五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

奈良のお水取り

2010年03月13日 | 第2章 五感と体感
毎年奈良のお水取りのことを書かなくてはけじめがつきません。
3月1日~14日まで行われる東大寺・二月堂の修二会のことです。
お水取りが終わると春が訪れます。
仏教もキリスト教も、この時期は罪を購う季節です。
そして、仏教は釈迦の誕生日に向けて、キリスト教では復活祭に向けて、双方それぞれの儀式で祈りを捧げます。

春分は、一年の始まりを告げるシンボルでもあります。この季節を起点として一年の起承転結の「起」がスタートします。

文化人類学、比較宗教学的見地で「これらの宗教儀式」を眺めると、人の魂を純粋に信じることができます。

人は何を欲して、何を喜びとして生きているのだろう?

自分の家族の幸せや、仕事の成功を願い、日々生きる人の営みは自分の身の回りのことを考えた狭い領域のことのように見えますが、実は、民族や宗教を超えた国境無き、柵もない、永遠普遍の魂の領域だと思うのです。

昨晩12日は、お水取りのクライマックスである大松明の日でした。無病息災を祈願する人々はこの14日間の儀式に駆けつけ松明の火の粉を浴びます。

私の記憶が正しければ、休むことなく続けられ、今回は1,257年目だと思います。

魂の躍動と連鎖を松明の炎を重ね合わせ、華厳の時を体感するときに、人の本質に自分自身が巡り会うような清浄感を味わうのです。

国境も無く、柵(サク)も無く、生死の境も無い永遠普遍の魂との出会いは、この時期の祈りの中で自己の内に具現化されていくのです。

自分とは何か?

自分との出会いは、自分自身の内から目覚める自己との出会いです。
自己の内にある答えは、魂を見据えたいと願う情動の中から見出されていくのかもしれません。

「生き甲斐の心理学参照」
クリック応援お願いします★
人気blogランキング ☆ありがとうございます
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 適応する | トップ | 無骨な統合 »
最新の画像もっと見る

第2章 五感と体感」カテゴリの最新記事