五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

悔い無き生涯

2006年12月28日 | 第1章 意識と知覚
春に母方の親戚が亡くなりました。
叔父は、毎年仏像を木版画にしたものを年賀状にしていました。
毎年のことなので、私はあまり熟視せず、年賀状を書くために今年頂いた年賀状を再読し、昨日改めて気付いたのです。

叔父は、昨年末、大日如来を彫っていました。
仏様は柔和なお顔です。
美しい線は、叔父の修練の賜。
死を想って彫ったのでしょうか。

大日如来は、最期を迎えるまで取っておこう。そして時期がきたら彫ろう。
多分、そんな想いで毎年、仏像を彫りつづけたのだと思います。

私達は、スピリチュアル・ケア-(死を迎える方々への心と魂のケア-)を学びを通して、「自分の悔い無き死」を文章にします。
これは、一生の勉強といっても良いでしょう。
他人の信仰や思いは、その人のみにしかわかりません。同じ信仰を持っていても、解釈は驚くほど違います。同じ親から生まれた兄弟でも、決して同じ思いで生きているわけではありません。
だからこそ、聴く側が「自分の悔い無き死」を思索するのです。「聴く」立場の「柱」が揺らいでいては、話す人は混乱します。

「死を想う」

叔父は、私が幼い頃は、カトリックの信仰を持っていました。居間に祭壇があり、十字架とマリア様が飾ってありました。

それが、いつのまにか、仏様へと思いが移ったようです。
理由を聞いたことはありませんでした。
「死を想う」ことは、「どのように生きるか」と同じ事なのです。
悔い無く生きた叔父の人生は、めでたく大日如来で貫徹しました。

私の悔い無き人生。
一日を慈しみながら生きることです。
自分の体に、たくさんの喜びを与えて、日々、瞬間に「感じる」ことを大切にしていきたいものです。

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