大福 りす の 隠れ家

小説を書いたり 気になったことなど を書いています。
お暇な時にお寄りください。

虚空の辰刻(とき)  第131回

2020年03月20日 21時41分15秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第130回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第131回



「じゃ、送ってくよ」

スマホを切った春樹から船が出たことを聞かされた。 暫く待ち、もう浜辺で待っていてもそう待たなくてすむはずであろうから、そろそろ部屋を出ようということである。

「ちゃんとお金と・・・その、メモを持ったよね?」

単にメモではなく、俺の携帯番号を書いたメモと言いたいが、それはちょっと浅ましいか。 強調して言って、よからぬ疑惑を持たれても困る。 よからぬ疑惑が無いわけではなくしっかりとあるのだが、そんなことを声を大にして言ってどうする。 あくまでも自然に。 最初は先輩と慕ってもらえるように。 そしてステップアップ。

「はい、ちゃんとポケットに入れました」

この日の紫揺の姿は長Tに下は相変わらずのジャージ姿であった。 紫揺の示したポケットは、片手に持っている上着のジャージのポケットだ。 ここのところ気温が上がっていた。 上は日中Tシャツ一枚か、薄手の長Tで過ごす気温だが、夜にもなれば気温が下がる。 上着が欲しくなる。 なので夜ここに来るに上着のジャージを片手に持っていた。

「ポケットって・・・落とさない?」

「ファスナーが付いているから大丈夫です」

しっかりとファスナーが閉められている。
ここからの脱出しか考えていなかった紫揺にとって、現金は有難かった。 全く後先を考えていなかったのだから。 春樹は“貸す” とは言っていなかったが、必ず返すつもりだ。 そのお借りした大事なお金だ、そうそう落としてなるものか。

「そっか、じゃ、行こう」

立ち上がった春樹の言葉を軽くお断りしたつもりの紫揺。

「あ、大丈夫です。 それにガザンについて来てもらいますから」

紫揺も立ち上がると深く頭を下げた。
紫揺にしては軽くお断りしたつもりだが、春樹にしては一刀両断されたようなものだ。

「本当にありがとうございました。 それと最後にこれをお願いしたいんですけど」

掌を差し出した。
簡単に切っておいて、その上何を言うのか。

差し出された掌の中には折り紙のように折りたたまれた花の形をしたものが二つ、風車の形をしたものが三つ。 それぞれに番号が書かれている。

ルーズリーフであるが故、硬く、二枚三枚一緒に折れなかったのだろう。 番号はルーズリーフに託した手紙を読む順番をつけているだろうということが容易に分かる。 そして花の形をしたものには①と書いてある横に“セキちゃんへ” と、風車の形をしたものの①と書いた横には“ニョゼさんへ” と書かれてある。

春樹にしては “セキ” も“ニョゼ” も、そんな人間など知らない。 それらを受け取ると小首を傾げた。

「セキちゃんはガザンの飼い主なんですけど、先輩はガザンの近くに行かないからガザンと一緒に居るセキちゃんを見たことないと思います。 でも洗濯物をしている女の子を知っていますか?」

言葉の意味は分かるし前半の言いたいことも分かる。 でも後半の文章の意味が分からない。 ここではこの建物の中にランドリーがある。 洗濯はそこでしているのだが、洗濯をしているような女の子など見かけたことがない。 洗濯物をしている女の子? 紫揺の言いようではまるで一日中洗濯をしているような言い方だ。

春樹はセイハの言うところの使用人の存在を知らないわけではなかった。 使用人と呼ばれていることは知らなかったが、それでも一階の食堂に行けばご飯が用意されている、それは寮母がしてくれていると思っているし、時折木々の枝を切っている人も見かけるが、それは管理人のような人だと思っていた。

難しい顔をして首を振る。

「あ、じゃあ、これを、この両方をこの建物の中にいる誰かに渡してください。 あくまでも、先輩と同じ仕事をしている人以外ですけど。 そしたら、セキちゃんに渡るはずです」

「ニョゼって人は?」

「セキちゃんがニョゼさんに渡してくれるはずです」

ああ、というと得心したように頷いた。

「それにしてもセキちゃんってことは、紫揺ちゃんと同じくらいか年下だろ? えらく古風な名前だね」

“さん” と“ちゃん” の区別をしている。 セキの“ちゃん” 付けということは春樹の言うようになるだろう。
ニョゼという名も珍しいと思うし、どちらもカタカナ的だというのも不思議だ。 思いながらも受け取った手紙をテーブルの上に置く。

確かに紫揺も最初はそう思ったから、言いたいことが分からなくもないが、北の領土の存在を知った今は此処とは名前の感覚が違うんだということを知った。
ニコリと微笑んで誤魔化す。

「あ・・・」

「はい?」

「思い出した。 セキちゃんって、小さな女の子だよね?」

初めてガザンに吠えられた日の事が蘇ってきた。 吠えるガザンを小さな女の子が慌てて宥めに行った日のことを。

「はい」

「OKまかして。 アノコに渡せばいいんだよね」

「はい、お願いします」

誰かに渡してもらえればそれでセキに渡るとは分かっているが、それでも何か間違いがあったらと思うと、春樹が直接渡してくれるに越したことはない。

「じゃ、せめて下までは送るよ」

一刀両断はされてしまったが、ガザンがお供をするなら吠えられても困る。 完全に敵対視されているようなのだから、噛まれるかも・・・って? 待てよ、なんでガザン? 

「いや、待って、なんでガザンなの? ってか、俺が一緒に居ないとアイツが来ても紫揺ちゃんが当人だなんて分からないじゃない?」

「こんな時間に他に人は居ませんから、私以外の誰かと迷うことはないですよ」

それはそうだけど、と言いかけたが、そんなことを言ってせっかくの場をガザンに掻っ攫らわれてはたまったものじゃない。 それじゃあ、トンビに油揚げだ。
百面相でもしているような春樹の顔を見ながら続けて言う。

「あの門の向こうにはライオンが居るのをご存知ですか?」

「え!?」

「ご存知じゃなかったんですか?」

「いや、それは聞いてたけど」

最初ここに来た時にキノラから聞いていた。 まだ見たことはないが。

「いやいや、待って。 ライオンの話が出てくるのはおかしい。 そんな話の持って行きようはおかしいよ。 ライオンがどこか・・・その、夜になると檻とかに入ってるから、行くんじゃないの? 紫揺ちゃんが行けるんだから俺だって行けるはずだろ?」

キノラからは、門の向こうでライオンが自由にしていると聞いていたが、紫揺から聞いていたこの時になっては自由にはしていないだろうと思っていた。 檻などと具体的に考えていたわけではないが、漠然とそう思っていた。

「檻になんて入っていません。 その辺を歩いています。 だからガザンについて来てもらうんです」

「は? はあああぁぁー!?」

「あのライオン、ガザンに弱いんです」

軽く言ってのけたが、獅子に対峙したときのガザンの神経がどれだけ尖っているのか知っている。 でも今ここでそれは言えない。

「いや! 待って! それはあまりにも危険すぎる! いくらガザンがふてぶてしいからって・・・あ、じゃなくて、貫禄があるからってライオンと犬だよ?! ああ、ダメダメ。 ね、ちょっと作戦を練りなおそうよ。 杢木(もくぎ)に連絡を入れ直すから」

「大丈夫です。 じゃ、手紙よろしくお願いします」

もう一度深くお辞儀をして靴を履いて部屋を出て行ってしまった。 あまりの話の内容に追うことも出来ない。

「えー・・・ウソだろぉぉ・・・」

閉められたドアを見るくらいしか出来なかった。


部屋を出て建物を出た紫揺が、いつもここに来る時に持っていた懐中電灯を照らすとガザンの元に走る。
紫揺がここから出てくれば、足音や声で気が付くと思っていたセイハは睡眠の誘惑に負けて軽い寝息を立てていた。

「ガザン?」

寝ているだろうかと思いながらも声を掛け、そろりと懐中電灯をガザンの小屋に向ける。 すると小屋に入ることなく、どっしりと座っているガザンが浮き上がった。 闇夜に慣れた目に灯りを向けられて迷惑な顔をしている。

「あ、ゴメン。 眩しいよね」

懐中電灯を下に向けると自分の足元を照らした。 更に数歩あるいてガザンの横に座り込む。

「ガザン、今日なの。 お願いできる?」

ガザンが横目で紫揺を見た。 ここで懐中電灯でガザンの顔を照らせば分かったのだろうが、残念ながらそんなことをすれば、ガザンがこの上なく迷惑がるだろう。 ガザンの白目が赤く充血していたのを紫揺が見ることはなかった。 ガザンはずっと春樹の部屋の窓を睨みつけていたのだ。

紫揺の問いに無言でスックと立ちあがったガザンが歩き出す。 紫揺が慌てて木からリードを外し手に持った。
何も言わずともガザンは分かってくれている。 気のせいなんかじゃない。 それをヒシヒシと感じた。

セキはガザンのことがよく分かっている。 自分はガザンが何を考えているかなんてセキに比べると爪の垢ほども分かっていない。 それなのにガザンは自分が何を考えているかを分かってくれている。

「ガザン・・・」

ガザンの名を呼ぶことしか出来ない。 深く感謝を込めて。

ノッシノッシと歩くガザンの後ろを懐中電灯で足元を照らしている紫揺が歩く。 庭に出ればうす暗く充分ではないが、ガーデンラライトが足元を誘導してくれる。 それまでは月明かりがあると言っても懐中電灯に頼らなければならない。

春樹たちの居る建物を後にしたとき急にガザンの足が止まった。 ずっと先を見ている。 ヴゥゥ、と小さく唸ったが、それ以上何をするわけでもなさそうだ。

(もしかして先輩が降りてきて隠れてるのかなぁ。 それにしてもそれじゃあ、この程度では終わらない筈)

きっと吠えたくるだろう。

「なに? どうしたの?」

小声でガザンに話しかける。
ブフッ、っと最後の一声を出すと、またゆっくりと歩き出した。

(もしかして、私の今の事情を分かってくれてる? 今ここで吠えたら、人が出て来て脱出が出来なくなるって)

まさかとは思うが、声を掛けずにはいられない。

「ありがとう、ガザン」

ガザンの後ろを歩いていたのを横に移る。 もうガザンに会えないかもしれないのだから、ちょっとでもガザンの近くに居たい。 目の前にほのかな明るさが漏れてきた。 あとすこしで庭に入る。
ふと気づいた。 今まで緊張していたのだろうか、急に肌寒さを覚えた。 持っていたジャージを羽織ろうとしたが、袖を通すことが叶わなくなった。


息を切らせた紫揺が門に手を伸ばした。 前回のようにガザンがノッシノッシと歩かなかったからだ。 ガザンにしてみればゆっくり走ったのだろうが、二足の紫揺にすれば全速力に近かった。 ジャージを羽織っていれば汗だくになっていただろう。
手を伸ばした紫揺の前にガザンが回りこんできて、紫揺の身体を押してきた。

「え? なに?」

門から身体が離れる。 するとガザンが後ろ足で立ち上がり、太い前足で器用に錠を開けた。 何度か失敗していたが。
錠を開けるとこれまた太い手を使って門を開けようとしたが、さすがに手前に引くという動作は簡単に出来ないようだ。 これが軽い戸ならできたかもしれないが門は重すぎる。

「うっそ・・・」

呆気にとられる。
前回来た時にガザンが紫揺のこの様子をじっと見ていた。 たったの一回でその様子を記憶し、やってのけたわけだった。
我に戻ったシユラが両手で門を開けると、先に門を出たガザンが来ないのか? といった目を送ってくる。

「あ、あ、うん」

紫揺が慌てて門を出ると、これまたガザンが門こそ閉められなかったが、太い前足を門の隙間に入れると錠を閉めた。 どこか嬉しそうに。

帰る時にはガザン一人で帰らなくてはならない。 この門の錠もそうだが、門自体の開け閉めもガザンがしなければいけない。 それを危惧してセキ宛の手紙には “すぐにガザンを門の中に入れてあげて” と書いていたが、その心配は杞憂に終わったようだった。 今度ガザンが一人で帰って来る時には、門の開け閉めは押すことになるからだ。

一般的に動物は引くということは出来ないが、押すということは出来る。 動物園で柵などがある時には万が一にも動物が外に出ないように、引かなければ柵が開かないようになっていることが多いはずだ。 それを思うとここはどうだろう・・・。

「ガザン・・・ガザンって犬の着ぐるみを着た・・・プロレスラー?」

さすがに二度目であるから呆気にとられることはなかったし、ガザンの背中を何度も撫でたことがあるから、ファスナーなどないことは知っている。
それにしてもどうしてプロレスラーなのか。

紫揺の言葉など意に介さずといった風に、ガザンが辺りに気を配る。 門と錠の遊びは終わった。 もう獅子との戦いに入っている。 紫揺を守るために。


回廊を歩くアマフウとトウオウの姿を回廊のライトがほんのりと照らしている。
そのほんの少し前の出来事だった。


「おっ、来たね」

頬杖をついていたトウオウの頬がその手から離れた。
丁度、紅茶のおかわりを盆に載せ、テーブルに向かってくるアマフウの口角がトウオウの声に応えた。

「どっち?」

「シユラ様が全速力で走ってる。 へぇー、結構足早いんだ」

「まさかセイハに追われてるってわけじゃないでしょうね」

質問ではあるが、語尾に疑問符が付いていない。
コトリと盆をテーブルの上に置き、窓を覗き込んだ。

「セイハの姿は見えないけど、どうする? あの土佐犬とシユラ様の深夜のランニングかもしれないしさ、それを邪魔するのは野暮ってもんだろ?」

全く心がこもっていない。

「ワザとらしい。 セイハが現れないわけないじゃない」

トウオウはランニング中の紫揺の後を追っていたが、アマフウはセイハの消えた方に目を移す。 何かが揺れたように見えた。 目を凝らす。 口角が上がる。

「トウオウ」

アマフウを見ると顎で示された。 示された先の暗闇に目を凝らすと、そこにはセイハの姿があった。

「ビンゴ。 サスガだね。 セイハの気持ちをよく分かってる」

「二度とそんなことが言えないように、その口を切り裂いてあげましょうか?」

言い終わると踵を返した。

「口が過ぎました。 お赦しくださいお嬢様」

笑いながら言うとアマフウの後ろについて部屋を出たのだった。


舟をこいでいたセイハが、いつ起きたのか。
浅い眠りの中で夢を見ていた。 その夢の中でゾクゾクと寒気を感じた。 途端、夢と同時に現実にもくしゃみが出た。 それで起きたのだが、まさかもう紫揺がここから居なくなっているとは思わなかった。

「シユラに付き合ってて風邪でも引いたら、たまったもんじゃないわ」

紫揺は一言も付き合ってくれなどとは言っていない。

立ち上がり土を払うと部屋に向かって歩き出した。 するとどうだろう。 ガーデンライトに照らされた紫揺の姿が見えたではないか。 何故か走っている。

「なにやってんの、シユラは」

思いっきり眉間に皺を寄せる。
ゆっくり歩きながら、紫揺の後を追っていると門を出て行く姿が映った。

「え!?」

一瞬にして 『今夜中に出られるんですね』 という言葉の意味が分かった気がする。

「でもあそこには獅子がいるはず。 シユラも知ってるはずなのに」

いったいどうするつもりなのか、そしてセイハも走って後を追ったのだった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする