マドレーヌ寺院
心理学の勉強をする前までは、ストレスはピアノを弾いて解消していました。
勉強を始めてから、何故かピアノは遠のき、それでもいつでも弾けるように調律だけは欠かしていません。無性に弾きたいという気持ちがつのってきたのは、学習する興奮が多少治まってきた証拠かもしれない、と思っています。
人は、何らかのバランスを取りながら生きています。
感性を意識しながら生活していたいという無意識の意識化が私からピアノを弾くことを遠ざけたのだとは思います。つまり、現在は意識化、言語化できているから足りないことを補う情動が減ったというわけです。
年末年始のパリは、教会コンサートが目白押しです。それぞれの教会近くにA3くらいのチラシが貼られ、直接聞きたいコンサートが行われる教会に行き、そこで前売り券を買う事ができます。
今回は幸運なことに二か所の教会でコンサートを楽しみました。
一か所目は、コンサート中、息子とトイレを我慢した思い出のあるパリで最古の教会(東方正教会)。そこでは弦楽四重奏。モーツアルトやビバルディ。
二か所目は、以前から聴きたかった場所であるマドレーヌ寺院。そこではモーツァルトのレクイエムをメインに声楽家の美しい声の響きと100人はいるであろう合唱を堪能。
勿論、オーケストラも素晴らしく、夢のような晦日の夜を過ごしました。
そんなわけで、昨年末から頭の中にモーツァルトの響きがグルグルと巡っているのです。
ああ、ピアノが弾きたい。。。という情動は、今年は消せそうもないので、週末はピアノを蓋を開けようかなぁ…
蓋を開けるとパンドラの箱を開けるような感情が湧きあがるような気がします。
弾いたら止まらなくなるような、そんな不安感です。不安感を解消するために弾いていた感情が蘇ってくる恐怖感かもしれません。
昔、ある靴を履くと足が動き出して止まらなくなると云う内容の童話を読んだことを思い出し、落ち着かなくなるわけです。
朝からへんな妄想的ブログで失礼します。これも今日がモーツァルトの誕生日だから、、、というオチで、許してください♡ちなみに1756年です。
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