五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

頼朝の住んだ伊豆

2013年04月13日 | 第2章 五感と体感
平清盛の母(ほんとうの母ではありません)の計らいで命拾いした頼朝は伊豆に流されます。
心も身体も伸び盛りの時にです。

一方、常磐御前の息子である遮那王牛若は、義朝の子であることを伏せられて、鞍馬寺で育ちます。
源氏の残党が、琵琶湖周辺や鞍馬の山中に身分を隠して潜伏し、牛若が育つのを今か今かと待ちわびる様子は、時代を経ても理解できる心情であり行動だと思います。

今回の伊豆の旅では韮山にも寄り、北条氏のテリトリーであり頼朝が流されたあたりの風景を体感しながら江戸幕府鉄砲方江川太郎左衛門が作った鉄の鋳造施設「反射炉」を久しぶりにと見学しました。
鉄砲、大砲の必要性を幕府に説きながら、なかなか受理されず、ようやく下田に反射炉建設中にペリーが来航しました。それによって建設は中断。セキュリティー上の理由で場所を移す必要性が出、そこで自分の土地である韮山に建設することとなっりました。鉄を大砲に鋳造し、狩野川から船で運び、駿河湾から海路で江戸お台場まで運んだそうです。

第二次世界大戦中、私の父が伊東に疎開し、伊東からわざわざ韮山に通った高校もあり、半世紀近く、何かと身近な場所ではありましたが修善寺の通り道として通り過ぎるだけでした。

昔、このあたりは、ぽつんと反射炉があるだけで、大きな狩野川の土手ばかりが目立つ場所であるという印象しかありませんでしたが、北条邸跡などもあり、地味ではありますが歴史の重要な場所でもあるのです。

歴史を知ると、土地の見方も変わってきます。

現在、韮山、伊豆長岡、大仁が統合し、今は伊豆の国市となっています。このあたりの地図をよく眺めているうちに奈良から明日香にかけての地形に似ていることに気付きました。

葛城山もあり、その袂に伊豆の国市役所があります。まさに奈良の地図と重なるような場所に葛城山があるのです。
伊豆の国市の葛城山はロープウェーがあり、お天気が良いと駿河湾が見渡せるそうです。

北側を向くと富士山が悠然と見えます。

伊豆に流された頼朝は、思春期のショック体験は大きかったはずですし、流刑の身としての生育史は辛いものであったと思います。
でも、伊豆のこのあたりの「気」は、富士山からの気が渡り、清々しい空気が流れていました。

頼朝も見たであろう富士山を眺め、感慨深い旅となりました。

平家物語を読み、吾妻鏡を読んでいないのは、ちょっとまずいな、と思いつつ、読書欲がふつふつと湧いてきました。

余談ですが、反射炉の江川太郎左衛門は、清和源氏から途絶えず現在42代目だそうです。数万点に及ぶ古文書の中から、未だ吾妻鏡は発見されていないそうです。これがどういうことを意味するかは、皆様の想像にお任せしますが、韮山の歴史研究員の方にお話を聞くこともでき、有意義な歴史学習をさせていただきました。

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