大福 りす の 隠れ家

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孤火の森 第6回

2024年07月12日 20時50分57秒 | 小説
孤火の森(こびのもり)  第6回




小さい時にブブが 『ブブもあれ欲しい!』 と、ポポの股を指さしては何度も言っていた。
お頭は 『今度山の中で見つけたら持って帰ってブブに付けてやる』 と言っていたが、今はもうお頭の言っていたことが冗談だと分かっている。

「女になったって・・・」

どういうことだ、とは訊けなかった。
ブブの小さな背中が震えている。

(ブブ・・・)

ブブの背中ってこんなに小さかったのか? こんなに頼りなかったのか?

「籠を片付けてきな。 ああ、アタシのも一緒にな」

「・・・ブブ」

どうしてもっと心の底から仲良く出来なかったのか、どうしてもっとブブのことを分かろうとしなかったのか。

「ほら、さっさと行きな」

サビネコに肩を持たれて方向を百八十度変えられた、ポンと尻を叩かれた。 でも動くことが出来ない。

「何やってんだよ! 男だろが! しっかりしな!」

今度は思いっきり尻を叩かれ、よろよろと歩きだした。

―――ブブが・・・ブブじゃなくなった。

山から戻って来たのを迎え入れる為に、岩屋から出て来ていたアナグマが三人の様子を目を眇めて見聞きしていた。
あの日、サビネコと話した日からまだ少し腹を気にしながらも二日後にお頭の元に行った。

『お頭、そろそろポポとブブの穴を別にした方がいいんじゃないか?』

『何でぇ、ポポが何か言ったのかよ』

『いや、ポポもブブも何も言ってない。 けど、双子と言っても男と女だろう? そろそろ二人の違いも出てきてる。 いや、そろそろどころか精神的なところでかなり違いが出てきてる。 少なくともポポは男達の穴に入れればどうだ?』

お頭が煙管を深く吸うと肺の中から大量の煙を吐く。

『あの二人はギリギリまで・・・いや、おれたちの知る間はずっと一緒にしておく』

『おれたちの知る間?』

どう言う意味だ。

お頭が片方の口角を上げた。

『おれたちの知らない事が多いからな』

“おれたちの知らない事” それはどう言う意味だ。
勝手にお頭について来た者達の過去をお頭も誰も詮索をしない。 お頭自身に対してもそうだが、お頭が拾ってきた子に対してもだ。 ましてやポポとブブは生まれてすぐにお頭の腕の中にいた。 事情も何も知らないでお頭が拾ってきたのであれば、生まれたばかりの子の事を知らないと言われればそうなのかもしれないが、どこかおかしい。

『お頭?』

お頭が真髄何を言いたいかは分からない。 だが自分が言ったことを認めないと言ったことだけは分かる。

『悪りーな、おめーはポポとブブをよく見てくれてる。 これからもそれは頼みたい。 だがよぅ、今はここまでにしてくれねーか?』

お頭は何を隠しているのだろうか。 ポポとブブの出生の何かを知っているのだろうか。

アナグマ・・・それは生まれた時の名ではない。 ヤマネコにしてもサビネコにしても、他の仲間たちにしてもそうだ。
群れは群れ特有の名前をつける。 それがその群れの一員という表し方でもある。

お頭は群れなど作る気はないと言い、生まれた時のままの名で良いと言ったが、お頭について来た者達はお頭に新たな名前をつけてもらいたがった。 それはどこの群れにでもあることだ。 生まれ育った群れを出たということは、その過去を捨てたいということである。

アナグマも例には漏れず、アナグマが生まれ育った石の群れではアナグマの名前はリンケイだった。

『お頭、一つだけ訊かせてくれ』

『答えられるんなら答えるがよ』

『ポポとブブ・・・この群れの名じゃないよな?』

それはずっと前から思っていたことだ。 それにポポ自身もそれを口にしていた。 まだ二人が幼かった時、ポポに訊かれた。

『アナグマ? どうしてオレはポポなんだ? ブブもそうだ。 この群れの名じゃないよな?』

『そんな顔をしてるからじゃないのか?』

その時にはそう答えた。

『どんな顔だよ』

ポポが言ったが、納得はしていなかっただろう。
だがポポがお頭に訊くこともなく、ブブも気付いてはいただろうがアナグマに訊いてくることも無かった。
アナグマの問にお頭が答えた。

『・・・答えられねーな』


ポポの足取りがあまりにも重い。
双子の片割れに初潮が起きたくらいでこんな風になるものだろうか。 お頭の言っていた 『おれたちの知らない事が多いからな』 その一つがこれなのだろうか。 それはいったい何なのだろうか。
アナグマが岩屋から歩いて出てくると、置き去りにされていた籠を二つ手に取る。

「ポポ」

顎で蔵にしている岩屋に入るように促した。


「なんて顔してんだい」

サビネコがザブンと音をたててブブの横に腰を下ろしてブブの頭に掌を置く。

「だって・・・」

「アタシもブブも女に生まれたんだ」

下を向いていたブブがサビネコを見たのに対して両の眉を上げて応え、頭の上に置いていた手でクシャクシャとブブの頭を撫でてやる。

「男達が髭を剃るだろう?」

「え? うん・・・」

失敗したと、時々顎から血を流しているのを何度も見たことがある。

「男達もな、男になると髭を毎日剃らなくちゃいけない」

山の民の間では若い者が髭をたくわえるのは認められない。 若いどころか、お頭の歳に至っても少々の無精髭くらいは認められるが、まだ髭を伸ばしていい年齢にはなっていない。

「男達は毎日のことだ」

サビネコの言いたいことが分からない。 どういうことだという目を送る。

サビネコが声なく笑った。

「女は毎日じゃない」

月のもの。 それはおおよそ二十八日の内、おおよそ七日間だけのもの。
おおよそ、それは人によって、その時の体調によって違うとヤマネコから聞いていた。

「ま、髭を剃るのと違って腹は痛いし、何も食べたくなくなったり、頭痛もあるし、動けなくなったりするけどな」

ああ、吐き気もあるか、と付け足して続ける。

「ブブだけじゃない、女はみんなそうだ」

「サビネコも?」

「当たり前だろう、アタシも一応女なんだからな」

「今も?」

「ぶっ叩くよ」

この年齢にして、もう上がったと言われるのは女としてどうだ。

「ヤマネコからちゃんと教えてもらったんだろ?」

「うん・・・」

「正常な身体の成長だよ」

「そう、なのかな」

「疑ってどうすんだよ、ブブは間違いなく女だってことだろう? とにかく冷やすのは良くない、出るよ」

サビネコに腕を摑まれ立ち上がった。

―――自分の場所はここではない。

そう思ったことは月のものと関係があるのだろうか。


アナグマに連れられて岩屋の蔵に入って行ったポポの様子がおかしかったのを見て、ヤマネコがブブの様子を見に来ていた。
最近のブブの身体の様子から、そろそろ月のものが来ると踏んでいたが、サビネコとブブの様子から見てブブに月のものが来たのだと分かった。

「アタシが居なくてもサビネコが居てくれるかね」

着替えもそうだが、精神的なところでもサビネコが見てくれるだろう。 それでは今自分がしなくてはならないことをするとしようか。
ヤマネコが踵を返して岩屋に入って行くと同時に、ブブとサビネコが川の水を汲んで女たちの岩屋に向かって歩き出した。

「お頭、いいかい?」

お頭の部屋にある布越しに声がかかった。

「ヤマネコか、いいぞ」

布をめくり上げてヤマネコが部屋に入ると、お頭が服をたくし上げうつ伏せ状態で伏せていた。

「なに、やってんだい・・・」

お頭の横には若頭が居て、お頭の腰に薬草を塗りその上から布を貼ろうとしていた。

「ちっとな・・・」

「なんだい、年寄りが無理でもしたのかい?」

「ちっ、まだ年寄扱いされる歳じゃねーよ」

「六十三にもなってよく言うよ」

「まだ髭も伸ばせねー青二才だってんだよ。 それより何だ、用があったんだろうが」

「ああ。 あんたら助平のお待ちかねがやっときたよ」

どうして男が女の初潮を気にするのか。 何故だか理由を言ってはもらえなかったが、再三お頭と若頭からブブの様子を訊かれていた。 そしてつい先日には 『そろそろじゃないかい?』 と答えると、始まればすぐに知らせてくれと言われていた。

若頭が手を止め顔を上げ、お頭が手を着いて上体を上げた。

「あぐっ!」

お頭が再び俯けに倒れ込んた。

「何やってんだい」

呆れた声を出してお頭に近寄ると、剥がれ落ちた布を手に取りもう一度お頭の腰に貼り付けた。 若頭は一瞬にして顔色をなくしている。

「い・・・いつだ」

「ついさっきみたいだね」

「お頭・・・」

顔色をなくしていた若頭がようやくといった具合にお頭を呼んだが、その声に張りがない。

「くっそ、こんな時によー!」

どうしてこんな時に腰を痛めてしまったのか。

「おい、薬草、暫くの間でいい、痛み取りの薬草を持ってきてくれ」

「お頭・・・それは無茶をし過ぎですぜ」

痛みを取るということはお頭自ら動こうと思っているに違いない。 だが今はまず安静にしておかねば痛みを取ったとしても足は思うように動かせないだろう。

「そうだよ、痛み取りの薬草って・・・その歳でそんなものを使うなんて無茶言うんじゃないよ」

「無茶も何も分かって言ってんだよ。 おい、とっとと、取って来な」

若頭が青い顔をしたまましぶしぶ立ち上がって部屋を出て行った。
若頭を見送ったヤマネコ。 いったいどういうことだ、お頭が歳を押してまで、腰の具合の悪さを押してまで何をしようとしているのか。

「お頭、いったい何だってんだい、ブブのことと関係があるのかい?」

単にブブに初潮がきたというだけなのに、いったいどういうことだ。

「ヤマネコ・・・オメーには感謝してる」

「なんだよ、いったい」

「ブブとポポに乳を飲ませてくれた。 オメーが居なきゃ、今ブブとポポは居ねーよ」

ブブとポポがお頭の手の中にやってくる一月ほど前だった。 豪雨の中を赤子を抱いて彷徨っているヤマネコを見つけた。 その時のヤマネコは殆ど放心状態だった。

「なんだよ・・・熱でも出たのかい」

なかなか出来なかった子がようやく生まれた。 それなのに半年も経たないうちに死んでしまった。 我が子の亡骸を抱え群れを出たようだったが、その時の記憶は今も無い。 どうして群れを出たかの理由も群れのことも、どこをどう歩いたのかも覚えていなかった。
だが、お頭が献身的にヤマネコを支えてくれた。 長い間雨に打たれていたのだろう、高熱を出してしまった体を看病し、痩せ細っていた我が子を山の民の掟に従って葬ってくれた。

お頭からはどこの群れに居たのか探してやるからと、何度も群れに戻るように言われたが戻る気にはなれなかった。 どうして群れを出たのかを思い出せないという不安もあったが、何よりお頭の元に居たいと思ったからだ。 何の縁も無い、ましてや初めて見た時には息の無かった我が子をそっとヤマネコの手から抱き上げ掟に従って葬ってくれた。 それが何より心の底に響いた。
もし亭主や群れの者が探しに来ても戻るつもりはなかった。 結局誰も探しには来なかったが。
そんな時だった。

毎日張ってくる乳の痛みに負けて絞っていた乳がまた張ってきて仕方がなかったある早朝、お頭がポポとブブに乳をやって欲しいと言ってきた。
子を失った悲しみに毎日ただただ泣きぬれていただけで、この群れの誰のことも覚えてはいなかったが、それでも初めて見る子だった、それは分かった。
生まれたての子じゃないか。
無意識に笑んでいたことを覚えている。
張っていた乳が、我が子が飲むはずだった乳が、顔も知らない誰かの子の命の水となる。 嬉しかった。 我が子に誇れる母になった気持だった。

「言ってみりゃー・・・」

オメーがポポとブブの母ちゃんみたいなもんだ、お頭として、いや、もしかして乳を出せない男としてなのだろうか、ポポとブブに乳を飲ませたヤマネコが母ちゃんのようなものだと言いたかったが、ヤマネコには我が子がいる。 生きていなくともヤマネコの子はその子一人だ。 ヤマネコは今もその子を想っているだろう。 ヤマネコはその子だけの母親。

「ブブとポポの命の恩人だ」

「どうだかね・・・」

「それとおれの、な」

「は?」

お頭に乳をやった覚えなどない。

「オメーが居なきゃ、おれは・・・あの二人を抱きかかえて死んでたさ」

今はもうブブもポポも十三歳になっている。 十三年前、いや、二人の歳から正確に言うと、もう十四年近く前になる。 思いがけないことがあった。
思いがけないこと・・・だがそれは辿って行くと三十七年も前に結びつくことだった。

十四年近く前、有無を言わせない・・・言うことすらできない出来事だった。

岩屋のお頭の部屋に一人の男が突然入ってきた。 お頭は寝ていたがすぐに気配に気付いて身を起こした。
見たことのある顔だった、透き通るほどに美しく白い肌を持つ顔。 だがその顔がやつれている。 だから正確に言うと見たことのある容貌の面影のある男だった。 記憶にある白銀の髪、透き通ったブルートパーズの色をした瞳。 その男の両手に二人の赤子が抱かれていた。

『な・・・』

何だ!? どうしてだ!? そう言いたかったが、昼であれば誰なとが岩屋の前に居るが今は夜中だ。 岩屋には州兵のように歩兵が立っているわけでもなければ、誰が守りを固めているわけではない。
誰の誰何も受けることなくお頭の部屋まで入ることが出来たのは当たり前のことだった。 そしてこの男、森の民にとって岩屋のどの部屋がお頭の部屋と分かることも当たり前のことだったのだろう。

『わたしの顔を覚えているか』

目の下にはクマがあり頬はゲッソリとこけていたが覚えている。
お頭が頷いた。
忘れるわけがない。

三十七年前、十三歳の頃に群れの方針に納得がいかず群れを出た。 一人彷徨っているといつの間にか誤って森の中に入っていたようだった。
最初は幻覚を見せられ何が何か分からなくなった。 そんな時にこの男が現れた。

『何をしに来た』

透き通るような白い顔をしていた。 病的ではなく美しいとさえ思える白さだった。 まだ当時のお頭が子供だったからだろう、随分と背が高く思えた。
当時少年だったお頭が首を振る。

『お前のような子供を惑わし終わらせるにはこちらも戸惑うところがある』

『終わらせる・・・?』

『ずっと歩く。 お前のような子供は力尽き果ては死ぬだろう』

少年お頭の肝が上がった。 死ぬ気など毛頭ない。

『迷っただけだ! その! ここは森の民の森か!? 森に入るつもりなんてなかった!』

いつの間に森になど入ってしまったのだろうか。 それより群れから出て何日経っていたのだろうか。
森がざわめいた。
それを肌で感じた少年お頭。

『え・・・』

辺りを見回すが何も見えない、何も変わったことはない。
少年お頭に対峙していた男が片手を上げた。

『女王のお口添えだ』

森のざわめきが徐々に静かになっていく。

『森から出るか』

『女王、って・・・?』

『森から出るかと訊いている』

少年お頭が頷いた。

だがあれは三十七年も前のこと。 この男はあの時すでに三十の歳を越していたはずだ。 それなのに今目の前に現れたこの男は三十の歳くらいにしか見えない。

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