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「法人格」

2014-10-12 | 南原繁『国家と宗教』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年10月12日(日)10時03分36秒

>筆綾丸さん
神田千里氏の『織田信長』、読んでみたいと思います。

筆綾丸さんが10月5日の投稿で触れられている「法人格」ですが、法律の世界でも「権利義務の帰属主体であって自然人以外のもの」程度の意味で用いるのが普通なので、私は呉座氏の表現に特に違和感は抱きませんでした。
<「北方一揆」という集団は、一揆全体として一個の直勤御家人(幕府直臣)=国人に匹敵する身分を有していたと考えられる>(p43)のであれば、適切な用法だと思います。
他の歴史学者も、例えば「村請制」に関して「村」が法人格を有していた、といった説明をする人は多く、呉座氏はオーソドックスな表現を用いているだけみたいですね。

ちなみに呉座氏が批判している「中世後期の在地法秩序に関する再検討─肥前松浦党一揆を素材にして」(『法制史研究』44号、1994)の著者・西村安博氏は現在は同志社大学教授だそうですね。

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鳥取市生まれ。鳥取西高校卒業。九州大学法学部(法律専攻)、九州大学大学院法学研究科修士課程・博士課程(基礎法学専攻)に学ぶ。日本法制史について石塚英夫、植田信廣両教授の指導を仰ぐ。九州大学法学部助手、新潟大学法学部助教授等を経て、2003年4月、同志社大学法学部助教授に着任、2005年4月より同教授。博士(法学、九州大学)。

呉座氏は「第三章 松浦一揆研究と社会集団論」の注(20)で、

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そもそも一揆の法を形式的な「スローガン」にすぎないと評価する西村氏が、一揆の押書状から"反対解釈"を導き出すのは論理矛盾ではないだろうか。一揆の法が単なるスローガンなら、その条文が近代法的な厳密さを備えているはずがない。西村氏は近代的な法概念を中世社会に持ち込んでいるように思えてならない。
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と書いていますが、まあ、これは呉座氏の言われる通りなのでしょうね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

the most ungraspable human destinies 2014/10/10(金) 16:18:36
小太郎さん
「さても、不思議なりし事はありしぞかし。この入道下り会はざらましかば、いかなる目にか遭はまし。「主にてなし」と言ふとも、たれか方人もせまし。さるほどには、何とかあらましと思ふより・・・」という文がまた曲者であって、
http://www.bbc.com/news/entertainment-arts-29553516
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The academy said the award was "for the art of memory with which he has evoked the most ungraspable human destinies and uncovered the life-world of the occupation".
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本年度ノーベル文学賞の授賞理由「the most ungraspable human destinies」と似ていなくもなく、二条の下人論は事実なのか、あるいは、ただの the art of memory にすぎないのか・・・歴史研究者が誑かされているのでなければ良いのですが。

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480067890/
神田千里氏の『織田信長』を読み終わりました。
信長はサン=テグジュペリ『星の王子さま』冒頭の箱の絵の中のヒツジのようなものだ、と神田氏は言われますが、信長と Le Petit Prince は意表を突く組み合わせですね。
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信長はいわば、頑丈な観念の「箱」に入っているといってよい。様々な学問上の成果の登場にもかかわらず、信長の「箱」は牢固として健在なのが現状である。(14頁)
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そして「本当の」織田信長は、この観念の中に収まっているわけではなく、実をいえば厖大な史料の集積という、外から見ただけでは分からない「箱」の中に入っている。こちらの方が信長の「本当の箱」なのである。「箱」の中の人物はどんな人だったのか、納得のいくまで調べようとするならば、「王子さま」がやったように自分で穴から覗く、すなわち史料を自力で読んでみる他ない。(229頁)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%A9
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9C%E3%83%A9%E5%B7%9D
『日本通信』(1598年)が出版されたポルトガルのエヴォラは Evora で(232頁)、コンゴの Ebola 川とは何の関係もないのですね。

信長が義昭に宛てた「十七箇条の諫言」(48頁~)は、聖徳太子の「十七条憲法」の駄洒落ではあるまいか、とふと思い、なんだか大発見のような気がしました。

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第一日本で当毛利家と和睦すれば平和になるのですから、天下を握っておられる方にとって、上分別というものでしょう<第一日本に当家一味に候へば、太平になり行く事に候条、天下持たれ候上にての分別には尤もに候>。(133頁)
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この「日本」は日本六十余州のことで、天下を五畿内に限るとすれば、天下⊆日本という理解で良いのでしょうね。
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