Mr.コンティのRising JAPAN

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日本3次予選は Group B

2007-12-07 | Weblog

11月25日の抽選会で日本と同組になったのはバーレーン、オマーンそしてタイ。
マスコミは早くも与し易しとの報道を発信している。バーレーン、オマーンは前回のワールドカップ予選でも対戦し負けていない。しかし決して楽な試合内容ではなかったはずだ。ホームでのオマーン戦は中田英寿、中村俊輔、高原ら欧州組みを擁しながら中村がPKを失敗するなど大苦戦。ロスタイムに久保の起死回生のゴールで勝利を何とかものにした。バーレン戦も最後はオウンゴールで勝利を収める辛勝。確かに日本の方が実力は一枚上手だが、10回やって10回とも勝てる相手ではなさそうだし、相手もこの数年間で日本を研究していることだろう。もし協会がそれなりの組織力を持っていれば。
この組み分けの結果をタイで知った私は地元テレビでも翌日から連日この報道が…. と思ったけどそうでもなかった。その前に言葉が解らないか……
タイはGroup B では第4シード。要するに一番ランクが下がると言う事だけと70年代からタイを見ているとそうそう easy な相手ではないと思ってしまう。 1970年代にヤンマーディーゼルにタイからビタヤ=ラオハクルと言うタイの選手が入団した。その時の印象はあまりないけど、タイから選手が来た事を覚えている。その後帰国しタイ代表としてアルゼンチンワールドカップ予選に出場していたのを当時の雑誌で見つけた。あぁやっぱり凄い選手だったんだなぁ…. と思った。
1979年マレーシアで開催されたムルデカ大会で日本はタイと対戦したがなんとか2- 1で勝利を飾る。しかし試合後タイは主審の判定を不服とし大会当局に提訴をしたが勿論結果は覆らない。その時のタイ代表にはビタヤ=ラオハクルがいたのは大会後に発行された専門誌でわかった。当時は試合中継なんてなかったので数週間後に発刊される専門誌でその試合内容を把握するしかなかった。
そして1984年4月、シンガポールで開催されたロス五輪予選。日本は初戦、ピヤポン率いるタイに 2-5 と粉砕されてしまう。何度もこのブログでも書いたけどあの時の衝撃は忘れられない。ピヤポンがボールを持てば日本のDF陣は簡単に振り切られる。高温多湿のシンガポールで全日本イレブンは動きが悪く、同じ気候のタイの選手達がピヤポンだけでなく生き生きと動くのを呆然とテレビで見ていた。予選前のあの楽観視は何だったのだろう?これ以来私はタイが不気味に思えてならない。

        

3年後の1987年ソウル五輪東地区予選でも日本は中国、タイそしてネパールと同じ組になりその開幕戦はバンコックでのタイ戦。ここでもピヤポンが登場する。緊張の中、日本は何とか0-0の引き分けに持ち込んだ。そして東京で行われたホームゲームでは水沼のゴールで1-0 と勝利を収めたが最終戦雨の中の国立競技場で中国に 0-2 と破れ五輪出場はならなかった。中国との直接対決は1勝1敗だったがタイとの対戦成績において日本が1勝1分けだったのに対し中国はホーム、アウェー共に勝利を収めたのが両国の明暗を分けた。
翌1988年はソウル五輪イヤーだった。この年はよくサッカーの日本リーグを観戦しに行った。観客も少ないのでのんびりと座席を3つほど占領して観ていた。そして松下電器にビタヤ=ラオハクルの姿を見つけた。再来日して古巣のヤンマーに戻らず松下に入団したのは当時松下の監督だった水口氏との関係である事がすぐに分かった。水口氏も元ヤンマーの選手で日本代表にも選ばれている。しかし松下電器サッカー部創設と共に松下に移籍しその後のガンバ大阪の礎を築いた。水口、ビタヤ両氏の関係はその後も続き8月17日にはJFLのガイナーレ鳥取の新監督にビタヤ氏が就任したが、その前任は水口氏で彼の解任の後を受けての就任であった。

1993年ワールドカップアメリカ大会1次予選。Jリーグの開幕を約2ヶ月後に控えて完全にプロ化された日本代表は是非とも1次予選を突破して欲しいところであった。東京で開催された開幕戦。相手はタイ。2年前のキリンカップでは終了直前、柱谷のPKで勝利を収めるが完勝とは言えなかった。ワールドカップ予選のために来日したタイ代表のメンバーにはピヤポンの名前もあったが、日本戦には出場しなかった。緊張で動きの硬い日本だったがなんとかキングカズのゴールで初戦を勝利で飾り日本ラウンドを全勝で終え、UAEラウンドに。ここでの初戦もタイ。この時はピヤポンがスタメン入りしたが、井原が技ありの反則でピヤポンと共に退場処分となり、堀池のゴールで日本はタイを連破した。しかし御周知の通り日本はドーハの悲劇に散る。
1997年、ワールドカップ予選突破を目指す日本はバンコックで開催された Kings Cup に出場する。ここではタイと激戦の末 1-1 で引き分ける。終盤優勢に試合の主導権を握ったタイ代表に地元観衆からは大歓声が送られたらしい。そして1次予選、オマーンラウンドに向かう途中にバンコックによりタイとの調整試合を行うがここで日本は何と 1-3 と破れてしまう。この時はもうあのピヤポンは出場していなかったが若き日の Kiatisuk ZICO Senamuang がおり2ゴールを決めた。
こしてみるとタイは他の ASEAN 諸国と異なり何点差も付けて勝てる相手では無い事がよくわかる。そのタイ相手に完勝を収めた試合となると2004年のアジアカップまで待たねばならなかった。
11月27日の Bangkok Post によるとこの組み合わせにアジアカップでも指揮を執った Chanvit Phalajivin 監督は自信のコメントを。
“勝点10を挙げれば最終予選に進出出来ると思う。ホームゲームの3試合で勝点7、アウェーゲームの3試合で勝点3。ホームゲームでは日本と引き分け、オマーン、バーレーンから勝利を挙げたい。”
日本戦をホームで引き分けとは他国よりもランクを上と見てくれている様だ。12月初旬には代表チームを召集しトレーニングを行い12月5日から16日にマンチェスターに遠征し 地元開催のKing’s Cup に臨むとの事。中近東諸国に打診し翌年1月にオマーン、バーレーン対策としてのテストマッチを予定しているとの事。協会の Kittiratt Na Ranong マネージャーは日本が最終予選進出の最右翼としながらも2004年に自身がチームに同行した草薙での AFC U-17の試合で日本を 2-1で破った事に自信を見出している。この時のメンバーが何人か代表入りしているのか?
“私は日本を恐れてはいない。オマーンはアジアカップで破った。バーレンも強豪だが私は彼らを乗り越えられると信じている。” とのコメントを残す。

11月26日に開幕した SEA Games 東南アジア11カ国がタイの Bangkok, Chonburi に集い45の競技の覇を競う大会であるが、サッカーは29日に始まり、現在エントリーした8カ国が4カ国ずつ2つのグループに分かれた予選リーグを行っている。タイの所属するグループAは タイ、インドネシア、ミャンマー、カンボジアの4カ国。タイは初戦のミャンマー戦を 3-2 と辛勝した2日後の12月4日にカンボジアを 8-0 と一蹴し準決勝進出を決めた。
一方シンガポール、ヴェトナム、マレーシア、ラオスの入ったB組はシンガポールがラオスと0-0で引き分ける波乱の幕開け。日本と五輪予選を戦ったベトナムは初戦で強豪のマレーシアを 3-1 で破るも続くシンガポール戦では 2-3 と破れてしまう。12月8日に行われる最終節ではシンガポールがマレーシアと、ベトナムがラオスと試合を行うが4カ国とも準決勝進出に向けて手を抜けない最終戦だ。
この大会スポンサーからは勝利給が1試合あたり THB500,000 ( 約 167万円 ) そして決勝戦で勝てば THB1,000,000 ( 約335万円)のボーナスが支給される予定だ。この SEA Games に臨むタイ U-23 のメンバーは下記の通り。

GK : Sivaluk Terdsungnern, Veera Kerdputsa 
DF : Prat Samakrat, Kiatprawut Saiwaew, Jira Jaroensuk, Weerayut Jitkuntod, Chonlatid Chantakam, Suthinan Pukhom Nattapong Samana 
MF : Sarawut Jantaphan, Adul Lahso, Thana Chanaboot, Ittipol Poolsap, Wisarut Phannasri, Arthit Suthornpit , Wuthichai Tathong  
FW : Teerathep Winothai, Teerasil Dangda, Anon Sangsanoi and Sompong Sorleb

GK Veera Kerdputsa, DFの Kiatprawut Saiwaeo, Nattapong Samana, FW のTeerasil Dangda , Teerathep Winothaiらが Asian Cup のメンバー 

  

そして11月27日付の Bangkok Post 紙にタクシン元首相が懲役26年の刑に直面している記事がトップで伝えられていた……..



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