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0058 赤江達也『「紙上の教会」と日本近代』(その3)

2024-03-30 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第58回配信です。


「はじめに」(ⅸ)

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 南原だけではない。戦後改革の時代には、少なからぬ「キリスト教知識人」が戦後憲法や教育基本法をはじめとする戦後社会の枠組みの形成にかかわっていた。戦後初代の文部大臣となる前田多門、東大教授(アメリカ研究)で貴族院議員の高木八尺、東大教授(法学)であり、貴族院議員・文部大臣・最高裁判所長官を歴任する田中耕太郎、東大教授(植民政策学/国際関係論)にして、戦後二代目の東大総長となる矢内原忠雄、運輸大臣・労働大臣の増田甲子七、いわゆる「大塚史学」によって戦後社会科学を牽引した東大教授(比較経済史)の大塚久雄らである。また皇室の近くには初代宮内庁長官の田島道治、侍従長の三谷隆信らがいた。
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前田多門(1884‐1962、一高・東京帝大 )
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E5%A4%9A%E9%96%80
田島道治(みちじ、1885‐1968、一高・東京帝大 )
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%B3%B6%E9%81%93%E6%B2%BB
高木八尺(やさか、1889‐1984、一高・東京帝大)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9C%A8%E5%85%AB%E5%B0%BA
南原繁(1889‐1974、一高・東京帝大)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8E%9F%E7%B9%81
田中耕太郎(1890‐1974、一高・東京帝大)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%80%95%E5%A4%AA%E9%83%8E
三谷隆信(1892‐1985、一高・東京帝大)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%B0%B7%E9%9A%86%E4%BF%A1
矢内原忠雄(1893‐1961、一高・東京帝大)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E5%86%85%E5%8E%9F%E5%BF%A0%E9%9B%84
増田甲子七(かねしち、1898‐1985、八高・京都帝大)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%97%E7%94%B0%E7%94%B2%E5%AD%90%E4%B8%83
大塚久雄(1907‐96、三高・東京帝大)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E4%B9%85%E9%9B%84

「伊藤君、つまらんですか。教科書に使ったら、どんな傑作でもつまらんですよ」(by 竹山道雄)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5061715ebfbbf987cdccf4bdc73c9d8a
伊藤律(1913‐89)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%BE%8B
「先生には複雑な心理学はなかった。政治的な指導もなかった。ただ理想主義一筋だった」(by 竹山道雄)


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内村鑑三という震源

 ところで、右に挙げたキリスト教知識人にはふたつの共通項がある。ひとつは、一九一〇年代に成立した教養主義の絶頂期にエリート教育を受けていることである。そしてもうひとつは、彼らがいずれも青年期に内村鑑三の門下生であったということである。彼らがクリスチャンとなったのは、内村の影響と感化によるものであった。
【中略】
 だが、本書が注目するのは、内村が提唱した「無教会」と呼ばれるキリスト教である。内村は一九〇〇(明治三三)年、三九歳のときに本格的な伝道活動を開始する。すでにその頃には、評論や講演を通じて青年たちを魅了し、惹きよせはじめていた内村は、自らの下に集まる青年や学生たちに自宅などを開放した。その結果、内村の周囲には教養主義的な私塾、あるいはサロンのような場が形成されていった。その親しい交わりを通して、内村は彼らを教導した。こうした師弟関係は、新渡戸稲造や夏目漱石にも見られるものである。ただ、内村の場合には、師弟関係のひとつの基盤として、キリスト教思想運動が形成されていった点に大きな特徴がある。
 内村の門下には、先に挙げた人びとのほかにも、後に作家となる正宗白鳥、有島武郎、志賀直哉、社会主義者の堺枯川や森戸辰男、岩波書店を創設する岩波茂雄といった錚々たる青年たちが集っていた。なかには、藤井武や塚本虎二のように、東京帝国大学を卒業後に官僚となり、数年後にその職を捨てて伝道者になる者もいた。【後略】
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堺利彦(1871-1933)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%BA%E5%88%A9%E5%BD%A6
有島武郎(1878-1923)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E5%B3%B6%E6%AD%A6%E9%83%8E
正宗白鳥(1879-1962)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%AE%97%E7%99%BD%E9%B3%A5
岩波茂雄(1881-1946)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E8%8C%82%E9%9B%84
志賀直哉(1883-1971)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E8%B3%80%E7%9B%B4%E5%93%89
森戸辰男(1888-1984、一高・東京帝大)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%88%B8%E8%BE%B0%E7%94%B7
☆藤井武(1888-1930、一高・東京帝大、内務省)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E4%BA%95%E6%AD%A6
☆塚本虎二(1885-1973、一高・東京帝大、農商務省)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%9A%E6%9C%AC%E8%99%8E%E4%BA%8C
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