学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「宗教的要求は階級的要求の前近代的表象」

2010-06-15 | 中世・近世史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 6月15日(火)00時44分7秒

神田千里氏の「宗教一揆としての島原の乱」(『東洋大学文学部紀要』史学科編第30号、2005年)の「はじめに」には次の記述があります。

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 島原の乱においてキリシタン信仰が大きな役割を果たしたことは自明のことと考えられるかも知れない。(中略)
 しかし島原の乱の、宗教一揆の側面については既に幾つかの指摘がなされているものの、その具体像の解明は十分ではないと思われる。島原の乱の性格について、従来の研究では①禁教に抗するキリシタン一揆、②重税に抗する農民一揆、③両者の融合、との見解が提示され、そのうち②が定説的地位を占めてきたために、信仰の検討は副次的な課題とみなされてきた。さらに島原の乱が「宗教的色彩をもとうともつまいと、それが階級矛盾の激化」であり「宗教的要求は階級的要求の前近代的表象」と断ずる見解の影響によって、この傾向は増幅されてきたと考えられる。
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注によると、「宗教的要求は階級的要求の前近代的表象」との見解は深谷克己氏の「『島原の乱』の歴史的意義」(『歴史評論』201、1967年)に出ているそうですが、これは平泉澄氏の「百姓に歴史はありますか。豚に歴史はありますか」に匹敵するハイレベルの断言であり、名文句ですね。
深谷氏のような史的唯物論の理論家の知性のタイプと、宗教に深い理解を持つ思想家の知性のタイプは相当異なるような感じがしますが、黒田俊雄氏はおそらく両者を併せ持った稀有な例なんでしょうね。
それが可能だった一因としては、真宗王国富山に生まれ、特に母親が浄土真宗のお寺さんの娘だったという背景があるように思います。
黒田氏は非常に懐が深い感じがするので、多くの人が親しみを感じて近づいて行くのでしょうが、その中心部で峻厳な革命家の相貌に触れると、ちょっとついて行けないなと感じる人も多いでしょうね。

>大黒屋さん
本名だと私も妙に気を使ってしまうので、どうぞハンドルでお願いします。
コメント
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