五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

どこに響かせる?

2016年04月04日 | 第2章 五感と体感
どこに響かせる?2016年4月4日

誰に何を伝えたいのか?という言葉の伝達は、的を得た言葉で言う事は案外難しく、自分が言葉の的を得たと思っても相手にも自分自身の解釈があり、自分の思いと言葉をそのまま受容してくれるとは限りません。

自分の言葉を相手に理解してもらうためには、平素の自分の思いや行動を理解してもらっていないとボタンの掛け違いになってしまうことは、誰しも経験している事でしょうし、日常の問題として私も大いに気遣いながら暮らしています。
自分の思いだけを相手かまわず主張したところで、はてさて、自分の思いは叶うだろうか?
いやいや、、、、そんな、簡単にはいきません。

自分の思いばかりに囚われていると、叶わないことに固執してゆきます。

一体、誰に何を伝えて、自分は何を叶えたいのだろう。

昨晩のルネサンス、バロック等、典礼の古楽を学んでいる声楽家のアンサンブルを聴きながら、そんなことをつらつら考えました。
聖堂の高いところにある窓に映る木々が、迫る夕闇に影となって、吹く風のまま揺れているのが見えます。そのさらに高い高いところに届かんがごとく、抑制のある歌声の中に永遠の広がりが伝わってゆくのです。

大きな声が、その目的を果たすのではなく、身体の内に巡る響きが「いと高きところ」に届いていくような響きと形容してみると腑に落ちます。
能楽の謡や声明の呂律にしても、声の回し方にしても、ヨーロッパのグレゴリオ聖歌と似ていると云われるのは、「天に届ける」という目的が同じだからでありましょう。

誰に届けたいか?どこに響かせるか?

天のいと高きところが自分の体内にあるとしたら、内に響かせる響きが永遠へと繋がってゆく事を信じる自分の体内で巡り魂を震わせ、それが届けたいところに届いていくようにも思います。
人の身体は神の神殿であることは、どうも真(まこと)の事のようです。

◎○◎○◎講座生の皆様へ◎○◎○◎
琵琶湖の唐崎WSは、4月8日~10日です。9日は三井(みい)寺の遠足を予定しています。皆様と過ごす三日間楽しみにしています。

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