学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

渡辺京二『逝きし世の面影』の若干の問題点(その9)

2019-12-10 | 渡辺京二『逝きし世の面影』と宣教師ニコライ

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年12月10日(火)11時32分14秒

先人の誤訳をチマチマと指摘するのはあまり良い趣味ではないかもしれませんが、渡辺が「彼女は村を見おろしている岩の頂上は天狗が作ったのだと教えてくれ、天狗の風穴のところまで彼女たちを案内してくれた」と書いているのも変ですね。
原文を見ると(p467)、

-------
She it was, too, who sent us to look for the mysterious draught of cold air that crossed the road near the base of the great rock, colder on hot days than on cool ones, and at all times astonishing,?the "Tengu's Wind Hole."

http://www.gutenberg.org/files/32449/32449-h/32449-h.htm

とあり、倒置になっているので若干分かりにくい文章ですが、直訳すれば「(天狗が作った)巨岩の基礎の付近で道を超えて行く不可思議な冷たい空気の流れを探しに行くように我々を送り出したのは彼女であった」ということですね。
矢口・砂田訳も意訳になっていますが、要するに老女は場所を教えてくれただけで、「天狗の風穴のところまで彼女たちを案内してくれた」訳ではありません。
さて、第9章には「昔ながらの信仰は、都市よりも地方で根強く残っている」(p191)、「人里離れた山あいに住む農民は、大自然の偉大さと気まぐれさをよく知っており、素朴なかたちで自然を崇拝している」(p192)といった見解が述べられており、一般論としてはこれらが正しいとしても、「このような田舎では鬼や天狗の存在も信じられている」(p193)となると、文明開化の世になって数十年という1900年頃の話としては、さすがにちょっと、という感じがします。
まして、那須塩原温泉のように江戸時代から相当栄えていた温泉の近くで土産物屋や茶店を経営していた人が鬼や天狗の存在を信じていたかというと、まあ、そんなことは考えにくいですね。
このエピソードは、普段から温泉客相手に地元の面白い話を、適当に創作を交えつつ語っていた老女が、珍しい外国人客相手に一層熱弁を振るった、という程度のことのような感じがします。
天狗や鬼の話に真面目に耳を傾けてくれる外国人を見て、老女の方も"Poor American young lady" と思ったかもしれません。
ということで、渡辺の「結局、日本庶民の信仰の深部にもっとも接近したのは、アリス・ベーコンであったようだ」(p452)という感想は渡辺の誤読の反映だと思いますが、渡辺がこのような誤読をした理由は単なる語学力不足だけではなさそうです。
おそらく渡辺には「日本庶民の信仰の深部にもっとも接近した」外国人を探そうとする目的が最初にあって、そういう目で資料を探し求めたため、他愛のない資料に特別な深い意味を「発見」したのではなかろうかと思われます。
こういうことは歴史研究にはよくある話で、例えば網野善彦の「無縁」論、「公界」論などはその典型ですね。
この種の偏執的な史料収集への熱意が新しい学問的な展望を切り拓くこともあり、一概に悪いこととも言えませんが、真面目すぎて冗談が通じないレベルになると、ちょっと困ってしまいますね。

相生山「生駒庵」の謎(その1)~(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0141ae1bd6e55dc08e9e822e3f56971b
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e231c5ca3b2e83a351118759975e9e42
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5db8b93cf3b3c7fab312fdfee1b35bee
『血族』の世界
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/09bcdc10aadd78cf2dde13b4772e1802

渡辺はアリス・ベーコンを引用した後、「日本人の宗教心を仏教や神道の教義の中に求めたり、またそれら宗教組織の活動のうちにたずねたりするのは無駄な努力というものだった」と述べ、更に赤松連城とイザベラ・バードのやり取りなどを紹介しますが、この部分は既に引用済みです。

渡辺京二『逝きし世の面影 日本近代素描Ⅰ』(その9)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5d0a0f2da2b028ff1e633554d554cc8d

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