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五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

信じる道を歩む

2008年06月25日 | 第1章 意識と知覚
自分はいつから「信じる道」を意識し出したかなぁ~と思いながら本日一日過ごしました。
というより、そう思うきっかけのあった一日でもありました。

好きと嫌いを分別するには、自分の信じる道を検討する必要があります。

人生、どんなことが起こるか、将来のことは予測しようがありません。
でも、「どんなふうに生きたいか」という希望は持ち続けられます。

自分が信じていることから逸れると、途端に違和感を感じます。

自分自身が違和感を感じたときに、フレキシブルに軌道修正することができたら、それが自分の信じている道に繋がっていくように思います。

人は変えられません。

でも、自分自身はいくらでも考え方や見方を変えることで、変えることができます。

自分の信じる道は、悔いなき人生と隣り合わせ。
だから、悔いなきことを意識して、取捨選択していければ、と思うのです。





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現実吟味力と恩寵

2008年06月23日 | 第1章 意識と知覚
週末、不思議な出合いで納得した経験をしました。

子供の学校の関係で、合唱のメンバーを募るちらしを頂きました。
学校の創立記念に催すコンサートで歌うのです。しかも横浜の大きなホールで行い、オーケストラも指揮者も魅力たっぷり。

歌うことにはコンプレックスを感じながらも、合唱は、聴くより歌うほうが楽しいだろうなぁ~、と憧れ続けていました。
何度か、合唱のチャンスを失いつつ、今回のようなチャンスに恵まれることは滅多にないと思いつつ、ぐだぐだと決意し兼ねていました。

既に、4月に結成された合唱団。
「モーツァルトの戴冠ミサ曲」、合唱未経験の私には、見事に高いハードルです。
組まれている練習日程を見ると、練習に参加できるのは半分くらい。
そうはいっても、「やりたいなぁ」と思う気持ちは募ります。
そんな気持ちを引きずりながら、土曜日に学校の行事がありました。親しくしている方が、帰り際、「これから、合唱の練習なの」と。。。
そんなことから、私も一回だけ練習に参加させていただくことにしました。

プロテスタントの教会でパイプオルガンの伴奏。
男性のメンバーが意外にも多く、テノールは、ほぼ出来上がった状態。
ソプラノはお一人だけが抜きに出て、誘導役。
アルトは、まだ譜読み状態。
・・・そんな状況・・・

「できるか・・・」
と思いましたが、問題は山積。
譜読みはできても、合唱という体質上、アルトを選んだとして、自分のパートを歌いきれるか。
訳を知れば、なるほど、という内容ですが、ラテン語を自分のものにできるか。

本番は10月上旬、一時間、楽譜とにらめっこしながら思索。

夏のあいだ、ひたすらミサ曲を呪文のように聴き、歌い続ける時間はあるか?

出した結果は、「無理!」

その日は、後ろ髪を引かれながらも、納得し結論を出しました。

そして、翌日の日曜日。

夕方の電車で、偶然にも、その「戴冠ミサ曲」の楽譜をおもむろに出し、何度も何度も繰り返し、昨日練習した箇所を口ずさんでいる男性が、私のまん前に座られました。法事の帰りのようです。
「なるほど、ここまでの努力なくして、あそこまでの完成には至らないよね。。。」私の出した結論に更に「無理!」が重なりました。

やりたい、と思っていれば、またチャンスは必ずあるはずだと信じて、この偶然の出合いに諦めがついたことも、恩寵かな、と解釈した週末でした。

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人の本質は不安感

2008年06月22日 | 第1章 意識と知覚
人の本質は不安感。

この概念を生き甲斐の心理学で教えられたとき、目からウロコでした。

不安感や孤独感を感じだすと、疎外感を感じたり、気分が沈んだりと不安な感情が次々湧き出してきます。

自分の信念で仕事を遂行しようとすればするほど、責任感も重くなり、孤独感も深まってきます。
芸術にしてもそうです。自分の心の世界を表に表現しようとすればするほど、自分の内側に籠り、神経質になり孤独感に陥っていきます。
カトリックの洗礼を受ける時もそうでした。自分が世の中に打ち捨てられたような深い孤独感に陥りました。
出産時にも感じました。私は一人なんだな、と。

でも、そうはいっても世の中は、自分の感情とはうらはらに淡々と時が刻まれ、人々の生活も営まれていきます。

個人個人、どの人も、私もあなたも、一面だけで生きてはいません。多角な面を持ちながら、生きています。
自分が不安だからこそ孤独だからこそ、人を大切にできるし、思いやることができるように思います。

ともかく、与えられた自分の命を生かしていくのは自分自身です。

私自身も、何かに向かって、進んでいこうと思った時に現れる不安感は、
「ミネルバの神は黄昏とともに飛び立つ」(簡単にいえば、落ち込んだ時にこそ、知恵(ふくろう)が生まれる)と解釈して、乗り切るコツがつかめてきたように思います。

だからこそ、自分の不安感に踏みとどまる勇気も時には必要かもしれません。

自分の人生は自分のものです。

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見えないものの価値

2008年06月13日 | 第1章 意識と知覚
私は、大まかに分けると二つの事柄を同時進行しながら生活しています。

ひとつは、表装。
これは、職人的な技術を要する仕事です。目で見て、身体を使い、作業するものです。そうはいっても、作品をいかに生かすか、という精神的な作業はとても大切。
作品を生かすも殺すも表装次第です。
先日の表装展で、「その精神性の緊張感や思索の時間にこそ、値段の価値がある。」とおっしゃった方の言葉が印象に残っています。
確かに、預かった作品と自分との相性と裂く地の取り合わせ、形式、それらの思索の時間にものすごく時間がかかります。

かといって、私自身、技術的に優れているわけではありません。職人ではないので、あいまいな立場です。どちらかというと芸術と工芸の狭間のスタンスで納まっています。
とはいえ、仕上げるものに関しての責任と精神性は職人と同じだと思っています。

そして、二つ目は、
カウンセリングの教育事業。

目に見えるものは「人」。それに「共に過ごす時間」があって初めて成立するものです。
しかし、時間を共有する他人から生み出すものは、物ではありません。
心の世界は、目にみえません。でも、見据えることはできます。

この二つのことを考えると、「見えるものの価値」と「見えないものの価値」は、双方、一体化しているのです。どちらかに重きを置くと、たちまちバランスが崩れます。

見えるものの価値に気を取られ、見えないものの価値をおざなりにすると、本当の意味で貧しくなるように思います。

見えないものの価値をそろそろ「心のインフラ整備」として、動きだす時期に来ているように感じています。
「できることをやっていく」私のスタンスが、このところ、ちょっと過剰気味です。でも「見えないものを見据えるようにする」ことに私の働く意味があるのだと思うと、この時期は逃せません。

見えないものの公共事業を実現すべく、もう少し、がんばります。
いつもの皆様の応援、さらによろしくお願いします。

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決まりごと

2008年04月12日 | 第1章 意識と知覚
住まう地域、風習、そして歴史において、私たちは、なんらかの決まりごとを守りながら生活しています。

そして、恥をかかないように、しきたりや風習を気にしたりします。
私自身、かなり天然ボケなので、欠落していることが多いのですが・・・

先日、ある写真集をぼんやり眺めていたら、ある方の持ち物である着物のしつらえの中に、龍の柄の帯を見つけました。
黒地に筆で描かれたものと刺繍が施されたものです。畏れ多い中にも品よく美しい、しかも流動的に表現されています。

日本画を描く方や、山水画を描かれる方はご存じだと思いますが、龍の爪を数えると、5本。
5本の爪を使うことができるのは、中国の皇帝のみだと聞いたことがあります。
ちなみに先日の近衛家の展覧会では4本の爪が最高の本数でした。

寺の天井画の龍の爪も、その本数を巡って大論争になった話も聞いたことがあります。

手にした五本の龍の爪の図柄が、いつのものかは分かりません。
いとも簡単に帯にしてしまった持主に、恐れを感じてしまう私は、自由な時代に育った割には、案外ちっこい肝っ玉だなぁ~、と思ったのでした。

表装という世界に首を突っ込んでいる以上、決まりごとは決まりごととして心に留めることは大切なことです。

でも、美を求めて、それを得ることに余計な塀を作らない自由な心の持ち主に、敬服・・・・・。

より良いものを掴み取るには、掟を破ることも必要だし、かぐや姫のお婿さん探しではありませんが、そのくらいの高い望みも掲げることも時には必要なのかもしれません。

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褒める

2008年03月07日 | 第1章 意識と知覚
先日、「やるだけやった後の愛情のこもった言葉掛けほど嬉しいものはない」としみじみ言っていたのは我が子です。褒めて育てるとはこのことか、と改めて思いました。 何の話題でこの言葉が出たかというと、本格的に通い出した予備校講師のことです。 毎回講師の「飴と鞭」に感動する想いがわき上がってくるそうです。 長い授業の最後に解かせる問題に取り組んだ生徒に対していつも敬意とを表してくださるそうです。 頑張った後でかけられる「褒め言葉」は嬉しいものです。 プロの予備校講師のテクニックだと言ってしまえはそれまでですが本音を語れば相手に伝わります。嘘を言えばこれも伝わります。
カウンセリングの学びの中で耳にタコが出来るほど聞かされている言葉があります。 「愛は訓練」 「褒める」ことに照れを感じるかもしれませんが、本音からでた言葉であれば褒められた人は嬉しいはずです。
これが明るい感情生活の第一歩かもしれません。
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思い出のバンド

2008年02月13日 | 第1章 意識と知覚
再結成したポリス。
今日は、東京ドームでコンサート。
私はチケット買いそびれ、「ま、いいか、、」と思ったものの、行きたい気持ちも半分。幸か不幸か、夜に仕事がらみの用事ができたため、それを理由に行くのをやめました。

20代の前半、「U2」が出始め(今も活躍しているアイルランド出身のバンド)、社会的現象のように、ハマる人が周りに結構いました。大学にはいったものの美術の世界で食べていくにはなかなか難しく、中退して、中には世界中放浪する友達もいました。60年代、70年代が過ぎ、80年代に入った頃は、なにか柱を失ったような感じで、掴むもの、もしくは反抗するものという対象が薄れ、自分というものに回帰せざるえないような、社会風潮であったようにも思います。

防衛機制でいえば、逃避ともいえそうですが、本人は本当に悩んでいるのだから、その時の分析をしようとしても、今の私にはできません。
ふらりふらりとしながら、結局、私は日本で生きることを選びました。

そんな中、当時、親友ともいえた男友達がT大の彫刻科を中退し、旅に出たのです。
日本にいよう、と決意した私と入れ替わるように、彼は旅にでました。

その頃の通信手段は、手紙しかありません。
二年間くらいでしょうか。
ひたすら手紙のやり取りをしました。

南米から始まり、最後はサンフランシスコ。
マラリアになって、高熱に浮かされて、ふと目覚めると、自分の寝ているベットのまわりに山羊がいた話とか、マチュピチュに行く山岳鉄道の風景とか、彼の旅日記が、克明に書かれてありました。
サンフランシスコでは、逞しく働く姿がありました。
その間、私たちの間にあった音楽は、ポリスでした。

旅をしながら、どんどん大きくなっていく彼に、羨ましさも感じながらも、励まし合いながら、互いの生活を自分のものにしてきたように思います。

あれだけ、手紙をやりとりし、帰国し商売を始めた友人と会ったのは一回だけ。
「こいつは、立派に食べていけるな」、それを感じたらもう会う必要を感じなくなったのです。

互いに自分の方向性を求めて、手紙を交わし、自問自答をしたおかげで、今の自分があるのだ、と思います。

今日は、同じ空の下、どこに住んでいるかわからない友も、あの頃の自分を思い出しているかもしれません。




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生き甲斐の心理学

2008年01月22日 | 第1章 意識と知覚
「生き甲斐の心理学」を教育普及する目的のNPO法人CULLカリタス カウンセリング学会の説明をさせていただきます。

東京で認証された団体ですが、正会員、賛助会員は、全国にちらばっております。

ユースフルライフ研究所のカウンセリング通信講座の一定の勉強をクリアーした講座生が、講師となり、身の丈にあったかたちで、身近な人々のための「生き甲斐の心理学」講座を展開しています。(料金等は、要相談)

講演会、勉強会を各地に出向き行いますので、HPをぜひご覧ください。
今後、「自殺防止活動」についても、徐々に活動を具体化していく所存です。

まずは身近な友人、家族、職場で、この勉強を生かして頂きたいと切に願っております。

「ユースフルライフ研究所」
「NPO法人CULLカリタス カウンセリング学会」共々宜しくお願い致します。

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心の予防

2008年01月19日 | 第1章 意識と知覚
私たちが活動しているNPO法人CULLカリタス カウンセリング学会は、小さな小さな団体です。

任意団体(ユースフルライフ研究所)で勉強した私たちが、なぜ、NPOを立ち上げたか、と言いますと、「暮らしの中のカウンセラー」がいかに大切な存在か、ということに着目したからです。

「何かヘン!」に気づくのは、まず身近に暮らしている人、または関わっている人です。その人が、少しでも、カウンセリングの理論を知っていたら、結果は大きく違ってくるかもしれません。

私たちは、お医者さんではありませんので、「治療」とか「直す」ことが目的ではありません。大学の研究機関でもありませんので、臨床学的なデーターに基づく見地での対応もしていません。もちろん、占いや霊視でもありません。

何をするかというと、
「自己の内にある答え」を「カウンセリングの理論(テキスト)」に基づいて共に見出していくことを時間をかけてゆっくりゆっくり勉強していきます。

「人の身体は神殿」という言葉があります。

悩んでいる時、何かにとらわれている時は、本当に苦しいものです。
でも、「答えは必ず自分の内」にあるのです。

他人の考えや意見は、あんまり当てにならないってよいでしょう。
お説教されても、説得されても、本人は悲しみが増すばかりです。

私たちは、自殺を水際で防ぐことはできませんが、「家族や友達が何かヘンだな」と気づいた人が、どう対応しようか、悩んだ時に、勉強していただけるとお役に立てると思います。

まずは、自分の不安を意識にあげ、言語化することから、私たちの勉強会は始まります。
「自分の不安」を言語化する。
意外と、言語化しにくいものです。

二月から鎌倉でユースフルライフ研究所主催の勉強会が始まります。
ご興味のおありの方は右横に記載されているHPをご覧ください。

NPO主催の勉強会も、各地で広がりつつあります。それにつきましてもHPをご覧ください。

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意識すること

2008年01月09日 | 第1章 意識と知覚
本日は、アートランドのアートカウンセリング、初日でした。

皆さんと、「今年はどんなことを意識して過ごしたいか。」をテーマに、おしゃべりを楽しんできました。

あることを意識し、それを実行し続けていると、いつしか意識せずとも自分のものとして分化していきます。良くも悪くも、です。

・・・幸福感を意識する・・・

いま、感じた幸福感を意識し、感じてみると、いつしか、意識せずとも幸福感の領域をつかむことができる事になるようです。

だから、「意識すること」は、「成りたいように成る」自分の人生舵取りみたいなものかもしれないと思うのです。

安定した感情生活なんて、あり得ません。

一喜一憂、多様な感情と解釈で、私たちは日々生活しています。

緩んだお腹を引き締めながら、信じるものに心身を委ね、「緊張感」を意識した一年を送るのが、今年の目標です。

ここ数年、ゆるりと投げ出した体と心に、負荷をかけて、もう一度、見なおしてみると、きっと、また何かが見えてくるはずです。


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霞を食って生き抜く

2007年12月11日 | 第1章 意識と知覚
今日は、2年間続いた鎌倉での勉強会の最終日でした。
来年二月から新たなメンバーを迎えて、行ないます。
ご興味のある方は、ユースフルライフ研究所のHPをご覧ください。

ブログランキング上位の「生き甲斐の心理学」は私達勉強仲間にとって、自問自答の良い機会です。自己の感情をゆらゆらと意識しながら、本音の感情を自分自身で見つめていきます。
ブログだけのお付き合いの方は、生き甲斐の心理学のテキストと併せて読んでいただけるとより一層学びが深まるはずです。

さて、本題。
勉強の機会をたくさんいただき、師匠と共に行動し、私なりに修行を続けているわけですが、今日、改めて自分の発した言葉に、ハッとしました。

「それなら、それで、霞を食って生き抜けばいいのよ」

類は共を呼ぶと申しましょうか、決して裕福ではないのに、真・善・美を求めて、事象に囚われず、奥に潜むものに憧れ求める傾向のある人達との付き合いは、気づくともう何十年も経っています。
それでも、家庭を作り、仕事をし、人と付き合い、親の介護をし、皆、それなりに生き抜いているのです。

霞を食っては生きていけない、と教えられましたが、意外とそんなことはない、と確信めいた閃きが私に降りてきたのです。

「成りたいように人は成る」、

どんなふうに生きていきたいか。

「霞を食って生き抜く人生」、
結構、いいんじゃないかしら・・・
マイペースな私はまだまだ健在です。

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飛び降りるタイミング

2007年11月22日 | 第1章 意識と知覚
久しぶりに「青春」といえる話を聞きました。
ある人が、思うところあって、ヨーロッパの某国に留学を決意しました。
「青春」といえるのかどうか、彼は30代半ば。音楽を生業にしている人。

飛行機の片道切符だけ持って行くそうです。

私は20代、後先構わず、リュックを背負い、旅をしました。
振り子のように、感情の揺れが激しく、その頃の私は自分自身を持て余していたようです。「どこかに行けば、何かが見つかる。誰かに出会えば、何かに気づく」そんなことを夢見ながら、結局は、日本に落ち着き、じっくりと生活を始めた頃から、ほんとうに何かが見えてきたように思います。
しかも、40代過ぎた頃から。

成熟した年、という期間の定義ってどこにあるのでしょう。

私が振り子のように右に左に揺れて、その揺れた先で飛びこんだ世界は、案外、現実吟味力に欠けていたものかもしれません。でも、飛び込んでしまったら、今までぶら下がっていた振り子に飛び戻ることは難しい。それは、過去には戻れないからです。
今度は、飛び降りた先の振り子を、私がどのように過ごすか?。結局自分次第ということです。

数年前、飛び降りた私の場所は、大変なところでしたが、同時に喜びも大きいものでした。
パズルの一片を一枚一枚、はめ込みながら、自分なりのかたちに仕上げるには、まだまだ時間が必要ですが、飛び込んだタイミングに悔いは無いのです。

「自分は、イメージした通りの自分になる。」

ほんとうにそうだと思います。

飛び降りた先で、誰から何を言われようと、自分のイメージを崩す事無く、淡々とやってこれました。
信じて見えてくるものを信じると、次のもう一歩が必ず見えてきます。

振り子が大きく揺れ出したら、それが飛び降りる一番相応しいタイミングなのかもしれません。

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言の葉は言霊

2007年08月25日 | 第1章 意識と知覚
今年の八月は、外での勉強会を一切せず、ひたすら本を読むつもりでした。
片手間にやろうと「予測」していた仕事が、意外にも手間が掛かり、「予定なんてものは未定なんだ!」と開き直って、今日を迎えています。

そんな私の夏の過ごし方に加え、この数週間、大切な人にたくさん会い、そして、声を聴きました。このことが、予測をし間違え、開き直った私を支えています。

感情を聴く。

「何をやってる、
何を持ってる、」
そんなことよりも、「今この時」の感情を、聴いている人が「ひたすら受容する」ことだけで、絡まり、固く結ばれた紐が解かれてゆくのが見えてきます。

「賛同」は、おせっかい。誤解も呼びます。
否定も肯定もせず、「受容」するのです。

すると、いつしか、「感情」が顕わになる。

言葉は、言霊。
その人の内にある「答え」が、いつしかその人自身の「言葉から顕れてくる」ことに、いつも感動します。

「私に何ができる」というわけではありません。
私の人生で出会う人の数は、たかだか知れています。でも、互いに自分の人生を歩み、何かのきっかけで出会うわけです。大切な自分の人生を歩んでいる者同士が出会うのですから、その「出会い」は宝くじに当たったようなようなものです。

かけがえのない「出会い」を大切にし合い、自分自身の「言の葉」を生み出していけたら、私の死に逝く日に、「私の人生は、なんて幸せだったんだろう」と思えるのかもしれません。

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否定もせず肯定もせず

2007年07月22日 | 第1章 意識と知覚
自分の不安な感情をみる。

これは、普段そんなことを意識しないで生活している人が殆どだと思います。こんなことを書いている私もそうです。

「あなたの不安を頭に思い浮かべてください」そう問われると、頭の中にはぐじゃぐじゃと巡るのですが、スカッと言語化できないのです。

人様の心配はできるけれど、自分の事となると、はてさて。。。

そんな時に、話しを聞いてくれる人がひとりでもいたら、そんな嬉しいことはありませんよね。
でも、どんな聞き方をしていただきたいと思いますか?


☆自分の考えを相手に語り、それが一番!と言いきってしまう人。

☆話すことを否定し、お説教に走る人。

☆倫理、道徳に縛られている人。

☆何が正しいか、にこだわっている人。

☆最後まで話を聞かない人。

☆質問魔

☆人嫌いな人

☆すぐに人を疑う人。

☆感情がみえない人(喜怒哀楽が無い)

☆万物の自然の摂理や神仏を大切にしていない人

ネガティブなことを書き出すと切りがありませんが、このことは、私も反省すべき点が大いにあります。
でも、こんな☆だらけの人には、話を深く聞いてもらおうと思う気持ちは起きません。

自分のことはこの際、棚に上げて申し上げますと、
私が不安を打ち明けたい人は、「海のように山のように、神仏のように、変わる事無く自分をありのままの自分を受け容れてくれる人」です。

まずは、自分の感情を、自分自身が否定も肯定もせず、聴くことができるか、静かに瞑目してみるのも良いかもしれません。

一つ、二つ、絡まった感情が紐解けてくると、みえてきませえんか?

<生き甲斐の心理学参照>

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不安をみる

2007年07月20日 | 第1章 意識と知覚
「不安」は人の本質だそうです。
「不安」であって当たり前。
逆に、人の本質は、「平安」であって当たり前と定義付けられたら、不安である自分は、益々不安になっていきます。

さて、自分の不安は、いったいいくつあるでしょう。
数えてみるとどのくらいあるでしょうか。

私の場合、①前回書いた分離不安
     ②喪失感
     ③寂寥感
いま、今日この時点で思い浮かぶのは、こんな不安感です。

では、悩みや不安はどうして自分の心に覆い被さってくるのでしょう。

理想と現実のギャップがあればあるほど、不安感は増大してきます。

私の場合、信頼し、心を解放していた人の死により、まだまだ生きていて欲しかった、という「理想」。それに相対するその願いが聞き入れられない「現実」。
そのギャップが大きいために、不安感が増大しているようです。
先の見えない、予測の立てられない想像による不安感もあるようです。

さて、そうはいっても、私達をいつも統合させるべく、柱のようなものはあります。

それは、何でしょう。

私の場合、「愛」です。その柱は、揺るがずに私の内に宿っています。
それを中心に、理想と現実のギャップが揺れ動いているのです。

自分の不安をみつめる。不安を数えて、頭に巡らしてみる。
どんな感情がふつふつと湧き出てくるでしょうか?

                   <生き甲斐の心理学>参照

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