Mr.コンティのRising JAPAN

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IAAF 世界選手権開幕

2007-08-26 | 陸上競技
いよいよ第11回 IAAF 世界選手権。いわゆる世界陸上が開幕した。もう11回目かぁ….. 第1回のヘルシンキ大会から24年が経つのだ。俺も歳をとるわけで、大学生だったあの時 “いつか俺もこういう大会に出てやる。” と目標高く下宿の壁に “ International Championships in Athletics” と書いた紙を貼っていた。それを見た友人は “何やこれ??”って不思議がっていた。当時陸上競技の世界選手権なんて誰も存在を知らなかった。織田祐二君がもっと早く登場していたら陸上選手であった私にももっと同級の女の子も振り向いてくれていただろうか?
忘れもしない1983年、ヘルシンキで第一回のIAAF 世界選手権が開催された年、私は陸上競技を始めたのだった。もう大学生にもなってようやるわ、と言うのが周囲の空気だった。しかし自分は本気で“今年は1500m で4分20秒を切って2年以内に4分を切って、最後は3分40秒を切るんだ。”と目標を立てた。 4分を切るところまでは行ったのだがそれ以上は“予定通りに”には行かず挫折をしてしまったけど地区インカレで優勝を争ったり、日本インカレに出場したり今となってはいい思い出だ。
だがスポーツを全く知らない家内にとっては世界選手権レベルのスポーツイベントが開催される度にテレビを占領されるのでいい迷惑らしい。

今回はクーラーの付いていない自室でテレビ観戦。あぁ競技場の選手はもっと暑いんだろうなぁ…. 大会初日は男子マラソンに始まり、男子ハンマー投げの室伏、そして400mHの為末が出場する種目が並ぶ。女子マラソンを後に持ってきたり、初日に室伏、為末の登場する種目を選んだりと地元開催ならではのプログラム進行だ。
個人的な大会初日の興味は女子 3000mSC の早狩実紀選手と男子1500m の小林史和選手の二人だった。

早狩選手は京都出身。私が学生の時にはまだ中学生ながら京都では抜きんでた力を持っており高校生や成人を入れた中でも京都女子中距離界では敵なしといった感じで注目されていた。1991年東京で開催された世界選手権では既に3000m で日本代表として出場を果たし、今尚現役を続け、何より競技の取り組みに対する姿勢は“素晴らしい”の一言。私が現役時代にはなかった彼女の出場する3000m SC は非常に関心があった。しかし、レース途中で転倒。無念だった。いやもっとも無念だったのは本人だろう。しかしすぐに復帰しまた女子中長距離の国際舞台に戻って来る事を期待しよう。



男子1500mは自分がやっていた種目。私が現役時代は世界から大きく取り残されアジア大会以上の国際選手権大会に出場出来るなんてかんがえられなかった。しかし今大会は前回に続き小林選手が出場だ。小林の登場した予選2組は60秒、2分2秒、2分59秒というラップを刻み1着フランスのメディ・バーラはラスト400m を53秒。300mを 39秒台でしかも最後は余裕をもってカバーする走り。小林も1200mまで集団から離れずついて行き最後3分41秒19のタイムで9位に入りプラスに拾われて準決勝に進出した。1500m走は 800m ~1200m の走りが勝負を左右する。この400mは前の400mよりも5秒もラップが上がり、その上にラスト300m を40 秒内でカバーするのだ。しかも余裕を持って。1着のバーラは800m まで先頭集団の最後尾につけ、3週目で3位に上がりラストスパートで難なく1着を奪った。そして7着のニュージーランドのウィルスまでが団子状態でなだれ込み1着バーラとのタイム差は1秒53。そして8着メキシコのバリオスとウィルスとの差が0秒87,更に0秒14あいて小林だった。小林には準決勝では順位よりも日本記録更新を狙ってほしい。そうすれば決勝が見えて来ると思う。
でも3分40秒切りなんてどんな練習をすれば出せるのだろう? その前に選手の資質か??? 俺がこのレースに出たらどうなっていたやろう???

400mHでは成迫健児が見事に準決勝進出を果たした。為末は残念だった。この大会そのものを引っ張ってくれていたのに。昨シーズンは走力を上げる為にハードルレースに出場しなかったとの事だったが、それが裏目に出たか?最後あんなに顎が上がってしまったのを見た事がない気がする。それが0.01秒差で予選落ちに繋がってしまった。今年の日本選手権でも優勝はしたものの最後は成迫にかなり追い込まれてしまった。為末は走力を上げるのならば昨シーズン800mレースに出たのかな?400mHの選手は結構800mを走れると聴いたけど。私が現役時代関西では秋季インカレに400mHの選手が800mにエントリーするなんて,…. あまり聞かなかったなぁ。しかし当時400mHの第一人者だった順天堂大(当時)の吉田良一なんかは800mで1分51秒台を出していた。(その種目を専門にしていた俺の記録よりも早かった。)成迫には次のレースを為末、吉杉には来年の北京に向けてがんばってほしい。

100mでは大ベテランの朝原が準決勝進出を決めた。1次予選ではゲイ、2次予選ではパウエルと強豪と同組になりながらの勝ち抜きは素晴らしい。特に1次予選では第一組の出走で重圧もあっただろう。タイムも10秒14( 1次予選 ) 10秒19 ( 2次予選)と安定している。 100mのタイムの真の意味を理解している人は少ない。 100mレース、特に決勝までのレースでは次のラウンド、そして決勝を目指してほぼ同じような記録を持っているスプリンター同士が走るので必ず持ちタイム通りの結果に終わると言うレースは稀である。10秒1の記録を持つ選手はそれが最高記録であって常にそれを出せるわけではない。10秒4~10秒5と言う記録をコンスタントに出す力はあるが10秒3程度の記録は4,5回に1度は確実に出せると言うことである。それが10秒2のベストタイムを持つ選手なら更に0秒1ずつ記録がかわり9秒台の記録を持つ選手は同様に0秒1以上記録が良くなると言うことだ。従って同日に10秒20を連続で切った朝原の今の調子をはかり知る事が出来る。それに100m走と言うのは予想以上に“疲労”を感じる種目だ。明日は準決勝、決勝があるが、初日の疲れを全て取り除いて明日に臨んでもらいたい。 




それにしても暑いなぁ….. もう9月やぞ.....

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