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「八方美人で投げ出し屋」考(その5)

2021-02-19 | 尊氏周辺の「新しい女」たち
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 2月19日(金)10時09分56秒

大河ドラマ『足利尊氏と関東』の第Ⅰ部「足利尊氏の履歴書」第一節「薄明のなかの青春」は、「妾腹の子」「兄高義の死」「最初の妻と子」「赤橋登子」と回を重ねて、いよいよ「一夜の過ち」となります。
本当にドラマチックなタイトルですね。(p28以下)

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 やがて元徳二年(一三三〇)には、尊氏と登子とのあいだに嫡男義詮が生まれる。しかし、その陰で、加子氏の娘と、それ以前に尊氏と彼女とのあいだに生まれていた竹若の運命は暗転することになる。登子との婚姻以前、加子氏の娘が尊氏の正室であったか側室であったのかは明らかではないが、いずれにしても登子との婚姻により彼女の地位は側室に確定する。そして義詮誕生により、竹若の地位も尊氏の庶長子に貶められてしまうことになる。尊氏が鎌倉幕府に反逆したとき、すでに竹若は鎌倉の足利本邸におらず、伊豆山走湯権現の伯父のもとに預けられていたとされるが、これなども、この時点で、もはや竹若が足利家から遠ざけられてしまっていたことを物語っていよう。尊氏は北条一族との婚姻により、家督後継者の座を確かなものとしたが、その地位は、青春の日に自らが築こうとした小さなひとつの家庭の犠牲のうえに成り立つものだったのである。
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前回投稿で書いたように、私は尊氏と登子の婚姻時期は元応元年(1319)十月の尊氏叙爵の前後と考えます。
そして婚姻後も正室・登子になかなか子供が生まれない状況のなかで、加子氏の娘が側室となり、正中元年(1324)前後に竹若を産んだものと想像します。
「義詮誕生により、竹若の地位も尊氏の庶長子に」確定しますが、それは加子氏の娘が側室となった時から想定されていたことで、別に「竹若の運命」が「暗転」した訳でも、竹若が「貶められてしま」った訳でもないと私は考えます。
それにしても、側室というのは婚姻関係の一つの形態ですから、「将来に対する展望が開けぬまま、当初、尊氏は加子氏との婚姻関係を築くことを真剣に模索していたようだ」(p26)と「登子との婚姻以前、加子氏の娘が尊氏の正室であったか側室であったのかは明らかではない」との記述に整合性があるのでしょうか。(反語)
また、「青春の日に自らが築こうとした小さなひとつの家庭」は奇妙に現代的、というか今では少し時代遅れになってしまった感もある、戦後民主主義の世代が夢見た理想のマイホームみたいな感じがしますが、尊氏がそんなものを願った史料的根拠は何かあるのでしょうか。(反語)
もっというと、中世においてそもそも「青春」があったのかも疑問です。
中世武家社会においては、男子は元服の前後で子供から大人へと社会的地位は一変し、女子も子供を産める年齢になったらいきなり大人扱いされて結婚を強いられ、男女ともに「青春」など存在せず、現代の「青春」に相当する年代の若者は単に知識・経験が乏しい大人にすぎないと私は理解していたのですが、最近の歴史学界では私のような考え方は古風に過ぎるのでしょうか。(反語)
ということで、私は第一節の「薄明のなかの青春」というタイトルが既に全面的に誤りと考えます。
ま、それはともかく、続きです。(p29)

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 そして、もうひとつ、尊氏の家族関係でいえば、後々まで彼を苦しめることになる悲劇の種がこのときに蒔かれることになる。南北朝内乱の風雲児、足利直冬の出生である。『太平記』によれば、直冬は尊氏と「越前ノ局」という女性のあいだに「一夜通ヒ」で生まれたとされている。そのため、どうも尊氏は直冬を一夜の過ちで生まれた子ども、もしくは本当に自分の子どもかどうかすら疑わしい男と考えていたらしい。結果、尊氏は生涯にわたり彼に父親としての愛情を示すこともなく、終始、冷たくあしらい続ける。これにより叔父直義の養子とされてしまった直冬は、胸中に尊氏に対する強い憎悪の念を秘め、やがて実の父を死ぬまで追いつめる運命を背負うことになる。
 この過酷な運命の子、直冬の生まれ年は伝わっていないが、応永七年(一四〇〇)に七十四歳で死去したという「足利将軍家系図」(『系図纂要』)の記載をもとに逆算すれば、彼は嘉暦二年(一三二七)に生まれたことになる。これに従えば、直冬は尊氏二十三歳のときの出生で、義詮より三歳年長だったということになる。尊氏と登子の婚姻が義詮誕生の直前であったとすれば、直冬の母「越前ノ局」なる女性は、尊氏が登子と婚姻を結ぶ直前に、尊氏と「一夜通ヒ」の性愛関係をもったことになるだろう。
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うーむ。
直冬が「嘉暦二年(一三二七)に生まれた」とすれば、「尊氏と「一夜通ヒ」の性愛関係をもった」のはその前年となりそうですが、それは「尊氏が登子と婚姻を結ぶ直前」なのでしょうか。
「悲劇の種」「過酷な運命の子」といった清水氏の安物メロドラマ的な言語感覚はともかくとして、この「直前」の用法は一般的な時間感覚とも相当にずれているように感じます。
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