学問空間

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0057 赤江達也『「紙上の教会」と日本近代』(その2)

2024-03-29 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第57回配信です。


一、前回配信の補足

「知の巨人・水原徳言が遺したもの」(高崎新聞サイト内)
http://www.takasakiweb.jp/toshisenryaku/article/2010/01/02.html

深井景員『下仁田戦争記』(2018年08月03日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3dbe83530ca640cdb9f8e72039323885
「このたびは助太郎様御討死、まことにご祝着に存じあげまする」(2018年08月04日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/971ad7b8a5e45460198bcc6a9812e518
「新潟は、日本中で最悪の都会だといってよい」(by ブルーノ・タウト)(2016年12月06日) 


二、赤江達也『「紙上の教会」と日本近代』

0053 赤江達也『「紙上の教会」と日本近代』(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8c5a1dc3e9eeda7ee752eab50b4156e3

赤江達也『矢内原忠雄 戦争と知識人の使命』(2017年06月23日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8e1434fba167e6025a9abb410e85908e

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はじめに―キリスト教知識人の時代

日本の復興と宗教の使命
 日本近代と呼ばれる世俗的な社会において、宗教はどのような社会的地位を占めてきたのか。たとえば、社会が大きな危機に直面したとき、そしてそこから復興しようとするとき、宗教が果たすべき役割が問われることがある。一九四五年の敗戦後に起こったのは、まさしくそのような事態であった。
 敗戦から間もなく東京帝国大学の総長に就任した南原繁は、翌年の二月一一日、戦前に喧伝された建国神話にもとづく紀元節の式典をあえて挙行する。南原はその式典において「新日本文化の創造」と題する講演を行い、日本ファシズムのスローガンである「昭和維新」を次のように読み換えてみせる。

  真の昭和維新の根本課題は、そうした日本精神そのものの革命、新たな国民精神の創造─それに
  よるわが国民の性格転換であり、政治社会制度の変革にもまさって、内的な知的=宗教的なる
  精神革命であると思う(南原著作集7:27)

 南原は「昭和維新」という戦前の語彙を用いながら、そこに「精神革命」という新たな意味を盛り込む。日本の復興にとって重要なのは「政治社会制度の変革」である以上に「内的な知的=宗教的なる精神革命」だというのである。この講演は、直接的には大学の講堂に集う学生たちに向けて語られたものである。だが、その内容はさらに新聞の「社会面を大きくうずめて」報道された。そして、その読者からは「共鳴や激励の手紙」が数多く寄せられたという(丸山・福田編1989:309.311)。
 この「精神革命が、知的であると同時に宗教的なものとされている点に注意しておこう。南原は、戦前期に声高に唱えられた「民族宗教的な日本神学」と「普遍人類的なる世界宗教」を対比させながら、「わが国にはルネッサンスと同時に宗教改革が必至である」という。そして、年頭の「天皇の人間宣言」を日本のルネッサンスと見なしたうえで、さらに「第二の宗教改革」が必要であると主張する。つまり、日本が真に変革を遂げるためには、キリスト教的な宗教改革を通過しなければならないというのである。このような思想を、本書では「キリスト教ナショナリズム」と呼ぶことにしよう。
【中略】
 その主張の内容とともに注目すべきは「キリスト教による日本の変革」という南原の主張が「共鳴と激励」をもって受け入れられたという事実である。周知のとおり、日本ではキリスト教徒は圧倒的な少数者である。明治以降、現在にいたるまで、キリスト教の信徒数は人口の一パーセント前後にとどまっている。にもかかわらず、南原のキリスト教的な主張は、より広い範囲で、肯定的に受け入れられていたようなのである。
 南原だけではない。戦後改革の時代には、少なからぬ「キリスト教知識人」が戦後憲法や教育基本法を始めとする戦後社会の枠組みの形成にかかわっていた。【中略】
 こうしたキリスト教知識人の存在は、日本キリスト教の重要な側面を示している。一般に日本ではキリスト教は受け入れられなかったと考えられやすい。だが、キリスト教は日本の知識層にある種の仕方で「受容」されてきた。それはマルクス主義の受容とも似たところがある。マルクス主義は二〇世紀の日本で多数派となることはなかったが、知識層に圧倒的な知的・政治的な影響力を及ぼしてきた。敗戦後のキリスト教は、そのマルクス主義に匹敵する存在感をもっていたのである。
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