Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

夢の対決 Bledisloe Cup 観戦記

2009-11-07 | Weblog

10月31日。関東地方は晴天に恵まれた。おそらく全国的にそうであったと思う。
この好天気は翌日11月1日まで続き11年振りに11月に夏日を記録したらしい。
2か月以上も前から楽しみにしていた Bledisloe Cup 。心配だったのは天候。折角の Big Game なので雨だけは降ってほしくなかっただけにこの天候は本当に嬉しかった。
その日の朝は土曜日にも関わらず New Zealand 、Australia の取引先から携帯に電話がかかって来た。Kiwi の電話主は自信に満ち溢れた口調で、 Aussie の友人はやや不安げな….対 All Blacks 戦6連敗中と云う事実が二人にそうさせた事は想像できた。

All Blacks は1987年来日した事があった。その時対戦した日本代表から100点以上の得点を重ねた。もっとも観客が沸いたのは確か日本代表、沖土居稔がトライを挙げた瞬間だった事を覚えている。
そして日本遠征の最終戦、雨の中で行われた世界選抜チーム President 招待 Fifteen を相手に勝利を収め同年に行われた第一回 Rugby World Cup 覇者の強さを、そして日本との差をしっかりと見せ付けた。
1995年南アフリカで開催された第3回 のワールドカップでもグループリーグで日本を 145-17 で粉砕した事を覚えている方も多いだろう。その3年後からニュージーランドを商用で訪れることとなったが初めて訪れたその地で何人ものタクシードライバーにその事を言われた。

一方のオーストラリア代表 Wallabies は私の記憶では1978年に来日したことがあるはずだが(記憶違いかもしれない。)日本代表との試合後の会見で日豪の選手達との体格差を埋めるにはどうすればいいかと云う質問を受けた当時の監督が真顔で “オーストラリアからもっと牛肉を輸入したらいいと思う。”と答えたと報道された事を覚えている。 

   
   

この両国が日本で対戦する事を知った時、すぐさま前売り券の購入に走った。
売り出しと同時に即完売になると想像していたからだ。しかしチケットは即完売にはならず当日券も残っていたらしい。理由は簡単。チケット代の高さだろう。 
会場となった国立競技場の陸上競技トラック上に特設された Premium Pitch Seat が何と7万円。Category 1 で2万円。一番安い一般自由席 Category 4 で大人7000円。子供3000 円だった。私は家内に内緒で Category 1 を購入したがあとでばれてしまった……

競技場が近づくにつれて電車内にはGold 色(と言っても黄土色に近いけど)の Wallabies のレプリカを着た Aussie 達が目につくようになった。私は All Blacks のジャケットを着ていたのでよく彼ら、彼女らに声を掛けられた。“All Blacks のユニフォームを着ている日本人が何故多いのか?”とも訊かれた。
“日本では All Blacks が一つのブランドの様になっている。黒色はCasual でも着られる。それに日本でも購入可能だ。私のは円高の時に New Zealand で買った。残念ながら Wallabies のは日本ではよほどのラグビーファンでないと知られていない。” と答えた。
そして読んでいた New Zealand と Australia の地元紙の電子版 のコピーを見せた。二日前の練習中に S.O. の Berrick Barnes が怪我をしてこの試合に出られそうにない事を知るとみな頭を抱えていた。これでWallabies は Rob Horn , Stirling Mortlock に続いて中心選手の離脱となり、ただでさえ Bledisloe Cup 3連敗を含む対 All Blacks 戦6連敗中の Wallabies のこの試合の結果を暗示しているようだった。

千駄ヶ谷の駅からは多くの Gold and Green のユニフォームを着たAussie 達が目に付いた。そして黒色のユニフォームを着るのは日本人が多かった。競技場内に入り Official Goods Shop を探し出すもその前は多くの人々が記念 Goods を求めている。日本人ならではの光景。(俺もその一人だけど。)3年前ワールドカップ観戦にドイツに行った時も日本戦とそうでない時の競技場周辺の Souvenir Shop の周りはかなり違った。席に就いたが Category 1 にしては少しピッチが遠い。 それでも全体が良く見えていいか….と思ったけど5,000 円は還元してほしいなぁ….と思った。

私の後ろには南アフリカ人、そしてKiwiに交じってアジア系の人達合わせて4人が座っていた。アジア系の二人も Native な英語を話していたので訊けばみなシンガポールに住んでおりこの試合の為に来日したそうだ。 “南アフリカにはまだ行った事は無い。来年のワールドカップ観戦に行きたいけど、ちょっと遠い。3年前にはドイツにいったんだけど…..” “日本はもう予選をとっぱしたのか?距離の問題だけなら、来るべきだ。“とは言われたけど距離だけの問題でもないしなぁ…. 
Kiwi とは11月14日のワールドカップ予選のバーレーン戦の話になった。こんなところでサッカー談議になるとはなぁ……

私の席はバックスタンドの後列の方で、前列はほとんどGold and Green で埋め尽くされていた。後で知ったがそこはAustralia , New Zealand からのツアー客にあてがわれた席であった。Aussie 達が多かったのは今の為替レートが大きく関係しているに違いない。Australian Dollar は@AS$=約80円だが New Zeland の為替レートは2割近く安くなっている。

   
  
選手達がピッチに現れアップを始める。一流選手はアップ一つ観てもやはり金を払う価値はある。そして試合開始時間が近づき日本が2019年のラグビーワールドカップの開催国に決まった事等も報じられた。10年後、その時はどうなっているだろうなぁ…
お偉方のスピーチで最も印象に残ったのが元内閣総理大臣の森喜郎日本ラグビーフットボール協会会長のスピーチ。マイクが回ってくると開口一番 “大変なことになりました。” と一言。一瞬 “自民党が選挙で負けて野党になったことか?”と思ったが、こういう試合を日本で開催される事となった…云々であった。
後ろの4人に“彼は8年前まで日本の Prim Minister だったけど。在任期間は1年だけだった。”と説明した。
2005年にはワールドカップ 2011 年大会の開催地を巡ってニュージーランドとの対決となったがニュージーランドは現職の首相 Helen Elizabeth Clark 女史までが最終ロビー活動に参加し24年振りのワールドカップ誘致に成功した。その時の日本側の団長は森喜朗氏だった。欧州のメディアはこの時 “世界に振興させる必要のあるラグビー競技を考えると開催国は日本であるべきだが、この決定は2003年大会がオーストラリア単独開催であったことによる consolation だ。”と報道していた。
森喜朗氏は自民党総裁選挙無しに首相に就任し“蜃気楼内閣”とか“支持率消費税(5%)並み”とか言われ、数々の失言やゴルフ中に発生した“えひめ丸事件”後もプレーを続けた等失態が相次いだが、心臓病治療目的で来日ビザを申請していた台湾の李燈輝元総統に河野洋平や福田康夫ら親中国売国奴らの抵抗にも屈せずビザ発給を決めた時はさすが日本の首相と思った.

    


両国選手達が入場し国歌が斉唱され、そしてAll Blacks のメンバーが隊を組み Wallabies のメンバーが一列に肩を組んで並ぶ。 この時ばかりは44,000 人いた場内が水を打ったように静まりかえり All Blacks の HAKA を待つ。私も彼らの HAKA が生で観られるのが本当に楽しみだった。そしてしっかりと動画を撮った。




HAKA が終わり大歓声が上がり、そしてキックオフとなった。 試合は主力の故障続出の上に Hooker の Polota-Nau まで故障が完治せずベンチスタートとなりかなりの劣勢が予想された Wallabies が最初の6分と10分に得た PG 2本を Matt Giteau が決めるスタート。All Blacks は最初の10分間で南アフリカ人の Mark Lawrence 主審に5つのオフサイド等の Penalty を取られた。 Wallabies のスタメンは Polota-Nau が49分に投入されるまでは Stephan Moore が起用され、2日前に離脱した Barnes のポジションには Adam Ashley Cooper が入り full back には19歳の James O’Connor が入った。 

しかし14分に All Blacks は Daniel Carter のPGが決まり 3-6 とすると21分には Loose Forward の Ricie McCaw からボールを受けた Wing の Sitiveni Sivivatu がトライを左隅に決め、Conversion Goal もCarter が難なく決めて(結構難しいと思ったけど。)あっさりと10-6 と逆転してしまった。隣に座っていた人が言うには Wallabies はラインが深すぎてマイボールになった時に球離れが少し遅くなってきたらしい。 

29分に Giteau が22mrラインのそぐ外の右タッチライン付近で得たPG を32分には Carter が22mラインの少し後ろの真正面からのPGをそれぞれ決めてスコアーが 13-9 となった34分 Sivivatu が Adam Ashley Cooper の肩と首にタックルを入れたのが dangerous tackle に取られイエローカードが出されて10分間の退場となった。

そしてその直後 Wallabies halfback の Will Genia が右サイドの Peter Hynes にボールを出し、Hynes はそのまま右隅に飛びこむ。 トライを阻止しようとは Half Back の Jimmy Cowan ら3人の All Blacks がタックルに入る。ビデオ判定となり審判団が約4分間協議をした結果 Hynes のトライが認められ、Conversion Goal もGiteau が決めてWallabies が16-13 と再びリードを奪った。 Hynes のトライはWallabies の対 All Blacks 戦270分振りのトライだったらしい。Wallabies の右サイドはSivivatu が退場になったので空いた位置でもあった。

更に前半終了直前、All Blacks ゴール前のスクラムから Number 8 のWycliff Palu が飛び込みゴールラインを越える。またもジュリー会議となったが今度は最後にタックルに入った Cowan がしっかりと阻止していたとの判定。そしてホイッスルが鳴り Wallabies リードのまま前半が終わったが最後のプレーがトライになっていれば試合の流れは大きく変わっていたと思う。   



ハーフタイム中におおくの人が席を立ち売店などに行ったと思うが、この日の国立競技場は満員となり多くの人が後半開始のキックオフには間に合わなかった様だ。ここに来るまでにおにぎり等買いこんでいたのが本当に正解だった。ハーフタイム中に隣に座っていた初老の方と話した。ラグビー経験者らしくルール等解り易く教えてくれて有難かった。“ここが満員になるなんて早明戦くらいじゃないですか?”と言っておられたので、そうですね。私が学生の時はラグビーの方がサッカーよりも人気ありましたね。と答えた。

後半に入っても人数の1人多い Wallabies がやや優勢に試合を進める。しかしなかなトライのチャンスが訪れない。それにラインアウトでも劣勢だ。44分には Sivivatu が戻って来て人数が揃ってしまった。そしてその直後にショートパスを何本も繋がれ最後は TB Conrad Smith に中央にトライを決められてしまい更にconversion kick もCarter があっさりと決め All Blacks が再び 20-16 とリードを奪った。 
49分にWallabies ベンチは Stephan Moore と Mark Chishlom を下げて Dean Mumm そして Tatafu Polota-Nau を投入する 196cm の Mumm を投入したのはラインアウトを挽回する為か?彼のポジションは Lock か L.F. そのポジションがラインアウトと関係あるかはまだ勉強不足でしらないけど……



人数が揃いリードを奪い返した All Blacks は完全に試合の主導権を握り返してしまった。それでも No.8 のWycliff Palu, フランカーのDavid Pocock の二人が特に必死のディフェンスを見せ追加点を許さない。しかし60分、66分に連続して Carter にPGを決められ 26-16 と10点差が付いてしまった。60分のPGは角度的に少しきついかと思われたがそれでも難なく決める Carter もさすがだった。それでも29分 All Blacks 陣内深い位置で相手の反則を誘いペナルティーを得る。スクラムを選ばずPG を選択しそれを Giteau が決めて 19-26 とした。

“まずは7点差、1トライ、1ゴール差と云う事ですね。” 隣の初老の方とそう話をした。しかしその2分後またもPGを与え Cater が決めて10点差に。 更にその3分後にも Carter がこの日6つ目の PG を決めて 32-19 と All Blacks が Wallabies を突き放す。 そして87分には Carter が御役目ごめんと Steven Donald と交代で大歓声を浴びながらベンチに下がった。こうなるとどちらでも良いのでもう一度トライシーンを観たいと思った。

     

終了直前に All Blacks が Wallabies のゴールラインを割りトライ !! と思われたがその前に FW Adam Thompson がノックオンをしてトライには至らなかった。タイムアップ直前に All Blacks の Tony Woodcock と Conrad Smith が小競り合いを始め両軍入り乱れての乱闘とまではならなかったが試合が少しの間中断したが試合終了を告げるホルンが再会直後に鳴り響き、80数分間における世界最高峰の真剣勝負が文字通りノーサードとなった。

   

優勝カップがこの試合のMVPとなった Richie McCaw に手渡されたけど手渡した森喜郎氏の方が興奮気味に見えた。

    

帰りは久々に千駄ヶ谷迄混雑に見舞われた。車中で旦那さんが Kiwi 、奥さんが日本人そして御子さんが二人という家族連れに遭遇した。旦那さんは Wellington 出身で仕事の都合で日本に来る事になり奥さんと知り合われたらしく、今は流暢な日本語を話せるようになったとか…でも子供にはラグビーをやらせるかどうかはわからない(二人とも男の子)とのことだった。うちも息子にはさせられるかなぁ…..ってな話をしながら、そして日本シリーズの初戦を気にしながら帰った…..

そしてこういうビッグマッチを日本で観戦できる事を感謝しながら…..



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