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相馬藩領内の「御蔵」

2013-04-03 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 4月 3日(水)22時37分33秒

東北学院大学教授の岡田清一氏に「中世南奥の海運拠点と地域権力」(入間田宣夫編『東北中世史の研究・上巻』、高志書店、2005)という論文がありますが、そこから少し抜き書きしてみます。(p259)

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一 近世史料に見る相馬領内の御蔵と港

 中世南奥の海運に関する資料が極端に少ない現状では、後世に編纂された関連資料、とくに絵図・地図をも含めて利用することも必要になってくる。その一つに、相馬藩領の海岸線を意識して描いた「相馬領域沿岸図」がある。相馬藩領原釜から岩城領境にかけての沿岸を描いたもので、おそらく近世後期の状況と思われる。
 この絵図には、多くの入江と河川、村名、寺名、そして民家が描かれているが、とくに留意すべきは「御蔵」と記述された施設が記載されている点である。この「御蔵」は、北から順に、原釜村(相馬市)・南蛯村(鹿島町)・烏崎村(鹿島町)・大磯(原町市)・小浜村(原町市)・塚原村(小高市)・受戸(請戸)村(浪江町)の七か所に記載されている。その名称から、相馬藩関連の施設と考えることは妥当であろう。
 ところで、相馬藩領は海岸線に沿って北から宇多(相馬市)・北(鹿島町)・中(原町市)・小高(小高町)・北標葉(双葉郡浪江町)・南標葉(双葉郡双葉町・大熊町)の六郷に分かれ、内陸部の山中郷(相馬郡飯舘村)と併せて七か郷から構成されていたから、「御蔵」は山中郷と南標葉郷を除いた五か郷に存在していたことになる。
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「御蔵」所在地7か所のうち、既に6か所は訪問済みで、残るは請戸のみです。
ここは従来は立入禁止だったのですが、4月1日から「避難指示解除準備区域」に再編され、訪問可能となりました。
近い内に行ってみるつもりです。

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浪江町、3区域再編実施 立ち入り自由、住民の83%

福島第1原発事故の避難区域見直しで、福島県浪江町が1日、帰還困難区域(年間被ばく線量50ミリシーベルト超)、居住制限区域(20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下)、避難指示解除準備区域(20ミリシーベルト以下)の三つに再編された。再編は避難区域を抱える県内11市町村中9例目。
(後略)
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/04/20130402t61013.htm

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