Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

オーストラリア も ワールドカップモード

2006-05-07 | FIFA World Cup
オーストラリア大陸の大都市はシドニーを始め殆どが東部に集中している。オーストラリア西部の大都市パース~シドニー間は国内機でも4時間のフライトだ。それも東西間の移動なので2時間の時差を頭に入れて移動予定を組まねばならないのが辛い。しかしパースはシンガポールから飛行機で約4時間半のフライトで、時差も無い。世界屈指のシンガポール航空の快適なフライトといじわるなスチュワーデスで有名なカンタスの狭い国内機のフライトとを比較すれば今後はどういう経路でここに来るべきか述べるまでもないだろう。極めつけは航空運賃だ。昨年来の原油高騰をうけてカンタスはさらにSer Charge の値上げを発表した。 そのカンタスがメインスポンサーになっておりQantas Socceroo と地元マスコミに名付けられている、オーストラリアサッカー代表チーム。6月12日、カイザースラウテルンでの我が日本戦に向けて地元でもようやくワールドカップモードの入ってきた様だ。まずサッカー熱がA League 発足の影響で急上昇しており、現地入りした当日の紙面では8月から始まる A League の地元 Perth Glory の日程が紹介されていた。目標はやはり昨シーズン優勝を収めた FC Sydney だろう。だが地理的に対戦相手はアデレイド以外、全てのチームが東部(そして New Zealand Auckland Knights ) に集中しているのでその移動距離がネックになると。街行く人の中にも Perth Glory のレプリカを着る人も目に付く。もちろん彼らの口からはここでプレーする日本人選手“ハヤシ”の名前はよく出て来る。これまではどうしても Aussie Football や Rugby Union, Rugby League のレプリカしか見なかったのに。日本の書店何ヶ月も前から山の様にワールドカップ観戦ガイドが発売されていて食傷気味だ。しかも内容も幼稚でお粗末なものが殆どだ。昔、まだワールドカップが世間に知られる前は専門誌が本大会の組分け、日程が決まってから増刊号として出版していた。今から考えればそれらは非常にシンプルで的を得ていた内容であった。オーストラリアではどうだろう、と News Agency のスタンドに行くとワールドカップの紹介雑誌を見つけた。だがそれらにはどうも初戦の日本戦はあまり重視をされておらず、第二戦の相手ブラジルの紹介、分析に随分誌面を割いている。確かに4月19日の地元紙 The Australian にはセレソンの MF エメルソンが本大会でヒディング監督率いる Socceroo が4年間の“Korean Style “ でブラジルを破る番狂わせを instigate ( 扇動 ) 出来得る、とのコメント記事を載せている。”彼ら(オーストラリア代表)の最大の artillery (火器) はベンチに座っている“”ヒディングは貴重な経験を持った監督だ。これまでいくつものタイトルを指揮するクラブチームのもたらしその能力を示した“と語ったらしい。確かに ZICO は監督経験無いけど。ブラジルの大会連覇は強固なものとしながらも、ヒディングこそセレソンの2次リーグ進出を最も妨げる、と述べている。ただあまり Socceroo の個々のメンバーは熟知していないとも。所属先の Juventus のチームメイトでウルグアイ代表としてオーストラリアとプレーオフを戦った Zalayeta に色々訊いているらしい。この際日本にも教えてくれないかな?また欧州で活躍する ヴィドゥーカ、キューウェルそして同じセリエAのParmaに所属のブレッシアーノ、グレラにも要注意との事だ。そのエメルソン自身、1998年フランス大会に出場しながら前回は大会直前に腕の骨折で出場できず、今大会に臨むにあたり心中期するものがあるに違いない。心中期する選手ではオーストラリアの Josip Skoko も同じだろう。2005年のFIFAコンフェデレーションズ杯では4ゴールを挙げながらヒディング監督下では10分しかプレーしていない。昨年11月には所属先の Premiership の WIGAN XI から下部リーグにあたる League Championship の Stoke City にいわゆるレンタル移籍の形で移った。しかし、移籍後は8試合連続出場し2得点を挙げ復活をアピール。2月22日のアジアカップ予選のバーレーン戦ではフル出場を果たし、1得点を挙げ Man of the Match になったが、この試合、ヒディング監督は不在だった。本日 Premiership 最終戦のArsenal 戦に出場予定だ。だが来季は Stoke City に完全移籍となるらしい。だが今ヒディング監督を悩ませているのは、欧州のリーグ戦を終盤に迎えたこの時期の選手の状態だろう。イングランドはオーウェンが今年初めに怪我で戦列を離脱し、ルーニーまでが4月29日の Chelsea 戦の骨折でドイツ行きが絶望的だが、オーストラリアもけが人が続出だ。 まずウルグアイとのプレーオフでの勝利の立役者 Middlesburg 所属のGKシュヴァルツァーは22日の West Ham 戦で頬骨を負傷し退場の憂き目に。27の UEFA Cup の Steaua Bucuresiti 戦も当然出場出来なかったが、その穴埋めを同じオーストラリア人GK Bradley Jones が果たす。5月1日の Manchester United 戦は後半ニステルロイのPKをストップし、ワールドカップ予選には選ばれなかったが、これで一躍GK候補に。このポジションには他にもワールドカップ予選6試合に出場した AC Milan の第三GKゼリコ=カラッチ、出場は無いがベンチ入りは果たした Sweden Hamamardy 所属のアンテ=コビッチ、トルコリーグ Sivasspor 所属の ミヒャエル=ペトコビッチ,そしてカズのチームメイトでもあった Sydney FC のクリント=ボルトンと候補が絶えない。しかし、Everton 所属の ティム=ケーヒル の代役はそうそういないだろう。22日の Birmingham 戦で負傷し、手術にまでは至らず、本大会にも間に合いそうな見通しだが、 Everton の David Moyes 監督は早くも”大会では無理させない様にすべきだ“と牽制を。シュヴァルツァー、そしてヴィドゥーカの起用を マクラーレン監督が言及しなかったのは既にイングランド代表監督のポジションが決っていたからだろうか?その”デューク“マーク=ヴィドゥーカも怪我で今ひとつだ。4月20日 ブカレストで行われた UEFA の First Leg そして22日の West Ham 戦は大事を取って不出場。しかし、27日の UEFA Cup Second Leg の Stauau 戦 は半ば強行出場。3度目の奇跡の立役者になるも、29日の Everton 戦は、1日の Manchester United 戦は欠場。今後の回復振りが心配されるが、本人としては14日の UEFA CUP の決勝戦には完治したいだろうに。そしてエースの Kewell も怪我だ。4月19日のボルトン戦では” 彼のCarrier では Best Performance の1つ“と評価され、次節のブラックバーン戦では後半から途中出場し22分程度プレーし評価は 6 であった。そして22日 FA Cup 準決勝の Chelsea 戦では先の Blackburn 戦、同じポジションをノルウェー代表のリーセに譲った鬱憤を晴らすようなパフォーマンスを披露し好機を演出するも77分、負傷退場。4月26日の West Ham 戦はベンチから外れた。 Kewell の状態こそワールドカップでのオーストラリアの成績を大きく左右する。だがCBルーカス=ニール 右MF ブレット=エマートン の Blackburn Rovers コンピは健在だ。優勝を決めて士気が下がっていたとはいえ Chelsea を破り、次の Charlton にも快勝し一気に UEFA CUP 圏内に入ってきた。最終戦の Manchester City 戦でその権利を確実にしたいとこだ。また Eredivisie NAC Breda 所属の ベテラン DF トニー=ヴィドマー はおそらく大会後はオーストラリアに帰国し A- League の Adelaide United への入団が濃厚らしい。ウルグアイとのプレーオフでも左DFを務め、大会期間中に36歳になり、代表キャップ90を誇るベテランは大会後に凱旋帰国するとの事。また同じポジションで Birmingham 所属の スタン=ラザリデス も大会後は Newcastle United Jets を初め計4つの A League のクラブがアプローチをしている。そしてUAEのクラブも。ただ ラザリデスはヒディング監督が指揮する PSV Eindhoven 戦では怪我の為に出場出来ず、ワールドカップ出場へアピール出来たであろうか?オーストラリアに来る機会が出来て8年。ようやくサッカーがこの地でも市民権を得てきた。専門誌の日本の評価は”中盤での高い技術と組織力“と”攻撃力とフィジカルの不足“を指摘。まぁこれは誰もが指摘するところだけど。マークする選手は中田と中村の2人を上げている。大会終了後は現地の人から日本のサッカーの事も訊かれるだろう。ただ日本のレベルの高さを訊いてもらえる結果となる事を祈るが。そして泣かせる記事も。1974年、前回本大会に出場した時の様子が写真付きで紹介されていた。過去の功績、先人の軌跡を称える。日本のマスコミが決してしないことだ。一昨年亡くなった私の尊敬する伝説のオーストラリア選手で解説者でもあった Johnny=Warren がこの状況をさぞ喜んでおられるだろうと思った。

シンガポールにて アルビレックス新潟快勝

2006-05-04 | Football Asia
オーストラリアの西部一の大都市、パースで三日過ごして舞い戻ったシンガポールはやはり暑くて湿度も高い。だがパースより良い所も。街を行くタクシーは比較的安く、市民の足となっている。そして朝晩のラッシュ時等を除けば大体がどこでも拾える。そして街の至る所で見かける大衆食堂と言うかフードコートとでも言うか、この雰囲気は同じアジアの日本では醸し出せない。もっと中国語を勉強してここの老人達と話せたら彼らが日本をどう思っているか良く解るだろうに。 ここシンガポール Sリーグに参戦しているアルビレックス新潟シンガポール。先週はブログでも紹介したが、ロスタイムで追いつくと言う劇的な試合。今節 Round 9 は先陣を切って Sporting Afrique と対戦。その Sporting Afrique は今季からS Leagueに参戦しており、文字通り登録選手24人の中でシンガポール人DF選手1名を除いく23人全ての選手がアフリカ国籍。国別の内訳はナイジェリア人選手が最も多く15人。続いてケニヤが4人。カメルーン3人。そいてガーナ人が1人となっている。ワールドカップでは予選落ちしたナイジェリアだが、まだまだアフリカ大陸では原油に並んでサッカー選手の大産出国だ。そして陸上競技で名を馳せているケニヤから4人も選手がいるとは以外だった。前節は未だ勝利の無い Sengkang を 2-0と一蹴しこれまで6試合で勝点10と7試合で勝点9のアルビレックスを上回っている。この高温多湿の気象条件に、ピッチコンディションの悪さから単純に考えてアフリカ人選手の高い身体能力の前にアルビレックスの苦戦を予感してしまう。特に前節、 Gombak戦ではナイジェリア人選手 Obatola に手を焼いた印象が残っていたので競技場迄の道中、心配は募るばかりであった。仕事の都合で試合開始およそ20分後に競技場入りをしたのだが、既にアルビレックスが2得点を挙げてリードをしていた。当日は午後には雷を伴う強めの降雨があったが、さすがにホームの Jurong East Stadium は先週戦った Gombak のホーム Queens Town競技場と比較するとピッチ状態が格段に良くアルビレックスのパス回しが良く生きる土壌が揃っていた。メンバーを見ると先週途中交代で入った鈴木と阿部を入れてその阿部と河野大星で2トップの布陣を敷いていた。それが当り、開始7分には河野、そして9分には阿部の2人がそれぞれゴールを上げていたのだった。一方の Afrique は Nicolas Muyati, Harrison Muranda のケニヤ人が2トップ。DFは4バックで左サイドのナイジェリア人 Nzekwesiがたまに上がってくるが右サイドの同じくナイジェリア人 Anyfaloin はあまり上がってこられない。それはこの日もアルビレックスの左からの上がりが良いからだろう。前節、よく活躍したショーゴこと、吉澤正悟がこの日も良く動いていた。たまにナイジェリア人 MFの Udoaka が左から突破してくるが、これはDF田中秀哉が落ち着いて対応。DF陣はこの日も左から山本、上田、そして田中秀哉の3バックだ。スタンドは現地在住の、約20名のアフリカ系の人達がアフリカ独特のリズムで、のべつ幕なし歌を歌い続けサポートを。それがなかなか雰囲気を盛り上げてくれる。一方“ホーム”のアルビレックスは当地に駐在されているであろう邦人家族の応援を受けている。それも奥様達が中心だ。選手達は新潟ビッグスワンでの大サポーターの前でのプレーを夢見ているだろうが、異国で在留邦人の応援も大変暖かいものと感じているはずだ。前半34分、直接FKをゴール前で与えてしまうがそれはGK上杉哲平が好捕。それ以降は Afrique の時間が続く。アルビレックスは中盤の押し上げが遅れ気味でDFから前線に大きくフィードされてもサポートが遅れ、孤立気味。それ以降、ボールが繋がらない。Afrique は41分のこの日二人目の交替選手カメルーン人DFのEjiene Kaze Teffo が投入される。そして直後に左から Udoaka が持ち込み、攻撃参加をしていた DF Nzekwesi に繋ぎ、CBのケニヤ人Biketi が最後に撃つがゴール枠を大きく外れた。アフリカ選手は相変わらず激しいというか汚いというか稲垣順、田中秀哉があいつで顔を抑えて倒れるが主審はファウルを取るだけで注意もしない。そしてその報復とばかりに阿部博之が激しくタックルにいくとイエローが出される。それに対して与えられたFKから波状攻撃を受け連続シュートを放たれるが、GK上杉がナイスセーブで得点を与えない。ロスタイムにはDF山本寛幸が蹴られるがファールすら与えられない。だがこれが世界標準なのか?しかし先週のレフェリングを考えると、このリーグで世界標準は当てはまらないだろう。前半は何とか無失点で終え、けが人も出なかった。しかし後半開始早々の33秒。上田常幸が倒されるがノーホイッスルの上、 Afrique ボールとなる。そしてその直後のコーナーキックをドンピシャのタイミングで合わせた交代選手 Kaze Teffo の見事なヘッドで1点を返されてしまった。後半開始1分半であった。大喜びの Afrique サポーター達。リズミカルな奇声が上がる。これで一気呵成に追撃と思われた。しかし、このゴールで奮い立ったのはアルビレックスの方だった。試合再開直後にスルーパスに走り込んだ阿部がショットを放つがGKの正面に。右から先週同様に吉澤が左をどんどん切り裂く。そしてその吉澤が貴重な3点目を挙げたのは50分であった。右からのCKから左に流れノーマークの吉澤が余裕をもってゴールに流し、先に欲しかった次の得点が入った。大喜びのアルビレックスサポーター達。するとホームゲームのせいか、スピーカーから大歓声が。新潟での歓声を録音したものかな?吉澤正悟はこの試合の Man of the Match を受賞する事に。そして3分後の53分、尾崎瑛一郎が右サイドを崩しセンターへ、中の前田隆孝が落としたところを橋本卓が蹴り込んで4点目を。橋本は前節に続いての連続得点だ。 3点差になってもサポーターの合唱は鳴り止まない。しかしAfrique の選手達は今ひとつ身体能力を生かした個人の強さが見られない。元来が寄せ集めのせいか?戦術的なまとまりもなく、4点目を取られると更に前線と後方が間延びし、その間をアルビレックスの選手に駆け回られたり、ボールを通されたりしている。これが個人能力の高さを誇る代表クラスの選手ならば、1人の力である程度もっていけるのだろうが。62分にはCKから打点の高いヘッドが見られたがゴール枠を大きく外れる。誰が起点になるのかも見られず、交代で入った Kaze Teffo がボールを持った時のみ、そこから前線にいいパスが配球されたり、スピード溢れるドリブルで左サイドをあがったりと可能性が感じられた。こうなると試合は完全にアルビレックスのペースで余裕も出て来る。55分には阿部博之が御役目御免で末永雄樹が入る。これで河野大星のワントップになり吉澤が2列目の右に入り、吉澤のいた位置に末永が入った。65分にはその末永から良いクロスが入り、稲垣が撃つがGKの正面に。76分には橋本卓が下がり志田健太が入り再び河野、吉澤の2トップに。そして正悟の位置に志田が入った。こうして大塚監督も色々な選手、システムを試す余裕が。前にも述べたが、チームの最大の目標はリーグ戦の成績よりも1人でも多くの選手を日本に送る事だろう。そういう意味ではこういう試合展開が最も好ましいのではないか? Afrique のチーム事情はよく解らないが、 アフリカらしさが垣間見られたのはそのラフプレーばかり。70分にはCKのチャンスから一旦はゴールネットを揺らし、2点目か?と思わせたがキーパーチャージでノーゴール。すると3分後、今度は完全にGK上杉に故意に行った Udoaka がイエローカードを貰うが、ここは1発退場でも良かったと思う。この日は3枚の警告が Afrique に出されたが、もっと出されるべきであったと思う。83分にはアルビレックス最後の交替選手、磯貝新が鈴木健児に替わって投入される。磯貝、末永の両交替選手は JAPANサッカーカレッジ出身の選手だ。 そして試合はそのままタイムアップ。これでアルビレックスは8試合を消化して勝点12で Afrique を抜き、5月3日試合終了時点で勝点13で並ぶ Young Lions ( 5試合 ) Woodlands ( 8試合 ) Tampaines ( 7試合 ) Home United ( 6試合 ) Singapore Armed Force ( 7試合 ) の5チームに次いで11チーム中6位となった。しかし、順位よりも彼らにはもっと他の目標があることだろう。試合終了後グランドを Down Cleaning の為ジョギングする選手達に “頑張れよ!! 日本で待ってるぞ!! “ と声を掛けた。(聞こえたかな?) 選手達よ、新潟に凱旋し、定評の高いアルビレックスチアーリーダーのダンスに乗ってピッチ入りする日が来るだろうが、ここで在留の奥様達や子供達が送った声援も忘れないでくれよ。 そして翌日早朝、私は次の訪問地へと飛びたった…..