクシングネタ、その他雑談
2018年9月10日ごろの意見番です。



*伊藤が米国で世界王座を獲得した事は快挙以外の何ものでもありません。しかしそれと同時に木村の中国での世界王座防衛ということも偉業だと思うのですが...。
コメント

意見番(08‐08‐18)

2018年08月08日 00時28分28秒 | ボクシングネタ、その他雑談
2018年8月8日ごろの意見番です。



*今回は日本の2大エースがそれぞれの表紙を飾っています。次号は、当然の如く、中国での防衛成功、そして米国での世界王座奪取になるでしょうね。というかなるべきです。
コメント

この階級、この選手(フェリックス トリニダード:スーパーウェルター級③)

2018年07月13日 03時54分10秒 | ボクシングネタ、その他雑談
1990年代初頭からこれまでの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を各階級3人ずつ挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。

今回がスーパーウェルター級の第3弾、最終回となります。同級の第一弾で登場したのがテリー ノリス(米)でした。私(Corleone)がこの企画を始める時、「スーパーウェルター級では必ずノリスを登場させよう」と決めていました。今回の主人公はフェリックス トリニダード(プエルトリコ)。ウェルター級、このスーパーウェルター級、そしてミドル級の3階級で世界王座を獲得した選手です。


(今回の主人公、フェリックス “ティト” トリニダード)

トリニダードもノリスと同様に、この企画では必ず書こうと決めていた選手でした。しかしどの階級で登場させるかが少々悩みました。42勝(35KO)3敗(1KO負け)という素晴らしい終身戦績の持ち主であるトリニダード。彼の愛称はティト(Tito)と中々可愛らしいものでした。そのティトがプロデビューを果たしたのは彼がまだ17歳だった1990年3月10日。トリニダードの母国であるプエルトリコからは、よく早熟の天才児が誕生してきましたが、彼もその天才児の内の一人。しかしトリニダードは他の天才児たちと違う点は、そのピーク時を長く保ったということでしょうね。驚くなかれトリニダードは、プロ転向前にアマチュア経験があり、プエルトリコ国内王座に5度就くというまさに麒麟児でした。

とにかくパンチが切れましたよね、この選手は。特に変わった特徴的なボクシングをするわけではありませんでした。ガードをしっかりと構えて、常に小刻みに上半身を振りながらすり足気味のフットワーク、ステップを止めない。ていねいにジャブを放ちながら鋭い右、切れ味抜群の左フックで対戦相手にダメージを与え沈めていく。相手の顔面ばかり狙うヘッドハンター気味のきらいもありましたが、IBFウェルター級の14度目の防衛戦で見せたように、ボディーでKOする時もありました。

相手をバッタバッタと次から次へと倒しましたが、自身がコロコロとリングに転がる場面も多数演出しました。面白い事に、トリニダードが唯一KO負けを喫したバーナード ホプキンス(米)戦と、最終戦となったロイ ジョーンズ(米)との一戦以外に喫したダウンは、すべて2回に起こりました。トリニダードが現役時代の頃有名な話でしたが、ダウンはトリニダードにとって目覚まし時計の役割を果たしていたというのは興味深いですよね。

最終戦を2008年1月19日に行ったトリニダード。スーパーライト級で始まったそのキャリアですが、最後はライトヘビー級で戦っています。まあ、最後のロイ ジョーンズ(米)との一戦のみライトヘビー級(ほとんどスーパーミドル級の体重)で戦っており、実質はミドル級までと考えるべきでしょう。

トリニダードのキャリアを振り返ってみると、彼が行った全45戦がいかに充実していたかが分かります。何といってもそのキャリアの約半分の21戦を世界戦というひのき舞台に登場したのですから。トリニダードのキャリアは大きく4つに区切ることが出来るでのはないでしょうか。

第一期はプロデビューから19戦目、1993年5月8日に行った対コリン トムリンソン(セネガル)まで。トリニダードはこのトムリンソンとの戦いの次の試合で世界王座を獲得しています。スーパーライト級のリミットより若干軽い体重から、ウェルター級リミットを少し上回るウェートで戦ったこの間のティト。母国プエルトリコのリングを中心に、イタリア、フランス、米国(マイアミ州)、メキシコのリングにその雄姿を現しています。この間、KO/TKO出来なかった試合は僅か3。その間にトリニダードが戦いった著名選手には、2度世界王座に挑戦したアルベルト コルテス(亜)や、後のIBFスーパーライト級王者ジェイク ロドリゲス(米)が含まれています。

第二期はウェルター級での世界王者時代。1993年6月19日にモーリス ブロッカー(米)を僅か2回で仕留めた試合から、1999年9月18日に当時のスーパースター・オスカー デラホーヤ(米)を僅差の判定で破り、WBC王座を吸収した試合までになります。ブロッカー戦は上記のトムリンソンから僅か1ヵ月後に行った試合。それらの試合が僅か初回、2回で終わったからといっても驚異的な試合ペースですよね。ウェルター級での活躍のみに焦点を当てたとしても、トリニダードがプエルトリコ史上、いやボクシング史上有数の実力者だったといっていいでしょう。同級でトリニダードか重ねた防衛回数は何と15。これは凄い数字なんですが、なぜだかあまり話題にあがりません。ちなみにウェルター級での15連続防衛というのは、ヘンリー アームストロング(米)が築き上げた19に次ぐもの。トリニダードが世界ウェルター級王者として君臨した6年8ヶ月半というものは、同級史上最長となります。

      
(デラホーヤを破り、WBC王座を吸収)

トリニダードがウェルター級王者時代に打ち破った選手たちの中には、3階級を制覇したプエルトリコの先輩で、スピードスターだったヘクター カマチョ。後にIBFスーパーウェルター級王座を獲得する百戦錬磨のメキシカン、ヨリ ボーイ カンパス。トリニダード、アイク クォーティー(ガーナ)、デラホーヤと当時のウェルター級の超一級を苦しめた無冠の帝王オーバー カー(米)。IBFライト級の王座に就いたしぶといフレディー ペンドルトン(米)。ボクシング史上屈指のテクニシャン、パーネル ウィテカー(米)。まあ、トリニダードと対戦した時のウィテカーは全盛期をかなり過ぎてはいましたが。そして最後は6階級を制覇したデラホーヤ。こう並べてみると、ウェルター級時のトリニダードがいかに凄かったかは一目瞭然です。

   
(歴戦の雄、カマチョ、ウィテカーを寄せつけず)

第三期は最初の2期に比べて非常に短い期間になります。その期間は2000年に行った僅か3試合のみ。ウェルター級王座獲得前や、ウェルター級王者時代にスーパーウェルター級の無冠戦に登場しましたが、あくまでここでの焦点は、スーパーウェルター級で行った3つの世界戦のみに限定します。

デラホーヤ戦前から減量苦に直面していたトリニダード。147ポンドのウェルター級から154ポンドのスーパーウェルター級に階級を上げたプエルトリカンは、まさに水を得た魚。強豪選手を達を見事なパフォーマンスで破っていきました。まずは2000年3月。アトランタ五輪で米国に唯一の金メダルもたらしたデビット リードをバッタバッタとフロアに送りまくりWBAスーパーウェルター級王座を獲得。同年7月、欧州で敵なし状態だったママドゥ チャム(仏)を相手に会心のパフォーマンスを見せ初防衛に成功。そして最後はその年の師走、暴れん坊フェルナンド バルガス(米)を劇的な最終回TKOに破りIBF王座の吸収に成功。この年のトリニダードはまさに怒涛の快進撃。デラホーヤが持っていたスーパースターの称号を強奪するとともに、自身の勢いに歯車をつけていきました。2000年という年はまったくもって、トリニダードのためにあった一年と言っていいでしょうね。

  
(リードを下し、2階級制覇に成功)

      
(大激戦だったバルガスとの統一戦)

トリニダードが獲得した王座(獲得した順):
IBFウェルター級:1993年6月19日獲得(防衛回数15)
WBCウェルター級:1999年9月18日(0)
(*2団体ウェルター級王座の統一に成功)
WBAスーパーウェルター級:2000年3月3日(2)
IBFスーパーウェルター級:2000年12月2日(0)
(*2団体スーパーウェルター級王座の統一に成功)
WBAミドル級:2001年5月21日(0)

(*トリニダードはキャリアの後半に下部組織王座をいくつか獲得しましたが、明確な情報/タイトル名が分からないため割愛させていただきます。)

スーパーウェルター級での活躍に満足することなく、ミドル級に進出を図ったトリニダード。2001年の5月には、日本でもお馴染みのウィリアム ジョッピー(米)を豪快に破りWBAミドル級王座を獲得。楽々と世界3階級制覇を達成してしまいました。後々考えてみると、ミドル級進出はかなり急ぎすぎていた感があります。ジョッピーが予想以上に早く終わり(5回)、パンチの切れもウェルター級、スーパーウェルター級時に劣らず。しかしここらで先を急がずに、数度の防衛戦を重ねていたらそれ以後のキャリアもかなり違っていたのではないでしょうか。まあそんなことを言ったらきりがないですが。


(ミドル級のジョッピーすらよせつけず)

同年9月、当初は同月の15日に予定されていた試合でしたが、試合地であった米国・ニューヨーク州で起こったテロ事件のために2週間延期となった3団体ミドル級の王座統一戦。WBA王者トリニダードは、自身キャリア最強の相手と対戦することになりました。トリニダードが拳を交えたのは、IBFとWBCの2冠を保持していたバーナード ホプキンス(米)。ホプキンスは今でこそミドル級史上最高の選手の一人として数えられていますが、当時はまだ、実力がある地味な選手程度にしか認知されていませんでした。「トリニダードが3団体王座統一に成功するのでは?」という期待的予想もあったのですが、この試合での主役はあくまで苦労人ホプキンスでした。トリニダードは最終回にTKO負けを喫してしまいますが、11回終了時までの公式採点でもホプキンスに大きく後れをといっていました。また、試合内容もトリニダードの逆転が予感出来るものではなく、ホプキンスが徐々に、徐々にとライバルを追い込んでいくものでした。この試合後からですよね、ホプキンスがその実力を本当に評価され始めたのは。そういえばリカルド ロペス(メキシコ)の最終戦、対ゾラニ ペテロ(南ア)との一戦はこの試合と同じ興行で行われました(ロペスの8回KO勝利)。

   
(ホプキンスには完敗)

41戦目にして、初の黒星を喫してしまったトリニダードですが、一言でいえば相手が悪かったです。ホプキンスはこの後、デラホーヤすらもKOしてしまうんですから。このホプキンス戦も含め、トリニダードにとっての第四期はミドル級から引退まで。彼のキャリアにとっておまけのようなものでしょう。翌年5月、元WBCミドル級王者アッシン シェリフィー(仏)との再起戦に臨んだトリニダード。この試合のトリニダードは、ウェルター級やスーパーウェルター級時を彷彿させる切れ味鋭い素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。それはまさしく、「トリニダードもミドル級の体に慣れてきたな」と思わせるものでした。しかしシェリフィー戦後、ホプキンスとの再戦交渉が難航したため、トリニダードは現役からの引退を発表してしまいました。

その後2004年10月にリング復帰を果たしたトリニダード。問題児リカルド マヨルガ(ニカラグア)をドタバタの打撃戦でTKOしました。再起には成功しましたが、それは全盛期からは程遠いいボクシング内容でした。案の定翌年5月に行ったロナルド ライト(米)との一戦では、ピーク時のトリニダードなら勝利することは難しくなかった相手に大差の判定負け。ここで再び引退を表明しています。ここで潔く現役から身を引いていればよかったのですが、2008年1月にもう一度リングに登場。トリニダード同様、全盛期から程遠いいパフォーマンスしか見せられないロイ ジョーンズに完敗し、3度目の引退を表明。ようやく完全なる現役からの徹底をすることになりました。


(ライトにいいところなく敗れたトリニダード)

トリニダードが現役から引退した後、ウェルター級、スーパーウェルター級には幾人もの優れた選手が登場しました。しかし最高時のトリニダードに対抗できるのは、フロイド メイウェザー(米)とマニー パッキャオ(比)ぐらいなものでしょう。トリニダードの後輩であるミゲル コット、ケガさえなければ現役ウェルター級トップであろうキース サーマン(米)、スーパーウェルター級で世界王座を同時制覇したチャーロ双生児(米)らは明らかに格が落ちるでしょう。

トリニダードがウェルター級王者時代の対抗馬だったアイク クォーティ(ガーナ)や、スーパーライト級で活躍したコンスタンチン チュー(露/豪)との一戦も見てみたかったですね。カマチョやウィテカーが全盛の時に戦っていたら、どのような結果になっていたのでしょうか。そういえば一時、トリニダードがウェルター級王者だった時、スーパーウェルター級のテリー ノリス(米)との対戦話も出ていました。この試合も見てみたかったです。

書きながら思ったんですがこのトリニダード、全階級を通じても思い入れ、または印象に残った選手のトップ陣の一角を担いそうな感じがします。
コメント (2)

フライ級(07‐06‐18)

2018年07月06日 00時20分24秒 | ボクシングネタ、その他雑談
2018年7月6日現在のフライ級王者たちです。

WBA:アルチュム ダラキアン(ウクライナ/防衛回数1)
WBC:クリストファー ロサレス(ニカラグア/0)
IBF:空位
WBO:木村 翔(青木/1)
OPBF(東洋太平洋):ジェイアー レキネル(比/1)
日本:黒田 雅之(川崎新田/3)

*本来なら、3人の世界王者が日本勢で占められている予定でした(というか個人的な希望)。しかし一翔は現役を退いてしまい、比嘉 大吾(白井・具志堅)は対戦相手と対戦する前に自分に負けてしまいました。希望というか、私が期待していたのは「比嘉が防衛+16連続KO勝利に成功し、減量苦のためにスーパーフライ級に転向。残念ながら一翔との王座統一戦は消滅。一翔は14連続防衛を目指すことに」という夢のような物語でした。木村には2人の分まで奮闘して貰いたいです。日本ボクシング界のフライ級にとってのいいニュースといえば、すでにミニマム級、ライトフライ級で世界を獲得している田中 恒成(畑中)が同級に進出。WBOではすでに木村の指名挑戦者の位置に就いています。

去った者の話はこれぐらいにして、現行の王者たちの予定を見ていきましょう。WBC王者ロサラスは来月、英国に乗り込んで初防衛戦。日本王者の黒田は今月23日に星野 晃規(MT)を迎え4度目の防衛戦を行います。

IBF王座の決定戦は、以前、試合枯れからIBF王座を放棄し、マイナー団体のIBOに鞍替えしていたモルティ ムタラネ(南ア)とモハマド ワシーム(パキスタン)の間で今月15日に、マレーシアで決行されます。

現在の日本人の壁となっているのがレキネル。こういうOPBF王者が常に存在しているのは、何だかうれしいです。

日本にとって伝統のクラスであるフライ級。木村という世界王者が存在しますが、その主導権は日本国外にあるようです。


5年半以上前になりますが、前回、2013年1月29日現在のフライ級王者の面々です。

WBA(スーパー):ブライアン ビロリア(ハワイ)
WBA(レギュラー):ファン カルロス レベコ(亜)
WBC:五十嵐 俊幸(帝拳)
IBF:モルティ ムザラネ(南ア)
WBO:ビロリア
OPBF(東洋太平洋):ロッキー フェンテス(比)
日本:粉川 拓也(宮田)


こちらはその前、2010年11月25日のフライ級王者たちになります。

WBA:亀田 大毅(亀田)
WBA(暫定):ルイス コンセプシオン(パナマ)
WBC:ポンサックレック ウォンジョンカム(タイ)
IBF:モルティ ムザラネ(南ア)
WBO:フリオ セサール ミランダ(メキシコ)
OPBF:ロッキー フェンテス(比)
日本:空位


2010年の1月20日のフライ級王者たちは次のようになります

WBA:デンカオセーン カオヴィッチット(タイ)
WBA(暫定):ルイス コンセプシオン(パナマ)
WBC:亀田 興毅(亀田)
WBC(暫定):ポンサックレック ウォンジョンカム(タイ)
IBF:モルティ ムザラネ(南ア)
WBO:オマール ナルバエス(亜)
OPBF:大久保 雅史(青木)
日本:清水 智信(金子)


最後は2008年7月27日、10年も前のフライ級王者たちです。

WBA:坂田 健史(協栄)
WBC:内藤 大助(宮田)
IBF:ノニト ドナイレ(比)
WBO:オマール ナルバエス(亜)
OPBF:大久保 雅史(青木)
日本:清水 智信(金子)

*10年前になりますが、現WBO王者木村の先輩が、OPBF王者として君臨していたんですね。この10年を振り返って見ると、日本の勢力が少しずつ弱まっているのが見てとれます。
コメント

意見番(07‐03‐18)

2018年07月03日 00時39分55秒 | ボクシングネタ、その他雑談
2018年7月3日ごろの意見番です。



*この選手は一体どこまで強くなるんでしょうか。
コメント

この階級、この選手(フリオ セサール バスケス:スーパーウェルター級②)

2018年07月02日 00時18分01秒 | ボクシングネタ、その他雑談
1990年代初頭からこれまでの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を各階級3人ずつ挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。

前回からスーパーウェルター級になりました。今回登場するのは、スーパーウェルター級第一弾として登場したテリー ノリス(米)と時代が重なった選手であるフリオ セサール バスケス(亜)になります。バスケスは1992年末にWBA同級王座を獲得し、1995年3月にその王座から陥落するまでにあっという間に10度の防衛に成功。王座を失ってから9ヵ月後にはその地位に復帰と、そのキャリアを振り返ってみると、とても忙しい選手でした。


(今回の主人公フリオ セサール バスケス)

1986年の6月にプロデビューを果たしたバスケス。そのデビュー戦からコツコツと試合を重ねていきました。主に母国であるアルゼンチンで試合を行っていたバスケスですが、隣国のウルグアイ、米国、スペイン、英国、フランスと徐々にその足場を海外に広げていきます。

30の白星をきれいに並べたバスケスですが、31戦目に、後にWBO、マイナー団体WBU(初代)、IBFスーパーウェルター級(2度)王座に就いたバーノ フィリップス(米)に6回反則負け。31戦目にして初の黒星を喫してしまいました。しかしたった一つの敗戦でくじけるような選手ではありません。フィリップス戦から僅か一ヵ月半後にKOで白星を飾ると連勝街道に復帰。9つの白星を加えます。

バスケスの世界初挑戦は1992年の年末。人気者ビニー パジェンサ(米)が交通事故で長期離脱、そして剥奪されていたWBAスーパーウェルター級王座を新日本木村ジムの上山 仁と争います。当時、日本同級王座の安定政権を築き、その後同王座の20連続防衛し王者のまま引退した上山ですが、世界のパワーの前にあえなく撃沈されてしまいました。僅か2分59秒で終わってしまったその試合。その試合から20年以上経ちますが、いまだにスーパーウェルター級の世界トップ戦線と日本の第一人者の実力差は、残念ながらバスケスと上山ほどの差があるのではないでしょうか。

   
(上山に圧勝し、世界王座を獲得したバスケス)

上山戦後もその勢いが止まらないバスケス。世界王座を獲得した翌年1993年はそれまで通りに頻繁にリングに登場。世界戦、無冠戦を交互に繰り返しながら6度の試合をアルゼンチン、スペイン、フランス、そしてモナコの地で行い当然のごとく全勝。1994年も忙しいリング活動を続けます。その年には当時プロボクシングの土壌がゼロだったカザフスタンのリングを皮切りに、米国、母国、英国、フランスとこの年も6試合を行うという大忙し。まさに「戦うチャンピオン」であることを証明しました。最近は世界王者になった途端、急激に試合数が減る選手が増えていますが、このバスケスの姿勢は大いに見習うべきでしょう。

10連続防衛に成功したバスケスですが、その10人の挑戦者の中で注目すべき選手は、後にWBC同級王座に就いてハビエル カステジョホ(スペイン:僅差の判定勝利)、そして4つの王座を順次獲得していったロナルド ライト(米)を5度倒した末に判定防衛に成功した事ではないでしょうか。その2つの試合ともバスケスからすれば何とか勝利を収めることが出来た厳しいものでした。しかしその2人の強豪に勝利したからでこそ、バスケスの地位は不動になったといっていいでしょうね。

バスケスが獲得した王座(獲得した順):
WBAスーパーウェルター級:1992年12月21日獲得(防衛回数10)
WBAスーパーウェルター級:1995年12月16日(0)

しかしそんな忙しいバスケスにも落日の時が訪れます。1995年3月に終止符が打たれバスケス政権。バスケスを止めたのが、ボクシング史上最大のテクニシャンであるパーネル ウィテカー(米)でした。バスケスは勝利を収める時は、上山戦で見せたように素晴らしい速攻劇を演じます。しかし序盤戦での攻撃が通じない場合、タラタラとフルラウンド費やしてしまうという、勝ちパターンが限定されていた選手でもありました。ウィテカーはこの南米の突貫小僧を右ジャブだけでコントロールしてしまいました。まあ、体格面では不利だったにせよ、ウィテカーからすれば戦いやすい選手だったでしょうね、このバスケスは。逆に言えば、バスケスはウィテカーの持ち味を十分に出させた選手でした。

その年の師走には、ウィテカーの返上した王座に就いていたカール ダニエルズ(米)に大逆転のKO勝利を収め世界王座に復帰したバスケス。しかし1996年の夏ににフランスのリングで2度目の王座を失ってしまいました。経済的理由から2009年まで戦い続けたバスケス。終身戦績は68勝(43KO)13敗(6KO負け)1引き分け。11の黒星と1つの引き分けは、2度目の世界王座から決別した後に喫したものでした。

多くの国々でその雄姿を披露したバスケス。決して好みのボクシング・スタイルの持ち主ではありませんでしたが、非常に印象に残る選手でした。また、外見も個性的なもので、厳ついというかゴツイ表情の選手でした。目元は違うのですが、その輪郭が日本を代表する俳優に似ていたように思います。そういえばその俳優が演じたある役柄も、色々な場所を渡り歩いていた渡世人でした。

   
(バスケスと日本のフリオ セサール バスケス?のそろい踏み)
コメント

ライトフライ級(06‐13‐18)

2018年06月13日 01時27分04秒 | ボクシングネタ、その他雑談
2018年6月13日現在のライトフライ級王者たちです。

WBA(スーパー):ヘッキー ブトラー(南ア/防衛回数0)
WBA(レギュラー):カルロス カニサレス(ベネズエラ/0)
WBC:拳四朗(BMB/3)
IBF:ブトラー(0)
WBO:アンヘル アコスタ(プエルトリコ/0)
OPBF(東洋太平洋):エドワルド ヘノ(比/1)
日本:久田 哲也(ハラダ/3)

*数週間前の件になりますが、田口 良一(ワタナベ)には勝ってほしかったですね。同級で長期政権を築いていた田口の陥落により、混沌としたイメージが漂い始めたライトフライ級。ケンシロウの最新の試合を見た後だと、どうしても彼を同級のNo1に見てしまいます。

王者たちの防衛回数だけを見ると、目新しい王者が揃っています。しかしブトラーは一時ミニマム級で安定王者として君臨。アコスタは2度目の挑戦で戴冠。良くも悪くも新鮮味を感じないクラスです。注目はケンシロウがどこまで防衛記録を伸ばしていくか。減量苦さえなければ、どんどん伸びていく気がします。


もう5年以上前になりますが、前回、2013年1月25日のライトフライ級王者たちです。

WBA(スーパー):ローマン ゴンザレス(ニカラグア)
WBA(レギュラー):井岡 一翔(井岡)
WBA(暫定):アルベルト ロッセル(ペルー)
WBC:アドリアン エルナンデス(メキシコ)
IBF:ジョン リエル カシメル(比)
WBO:ドニー ニエテス(比)
OPBF(東洋太平洋):小野 心(ワタナベ)
日本:空位
 

下記は前々回、2010年11月18日のライトフライ級王者たちです。

WBA+WBO(両団体共スーパー):ジョバンニ セグラ(メキシコ)
WBA(正規):ファン カルロス レベコ(亜)
WBA(暫定):ローマン ゴンザレス(ニカラグア)
WBC:ヒルベルト ケブ バース(メキシコ)
IBF:ルイス ラサルテ(亜)
WBO(正規):ラモン ガルシア(メキシコ)
WBO(暫定):ヘスス エレス(コロンビア)
OPBF:宮崎 亮(井岡)
日本:井岡 一翔(井岡)


こちらはその前、2009年11月5日のライトフライ級王者たちです。

WBA:ジョバンニ セグラ(メキシコ)
WBA(暫定):ファン カルロス レベコ(亜)
WBC:エドガル ソーサ(メキシコ)
IBF:ブライアン ビロリア(ハワイ)
WBO:イバン カルデロン(プエルトリコ)
OPBF:和田峯 幸生(筑豊)
OPBF(暫定):家住 勝彦(レイスポーツ)
日本:宮崎 亮(井岡)


最後は2008年8月18日のライトフライ級王者たちになります。

WBA:ブライム アスルム(仏)
WBA(暫定):セサール カンチラ(コロンビア)
WBC:エドガル ソーサ(メキシコ)
IBF:ウリセス ソリス(メキシコ)
WBO:イバン カルデロン(プエルトリコ)
OPBF:ソニー ボーイ ハロ(比)
日本:嘉陽 宗嗣(白井・具志堅)


*一翔が正式に引退を発表してから半年。しかし彼は遠い過去の存在に感じられます。まあ、一翔は同級の王座獲得後に、一つ上のフライ級でも王座を獲得し、防衛回数を重ねていました。ライトフライ級の一翔が遠い存在だったと思われるのは、当たり前といえば当たり前でしょうね。

2018年6月という状況で見てみると、ロマゴンは過去の存在。しかしニエテスは2階級上のスーパーフライで、小野は一階級したのミニマムで頑張っています。次にライトフライ級を述べるとき、一体何院の選手たちが現役で頑張っているんでしょうかね。
コメント

この階級、この選手(テリー ノリス:スーパーウェルター級①)

2018年06月06日 02時01分11秒 | ボクシングネタ、その他雑談
1990年代初頭からこれまでの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を各階級3人ずつ挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。

この「この階級、この選手」を始めるとき、「この選手については絶対に書こう!」と決めていた選手が何人かいますが、今回登場する選手はそんなボクサーの一人になります。

今回から新しい階級スーパーウェルター級になります。私(Corleone)にとってスーパーウェルター級といえば、この人、テリー ノリス(米)。1990年代に同級で3度、合計4つの世界王座を獲得し、一つの時代を築いた名選手でありました。

ノリスのニックネームは「Terrible/テリブル」、ここでは「恐怖」という意味になりますが、私がボクシングに興味を持ち始めた1990年代初頭のノリスは、まさしく恐怖の男でした。


(今回の主人公「テリブル」テリー ノリス)

1990年代初頭がどういった時代であったかというと、世界ヘビー級の頂点にはクルーザー級上がりのイベンダー ホリフィールド(米)が君臨。そのガッツあふれるファイトは好感を呼んでいましたが、「ヘビー級王者としては如何せん小さすぎる」というレッテルを貼られていました。ホリフィールドがヘビー級で本領を発揮したのは1990年代の半ばから後半にかけて。当時は老兵ジョージ フォアマン(米)やラリー ホームズ(米)に苦戦する頼りないヘビー級王者でした。

マイク タイソン(米)はというと、ヘビー級王座転落後順当に再起路線を歩み、ホリフィールドとの挑戦まで漕ぎつけました。しかし試合開催直前に自身のケガのために延期、そして婦女暴行疑いのために逮捕、刑務所送りとなってしまいました。結局ホリフィールドとタイソンの対戦が実現したのはタイソン復帰後。タイソンの全盛期が過ぎ去って数年後の事でした。

バルセロナ五輪で金メダルを獲得し、その後プロでスーパースターの座を築いたオスカー デラホーヤ(米)はまだまだアマチュア選手。その一時代前のスーパースター達、シュガー レイ レナード(米)、トーマス ハーンズ(米)等は引退寸前の時期。ではこの時代、だれがボクシング界の頂点に立っていたかというと、メキシコが生んだ生きた伝説フリオ セサール チャベス(メキシコ)になります。

チャベスは1980年代中盤から1990年代前半にかけ、スーパーフェザー級、ライト級、そしてスーパーライト級の王座を次々に獲得、そして吸収していきました。2018年現在、数名のボクサー達がプロデビューから50連勝を飾ったのがどうだのと騒がれていますが、チャベスのそれはその倍に近いものまで伸びていきました。一言でいえば怪物。その怪物の対抗馬筆頭に挙げられたのが、チャベスから見て2階級上のノリスでした。

当時は誌面で両選手の対戦が大きく上げられていました、「ノリスこそが無敵チャベスをストップできる選手だ」と。しかし冷静に考えてみると、両者が対戦するというのにはかなり無理がありましたね。理想的なスーパーウェルター級のノリスとライト級で全盛期を迎えたチャベス。実現が可能だったら対戦していたでしょう。しかし現実にはその試合実現への動きすらありませんでした。

さて、本題のノリスに話を向けます。ノリスがどんな選手だったかというと、とにかく動きが早くてパンチがシャープ。しかし打たれ脆いため、時々とんでもないポカ負けをする。勝っても負けても非常に印象に残る試合を見せる選手でしたね。

1986年の8月にプロデビューを果たしたノリス。米国・カリフォルニア州出身のノリスは、米国・西海岸を中心に順当に勝ち星を伸ばしていきます。デビュー2年後の夏には、当時出世争いをしていたデリック ケリー(米)に判定負け。その2戦後にはダウン中のジョー ウォーカー(米)にパンチを放ってしまい反則負け。この2敗はノリスにとっていい教訓になったでしょう。ただ、ダウンをしている相手にパンチを放ってしまう癖は、その後も彼について回ることになります。

世界王座獲得前のノリスが対戦した主だった選手には、後にWBCミドル級王座を獲得するクインシー テーラー(米)や、WBAスーパーミドル級王座を獲得するスティーブ リトル(米)が含まれており、ノリスは世界王者になる前からその実力を発揮していたことが分かります。それもその筈。ノリスのアマチュアでの戦績は291勝4敗という化け物のような結果を残してきたのですから。

ノリスが初めて世界戦のリングに立ったのは1989年7月30日。強打が売り物のWBAスーパーウェルター級王者ジュリアン ジャクソン(バージン諸島)に挑戦しました。初回はボクシング史に残る強打者をスピードで圧倒したノリス。しかし続く2回、ジャクソンの右に捕まってしまいました。ダウンを喫したノリスはカウント内に立ち上がるも、主審は試合続行を許さず。ノリスの世界初挑戦は僅か4分33秒で失敗してしまいました。その後元WBCウェルター級王者ホルヘ バカ(メキシコ)との敵地でのサバイバル戦に勝ち抜いたノリス。ジャクソン戦後3連勝(1KO)し再び世界戦のリングに立つチャンスに恵まれます。

ノリスの2度目の世界挑戦が実現したのは1990年3月31日。相手は1986年に当時無敵の世界統一ミドル級王者マービン ハグラー(米)に挑戦し、大善戦したジョン ムガビ(ウガンダ)。将来のスーパースター候補生が歴戦の勇に挑戦するという、ファンからすれば涎ものの試合が実現しました。そのファン待望の試合結果はどうだったかというと、ノリスが2分47秒の間に、そのシャープなパンチで古豪をバッタバッタと倒しまくりKO勝利。圧倒的なボクシングを見せ、世界のベルトを腰に巻くことに成功しました。

「恐怖の男」が、本当の世界の頂点の選手として認知されるのは、何といっても翌年1991年と1992年の大活躍の結果でしょう。その数年のノリスの活躍を4半世紀後に振り返って見ても、まったくもって素晴らしいの一言。まず1991年2月に、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンであの伝説のシュガー レイ レナード(米)を、スピードで圧勝し保持する王座の2度目の防衛に成功。6月にはカリフォルニア州で、ウェルター級で一時代を築いたドナルド カリー(米)に何もさせずに中盤TKO勝利。その年の師走には、パリのリングで後のWBAミドル級王者ホルヘ カストロ(亜)に大差判定勝利。1992年2月には後のWBAスーパーウェルター級王者カール ダニエルズ(米)を9回で切り捨て、5月には3階級制覇を狙っていたスピードスター、メルドリック テーラー(米)をスビードとシャープさで上回り序盤でTKO勝利。この時期のノリスの活躍を振り返って見ると、なぜ彼が当時のパウンド フォー パウンドの上位ランカーの常連であったか納得出来ます。


(レナード対ノリス戦のポスター)

  
(英雄ノリス、新鋭ノリスに歯が立たず)

   
(カリー、カストロにも圧勝したノリス)

その無敵ノリスにも、敗れる日が訪れてしまいました。1993年師走に行われた元IBF/WBCウェルター級王者サイモン ブラウン(米)を迎えての11度目の防衛戦。ブラウン戦から見て過去数戦、自分のパンチの威力に自信を持ち過ぎていたノリスは、自身の打たれ脆さという弱点を軽視していた場面が見られるようになりました。その弱点を見事につかれたノリス。ブラウンの強打の前に沈み、4年近く守っていたベルトと決別することになりました。

しかし翌年5月に行われた両者の再戦では、ノリスが本来のスピーディーかつ安定したアウトボクシングを披露し、大差判定勝利。僅か5ヵ月で世界の頂点に返り咲きます。しかしそれから約1年半、ノリスはとんでもない疫病神にまとわりつかれることになってしまいました。その疫病神の名前はルイス サンタナ(ドミニカ)。一階級下のウェルター級の地域王座を取ったり取られたりしていた、安全パイ的な選手でした。

1994年11月、1995年4月、そして同年8月と3試合続けて対戦したノリスとサンタナ。今となれば笑い話ですが、ノリスからすればとんでもない失敗の連続でした。初戦では後頭部へのパンチでサンタナをKOしてしまったノリス。もちろんノリスの失格負け、王座転落です。再戦では3回終了時のゴング後のパンチでドミニカ人をKOしてしまったノリス。ここでも当然の如くノリスの失格負け。サンタナに初防衛を献上してしまいました。第3戦ではようやく冷静なボクシングを展開でき、2回TKOで無事勝利を収めることが出来たノリス。この第3戦目の試合内容こそ、2人の実力を表すものでした。ノリスにとってまさに道草以外の何物でもありませんでした。


ノリスが獲得した王座(獲得した順):
NABFスーパーウェルター級:1988年12月9日獲得(防衛回数2)
WBCスーパーウェルター級:1990年3月31日(10)
WBCスーパーウェルター級(2度目):1994年5月7日(0)
WBCスーパーウェルター級(3度目):1995年8月19日(6)
IBFスーパーウェルター級:1995年12月16日(4)
(*2団体王座の統一)


サンタナ戦後、ようやく再起動に乗ったノリスのキャリア。WBC王座の防衛回数を伸ばしていくと同時に、IBF王座を吸収することに成功。1997年師走に、伏兵キース ムリングス(米)にまさかのTKO負けを喫し世界王座と決別。その後、WBA王座に挑戦し世界王座3度目の返り咲きを目指しましたが失敗。その試合を最後に現役からの引退を発表しています。終身戦績は47勝(31KO)9敗(4KO負け)。全56試合の内、メキシコで4試合、フランスで3つの試合を行っています。ノリスのキャリアを振り返って見ると、ノリスとの対戦以前に世界王者だった選手や、ノリスと対戦した後に世界王者になった選手が大勢いますね。常に実力者と拳を交えていたノリス。偉大な選手としての証です。


(キャリア後半にIBF王座も吸収したノリス)

引退後は2005年に当然の如く国際ボクシングの名誉の殿堂入り。現在は奥さんとともに、カリフォルニア州のハリウッドでスポーツジムを運営しているそうです。そのジムですが、中々評判が良いみたいです。


(かつて拳を交えたレナードと)

ノリスには2歳年上のオーリンというお兄さんがいますが、オーリンはWBAクルーザー級を獲得。同時にヘビー級の第一線で戦っていた中々の実力者でもありました(あのマイク タイソンとも対戦)。


(ノリス兄弟。兄のオーリンはズングリした体格の技巧派ボクサーでした)
コメント