大福 りす の 隠れ家

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国津道  第32回

2021年05月07日 22時50分41秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第30回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


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- 国津道(くにつみち)-  第32回



襖が開くとそこには次郎が立っていた。
次郎が座敷に入ってくると、長治に何やら耳打ちをする。 すると長治が頷くと立ち上がり「場所を変える」と言った。
そして今、この部屋に居る。

この部屋、八畳間には硝子戸があり、庭だろうか裏庭だろうか、見渡すことが出来る。 窓の向こうにある濡縁では季節の良い時にそこに座り、茶を啜ると和むことだろう。

「花生は・・・花生の家は我が親族の、先祖の恥さらしよ」

浅香の斜め右手に肘かけの付いている低めの椅子に座っていた “大婆” と紹介されたお婆さんが話し出した。 浅香と詩甫が並んで座り、その正面に長治が座っている。

浅香は長治のことを大将と言ったが、その上がいたようだ。 ラスボスというところだろうか。

部屋の中には少し低めのベッドが置かれてあり、小さなちゃぶ台と濃い茶色の古めかしい抽斗の付いた棚があるだけの畳間であった。 ちゃぶ台の上には四人分の茶が置かれている。 少年の母親らしい女性が運んできたのであるが、やっと客として認められたのかもしれない。

次郎から詩甫の話を聞いた大婆が自室に浅香と詩甫を呼んだのである。 詩甫の先祖の話を聞いて大婆から話しても良いと判断したのである。
大蛇に怯えることなく社を大切にしてくれた詩甫の先祖、朱葉姫に心を寄せてくれた詩甫の先祖。 その先祖に応えなくしてお婆の子孫と言えようか。

長治もそれに反対することは無かった。 その長治が話そうとしていた時だったのだから。

大婆は長治と重複するようなことは訊かなかった。 もし長治が何かを訊いていて、大蛇のことを話すに値しない相手だと判断していたのならば、長治は二人をこの部屋に連れてこなかっただろう、大婆はそう判断をしていた。

大婆から話して聞かせるのは次郎から聞いた “大蛇の正体を知りたい” “大蛇は誰なのか” “先祖の疑問に応えたい” それに答えるだけである。

「今も親族から孤立しておる。 もう誰もその理由を知らんがな」

それは理由を知っているのはもうこの家だけだということだろう。 長治も話しかけていたのだから、大婆はその理由をちゃんと代々言い伝えているのだろう。 それがどう大蛇に繋がるのだろうか。

長治と話していた時と違って詩甫は言葉尻を訊き返すことは無かった。 ただ大婆の話に耳を傾けている。 再び正座をしている浅香も然りである。

「花生は時々実家に帰ってきておった。 その時に憎々しげな顔で言っておった」

当時は花生が戻ってくると、領主の家での生活を聞きに親族が集まっていたという。 生活そのものも聞きたがったが、若い女は領主の長男であり花生の夫の話を聞きたがっていた。 それ程に領主の長男は若い女達から人気があった。

だが誰一人として朱葉姫のことは訊かない。 花生が不機嫌になるからだ。
次の言葉を言いたくないのであろうか、大婆が顔を歪め大きく息を吐いた。



社から出て来た曹司が山を下りて詩甫の落ちて行ったであろう場所に向かった。 これで二度目である。 最初に下りて行ってから今日まで下りはしなかった。

あまり人里に近付きたくないという理由であった。 万が一にも生きている人間に姿を見られてこの山には幽霊が居ると思われることを懸念してのことである。 この山に幽霊が居るという噂が広がれば民の足が遠のく。 それは朱葉姫の想いを妨げることになる。 それはずっと曹司の思いの中にあった。
今の自分は生きている時に幽霊と呼んでいた存在になっているということは十分に自覚している。

そんな曹司がどうして山を下りる方向に足を向けたのか、それは朱葉姫に大蛇のことを話した時に瀞謝の名前が出てきたからであった。

浅香からは瀞謝は大事には至らなかったと聞いたが、だからと言って気にならないわけではなかった。

それに大蛇のことを話した時、いや、正しくは民が朱葉姫の名を覚えていると話した時だ、朱葉姫の反応は気の無いものだった。 それはどうしてなのだろうか。 そんなことを考えながら坂の途中までやってくると坂の下、階段を上がり切ったところに人の後ろ姿が見えた。

人の姿と言っても生きた人間の姿ではない。 半分透けてその姿が僅かに揺らめいている。

もう千年以上も前ではあったが見覚えのある後ろ姿であった。 それに忘れることなど出来ようか。
一緒に同じ屋敷で寝起きをしていたのだから、朱葉姫を可愛がってくれていたのだから。 朱葉姫と一緒によく居た曹司はそれをよく知っている。 それに朱葉姫が可愛がっている曹司だからと、曹司自身も可愛がってもらっていた。

朱葉姫が亡くなった時には曹司を励ましながらも何日も何日も目を腫らしていた。 誰も居ない所で泣いていたのは明らかであった。
見間違うことなどない。

「まさか・・・」

曹司の気配に気付いたのか、その姿が振り返った。
見紛うことなく当時の美しい顔をしていた。 眉を僅かに上げるとその姿が濃くなり、揺らめきもなくなった。

誰が見てもひとりの女の姿である。 だが衣裳だけは今の時代にそぐわない。 時代錯誤な着物を着ているが、それはその時代には豪華な着物であった。

「・・・曹司か、久しい」

女は自分が一番美しかった時の姿をとっていた。 瑞々しく若々しい頃ではない、しっとりとした美しさを持っていた頃の姿。
曹司の姿に懐かしさを覚えたのだろう、しっとりとした笑みで曹司を見ている。

「・・・どうして」

問われた相手が柔らかく口の端を上げる。

「どうして此処に・・・」

女が婉然な笑みで首を傾げる。

「居てはいけないのかのう?」

「い、いいえ、決してそういう意味では・・・」

何故だ、それなら何故、今まで社に来なかったのか。
まさか・・・。
いや、そんなことが有り得るはずがない。

「何を難しい顔をしておるのか?」

「あ・・・いいえ、驚いただけです」

くすり、と女が笑う。

「現世に生きていなくとも驚くことがあるのかのう」

「あ・・・」

幽霊でも驚くことがあるのかと言われたわけである。
恥ずかしさに俯き加減に横を向いた曹司に女が続ける。

「相変わらず可愛らしいこと」

今の曹司は可愛らしいと言われる姿ではない。

「姫・・・朱葉姫様にお会いになられないのですか?」

「お会いしたいのは山々。 朱葉姫がお社にいらっしゃるということは分かっているのですから。 でもわたくしにも事情というものがあるからのう」

「事情?」

女が後ろを向いた。

「わたくしのことは朱葉姫にも皆にも言わないでちょうだいな」

肩越しに女が言う。

「え・・・どうして」

「わたくしが居るとお知りになられれば、朱葉姫もわたくしに会いたいと思われるでしょう?」

それはそうだろう。 朱葉姫があれほど慕っていたのだから。

「でも。 事情があると言ったでしょう? お会いできないの。 朱葉姫に寂しい思いをさせたくないの。 時折こうしてここまで来て朱葉姫に心を寄せる、わたくしはそれだけでいいの」

そう言い残すと女が階段を下りて行った。 その姿が段々と薄れていき、もう人間の目に映ることは無いだろう。

「花生様・・・」

朱葉姫が亡くなってからも曹司は花生に可愛がってもらっていた。 まだ少年の曹司がうっかりしたことをすると、先ほどのようにくすりと笑って窘めてくれていた。

姿を消した花生が小さな光の粒となって木の葉に止まる。

「会わないかと? 相も変わらず甘いのう」

光の粒が歪に歪んだ。



大婆の口が続きを話し出した。 言いたくなさそうな顔をしながら。

「朱葉姫を謗(そし)っておったのよ」

え? っと小さく詩甫の声が漏れる。

「戻って来る度、散々に言っておったということだった。 それは親戚たちにとって気持ちの良い話ではなかった。 誰もが朱葉姫のことを想っていたのだからな」

少し前に長治から執念という言葉を聞かされていた。 結局分からずじまいだったが、この事に繋がるのだろうか。

「花生は誰からも慕われる朱葉姫が憎くうて堪らんかった」

花生は美しかった。 性格も悪いものでもなかった。 朱葉姫の兄の心を射止めるのに少々とんでもない手を使ったことはあるが、それは惚れた弱みであった。 朱葉姫の兄が父が母が朱葉姫を可愛がる。 花生も同じように朱葉姫を可愛がった。 朱葉姫が可愛がる曹司すらも可愛がった。

その姿は誰もが認めるはずだった、そして花生を見るはずだった。 だのに誰の口からも花生の名前は上がってこない。 誰もが口を開けば朱葉姫という。 民ですらそうであった。

「花生の親にしてみれば、朱葉姫が誰からも慕われる気持ちは分かっとる。 自分達もそうなのだからな。 だが我が娘が一番、そう考えるのは親として分からんでもない。 だからと言って・・・」

何度か口を開けるが、その後に口を閉じてしまう。 とうとう大婆が言い淀んでしまった。

「大婆、構わん。 言いたくない事は言わんでええ。 わしが話す」

詩甫と浅香が椅子に座っている大婆から長治に視線を変える。
もう冷めてしまった茶を一口飲むと長治が話し出した。

「親戚、それは血の繋がりがある。 我が先祖でもあると言えよう。 その我が先祖は浅はかなことをした」

そう話し始めた長治の口から次々と思いもよらぬことが話された。

平安の時代前後には呪術で人を呪うということがあった。 飛鳥時代には役所である陰陽寮が設置されていたが、民間の陰陽師が頼まれて人を呪うことを受けていた。 陰陽寮が廃止されてからも呪うということは連綿と続いている。 丑の刻参りがその一つでもあるのだから。

詩甫が目を大きく開き手を口に充てる。 大きく開いた目からハラハラと涙が落ちてきた。
手を充てた口からくぐもった声がする。

「そんな・・・」

花生の両親は呪を使う者を探し、朱葉姫に死の呪いをかけたということであった。 期限は切られていた。

「花生が朱葉姫が嫁ぐまでに、と言ったそうだ。 朱葉姫の幸せな顔を見たくないからと言ってな」

浅香がポケットからハンカチを出すと、そっと詩甫の手を口から外させその手に握らせると、話を止めた長治を見て口を開いた。

「僕はその時代のことをよく知りませんが、今の時代のように簡単に何度も実家に戻ることが出来たんですか?」

一度嫁に出ると帰って来るなと言われた時代もあっただろう。 地域によっても違うことがあっただろう。

浅香の質問に長治が首を振る。

「花生は自分で実家に戻ると言っておきながら、それを快諾する義理の両親すら・・・いや、夫ですらも厭うようになってきた。 花生が居ようが居まいが朱葉姫さえいればいいのかとな」

「そんな勝手な・・・」

「ああ、そうだ。 朱葉姫の両親にしても兄にしても心優しい。 だからこそ朱葉姫もそんな風に育ったのだからな。 両親も兄もきっと花生が親と離れて寂しくないようにと気づかって実家に戻るのを快諾していただろうにな」

長治がハンカチに顔を埋めている詩甫をチラリと見る。

「あんたに聞かせるには惨(むご)いとは思うが、朱葉姫の死は凄惨だったらしい。 何日も苦しんだ挙句、血を吐いてな」

長治は凄惨と言った。 簡単な苦しみ方ではなかったのだろう。 どれだけ怨念を込めた呪いだったのか・・・。 そのように頼んだのか。

詩甫に向けて言っていた長治だったが、今の詩甫には何を言っても涙をするだけだろうと浅香が考えた時、気付いた事があった。

(え・・・怨念? それは朱葉姫が言っていた “怨” ではないのか・・・)

「当時は今のように医学は進んどらん。 確かに呪いという存在はあったが、朱葉姫が誰かに呪われることなどあるはずがない、いや、そんな考えもなかった。 朱葉姫は何かの病で亡くなったと思われた。 だがその病が何なのかが分からん。 だから当時は土葬だったが火葬にされた。 病、流行り病の疑いがある者はそうされる。 それは・・・亡くなった者や亡くした者にとっては悲しいことらしい。 土葬であれば最後のその姿を目に焼き付けておくことが出来るからな。 最後に目に残った姿が骨ではな」

(火葬?)

曹司からは埋葬されたと聞いていた。 てっきりお気に入りの着物を着て土葬されたものと思い込んでいた。 だが今の長治の話しぶりでは、火葬とは曹司も言いたくなかったのかもしれない。

「それだけのことをしたんだ、それで終われば良かったのに」

沈んだ顔をしていた大婆が頷いた。

「罰当たりなことよな」

「いったい何が?」

浅香が大婆と長治を交互に見る。
憮然とした面持ちで大きく息を吐いた長治が腕を組む。

「それだけでは飽き足らんかった」

「え?」

もう朱葉姫が居なくなったのだ。 これで誰もが花生を見る。 そうなる筈だった。 なのに・・・。 民が朱葉姫の死を悲しんで社を建て誰もがその社に通う。 誰も花生を見ることなどなかった。
それは朱葉姫のことを想っていると振舞えば振舞う程、憎しみは倍増していったのかもしれない。

「花生はもう自分自身では抑えきれんもんがあった。 朱葉姫が亡くなり花生もいつ寿命が尽きるか分からん。 その前に手を打とうと考えたんだろう。 親にも言わず朱葉姫に呪いを施した者のところに足を運んだ」

朱葉姫は苦しんだと長治は言っていた。 その力は信じるに値する呪者であると踏んでのことであったのだろう。 だが手を打つ? どうして、何をしに呪者に会いに行ったのか。 浅香にはその理由が全く分からなかった。

「死んでも朱葉姫を呪う」

「え・・・」

「呪者にそう言ったらしい」

「いや、あの・・・」

どういう意味だ。 全く分からない。
戸惑う浅香をそのままに長治が話し続ける。

「花生が死んだと同時に呪いが発動するように頼んだらしい」

「そ、それは幽霊となってこの世に残るということですか?」

幽霊になってまでも、もう現世に居ない朱葉姫を呪うということか?
長治が頷く。

幽霊の存在は浅香も目にしている。 曹司とて浅香自身だと言ってもその存在は幽霊なのだから。

「でも朱葉姫はもういないのにどうして」

「後年の花生の怨みの矛先は社に向けられていた」

誰もが社に足を運ぶのだから。

「その社が朽ち果てるのを見届ける、多分そうすることで気が済むんだろう。 実際に呪者にそう言ったということだ。 社が朽ち果て潰れてそれを見届けてから成仏する。 そのように呪者に頼んだらしい」

浅香がゴクリと唾を飲む。

それは呪者があとになって朱葉姫に呪いをかけたことや、新たに花生に呪をかけた事を本家であるこの家の先祖に洗いざらい話してきたということであった。 決して呪者がそんな呪いをかけてしまって後悔してのことではなかった。 こんなことを言いふらされたくなければ・・・、ということであった。
すぐに親族会議がもたれた。

花生の実家は親族から物を投げられ罵詈雑言の嵐だったという。

恥もなにも捨てて呪者から聞いたことを領主に言い、それで朱葉姫が生き返るのならその道を選んだかもしれないが、もうその時には朱葉姫が亡くなってから何十年も経っていた。 それに朱葉姫は骨になっていた。 生き返ることなどない。

「決して今で言う金持ちではなかったがな、それでも領主の元に嫁がせた家の本家だ」

米や作物、反物、今で言う税を領主を通して納めなければいけなかったが、それさえも呪者に言われるがまま渡した。
口止め料である。

誰もが想い慕う朱葉姫を呪い殺したと噂が広まれば、花生の実家どころか親戚中がこの地にはいられなくなるだろう。 分家を守るのは本家の役割でもあるし、本家自体を守るのは時の当主である。

「では死んだ今もその花生という人はこの世に居るということですか?」

長治が顔を歪めて鼻から息を吐く。 まるで幽霊を簡単に信じている浅香を嘲笑ったようにもとれるが、そうではないであろう。

「あの山で女の幽霊を見たなどと言う話は聞いたこともないし、昔語りにも残っとらん」

長治の返事に浅香が首を振る。

「いいえ、そんなことは訊いていません」

長治が眉間に皺を寄せる。

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