DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

あの試合から30年(WBAフェザー級:1994年3月19日・その1)

2024年03月19日 05時18分49秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前となる1994年3月19日、神戸ワールド記念ホールで行われた試合結果です。
WBAフェザー級戦:
王者エロイ ロハス(ベネズエラ/帝拳)TKO5回48秒 挑戦者浅川 誠二(神戸)

*1990年代前半の日本フェザー級の牽引車だった浅川の、2度目の世界挑戦が地元神戸で実現しました。浅川が挑戦するロハスは、この試合が行われる3ヶ月前に韓国で王座奪取に成功。浅川との一戦はその王座の初防衛戦となります。

(浅川の地元神戸で実現した世界フェザー級戦)/ Photo: Youtube

ロハスと浅川はそれぞれ一度、韓国の地で苦杯を舐めています。ロハスは1991年9月に、浅川は1992年1月に、当時のタイトル保持者だった朴 永均(韓国)のラッシュの前に敗北。ロハスはその朴にリベンジを果たし現在の地位を獲得。浅川の地元で日本が誇る強打者と対峙する運びとなりました。

基本に忠実な浅川が、「カエル跳び」からいきなり右を振るうというかく乱戦法で幕を開けたこの一戦。そんな変則的な攻撃に対し、ロハスは冷静に対処していきます。浅川のトリッキーなボクシングに、シャープなワン・ツーで対抗。順当にポイントを奪っていきます。挑戦者らしく、常に積極的に攻撃を仕掛けていった浅川ですが、両者の間にはどうしても埋めがたい実力の差があったようです。

5回開始早々、ロハスのきれいなワン・ツーからの右でダウンを喫した浅川。KOパンチャーと知られるロハスは、今度は右、左、右のコンビネーションで再度浅川からダウンを奪います。カウント中にレフィリーは浅川のダメージを考慮し、試合継続を許さずそこでゲームセット。ロハスが王者の貫禄を存分に見せると同時に、満員御礼の会場からはため息の声が聞かれました。

世界では軽量級に区分されるフェザー級。この試合が行われてから30年の間に、日本からは数名の世界王者が誕生しました。しかし、当時の世界フェザー級というのは、日本からみる重く遠い階級でした。

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あの試合から30年(WBAジュニアウェルター級:1994年3月18日)

2024年03月18日 05時07分09秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前となる1993年3月18日、米国ネバダ州ラスベガスで行われた試合結果です。
WBAジュニアウェルター級戦(現スーパーライト級):
王者ファン マルティン コッジ(亜)TKO3回2分1秒 挑戦者エデル ゴンザレス(コロンビア)

*この試合の前年となる1993年12月17日に、コッジの地元アルゼンチンで拳を交えている両雄。その時は、主審の度重なる贔屓を超えたレフリングでコッジが辛くも王座の防衛に成功。その行動と試合内容に激怒したWBA会長は、両者による第3国での即リマッチを行うことを指令しました。

(今回はハッキリとした勝利を収めたコッジ)/ Photo: Instagram

初戦でのレフィリーの行為はさて置き、大激戦を演じたコッジとゴンザレス。その試合から僅か3ヶ月、両者は試合開始のゴングと同時に激しい打ち合いを再開しました。

第一戦であれほど痛い目にあったコッジですが、驚くほどに積極的に仕掛けてでます。それが裏目に出てしまった初回半ば、ゴンザレスの右ショートを貰いダウンを喫してしまいます。精神的にやたらと図太いコッジはそれでも攻撃の姿勢を止めません。2回に再びピンチに陥り、3回には左目上をカット。しかしそこから左の強打でダウンを奪い返すことに成功。その後連打で挑戦者を痛めつけ、はっきりとした形で再戦にケリをつけてしまいました。

打たれ脆さと勝負強さを兼ね備えたコッジ。その癖の強いボクシングで2度目の王座の6度目の防衛に成功。あのフリオ セサール チャベス(メキシコ)が初黒星を喫してから1ヶ月半。南米に、そしてジュニアウェルター(スーパーライト)に「コッジあり」の印象を強く残しています。

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あの試合から30年(WBOジュニアライト級ほか:1994年3月5日)

2024年03月05日 05時16分25秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の今日にあたる1994年3月5日、米国で行われた試合結果です。
WBOジュニアライト級戦(現スーパーフェザー級):
挑戦者オスカー デラホーヤ(米)TKO10回終了 王者ジンミ ブレダル(デンマーク)

(バルセロナ五輪「アメリカ唯一の金メダリスト」が世界初挑戦)/ Photo: ebay

*まだまだ、1992年に行われたバルセロナ五輪「アメリカ唯一の金メダリスト」という名前がかなり先行している感のあった当時のデラホーヤ。世界初挑戦は、主戦場としていたライト級から一階級下げ、1990年代最大のマイナー団体だったWBO王座にターゲットを定めました。

プロ12戦目で世界の檜舞台に立ったデラホーヤ。彼の本拠地であるロサンゼルスのリニューアルオープンされたばかりのオリンピック・オーデトリアムは当然の如く満員御礼。地元のヒーローの世界初戴冠に期待を寄せられていました。

デラホーヤが挑戦したブレダルは、16戦全勝という数字だけ見ると大変素晴らしい戦績の持ち主。しかし如何せん、1994年のWBO王者といえばあくまでマイナー団体のタイトルホルダー。現在で言うならばIBOやWBF、もしくはOPBF(東洋太平洋)やWBOアジア太平洋といった地域タイトルと同レベルの選手です。アマチュアで223勝5敗というとんでもない記録を残したデラホーヤからすると、格下選手と言っていいでしょう。

敵地の大歓声に飲み込まれないようとするブレダルが、積極的に打ち合いに臨んだ第一ラウンド。しかしデラホーヤは、早々とサウスポー(左構え)のデンマーク人に見事な右を当て先制のダウンを奪ってしまいます。続く2回も連打からダウンを追加したデラホーヤ。その後、ブレダルも王者の意地を見せ必死の抵抗を見せるも両者の実力の差を埋めるには至らず。10回に3度目のダウンを喫したブレダルは、その回終了後にギブアップを申し出ています。

プロ12戦目で、順当にプロ初の世界王座を獲得したデラホーヤ。まだまだ線の細い部分もありましたが、キャリア前半のパフォーマンスとしては合格点を与えていいパフォーマンスを披露しました。

 

IBFスーパーミドル級戦:
王者ジェームス トニー(米)TKO4回1分3秒 挑戦者ティム リトルズ(米)

*当時、全階級を通じて最も優れたボクサーの一人として上がられていたトニー。実力は誰しもが認めていた選手でしたが、どちらかというと玄人好みな渋めな選手。そんなトニーを差し置いてメインイベンターを務めたデラホーヤは大したものです。

(当時の最強戦士の一人をセミに追いやったデラホーヤ)/ Photo: youtube

さて、いぶし銀のトニーが自身2階級目の王座の2度目の防衛戦に迎えたのは、24戦全勝という素晴らしい戦績の持ち主リトル。リトルズの戦績は数字だけでなく、内容も濃いもの。後のWBAスーパーミドル級王者フランク ライルズ(米)等の実力者たちに勝利を収めながらUSBAタイトルを4度も守ってきた筋金入りの実力者です。そんなリトルを相手に、トニーは会心のパフォーマンスを見せてくれました。

3回、偶然のバッティングで眉のど真ん中を切ってしまったトニー。リングドクターからは、試合ストップの勧告する受けてしまう大きな傷です。しかしトニーにとりそんな傷は何のその。それまで黒星はおろか、ダウンすらも喫したことのないリトルズをあっという間に倒し切り勝利。その巧さに加え、強さも改めて知らしめることに成功。

(強豪リトルズをあっという間に沈めたトニー)/ Photo: youtube

当時同級には、英国にナイジェル ベンやクリス ユーバンクと言った実力者が君臨していました。しかしトニーと比べると、両者とも大きく見劣った感が否めませんでした。ファンが望んでいたのは、一階級下のロイ ジョーンズ(米)との対決。トニーは一戦ごとに、そのドリームマッチに向け前進する事になります。

(まだまだ精悍だった当時のトニー)/ Photo: Quara

トニーの凄いところは、というか私(Corleone)の気に入っているところになりますが、世界王者としてもトップレベルの地位を既に築いているのも関わらず、頻繁に無冠戦(ノンタイトル戦)を行っていたということです。トニーはこの試合が行われた前年となる1993年2月に、アイラン バークレー(米)を破り世界王座に2階級制覇に成功しました。今回のリトル戦が2度目の防衛戦でしたが、バークレー戦からこのリトル戦の一年と半月の間に、トニーは何と6度ものノンタイトル戦に出場したということです。当時と今とでは、ボクシングの興行形態が違うかもしれませんが、現在のボクサーも見習うべきではないでしょうか。

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あの試合から30年(WBCミドル級:1994年3月4日)

2024年03月04日 05時04分27秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の今日にあたる1994年3月4日、米国ネバダ州ラスベガスで行われた試合結果です。
WBCミドル級戦:
王者ジェラルド マクラレン(米)TKO初回1分37秒 挑戦者ギルバート バプティスト(米)

*前年1993年5月に、同時代のKOパンチャーだったジュリアン ジャクソン(バージン諸島)との激しい打撃戦を制し、WBCミドル級王座を獲得したマクラレン。8月に行った初防衛戦では、左ボディー一発で挑戦者をKO。その試合で要した時間は驚くことに、僅か20秒!

(当代きってのKOパンチャーだったマクラレン。写真はWBO王者時代のモノ)/ Photo: topclassboxing

1990年代の新たなKOキングの2度目の防衛戦の相手を務めたバプティストは、28勝(12KO)16敗と、世界戦に出場するには疑問符が付く戦績の持ち主。そのレコードを紐解いてみても、IBFの全米タイトルであるUSBAや、WBCの北米機関であるNABF戦に出場するもタイトル奪取に失敗するという、明らかな格下選手。試合前の注目は、やはりマクラレンの強打がいつ炸裂するかに当てられていました。

まず目を見張ったのが両者の対格差。バプティストは一階級下のスーパーウェルター級で長く戦っていた選手だけに、身長172センチでリーチは178センチとミドル級では小柄な選手。対するマクラレンは、183センチの長身選手で、リーチは何と196センチ。一階級上のスーパーミドル級はおろか、その上のライトヘビー級の骨格の持ち主です。

対格差に加え、両者のスピードの差は一目瞭然。しかもバプティストは試合開始のゴング前からマクラレンに飲まれており、早い話が勝負になりませんでした。

マクラレンの強打の暴風雨の前にあっという間に3度キャンバスに送られた挑戦者。王者は初防衛戦の5倍近くの時間を費やしてしまいましたが(!)、難なく王座の防衛に成功。改めてその強打者ぶりを見せつけています。

(今回、マクラレンに一蹴されたバプティスト)/ Photo: BoeRec

今でもKO率の高い選手は多く存在しますが、マクラレンのような豪快な選手はそうはいません。

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あの試合から30年(WBAジュニアフェザー級:1994年3月2日)

2024年03月01日 05時09分03秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の明日にあたる1994年3月2日、東京体育館で行われた試合結果です。
WBAジュニアフェザー級戦(現スーパーバンタム級):
王者ウィルフレド バスケス(プエルトリコ)KO初回2分5秒 挑戦者葛西 裕一(帝拳)

*大場 政夫、浜田 剛史に続く名門帝拳ジムの3人目の世界王者候補生として、多大な期待が寄せられていた葛西。テレビが地上波で放送されるのが当たり前だった当時、この試合はWOWOWで生中継されました。

(世界奪取が大いに期待されていた葛西)/ Photo: Number Web

その期待を背に、世界王座奪取に向け、元気よくコーナーを飛び出しシャープなパンチでバスケスに襲い掛かった葛西。しかし開始10秒もしない間に、王者の右クロスを被弾してしまいます。バスケスの右のカウンターパンチにばかりに気を取られていた挑戦者に、バスケスの左フックがヒット。それに続く右クロスを再び貰ってしまった葛西は、早々とダウンを喫してしまいます。

試合再開後、右のダブルを貰ってしまい、再びキャンバスに送られた葛西。歴戦の雄バスケスは、ここぞとばかりに走るようにして葛西に襲い掛かります。会場に悲鳴が響く中、挑戦者は必死に生き延びようとしますが、この回の残された時間はあまりにも長すぎました。

(あまりにも厳しい現実に直面してしまった葛西)/ Photo: youtube

試合開始から2分が過ぎたところ、なんとか3度目のダウンから免れようとした挑戦者でしたが万事休す。バスケスの強打と好打の前に何度もぐらついた末、最後はバランスを崩すようのして3つ目のダウンを宣告されてしまいました。スリーノックダウン制が適用されていたこの試合は、そこでストップ。バスケスが最強挑戦者とも言われていた葛西を一蹴し、防衛記録を更新。葛西は春本番を前に、花を咲かせることなく散ってしまいました。

1988年1月に初来日したバスケスは、大阪のリングで六車 卓也(大阪帝拳)の異常なまでのタフネスに大苦戦。引き分けで辛くも当時保持していたWBAバンタム級王座の初防衛に成功しました。この試合の前年11月に再来日し、後楽園ホールのリングに登場したバスケスは、横田 広明(大川)の変則的なボクシングに戸惑いながらも判定勝利。日本でのバスケスの評価は決して高いものではありませんでした。

(3度目の来日で、圧倒的な強さを見せつけたバスケス)/ Photo: Ring Magazine

「バスケスが強く、葛西が弱かった」。そう言ってしまえば簡単ですが、両者の実力の差はそうあったわけではありません。「バスケスの経験勝ち」というのも間違った表現ではありませんが、それ以上に両者の相性が勝敗を決したような気がします。葛西からすれば、バスケスは決して嫌なタイプではありませんでした。しかしそれ以上に、バスケスにとり葛西は非常にやり易い相手だったのではないでしょうか。

一時は「過去の選手」と思われていたバスケスですが、葛西戦から遡ること2年。敵地メキシコでかつて苦杯を喫しているラウル ペレス(メキシコ)の快勝し2階級制覇を達成。その後欧州のリングで、ティエル ヤコブ(仏)やルイス メンドサ(コロンビア)等実力者を相手に、確実に防衛記録を伸ばしていたバスケス。「不死鳥の如く」というのは、まさに当時のバスケスのためにあったような言葉でした。

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あの試合から30年(世界スーパーミドル級x2:1994年2月26日)

2024年02月26日 05時53分08秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の1994年2月26日、英国で行われた試合結果です。
WBAスーパーミドル級戦:
挑戦者スティーブ リトル(米)判定2対1(115-112、116-114、113-115)王者マイケル ナン(米)

*かつてのスーパースター候補生だったナンは、42勝(27KO)1敗という素晴らしい戦績の持ち主。1991年5月にIBFミドル級王座から転落するも、翌1992年9月にWBAスーパーミドル級王座を獲得。2階級制覇を達成し、その王座を4度の防衛に成功してきました。時折不安定で、ファンの欠伸を誘うようなボクシングを展開しますが、安定王者の一人であることは間違いありません。

(この試合が行われる数年前はスーパースター候補の一人であったナン)/ Ring Magazine

長身ナン(185センチとも188センチとも言われています)より10センチほど低いリトルは、アマチュアで228勝37敗という確かな実績を残したもののプロでは散々。21勝(5KO)13敗2引き分けと、世界戦に出場する選手としては疑問符の付くものでした。時々黒星は多くとも、実力は備わっている選手がいます。しかしリトルの実力は、その戦績ほどではなくとも、世界下位ランカーが妥当のものでした。

試合前、「とんでもないミスマッチだ!」と非難された一戦でした。しかし試合開始早々、小柄な挑戦者が左フックを中心とした連打でダウンを奪うという波乱のスタートで幕開けてしまいました。その後、ナンは大崩れすることなく得意のアウトボクシングで挑戦者の翻弄に取り掛かります。王者の動き自体は悪くはなかったのですが、リトルを甘く見ていたのか、その軽いジャブで挑戦者をアウトボクシングで捌き切ることは出来ませんでした。

会場からは定期的にブーイングが聞こえたこの一番。どちらの手が挙がってもおかしくない判定の末、リトルが僅差の判定勝利。引退すら考えていた車のセールスマンが、16ヵ月ぶりの実戦でシンデレラボーイの座を射止めまています。

(英国の地で番狂わせの主人公となったリトル)/Pinterest

 

WBCスーパーミドル級戦:
王者ナイジェル ベン(英)判定3対0(117-112、116-114、115-113)挑戦者ヘンリー ワートン(英)

*この年の前年1993年10月に、同国人でWBO王者クリス ユーバンクと激闘を演じているベン。ユーバンクとの一戦は、引き分けという痛み分けだったため王座統一はなりませんでした。しかし試合後、ベンの勝利を支持する声が多く聞かれ、ベンの評価はそれまで以上に高まることに。

今回ベンが迎えたワートンは、英国と英連邦王座を保持していた人気者ワートン。そのタフネスは折り紙付き。試合前から前年秋に行われた「ベン対ユーバンクII」のようなエキサイティングな試合になることが期待、そして予想されていました。

(この日のメインは英国人同士によるWBCスーパーミドル級戦でした)/ KO Fight Posters

先手を取ったのは、経験とスピードで勝るベン。「序盤でKO/TKO勝利を収めるのでは?」と思わせるような好スタートを切ります。

(挑戦者を激しく攻める王者)/ Boxing Treasures

しかし世界王者候補の呼び声が高かった挑戦者も黙っていません。体力とタフネスで王者を凌ぐワートンは、徐々に徐々にとエンジンを高めていきます。中盤戦以降王者をロープを背負わせる場面を多く作りました。しかしそこは歴戦の雄ベン。挑戦者の分厚い攻撃にタジタジとなりますが、大崩れすることなく試合終了。大歓声の中、無事勝者のコールを受けています。

(ワートンも負けじと反撃)/ X.com

ボクシングを知り始めて間もなかった自分(Corleone)にとり、日本人選手が存在しなかったスーパーミドル級は遠い存在でした。しかも当時はスーパーミドル級と言えば、ミドル級とライトヘビー級の伝統のある2つのクラスに挟まれたマイナー的な階級。しかしこうして振り返ってみると、現在の大英帝国の繁栄は、30年前のスーパーミドル級から始まったといっても大げさではないでしょう。

この2つのスーパーミドル級戦は、将来的にナンとベンによる王座統一戦を見据えて行われたものでした。しかしナンがポカをやらかしてしまったため、結局その大一番は実現せずに終わってしまいました。

当時のスーパーミドル級世界王者の面々はというと、

WBA:スティーブ リトル(米/防衛回数0)
WBC:ナイジェル ベン(英/5)
IBF:ジェームス トニー(米/2)
WBO:クリス ユーバンク(英/9)

そしてこれらの王座を虎視眈々と狙っていたのが、一階級下のIBFミドル王者ロイ ジョーンズ(米)でした。ナン、ワートンを含め、何らかの米英対決が行われてほしかったのですが、どの対戦カードも日の目を見ることはありませんでした。特にトニーやジョーンズあたりとベンの一戦が行われていれば、さぞかし熱戦となったことでしょうね。

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意見番(02‐23‐24)

2024年02月23日 05時35分27秒 | ボクシングネタ、その他雑談

*現地時間の明日(24日)に次号の表紙が決まることになるでしょう。

Photo: Amazon.co.jp

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意見番(02‐21‐24)

2024年02月21日 05時46分37秒 | ボクシングネタ、その他雑談

*毎年楽しみにしている一冊が先週末に発売されました、早速購入しました。2018年以降表紙のデザインと中身の構成が全く同じになっており、最後のページに載せられていたラウンド・ガールたちの姿を今年も見ることは出来ませんでした。

(2024年版の世界ボクシング・パーフェクトガイドの表紙)/ Photo: Amazon.co.jp

2007年に第一号が発売されて以来毎年購入しています。今年のものを合わせると18冊になりますが、やはりその数になると、結構な重さになります。そのため、本棚が少々曲がり始めました。

中身はどうかというと、安定した内容と取るか、マンネリ化した情報誌と取るかは人それぞれ。それでもあと2年で20の大台に到達します。今後も出来る限り続けてほしい年一の特別号です。

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あの試合から30年(IBF/WBCジュニアフライ級:1994年2月19日)

2024年02月19日 05時40分15秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の今日にあたる1994年2月19日、米国カリフォルニア州で行われた試合結果です。
IBF/WBCジュニアフライ級戦(現ライトフライ級):
挑戦者ウンベルト ゴンザレス(メキシコ)判定2対1(117-113、115-113、114-115)王者マイケル カルバハル(米)

*この試合から遡ること11ヶ月。軽量級史上最高の激戦を演じた両雄が再び拳を交える事になりました。

(11ヵ月ぶりに再び拳を交えたカルバハル(左)とゴンザレス)/ Photo: KO Fight Posters

前回の試合では、カルバハルが2度ダウンを奪われ、ポイントでも大きくリードを許していました。しかし7回、「小さな石の拳」の異名を背負ったカルバハルは、その強打で大逆転劇を演じる事に成功。IBF王座の防衛回数を伸ばすと同時に、ゴンザレスが保持していたWBC王座も吸収。この時代の最強選手の一人である事を証明すると同時に、本場アメリカで軽量級のステータスをグッと上げる立役者という称号も手に入れています。

カルバハルはゴンザレス戦後行った2つの防衛戦も、順当にKO/TKOで勝利。一試合ごとにその名声を高めていました。カルバハルが防衛回数を伸ばす中、ゴンザレスも中堅選手相手に2連勝を飾り無事に再起路線を歩んでいます。ただ両試合とも大差判定勝利を収めたとはいえ、カルバハルと比べてしまうとどうしても「過去の選手」という地位に甘んじる事になりました。

11ヶ月前に行われた第一戦があまりにも激しかったため、その反動からかカルバハル、ゴンサレス共に慎重な立ち上がりを見せたこの再戦。スイッチヒッターのゴンザレスが、右構えのボクシングでアウトボクシングで丁寧に試合を組み立てていきます。

中々盛り上がらないこの試合。うっすらとではありますが、会場からは常にブーイングが聞こえるようになりました。そんな中3回、両者の頭部が激突するアクシデントが発生し、メキシカンが左眉のど真ん中を負傷してしまいます。4回にはドクターチェックが入るなど、挑戦者サイドには不穏な空気が流れ始めます。並の選手なら「いつ、レフィリーに試合を止められるのか?」と不安がるもの。しかし百戦錬磨のメキシカンは、精神的動揺など微塵も見せず、逆に自身の柔軟さ、幅の広いボクシングを展開していきます。

打っては離れ、打っては離れと、追い足の鈍いカルバハルを相手に見事なヒット・アンド・ラン戦法を披露。身長、リーチ共にライバルに劣る中、絶妙な距離感とポジショニングでカルバハルを翻弄していきます。ポンポンと回転の良い左右の連打でポイントを奪っていくゴンザレス。打ち合いに迫られる時もカルバハルを圧倒していきます。

第一戦のような激しい打ち合いは見られませんでしたが、ゴンザレスがその技術を如何なく発揮。判定は2対1と割れましたが、ゴンザレスのほぼワンサイドマッチだったといっていいでしょう。

約1年ぶりにWBC王座の奪回に成功すると同時に、新たにIBF王座も手に入れたゴンザレス。強さに加え、巧さも大いに見せつける結果となりました。

「チキータ(Chiquita)」という愛称で知られるゴンザレス。いつも不思議に思うのですが、チキータというのは小さな女の子/お嬢さんという意味です。小さな/小柄な男の子は「チキート(Chiquito)」の筈なのですが。

また米国には「Chiquita」という大手のフルーツ(特にバナナ)を扱う巨大な会社があります。この会社とゴンザレスは何ら関係はないようです。

(全米では超が付くほど有名な「チキータ」バナナ)/ Photo: chiquita.com

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あの試合から30年(WBAフライ級:1994年2月13日)

2024年02月13日 05時34分45秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の今日にあたる1994年2月13日、タイで行われた試合結果です。
WBAフライ級戦:
挑戦者セーン ソー プルンチット(タイ)判定3対0(120-111、117-112、115-114)王者デビット グリマン(ベネズエラ)

*日本の帝拳ジムとマネージメント契約を結んでいたグリマンは、それまでに4度日本のリングに登場。1990年に3度後楽園ホールの土を踏み、その実力を日本のファンにも披露しています。

グリマンは1992年師走に同国人アキレス グスマンを破り、念願の世界王座を獲得。翌1993年6月に大阪府立体育会館(現エディオンアリーナ大阪)のリングに登場し、井岡 弘樹(グリーンツダ)の挑戦を8回で退けています。19勝(12KO)1敗の好戦績の持ち主ですが、数字ほどのパンチ力は無く、その軽打からの連打で相手を仕留める、170センチの長身選手です。

対するセーンも168センチとフライ級では挑戦の選手。ちなみに現WBAフライ級王者ユーリ 阿久井 誠悟(倉敷守安)は、163センチです。セーンは16戦全勝というこちらも好戦績の持ち主ですが、KO/TKO勝利は僅かに5つ。グリマン以上の貧打というイメージがあります。

(南米の雄グリマンに挑むセーン)/ Photo: asian boxing

1991年7月にもタイのリングに登場しているグリマン。その時は当時WBAジュニアバンタム級(現スーパーフライ級)王座に君臨していたカオサイ ギャラクシー(タイ)に挑戦しますが、タイの英雄の壁はあまりにも厚く、5回で撃沈されてしまいました。

カオサイ戦後、階級を一つ落とし2度目の世界挑戦で世界のベルトを腰に巻くことに成功したグリマン。井岡戦を含め既に2度の防衛に成功しており、安定政権を築きつつありました。そんな世界的には無名に近いセーンの挑戦を受けるため、再びタイのリングに立つことになりました。

(2度目のタイのリングに登場となったグリマン)/ Photo: Alchetron.com

タイの屋外リングで行われたこの試合。体格もボクシングスタイルも似通った両者は、リング中央で軽打の打ち合いを演じていきます。グリマン、セーン共に、相手を一発で仕留めるパンチは無く、また両者共に防御が優れているため、どちらともいえないラウンドが続いていきます。

結局、両者揃って明白なリードを奪うことなくフルラウンドが終了。競った採点が出ると思いきや、一人のジャッジは9ポイント差で新王者誕生を支持。これには少々驚かされました。

試合地によっては判定が逆になっていたほどの試合。しかし王座交代劇が起こったという事実は替えようがありません。グリマンにとり、タイというのは鬼門のようです。

当時、活況を呈した常夏タイのボクシング。一時は同時に5人もの世界王者を有していました。それらのほとんどが、現在も活躍している名トレーナー、イスマエル サラス氏(キューバ)の指導を受けていました。

(セーンのコーナーには、若き日のイスマエル サラス氏の姿も)/ Photo: Youtube

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