昨日はしばらく聴いていないGlenn Gouldをずっと聴いて過ごした。
平均律、一集、二集、更にイギリス組曲、 聴き続けるもGouldの世界に入り込んでいけない。
未だKoroliov の強い呪文から抜け出せないためか、感激なく、ただ音が空間に流れ、時が過ぎていく。
流石イギリス組曲は途中アンプの電源を切ってしまった。
今日も朝から風雨、時々雪が交じる。ピアノは止め、灯油高騰の折だが室温は25度以上、
ストーブ前、足を伸ばし、リラックスしてバッハをチェンバロで聴こうと思う。
Rousset,Heidsieck,Ross,Walcha,koopman,その他たくさんあれど、録音の良くないのはまず敬遠、
そんな時、聴くのはiPhoneのストレージにも入れてあるほどお気に入り、鈴木雅明のパルティータ、フランス組曲。
「雅明」のイギリス組曲が聴きたい、その後録音されているのだろうか、調べると2016年に録音、発売されていた。
イギリス組曲,HYBRID SACD、価格6、000円、古い装置でもハイブリッドゆえ再生できるが、SACDは無用の長物、考えてしまう。
だが、本来偉大な芸術家、演奏家、文化諸々を支えるための出費はリスナーの当然と考えるべきであろう。
残念というべきか驚くべきというべきかyoutubeにその鈴木雅明のイギリス組曲があった。
こんなことがあってもいいのだろうか、否、と思いつつ聴いてしまう。
素晴らしい演奏、YouTube、が、音質,、録音の良さ、途中邪魔なコマーシャルが入るが全曲聴きいてしまう。
私はリュッカース(Ruckers)の音色を好む。(使用チェンバロは1982年ヴィレム・クルスベルヘン制作によるリュッカースのレプリカとある)
この手のCDは残念ながら直ぐに廃盤の憂き目、急ぎ手に入れなければ、と思うものの・・・