7月11日は午前のシンガポール航空便でシンガポールからジャカルタに移動だ。
この日は雨が降っていたので外を走る事は出来なかった。いやそれを理由に走らなかった。現役時代、雨などは気にせず走りに出たのに。タクシーでチャンギ空港に。シンガポールはタクシー料金が安いので気軽に使える。(と言っても会社に請求するけど。)タクシーの運転手には確かにシンガポール航空に搭乗すると言ったのに違うターミナルで降ろされた。そこでスカイトレインに乗ってターミナル間を移動する。でもこんな事でもなければスカイトレインに乗車する機会もなかっただろう。
チェックイン、出国手続きを済ませ空港内に入るがここはいつもこの二つの手続きがスムースでありがたい。そして出国手続きを抜けるとそこには Shopping City と名付けられたブランドショップやお土産物屋がずらりと並ぶ。さすが世界一評判の高い国際空港だ。そして大きなスクリーンがありそこにはメジャーリーグのオールスターゲームが中継されていた。イチローが史上初のランニングホームラン Inside Park Home Run を放ち MVP を獲得したのを後で知ったのだが、このシーンは既に過ぎており試合はもう最終回だった。もし韓国人観光客がわんさといる前でイチローの快挙のシーンがアップになれば私も彼らの前で大きくガッツポーズを取ってやったのに ……
すぐ横のテレビ画面では前日行われたアジアカップのインドネシア対バーレーンの再放送が映し出されていた。この試合の結果は早朝の地元のニュースでも報道されたので知っていたけど、やはり詳細は見たいので足を止めて画面にかぶりつきになる。既に70分を過ぎておりインドネシアが 2-1 でリードしている。リードを許しているバーレーンの前大会はベスト4。今大会も上位進出を狙うが同組には韓国、サウジアラビアがいるのでインドネシア戦は負けられない。77分には John Akwani のシュートがゴールネットを揺らすがその前にハンドがあったの判定で無効に。直後に MF Al Dosri のシュートがバーを直撃する。80分にはMF の Mohmed Hubail に替えて FW のHusain Ali を投入する。二人とも2年前のワールドカップ予選の日本戦に出場し馴染のある選手だ。83分にはワンツーで抜け出た Abdulla Omar が抜け出で放ったフリーショートはゴールを捉えられない。84分には Rashed Al Dosari が下がりAbdulla Baba Fatabi が入れられる。そして Tatal Yusuf が放ったミドルはバーの上に外れる。バーレーンの猛攻が続く中インドネシアは MF の Elie Aiboy を下げてDF の Spardi を投入し逃げ切りを図る。アナウンサーは3年前のアジアカップではバーレーンがインドネシアを 3-1 で破ったことを話す。この試合は地元の大歓声を受けたインドネシアがリードしている。決勝点を挙げた Bambang Pamungkas がボールを持つと更に赤一色のスタンドから大きな歓声が後押しをする。87分には Talal Yusuf がボレーでゴールを狙うがその前にオフサイド。4分あったロスタイムを終え日本人の西村主審のタイムアップを告げるホイッスルが鳴り、大歓声がスタンドを包む。そして観客達が飛び跳ねているのだろう、画面が揺れている。これでホスト国はタイ、ヴェトナム、インドネシアと負けが無い。この結果をこの日対戦するサウジアラビア、韓国はどうとらえるだろう?
ジャカルタへのフライトは空席が目立っていた。約2時間のフライトの後ジャカルタ空港に予定通り到着する。しかしここからが長かった。インドネシアに入国するには入国ビザが必要だ。空港内で簡単に発行をしてくれる。私の場合は1泊しかしないのでビザ代金は US$10だったが、米ドルをもっていないのでシンガポールドルで支払う事にしかしなぜかシンガポールドルだと S$20請求された。それは仕方ないとして S$20 のレシートを発行してくれと頼むと、それがそうだと指さされた先には US$10 と印刷されている。少しの押し問答の末係官は手書きで S$20 と書いて投げ返してきた。ビザを求めて約1時間近く並んだ上にこう言う仕打ちは腹も立つが、もっと腹が立ったのは数人前に並んでいた日本人の集団。みなこの蒸し暑いのにスーツを着ており、漏れ聞こえて来る会話を総合すると商社とメーカーの偉いさんの様だ。若い奴があとから列に割り込んできやがった。それだけでない、やっとビザを貰って入国手続きをするとさっきの若い奴が私の前にいる。彼が順番を終え、私があとに続こうとすると隣のカウンターの前で並んでいたメーカーの偉いさんに“どうぞ。こちらへ。”と私がいるのに手まねきしている。頭に来てその若い奴と、偉いさんの間で立ち止まって交互に思いっきり睨んでやった。入国手続きが終わってもその若い奴を目で探してしばらく立ち止まって睨んでやったが、ここは鼻血が出るほど殴れば良かったと後悔している。どうせ一期一会なのだから。
海外にでると特に大商社のこうした振る舞いに何度か喧嘩をした事がある。大商社の連中は会社の規模が自分価値と同じと勘違いする馬鹿が多い。哀れな奴は定年して商売を始めた老人連中だ。定年前は何十億単位の取引をいくつもこなし、退職後はその延長とばかりに商売を始めるが定年前のキャリアーはその人間自身ではなく、大商社の看板にすぎなかったと気付きショックを受ける。
そしてもっと迷惑なのは大商社内での厳しい出世競争に敗れ、30代中盤から40代前半で他の会社に転職してくるバカだ。会社の看板で仕事していたのにそして自分の能力の無さに気付かず会社内に迷惑をまき散らす。もっとバカなのは大会社にいれば全てにおいて実力があると信じて、そういう落ちこぼれを拾い集める他の会社の幹部や人事達だ。今こう言う深刻な被害にあっている会社は少なくない。だから私は大会社、特に商社の連中は大嫌いだ。
頭から湯気を噴出しながら荷物をピックアップし街中に行くタクシーを探す。すると今度は私の自尊心をくすぐる事が。私の着ていたマレーシアで購入した NIKE の Asian Cup のポロシャツを見て、“シャトルバスをお探しですか?”と声を掛けてきた。税関を抜けて外に出るとすぐ Asian Cup の案内所の様なカウンターがあり、そこの一人が私の身なりを見て、報道陣に指定されたホテルまでのシャトルバスサービスがあると教えてくれた。残念ながら私はオフィシャルに登録された報道関係でないので上手く?断り、いつも使うタクシーで市内に向かう事にした。
タクシーの運転手は結構英語を話してくれた。そしてサッカーも好きらしく前日のアジアカップの試合等話が弾んだが、予約したホテルから試合のある Gelora Bung Karno Stadium までの行き方など詳しく教えてもらえた。心配していた試合後のホテルまでの足も“けっこうタクシーが走っているから難しくないと思う。”と言ってくれた。
実際彼が教えてくれたことは結構役に立った。
ホテルに到着し、すぐに仕事にかかった。空港でのビザ取得に時間がかかってしまい、アポの時間が迫る。なるべく夕食時にかからない様に仕事を終えないと食事を誘われてしまう。そうするとこの日のサウジアラビア対韓国の試合観戦が出来なくなるから….. 何とか仕事を終えて部屋に帰り、試合観戦の身支度を始める。そしてパソコンを….. と思うもここではワイヤレスは繋がらない。旅行会社の紹介では“室内にはワイヤレスのインターネットも接続できてビジネス向き”とうたわれていたのだが。フロントで訊いてみるとワイヤレスが繋がるのはロビーかビジネスセンターのある2階そして最上階から数階したのフロアーまでで直に全室完備になるとか…..もう俺は某エイビーロードは信用しない…….
キックオフの7時35分までまだ少し時間があったのでホテルに隣接しているショッピングモールに出掛けて昼食兼夕食を探す事にしたが、結局マクドナルドにした。店の店員や周りの数人が私の着ていた NAKAMURA の日本代表レプリカ(と言っても前にバンコックで買ったコピー商品。昨年のワールドカップでもずって着ていた。)を指さし、“オ~ナカムラァ~”とか“ジャパ~ン”と声を掛けて来る。前日の地元インドネシアの勝利の影響だろう。私も“インドネシア、ツゥー、バーレーン、ワン”と指を立てて答えると皆大喜びだ。
ホテルから Gelora Bung Karno 競技場までは途中で渋滞があったがタクシーで30分もしないうちに到着した。ここは試合の行われる陸上競技場のほかにも室内競技場が隣接する運動公園になっていた。ジャカルタの夜は涼しくはないが、シンガポールほど湿度も温度も高くなかった。競技場の門の前で当日券を求める。一番高い席で料金は200,000 IDR( インドネシアルピー )日本円で約2,860円。先程食べたビッグマックが IDR14,455 なのでビッグマックが約13個半分だ。それが地元の人々にはどれだけの貨幣価値なのだろう…. 出発前に AFC の Web Site から予約しようとしたがこの試合のネット予約はすでに終わっていた。そして販売通貨が IDR でなくマレーシアリンギット単位になっていた。インドネシアの通貨がそれだけ信用ないのか???
門の中に入るとサウジアラビアのサポーター、韓国のサポーターが多く集まっていた。そして地元インドネシアの子供達も。私が着ていたユニオフォームを見てみな“オ~ナカムラァ~、ジャパ~ン”と声を掛けて来る。中には“ナカァ~タァ~”と言う子供も。ここでも前日の勝利のせいかみな好意的だ。さらにサウジのサポーター達も声をかけて来る。中には“ジャパンとサウジアラビアで優勝を争いましょう。”と言う人も。残念ながら決勝戦では顔を合わせられなかったなぁ…..
そして韓国人は声を掛けてこない。競技場内への入口前で後ろに並んでいた小学生くらいの女の子二人連れがいたので英語と韓国語で“僕は日本人だけど、貴方達は韓国人?”と話しかけたらその後ろから彼女たちのお父さんが“日本人ですか?私達は韓国人です。”と日本語で答えられた。(別にナンパしようとした訳じゃないので)お父さんに。“日本語話せますか?韓国からですか?こちらにご在住ですか?”と質問の相手を変えると、商用でジャカルタに滞在しているとの事で、前は日本と仕事をしていたので日本語を覚えた事も教えて貰った。好ゲームを期待しますと言って握手をしてそれぞれの座席に向かった。階段の踊り場には多くの韓国人がいた。何人かが“テ~ハミングック”とか“ハングック”とか応援の練習を始めたので、私も“ニッポン!ニッポン!”と声を出したけど気がついたのは数人だけだった。
観客席に着くがそこは韓国人サポーターのまん真ん中。ここは NAKAMURA のユニフォームよりも Majour League All Star Game MVP の IHCIRO の方が充分に彼らを刺激できたか??それは良いとして陸上用のトラックそして濠まである上にスタンドの傾斜が緩やかで非常に見づらい。幸い?空席が目立つのでなんとか少しは見易い所を確保するのに一苦労した。やがて両チームの選手が入場するが、電光掲示板にはスタメンの選手が詳しく紹介されない上にピッチが遠いのでどんな選手が起用されているかを確認するのに苦労をした。
この試合の詳細は下記をご参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/conty1ban/e/7ac5a8fb2aa798706c5d9629d189954c
韓国はGKに李雲在。ワントップには大会前のウズベキスタン戦2ゴールの曹宰榛。そして廉基勳、金正友、崔成国らが起用され金東珍、李浩のSt.Petersburg コンビも李天秀もベンチスタートだった。一方の情報量が少ないサウジアビア。2トップの左の20番 Yasser Al Qahataniは知っていたが右の9番の Marek Maaz は知らなかった。その9番が開始39秒であわやのヘッドを放つなど、“こりゃあ要注意だわ。”と思わせられる。(実際に準決勝の日本戦では2ゴールを喫した。) サウジのサポーター達も拡声器を持つリーダーの音頭に合わせて結構リズムよく声援を送る。またスタンドのあちこちに2005年8月1日に即位したアブドゥッラー国王の写真を掲げるサポーター達も。
前半を共に無得点で終えてハーフタイムの時に飲み物を求めて売店に向かうが、“ジュースのタンクが空になりました。”との答え。あらら、試合前に買っておけばよかったな。スタンドの中では韓国の女の子達がサウジの小さな男の子を追いかけわして記念写真を携帯で撮っている。日本代表のユニフォームを着た俺には声をかけない。すると大きなテレビカメラを持った男性がカメラを回しながら近付いて来るので“サウジアラビアから来たのですか?”と英語で話しかけると“私はカタールから着たけど、貴方は日本人?”と訊いてきた。どうもあの有名なアルジャジーラのカメラマンらしい。カタールと言えば日本が初戦で引き分けた相手。私は“OH~、 Sebastine Quintana !! “ と言うと彼も笑いながら握手を求めてきた。
後半が始まると今度はジュースを売る売り子を見つけたのでさっそく大声で呼んでコーラを買う。IDR5,000 ( 約70円)とありがたい。さすがにイスラムの国。アルコールは売りに来ない。(当り前か?)またサッカーの試合だと売る事はしないだろうし、売っていてもインドネシアはイスラム大国。そしてここはイスラムの戒律の厳しいサウジアラビアのサポーター席。誰もアルコールは買わないか? しばらくすると横にいた男性が英語で話しかけて来る。“貴方は日本人ですか?” 訊くと彼はインドネシア人で外資の会社で勤めており結構英語を理解する。サッカーはかなり見ており、80年代に日本の富士通などでプレーしたインドネシア人選手の事もよくしっていた。当然日本のサッカーも良くしっている。そしてこのアジア大会でも日本が優勝候補だ、韓国、サウジアラビアよりは上を言っている。イランは良いけど守備に問題がある。中国は優勝なんてできないと結構鋭く指摘する。また何故こんなにサウジアラビアのサポーターがいるのか?彼らはインドネシアに在住しているのか?と尋ねると、“半分近くはインドネシア人だ。イスラム教徒はサウジアビアを応援する。”と言っていた。同国2億2千万の人口のうちイスラム教徒は1億9千万人いるといわれており、1国のイスラム教徒信者の数は最大だ。前日のインドネシアの勝利、そしてベスト8の可能性を尋ねると、“まだ難しい。韓国かサウジに勝ったわけではないから。”と冷静だ。
試合は途中で停電の中断があったりして 1-1 の引き分けに終わった。ずっと話をしていた地元の男性とは握手をして別れ、出口に向かった。しかし階段が狭く大渋滞だ。この競技場は1962年のジャカルタでのアジア大会に向けて建設されたらしい。その後も陸上競技のアジア選手権なんかが開催されたのではないかな?何度か改修工事をしたのだろうが屋内も少し改修した方がいいだろう。遅々として進まない階段を降りる。こんなところで将棋倒しになると大参事になるのだろう、と思っていると競技場に入る時に話をした韓国人父娘と再会した。この韓国人男性にこの試合の印象を尋ねると今大会の韓国には悲観的になると言っていた。そして社交辞令もあるかもしれないが戦術に長けた日本のサッカーを称賛していた。しかし、こちらも韓国は昔からアジアでは勝負強さを持っているので良いところまで行くのでは、と言ったら、この日もそうだが韓国はこの18年間サウジアラビアに勝てない、日本はアジアカップでもサウジアラビアに勝っていると指摘。結構70年代からサッカーを見ているらしくほんの5分ほどだが70年代からのサッカー談議に話が咲く。”何故そんなに詳しいんですか?”と驚いた表情。
“韓国に来た事はありますか?私は日本の千葉県に数か月仕事で住んでいました。”
“前のワールドカップでソウル、蔚山、光州に行きました。光州では金大中(当時)首相を競技場でみましたよ”
“私は光州出身です。金大中氏は若いころからよく見ましたよ。”
“私が子供の時金大中氏が日本でKCIAに拉致されたのを今でも覚えています。”
そして二人の子供には小道具として持っていた韓国代表のキーホルダーをあげた。 “どうしてあなたがそんなものを?良いんですか?” “これオーストラリアで安く売っていたんですよ。私が持っているよりかは良いでしょう。” ってな具合で話がはずみ最後は堅い握手をして別れた。“良いご旅行を。”“そちらこそ、ジャカルタは暑そうなので身体に気をつけて。”
出口の門に向うと今度はサウジアラビアサポーターの人だかり。その中心にはなにやら大きなかぶり物をしたサウジサポーターがいた。こりゃいいと一緒に記念撮影。”これは重いから撮影料10ドル頂きます。”と言われた。もちろん冗談だけど。彼にも”Japan とサウジアラビアで優勝を争うでしょう。”と言われた。でもあのかぶり物は硬いもので出来ていたけど首が痛くならないのかなぁ...
帰りは公園の敷地内にオフィシャルのお土産物屋があったのでTシャツを買った。1着IDR99,000 ( 約1,400円)だったまだ着ていないので着心地はわからないけど。約10分ほど歩いて大通りに出るとタクシーが止まっていたのでそれに飛びのりホテルへ。こちらが何も言わないのにちゃんとメーター通りに走ってくれたので乗車賃は約IDR30,000 程度(約230円)だった。
ジャカルタはまだ仕事が少ないので街をよく知らない。それに言葉の問題もある上に、物乞いとまではいかないが昼間から路をうろうろしている大人や子供の男性が多いので外には出ない様にしている。もっと土地勘がつくくらいに頻繁に来れば(その前に仕事を作らねば)もっと動けるのだが…… 翌日は早朝のフライトでバンコックに移動だ。ホテルは午前4時にタクシーが迎えに来るので、部屋に帰ってシャワーを浴びたらもう12時前。急いでベッドにもぐりこんだ。明日寝坊しない事を祈りながら….. 続く。
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情報ありがとうございました。
この方とは一緒に記念撮影もさせていただきました。
かぶりものは石膏で出来ており結構な重さと固さでした。他に多くの方々が記念撮影を頼まれておりました。