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中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』(その13)

2020-01-20 | 渡辺京二『逝きし世の面影』と宣教師ニコライ
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 1月20日(月)11時21分57秒

(その10)で引用した、

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 ニコライが、日本人伝教者こそ教会の柱だと認めていながら、自分の後の日本正教会の教育を日本人にゆだねたくなかった理由はそこにあった。かれは、公会に集まった教役者たちに「正しい伝統」が築かれるまでは百年はロシアから主教を招くようにと教えた。日本人に任せておいたならば「プロテスタントの教会と同じようになってしまう」と予感していたのである(一九〇四年七月二〇日)。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c3a8825dc5b6cf2045a68834182ad52a

という部分ですが、『宣教師ニコライの全日記 第8巻』を見ると、これは日露戦争中の記事ですね。(p99以下)

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一九〇四年七月七日(二〇日)、水曜。

 朝から午後四時まで、松山の捕虜たちに送る本のリストを作った。すべて予備としてあった本である。返却不要ということで、今回、一四〇点の書籍と一〇〇〇冊のパンフレットを送った。書籍のうちの多くは複数部数である。たとえば新約聖書七冊、ロシア語の福音経二五冊、等々。全部で三五三冊。すべての書籍とパンフレットは、宗教道徳あるいは教理関係の内容のものである。例外として、数冊の文法、数学などの教科書がある。
 それらを、セルギイ鈴木神父とニコライ・イワーノヴィチ・メルチャンスキー〔ハルチャンスキーと同一人物か?〕大佐宛に送った。セルギイ神父には手紙を添えた。メルチャンスキー大佐には、セルギイ神父を助けて、本を将校たちと兵隊たちに分配してもらいたいと頼んだ。
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松山はロシア兵捕虜収容所が最初に設けられた土地ですね。
リンク先の論文にはロシア兵捕虜に対する正教会の活動が詳しく出ています。

平岩貴比古「日露戦争期・国内収容所におけるロシア兵捕虜への識字教育問題」
http://www.for.aichi-pu.ac.jp/~kshiro/orosia13-4.html

さて、この後に主教後継者に関するニコライの発言が出てきます。

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 四時から、司祭全員、神学大学を卒業した神学校教師たち、そして翻訳局員たちと茶話会。かれらがわたしを招いてくれたのである。この機会を利用して、かれらに次のような話をした。すなわち、わたしのあとにはロシアから主教を招くようにせよ。また全体に日本教会は独立した教会になることを急いではならない。さもないと体質をゆがめることになり、プロテスタントの一派のようなものになりかねない。日本教会は一〇〇年以上は宗務院の監督下に留まり、ロシアから主教を迎えて、それらの主教たちの厳格な指導に従順に無条件に従わなければならない。そうしてこそ日本教会は成長して、「使徒以来の唯一の共同体なる教会」の一本の枝になってゆくのだ、と話した。
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ずいぶん傲岸で硬直的な考えのように見えるかもしれませんが、ニコライがこうした話をする必要を感じた背景としては、教会運営をめぐる内部の不満の存在があります。
この記事の一週間前、7月13日には、

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 きょうは「内会」である。司祭たちは公会前の事前の打ち合わせをしている。そのために「景況表」、公会に宛てた手紙と請願書、その他さまざまな提案(建議書や議案)を持っていった。提案はかなりたくさん集まっている。ありとあらゆることが提案されている!
 パウェル沢辺とアレキセイ沢辺が管轄する麹町教会の信徒たちから「教会運営の仕方を改善し、今日〔こんにち〕の文明開化された日本の状況に合ったものにすべきである」という要求書がだされた。これが両沢辺神父のすすめによって書かれたものであるなら、ご立派な指導者ですなと言ってやりたい。とりわけ最長老のお方〔パウェル沢辺琢磨〕は問題だ。
 柏崎から、教役者の教育のための機関を設けるべきだ、なぜなら現在の教役者は全員教養が足りず、今日の日本人の教育のたかさにぜんぜん応えていないからだ、という要求がなされた(あきらかに、いまの日本軍のロシア軍に対するうち続く勝利と、日本および外国の新聞にあふれるロシア人に対するどぎつい罵倒のために、日本人はうぬぼれで頭がおかしくなっているのだ)。
 パウェル新妻から次のような要求が出ている。
 一、日本教会の独立。
 二、宗務院と諸総主教に「勝利」ではなく「和解」を祈るよう提案する。なぜなら、ロシア人も日本人も勝利を与えたまえと祈ったら、主神はどちらの祈りを聴いたらよいのか。
 三、公会は日本人兵士の自殺を食い止める手段を講ぜよ。
 四、司祭たちの公会に輔祭の出席も認めよ。
 モイセイ葛西〔原衛。福島方面の伝教者〕が、宗務院は一〇〇年間日本教会を支える約束をせよという要請を出してきた。その間に、現在信徒一人がひと月一銭出している寄付が何百万円にもなるから、そうなれば日本教会は自らの力で自らを支えられるようになる、という。
 ニコライ高木〔久吉。米子、松江の伝教者。作曲家高木東六の父〕は、「教役者たちは筆紙に尽くし難い貧困のなかにある。ゆえにその妻と娘が産婆、付添看護婦、教師などになることを許可せよ」という要請を出してきた。
 ほかにもこの類の提案や要請が出ている。そのほとんどすべてはくだらないたわごとだ。しかし遠慮なく提案し論議するがよい。だめなものは実現しない。こうした「建議書」の意義は、それらが診断と警告になるということだ。現在出ているたくさんの「建議書」からわかるのは、日本教会は、物質的に無力だからもあるが、それ以上に内的状態がまだ「ドクリツ」(自立)からは遠いということだ。
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とありますが(p95)、日本の正教会は経済的に自立できていないどころか、現に戦争している敵国から運営資金を得ているという奇妙な存在です。
それにもかかわらず、日露戦争が自国優位に進展している状況の下で「うぬぼれで頭がおかしくなってる」信徒も多数いて、日本教会の「独立」を要求するパウェル新妻もその一人のようです。
「宗務院は一〇〇年間日本教会を支える約束をせよという要請を出してきた」というモイセイ葛西も同様ですね。
それに比べると高木東六の父、ニコライ高木の要請は伝教者の自立を促すものと思われるので、ニコライがこれについても否定的な書き方をしている理由がよく分かりません。
ウィキペディアを見ると高木東六は1904年7月7日生まれだそうですから、ニコライがこの記事を記した僅か六日前に誕生したのですね。

高木東六(1904-2006)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9C%A8%E6%9D%B1%E5%85%AD
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