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女川原発について

2012-12-17 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年12月17日(月)20時04分1秒

グレゴリー・クラーク氏(多摩大学名誉学長)の下記記事を読んで、少しツイートしたことをこちらに転記しておきます。
重複が目立ちますが、準備作業のひとつなので、とりあえずそのままにしておきます。

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東北電力女川原発のサバイバルに注目を

 福島第一原子力発電所の災害が起きて、日本は将来の原子力エネルギーの役割について再考を迫られている。ところがなぜか、その近くにある女川(おながわ)原発(宮城県)が深刻な事故を起こさなかったことついては、あまり目が向けられていない。2011年3月11日の地震と津波の際に女川で何が起こらなかったのかは、福島で何が起こったかより以上に、重要だ。
 海に面している女川原発は、東北海岸沖の震源地にかなり近かった。福島の180kmに対し、130kmである。地震と津波による破壊は女川地域の方がはるかにひどかった。女川近辺の町と石巻市では4800人の死者行方不明者が出ている。だが、そこの原発と、その3基の原子炉は、実質的な損傷はなく生き延びることができた。それどころか、付近の村から災害を逃れてきた人々の避難の場所にさえなったのである。
 女川のサバイバルは、基本的な良識の力による。そこでは、予想しうる最悪の津波に備えて、14.7メートルの海岸防壁が建てられていた。建築の基礎部分は頑強で、地震による1メートルの地盤沈下にも耐えた。地震後に訪れたIAEA調査団も、構造的損傷が見られないことに目を見張った。いくつかの電源の中には、全ての原子炉に冷却・停止用水を注入するのに支障のない程度に生き延びたものもあった。どういうわけか、地元仙台に本拠をおく東北電力株式会社が管轄するこの発電所は、エリート的東京電力が管轄する福島第一原発より見事に、災害を生き延びた。
(中略)
 女川の健在ぶりを調査したメディアの報道によると、これは元東北電力副社長の故平井弥之助の功績によるところが大きい。平井は、過去の津波記録を調査し、当初計画より高い海岸防壁を立てることを主張し、それを貫いた。それ以前には、彼は地盤の柔らかい土地の上に建てられた新潟火力発電所を、ケーソン基礎の上に建てることを主張し、1964年の新潟大地震による破壊から救っている。
(後略)
http://www.gepr.org/ja/contents/20121217-03/


平井弥之助氏の先見性は井上リサ氏のツイートで知った。
「予想しうる最悪の津波に備えて、14.7メートルの海岸防壁が建てられていた」おかげで今回は助かったのは確かなのだが、では何メートルまでだったら大丈夫だったのだろう。
15メートルでは何が起きたのか。
20メートルではどうだったのか。

女川原発の近辺で津波浸水高が15mを超えたところは寄磯・前網・鮫浦・飯子浜・野々浜・大石原浜・横浦・高白浜などザラにある。
女川町中心部や谷川浜では20mを越えている。むしろ女川原発で僅か12~13メートルで済んだことが奇跡的だったのではないか。

津波浸水高は原口・岩松『東日本大震災津波詳細地図上巻』に基づいた数字。
この本で女川原発周辺を見ると、原発直近のごく僅かな地域だけが奇跡的に15m未満で済んだように見える。
東日本大震災は平井弥之助の「予想しうる最悪の津波」すら超えた津波を惹き起こしたのではないか。

参考までに『東日本大震災津波詳細地図上巻』で牡鹿半島東岸から女川町・雄勝半島・北上川河口・南三陸町にかけての津波浸水高を南側から見て行くと、

新山浜(原発から直線距離で9㎞ほど南)で14.20、泊浜11.41、谷川浜26.08、鮫浦15.80、前網15.61、寄磯15.24、同じく寄磯の東側26.68、

(原発直近の)小屋取12.72、塚浜12.89、飯子浜15.62、野々浜17.51、大石原浜19.28、横浦15.55、高白浜16.61、小乗浜17.23、

(女川町中心部)19.69、20.07、19.13、女川浜16.79、桐ヶ崎12.58、竹浦24.77、尾浦11.44、前浜15.22、指ヶ浜15.98、水浜16.55、味噌作21.56、伊勢畑15.64、袖浜14.15、大畑18.70、荒浜10.67、船越13.60、清水20.57、名振小浜34.94(ママ)、

(北上川河口を越えて)小室27.10、小泊16.95、相川15.25、小指9.1、大指17.39、神割崎15.72、寺浜11.72、29.37、藤浜30.10、津の宮12.75、水戸辺16.35、(原発から直線距離で27㎞ほど)戸倉18.91、20.22、20.71、西戸18.38。

南三陸町の戸倉で止めたが、更に北に行っても、15m越えは当たり前、20m越えもけっこうある。
以前から漠然と思っていたのだが、こうして数字を列挙してみると、女川原発で「予想しうる最悪の津波に備えて、14.7メートルの海岸防壁が建てられていた」としても、津波がそれを越えなかったのは単なる偶然ではないか。
コメント
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