9月9日、IRB World Cup, ワールドカップラグビーが開幕した。
私の涙を誘ったカナダ戦の大西の同点conversion kick 、Wallabies, All Blacks が相次いで散り潮が引く様にワールドカップ狂想曲が収まった前回のワールドカップからもう4年が経過した。
そして今、私は4年前に続いてここ南半球に居る。今回はニュージーランドがホスト国。当地での開催は第1回大会以来24年振りであるが単独開催は初めて。24年前と異なり最近はラグビーもプロ化が進んでおり第2回大会以降は第3回1995年南アフリカ大会こそ決勝に進出したが優勝は無く Tri Nations のライバル国オーストラリアが1991, 1999 年大会、南アフリカが1995年、2007年大会と2回ずつ優勝しておりこの地元で開催されるワールドカップでは優勝以外に成功は無いと地元の人達は考えていると言っても過言ではないだろう。
同様の事が2014年 FIFA World Cup のホスト国であるブラジルにも言えるだろうがこちらの方はもっと深刻だろう。
大学時代、英会話の授業で討論があった。外国人の教授が五輪種目(丁度ロス五輪が終わって間が無かった。)が議題となり何故ラグビーが五輪種目に無いのか、との話しになった。私はかつてラグビーが五輪種目で有った事は知っていたし、ラグビーの国家代表試合、所謂テストマッチは公式にはニュートラルの地で行わない事が慣例となっていて、何より当時はまだ世界選手権が行われていなかったから今は五輪種目に適用されていないと発言したかったが教授は私を指してくれず、指された学生達は
“競技場が足らないから”( そんなわけないだろ。そんな国は五輪を開催出来ない。)
“時間が掛かるから” ( サッカーの方が前後半5分ずつ長いぞ。)
“人数が多いから” ( 確かに多いけど人数で採用するか否かは討議しないだろう…)
とか言っていた。
“体力を使うから試合間を開けなければならない。だから大会期間中に日程を終了できない。”
というまともな意見もあったけど、結局教授はプロ化がどうのこうの…と言っていた。ある意味当たっていたかもしれない。
当時学生スポーツの花形は何と言ってもラグビーであった。大学選手権3連覇を果たす等同じ京都の同志社大学が全盛期で当時岩倉にあった練習場では女の子が多く“見学”に来ていた。私の大学からも“見学”に行く女学生がいた。自分の大学にもラグビー部はあったが学生リーグにも参加しない弱小部であった。毎年リーグに参加しない大学同士で“リーグ戦”を行っていた。それでもラグビー部員達の方が私より女学生に人気だった。俺は陸上競技で日本インカレ常連だったのに….
冬になると横縞のラガージャージーがファッション的人気がありラグビー選手でもないのに着ている男性が多かった。中にはおそろいで着ているカップルも目に付いた。女の子か横縞のジャージーを着ると可愛くも見えたなぁ..
ラグビーは大学スポーツとして当時”女性に認められた”競技だった。
でもスポーツもしない男子学生が“早稲田カラー”や“慶応カラー”とか言って着てどういう神経しとんのかいな…と当時スポーツ現役学生だった私は思った。そして当時最高に強かった新日鉄釜石の真っ赤なジャージーを着る学生はいなかったけど...
それだけラグビーは人気がありサッカーなど誰も気に掛けなかった。1983年にはアームズパークでウェールズを相手に日本代表は大健闘をし1989年には秩父宮でスコットランド相手に歴史的勝利を挙げていた。
それが競技戦績も人気もこんなに大逆転するとは夢にも思わなかった……
オーストラリア シドニーでの激務を終えて早朝7時前のタスマニア海峡を越えてニュージーランドの最大都市 Auckland に渡ったのは9月10日。 North Shore で日本代表がフランス戦を行う日であった。 機内は黄色い Wallabies ジャージーを着る人が多かった。翌日 North Shore で行われるイタリア戦が目的だろう。 いつもオーストラリアに出張に来ると All Blacks のヤッケを着ているのだけどこの日ばかりは赤と白の桜のエンブレムの入った日本代表のジャージーを着た。と言っても少し古いデザインだけど。 でもこれが日本代表だとは誰も解らなかっただろうなぁ….
斜め後ろの座席からフランス語が漏れ聞こえて来た。どうやら彼らもワールドカップ観戦が目的であった。次第に彼らは早朝だと言うのに会話の声が大きくなり、途中気流の悪いところを通過しシートベルト着用の機内アナウンスがなされてもお構いなし。 Cabin Attendant がベルト着用を悟に来てもわざと言葉が解らないふりをするがここは経験豊かなスチュワーデス。
“ English is international language !! “ というと周りの乗客に大受けしていた。
Auckland に到着して機内から出る前に私の着ていたジャージーの桜のマークを指して
“ Je suis japonais, please do not give us so much hard time. ”
と言うと彼らに受けて皆と握手を交わした。他の乗客たちも笑っていた。
フランス人達、余裕だなぁ….と少し羨ましく思った。
そしていつもは時間が掛かるパスポートコントロールに向かったがこの日はほぼカウンター全席に係官が座っておりすぐにそこを通る事が出来た。結構待たされることもあるのだけど。そして荷物をピックアップし再び荷物検査もスムースに通り航空機を出てからあっとう云う間に空港の外に出られた。 これもワールドカップ効果なのだろうか…..
更に驚いたのは天気の良さと気温の高さ。 雨のシドニーとは大違いの快晴のポカポカ陽気だった。
市内に向かうバス停に向かったがここでもバスのチケット売り場が設けられていた。 こんなの見るのも初めてだった。
バス停には Wallabies のジャージーやマフラーや帽子を身に付けた人達が10人くらいいてワールドカップの雰囲気を醸し出してくれる。5年前にドイツに行った時と雰囲気がだんだん似て来てワクワクして来た。
バスが市内に近づくにつれて All Blacks の旗のみでなく大会参加国の国旗が見られるようになる。でも日の丸は少なかったなぁ..
ホテルでチェックインを済ませ、まず最初の仕事、チケットのピックアップに出掛けた。 競技場でも事前購入したチケットは受け取れるのであるが e-mail で“なるべくチケットはピックアップしてから競技場に…”てなお願が書いてあった。まぁスタジアムで長蛇の列に着くよりましか…と思ったがその判断は間違えであった。 チケットの受け取りが出来るカウンターのある市内の名所 Sky Tower まではホテルから徒歩10分も掛からなかったがカウンターの前は既に長蛇の列。しかもカウンターには係員が2名しかおらずなかなか順番が回って来なかった。私の後ろにいたフランス人カップル(2人とも英語を話しれくれたけどどちらかと言えば彼女の方がよく英語を理解していた。)と“遅いねぇ~”ってな話をして時間を潰したりして30分以上も待ってようやくチケットを手にする事が出来た。
でも実際に手にした時は待ち時間の事も忘れて嬉しかったけど….
競技場に到着した時チケットを受け取る窓口に人は並んでいなかった。 こっちの方が圧倒的に早かった見たいだった….
そしてホテルに戻ったが街行く日本人の姿がチケットを取りに来た時よりもかなり増えていた。それにフランス人も。
いよいよワールドカップ本番(と言っても前日開幕したのだけど…) と気持ちを引き締める事に。(あまり関係なかったか?)
最近ニュージーランドでは中国、韓国からの移民が増え自分が従事するレストラン産業では日本人経営よりも新規参入し店舗の数では今や和食スタイルのレストランでさえ中国、韓国系が圧倒している。
しかしこのワールドカップ期間だけはアジアを代表の常連である日本人として胸を張っていられると嬉しく思った。
チケット受け取りに時間を費やし過ぎたのでホテルに戻ってすぐに競技場までの無料シャトルバス乗り場に行かねばならなかった。でもバス乗り場もホテルのすぐ近くで助かった。 チケットを見せればバスは無料との事だったけどバス停の係員も運転手もチケット等見ずに乗車させていた。
一番後部座席に座ると横の二席が空いたままそこに座る乗客がなかなか来ない。そして出発前に日本人らしき女性が小さな女の子を連れていたので手招きして席が空いている事を教えた。その親子が横に座りずいぶん丁寧にお礼を言われてしまった。
そして女の子を膝の上に座らせるともうひとつ空いている席に今度は Kiwi らしき男性が座った。隣の日本人女性の御主人であった。 あぁまた日本女性が海外に流出していたのか…
競技場に着くまでの約半時間、この日本人御婦人としばし歓談をした。 そしてバスの中を見回すと日本人も全体の3分の1程度はいた。 フランス人らしき集団も多くこの時間から飲んでるのも多かった。
バスが競技場近くに広場に到着し競技場に向かうがその間もフランス人達が何やら歌っている。歌う歌が無い日本人達からは沈黙しか…. ワールドカップドイツ大会の時もクロアチアサポーター達が試合前から電車の中で大声で歌っており何か歌える歌は…とすこし無念に思った事を思い出した。 こんな時は何を歌えばいいのだろう…10分ほど歩くと競技場入り口に。 そして大会プログラムを購入しようとするが販売されているプログラムはこの日の Match Day Program ( とは書いていなかったけど。)のみだった。 毎試合発行してより多く収入を増やそうと言う考えか?? 価格は1冊 NZ$15.00 ( 約960円程度 ) だった。
席は最前列だったけど階席だった。カテゴリー A だったけど…しかしフィールドを一望でき全体のフォーメーションはよく解る席であった。ピッチでは日本代表の選手達がアップをしていた。そして John Kirwan 監督の“雄姿”は遠くからでもすぐに解った。
ピッチの中央には試合前のセレモニーに使われるのだろう太鼓が準備されていた。
その和太鼓を打つのは6人の日本人女性と1人の日本人男性だった。そしていよいよその演奏が始まろうとし会場から拍手が沸いた時にフランス選手団がアップの為にピッチに登場したので更なる大歓声が沸き上がった。観客の数はフランス人達の方が多かったと思う。太鼓の音がかき消される様で残念だったがここはラグビーワールドカップ。選手達の方が優先されるべき場所だった。
それから黄色のレプリカを着た Aussie も多かった。明日のイタリア戦の下見か…
それでも途中からはしっかりと素晴らしい太鼓の音が競技場に鳴り響き、演奏が終わった時は観客席から大きな拍手が送られた。
隣に座っていた Kiwi の老夫婦に和太鼓に着いて質問されたけど知識が無いのでしっかりと教えられなかった。 やっぱり日本の事はしっかりと説明出来ないとだめだなぁ…
両チームアップを終えて控室に戻るとまたも大歓声が起こる。 とにかく“試合”が最後まで続いてくれる事を祈った。
勝てるとは思わなかったけど大差がつかない事を祈った。
そしてマオリの衣装を着た男性が出て来て大きな笛を吹いた。これは人を呼び出す儀式であると隣の男性が教えてくれた。
そして日仏両チームの選手が国旗に続いて大歓声を浴びて入場してくる。先に君が代の斉唱が始まる。私も当然君が代を歌ったが斉唱しているのはピッチ上の地元の合唱団。日本人が歌っているのかと思う程見事な素晴らしい君が代だった。
続いてフランス国歌 La Marseillaise が合唱されるがこれは観客の大合唱にかき消されてしまった。
試合は途中まで“予想外の接戦” だった。
痛かったのは立ち上がり連続トライで 0-14 とされた事。先制のトライは倒れたままの⑨ David Yachivili がこぼれ球をトライした Julien Pierre にパスを出したもので本来なら笛を吹かれるプレー。 その後好位置で得たPGを ⑩ジェームス=アリッジが外してしまいその直後のトライを決められたのだがこれはアレッジが⑬平に出したパスを⑩ Trinh-Doc にインターセプトされ独走のトライを喫したもの。このPGを失敗した後のトライが痛かった。
18分に得たPGを今度はアリッジは決めた 3-14 としたがその後も連続して PG を決められ 3-20 と点差が開いた31分に素晴らしい攻撃からアリッジがトライを決め 8-14 とした。この時は周りにいた Kiwi 達も大きな拍手を送ってくれ、周囲の人達とハイタッチをかわした。しかしこの conversion kick をアリッジが決められなかった。 前半二つのプレースキックが決まらなかったのが痛かった。
それでも後半に入って優勢に試合を進めたのは日本だった。スクラムになる度に“チャチャチャニッポン”の掛け声が沸き上がり Kiwi や Aussie の人達も熱心に“ニッポン!ニッポン!”と応援しれくれた。
50分に素晴らしい突破を見せアリッジがトライを決め更に conversion kick を決め遂に 21-25 と迫った時は場内は何とも言えない雰囲気になった。フランス人サポーター以外の全てが日本に大声援を送ってくれていた見たいだった。
しかし67分にPGを決められ、71分に Lionel Nallet にトライを奪われると更に2トライを喫し試合が終われば 21-47 と“ダブルスコアー”になっていた。
最後に何とか1トライをと選手達はフランス陣内でプレーする時間が長かったのだけどその分裏を取られた見たいだった。
ノーサードの笛が鳴り日本に健闘をたたえる拍手が送られた。周囲の人々も私に色々声を掛けてくれた。
嬉しかったけどこれが実力差だと思った。
帰りのバス停に向かう時フランス人達がまた合唱しながら歩いていた。 悔しかったので La Marseillaise をわざと彼らの前で口ずさみそれに合わせてフランス人達が歌い出したあと1小節歌わせてから大声で “ All You need is love ! All you need is love ! Love love is all you need is !! “ と続けると彼らに滅茶苦茶受けた。 一矢報いた感じがした。(関係ないか)
バスは比較的早く来て日本人、フランス人、地元 Kiwi そして Aussie と呉越同舟乗り合わせシティーに向かった。
バスの中でも色々会話が弾んだ。 勝利に安心したのかフランス人達は日本の健闘をたたえた。ある女性は “ congratulation “ と日本人に声を掛けていたけど、それは正しい単語とは思えなかった。だけど悪気が無いのは解っていた。
“ nice game ! “ と話しかけるフランス人に ” nice game for France. That all “ と言うと
“ Come on !! Japan was excellent .” と続ける。 “ France 47 Japan 21. France Won, Japan defeated “ と言い、我々には Tri Nations も Six Nations も無い。ワールドカップ以外世界の列強と戦う機会が無い。 経験が不足は否めない。それが今日の試合結果だ。 てな話をすると大きくみな頷いていた。
“しかし日本は football でも大きな躍進を遂げた。だから Rugby でも出来ると思う。”とフランス人男性が言ってくれた。
すると正面のフランス人女性が“ 女子はワールドカップで優勝したね。”と言ってくれたらもう1人の男性がそうなのか?と言っていたので彼女はフランス語で説明していた。
私は隣の男性に“ football なら男子も女子も自信がある。”というと、彼は同意してくれて今の男子サッカーフランス代表に就いて首を振りながら次の欧州選手権を嘆いていた。
そしてバスがシティに到着し、周囲の人達と握手を交わし下車した。皆“ nice game だった。次のゲームも good luck . ところでどこと対戦するんだ?”と訊くので“ All Blacks “ というと。 Oh No…でも本当に good luck を…と言っていた。
少々の good luck ではなぁ…
街はフランス人達の喜びの騒動が繰り広げられていた。そして日本人を見つけると皆握手を求めたり一緒に写真を撮ったり。
中には日仏入り乱れて大騒ぎしている集団も。 土曜日と言う事もあり街には若い人たちも。女の子の集団が私が着ていた日本のジャージを見つけ一斉に大声を挙げながら駆け寄ってきた。 日本は凄かった、惜しかったと言いながら。そして I love Japan と良いながら彼女達の携帯、いやスマートフォンで何枚も一緒に写真を撮られた…..
試合には負けたけど途中までは接戦だったから良かったと思った。恐らくフランス人はみなこの試合に勝つと思っていただろうし日本人も勝てると思った人は少なかっただろうなぁ…でもワールドカップの雰囲気は楽しめたぞ…
現地に在留する日本人の知人とそれから食事に出掛けた。彼も家族で試合を観に行ったらしい。久々に熱く大声援を送ったと言っていた。そしてすぐ近くのテーブルにも日本人がおられそのうちに1人は彼の知人だった。その人達も試合観戦に言っていたらしい。
その中に日本代表のレプリカを着た方がいた。かつて明治大学でラグビーをされていた方との事で試合の事に就いて色々意見を聞いた。開始の連続トライ、特に二つ目のトライが痛かった、そして日本が最初のPGと続いて conversion kick を失敗したのも痛かったとも言っていた。“格下のチームはキックを外してはだめなんですよ。”とも教えてれて色々勉強になった。
明治大学時代はレギュラーになれなかったけど4年間ラグビーを続けて良かった。とも言っていた。そして自分も陸上をやっていた事を話して学生スポーツの話題で大いに盛り上がった。 スポーツを続けていて良かったなぁ…とここでも思った。
翌日から地元新聞は日本の健闘をたたえる記事が多かった。テレビでもそうだったけどこの日最も注目を集めたのは England vs Argentina 戦だった。 England の Wilkinson がPGを2本外した事や England の苦戦が翌日の話題の主役だった。
日本が注目してもらうには….次の All Blacks 戦で…と思ったけど、1995年見たいに145失点もして話題になるのは勘弁してほしいなぁ…と思った…..
( 試合の詳細はまたレポートします。 誰も見ないか…. )
私の涙を誘ったカナダ戦の大西の同点conversion kick 、Wallabies, All Blacks が相次いで散り潮が引く様にワールドカップ狂想曲が収まった前回のワールドカップからもう4年が経過した。
そして今、私は4年前に続いてここ南半球に居る。今回はニュージーランドがホスト国。当地での開催は第1回大会以来24年振りであるが単独開催は初めて。24年前と異なり最近はラグビーもプロ化が進んでおり第2回大会以降は第3回1995年南アフリカ大会こそ決勝に進出したが優勝は無く Tri Nations のライバル国オーストラリアが1991, 1999 年大会、南アフリカが1995年、2007年大会と2回ずつ優勝しておりこの地元で開催されるワールドカップでは優勝以外に成功は無いと地元の人達は考えていると言っても過言ではないだろう。
同様の事が2014年 FIFA World Cup のホスト国であるブラジルにも言えるだろうがこちらの方はもっと深刻だろう。
大学時代、英会話の授業で討論があった。外国人の教授が五輪種目(丁度ロス五輪が終わって間が無かった。)が議題となり何故ラグビーが五輪種目に無いのか、との話しになった。私はかつてラグビーが五輪種目で有った事は知っていたし、ラグビーの国家代表試合、所謂テストマッチは公式にはニュートラルの地で行わない事が慣例となっていて、何より当時はまだ世界選手権が行われていなかったから今は五輪種目に適用されていないと発言したかったが教授は私を指してくれず、指された学生達は
“競技場が足らないから”( そんなわけないだろ。そんな国は五輪を開催出来ない。)
“時間が掛かるから” ( サッカーの方が前後半5分ずつ長いぞ。)
“人数が多いから” ( 確かに多いけど人数で採用するか否かは討議しないだろう…)
とか言っていた。
“体力を使うから試合間を開けなければならない。だから大会期間中に日程を終了できない。”
というまともな意見もあったけど、結局教授はプロ化がどうのこうの…と言っていた。ある意味当たっていたかもしれない。
当時学生スポーツの花形は何と言ってもラグビーであった。大学選手権3連覇を果たす等同じ京都の同志社大学が全盛期で当時岩倉にあった練習場では女の子が多く“見学”に来ていた。私の大学からも“見学”に行く女学生がいた。自分の大学にもラグビー部はあったが学生リーグにも参加しない弱小部であった。毎年リーグに参加しない大学同士で“リーグ戦”を行っていた。それでもラグビー部員達の方が私より女学生に人気だった。俺は陸上競技で日本インカレ常連だったのに….
冬になると横縞のラガージャージーがファッション的人気がありラグビー選手でもないのに着ている男性が多かった。中にはおそろいで着ているカップルも目に付いた。女の子か横縞のジャージーを着ると可愛くも見えたなぁ..
ラグビーは大学スポーツとして当時”女性に認められた”競技だった。
でもスポーツもしない男子学生が“早稲田カラー”や“慶応カラー”とか言って着てどういう神経しとんのかいな…と当時スポーツ現役学生だった私は思った。そして当時最高に強かった新日鉄釜石の真っ赤なジャージーを着る学生はいなかったけど...
それだけラグビーは人気がありサッカーなど誰も気に掛けなかった。1983年にはアームズパークでウェールズを相手に日本代表は大健闘をし1989年には秩父宮でスコットランド相手に歴史的勝利を挙げていた。
それが競技戦績も人気もこんなに大逆転するとは夢にも思わなかった……
オーストラリア シドニーでの激務を終えて早朝7時前のタスマニア海峡を越えてニュージーランドの最大都市 Auckland に渡ったのは9月10日。 North Shore で日本代表がフランス戦を行う日であった。 機内は黄色い Wallabies ジャージーを着る人が多かった。翌日 North Shore で行われるイタリア戦が目的だろう。 いつもオーストラリアに出張に来ると All Blacks のヤッケを着ているのだけどこの日ばかりは赤と白の桜のエンブレムの入った日本代表のジャージーを着た。と言っても少し古いデザインだけど。 でもこれが日本代表だとは誰も解らなかっただろうなぁ….
斜め後ろの座席からフランス語が漏れ聞こえて来た。どうやら彼らもワールドカップ観戦が目的であった。次第に彼らは早朝だと言うのに会話の声が大きくなり、途中気流の悪いところを通過しシートベルト着用の機内アナウンスがなされてもお構いなし。 Cabin Attendant がベルト着用を悟に来てもわざと言葉が解らないふりをするがここは経験豊かなスチュワーデス。
“ English is international language !! “ というと周りの乗客に大受けしていた。
Auckland に到着して機内から出る前に私の着ていたジャージーの桜のマークを指して
“ Je suis japonais, please do not give us so much hard time. ”
と言うと彼らに受けて皆と握手を交わした。他の乗客たちも笑っていた。
フランス人達、余裕だなぁ….と少し羨ましく思った。
そしていつもは時間が掛かるパスポートコントロールに向かったがこの日はほぼカウンター全席に係官が座っておりすぐにそこを通る事が出来た。結構待たされることもあるのだけど。そして荷物をピックアップし再び荷物検査もスムースに通り航空機を出てからあっとう云う間に空港の外に出られた。 これもワールドカップ効果なのだろうか…..
更に驚いたのは天気の良さと気温の高さ。 雨のシドニーとは大違いの快晴のポカポカ陽気だった。
市内に向かうバス停に向かったがここでもバスのチケット売り場が設けられていた。 こんなの見るのも初めてだった。
バス停には Wallabies のジャージーやマフラーや帽子を身に付けた人達が10人くらいいてワールドカップの雰囲気を醸し出してくれる。5年前にドイツに行った時と雰囲気がだんだん似て来てワクワクして来た。
バスが市内に近づくにつれて All Blacks の旗のみでなく大会参加国の国旗が見られるようになる。でも日の丸は少なかったなぁ..
ホテルでチェックインを済ませ、まず最初の仕事、チケットのピックアップに出掛けた。 競技場でも事前購入したチケットは受け取れるのであるが e-mail で“なるべくチケットはピックアップしてから競技場に…”てなお願が書いてあった。まぁスタジアムで長蛇の列に着くよりましか…と思ったがその判断は間違えであった。 チケットの受け取りが出来るカウンターのある市内の名所 Sky Tower まではホテルから徒歩10分も掛からなかったがカウンターの前は既に長蛇の列。しかもカウンターには係員が2名しかおらずなかなか順番が回って来なかった。私の後ろにいたフランス人カップル(2人とも英語を話しれくれたけどどちらかと言えば彼女の方がよく英語を理解していた。)と“遅いねぇ~”ってな話をして時間を潰したりして30分以上も待ってようやくチケットを手にする事が出来た。
でも実際に手にした時は待ち時間の事も忘れて嬉しかったけど….
競技場に到着した時チケットを受け取る窓口に人は並んでいなかった。 こっちの方が圧倒的に早かった見たいだった….
そしてホテルに戻ったが街行く日本人の姿がチケットを取りに来た時よりもかなり増えていた。それにフランス人も。
いよいよワールドカップ本番(と言っても前日開幕したのだけど…) と気持ちを引き締める事に。(あまり関係なかったか?)
最近ニュージーランドでは中国、韓国からの移民が増え自分が従事するレストラン産業では日本人経営よりも新規参入し店舗の数では今や和食スタイルのレストランでさえ中国、韓国系が圧倒している。
しかしこのワールドカップ期間だけはアジアを代表の常連である日本人として胸を張っていられると嬉しく思った。
チケット受け取りに時間を費やし過ぎたのでホテルに戻ってすぐに競技場までの無料シャトルバス乗り場に行かねばならなかった。でもバス乗り場もホテルのすぐ近くで助かった。 チケットを見せればバスは無料との事だったけどバス停の係員も運転手もチケット等見ずに乗車させていた。
一番後部座席に座ると横の二席が空いたままそこに座る乗客がなかなか来ない。そして出発前に日本人らしき女性が小さな女の子を連れていたので手招きして席が空いている事を教えた。その親子が横に座りずいぶん丁寧にお礼を言われてしまった。
そして女の子を膝の上に座らせるともうひとつ空いている席に今度は Kiwi らしき男性が座った。隣の日本人女性の御主人であった。 あぁまた日本女性が海外に流出していたのか…
競技場に着くまでの約半時間、この日本人御婦人としばし歓談をした。 そしてバスの中を見回すと日本人も全体の3分の1程度はいた。 フランス人らしき集団も多くこの時間から飲んでるのも多かった。
バスが競技場近くに広場に到着し競技場に向かうがその間もフランス人達が何やら歌っている。歌う歌が無い日本人達からは沈黙しか…. ワールドカップドイツ大会の時もクロアチアサポーター達が試合前から電車の中で大声で歌っており何か歌える歌は…とすこし無念に思った事を思い出した。 こんな時は何を歌えばいいのだろう…10分ほど歩くと競技場入り口に。 そして大会プログラムを購入しようとするが販売されているプログラムはこの日の Match Day Program ( とは書いていなかったけど。)のみだった。 毎試合発行してより多く収入を増やそうと言う考えか?? 価格は1冊 NZ$15.00 ( 約960円程度 ) だった。
席は最前列だったけど階席だった。カテゴリー A だったけど…しかしフィールドを一望でき全体のフォーメーションはよく解る席であった。ピッチでは日本代表の選手達がアップをしていた。そして John Kirwan 監督の“雄姿”は遠くからでもすぐに解った。
ピッチの中央には試合前のセレモニーに使われるのだろう太鼓が準備されていた。
その和太鼓を打つのは6人の日本人女性と1人の日本人男性だった。そしていよいよその演奏が始まろうとし会場から拍手が沸いた時にフランス選手団がアップの為にピッチに登場したので更なる大歓声が沸き上がった。観客の数はフランス人達の方が多かったと思う。太鼓の音がかき消される様で残念だったがここはラグビーワールドカップ。選手達の方が優先されるべき場所だった。
それから黄色のレプリカを着た Aussie も多かった。明日のイタリア戦の下見か…
それでも途中からはしっかりと素晴らしい太鼓の音が競技場に鳴り響き、演奏が終わった時は観客席から大きな拍手が送られた。
隣に座っていた Kiwi の老夫婦に和太鼓に着いて質問されたけど知識が無いのでしっかりと教えられなかった。 やっぱり日本の事はしっかりと説明出来ないとだめだなぁ…
両チームアップを終えて控室に戻るとまたも大歓声が起こる。 とにかく“試合”が最後まで続いてくれる事を祈った。
勝てるとは思わなかったけど大差がつかない事を祈った。
そしてマオリの衣装を着た男性が出て来て大きな笛を吹いた。これは人を呼び出す儀式であると隣の男性が教えてくれた。
そして日仏両チームの選手が国旗に続いて大歓声を浴びて入場してくる。先に君が代の斉唱が始まる。私も当然君が代を歌ったが斉唱しているのはピッチ上の地元の合唱団。日本人が歌っているのかと思う程見事な素晴らしい君が代だった。
続いてフランス国歌 La Marseillaise が合唱されるがこれは観客の大合唱にかき消されてしまった。
試合は途中まで“予想外の接戦” だった。
痛かったのは立ち上がり連続トライで 0-14 とされた事。先制のトライは倒れたままの⑨ David Yachivili がこぼれ球をトライした Julien Pierre にパスを出したもので本来なら笛を吹かれるプレー。 その後好位置で得たPGを ⑩ジェームス=アリッジが外してしまいその直後のトライを決められたのだがこれはアレッジが⑬平に出したパスを⑩ Trinh-Doc にインターセプトされ独走のトライを喫したもの。このPGを失敗した後のトライが痛かった。
18分に得たPGを今度はアリッジは決めた 3-14 としたがその後も連続して PG を決められ 3-20 と点差が開いた31分に素晴らしい攻撃からアリッジがトライを決め 8-14 とした。この時は周りにいた Kiwi 達も大きな拍手を送ってくれ、周囲の人達とハイタッチをかわした。しかしこの conversion kick をアリッジが決められなかった。 前半二つのプレースキックが決まらなかったのが痛かった。
それでも後半に入って優勢に試合を進めたのは日本だった。スクラムになる度に“チャチャチャニッポン”の掛け声が沸き上がり Kiwi や Aussie の人達も熱心に“ニッポン!ニッポン!”と応援しれくれた。
50分に素晴らしい突破を見せアリッジがトライを決め更に conversion kick を決め遂に 21-25 と迫った時は場内は何とも言えない雰囲気になった。フランス人サポーター以外の全てが日本に大声援を送ってくれていた見たいだった。
しかし67分にPGを決められ、71分に Lionel Nallet にトライを奪われると更に2トライを喫し試合が終われば 21-47 と“ダブルスコアー”になっていた。
最後に何とか1トライをと選手達はフランス陣内でプレーする時間が長かったのだけどその分裏を取られた見たいだった。
ノーサードの笛が鳴り日本に健闘をたたえる拍手が送られた。周囲の人々も私に色々声を掛けてくれた。
嬉しかったけどこれが実力差だと思った。
帰りのバス停に向かう時フランス人達がまた合唱しながら歩いていた。 悔しかったので La Marseillaise をわざと彼らの前で口ずさみそれに合わせてフランス人達が歌い出したあと1小節歌わせてから大声で “ All You need is love ! All you need is love ! Love love is all you need is !! “ と続けると彼らに滅茶苦茶受けた。 一矢報いた感じがした。(関係ないか)
バスは比較的早く来て日本人、フランス人、地元 Kiwi そして Aussie と呉越同舟乗り合わせシティーに向かった。
バスの中でも色々会話が弾んだ。 勝利に安心したのかフランス人達は日本の健闘をたたえた。ある女性は “ congratulation “ と日本人に声を掛けていたけど、それは正しい単語とは思えなかった。だけど悪気が無いのは解っていた。
“ nice game ! “ と話しかけるフランス人に ” nice game for France. That all “ と言うと
“ Come on !! Japan was excellent .” と続ける。 “ France 47 Japan 21. France Won, Japan defeated “ と言い、我々には Tri Nations も Six Nations も無い。ワールドカップ以外世界の列強と戦う機会が無い。 経験が不足は否めない。それが今日の試合結果だ。 てな話をすると大きくみな頷いていた。
“しかし日本は football でも大きな躍進を遂げた。だから Rugby でも出来ると思う。”とフランス人男性が言ってくれた。
すると正面のフランス人女性が“ 女子はワールドカップで優勝したね。”と言ってくれたらもう1人の男性がそうなのか?と言っていたので彼女はフランス語で説明していた。
私は隣の男性に“ football なら男子も女子も自信がある。”というと、彼は同意してくれて今の男子サッカーフランス代表に就いて首を振りながら次の欧州選手権を嘆いていた。
そしてバスがシティに到着し、周囲の人達と握手を交わし下車した。皆“ nice game だった。次のゲームも good luck . ところでどこと対戦するんだ?”と訊くので“ All Blacks “ というと。 Oh No…でも本当に good luck を…と言っていた。
少々の good luck ではなぁ…
街はフランス人達の喜びの騒動が繰り広げられていた。そして日本人を見つけると皆握手を求めたり一緒に写真を撮ったり。
中には日仏入り乱れて大騒ぎしている集団も。 土曜日と言う事もあり街には若い人たちも。女の子の集団が私が着ていた日本のジャージを見つけ一斉に大声を挙げながら駆け寄ってきた。 日本は凄かった、惜しかったと言いながら。そして I love Japan と良いながら彼女達の携帯、いやスマートフォンで何枚も一緒に写真を撮られた…..
試合には負けたけど途中までは接戦だったから良かったと思った。恐らくフランス人はみなこの試合に勝つと思っていただろうし日本人も勝てると思った人は少なかっただろうなぁ…でもワールドカップの雰囲気は楽しめたぞ…
現地に在留する日本人の知人とそれから食事に出掛けた。彼も家族で試合を観に行ったらしい。久々に熱く大声援を送ったと言っていた。そしてすぐ近くのテーブルにも日本人がおられそのうちに1人は彼の知人だった。その人達も試合観戦に言っていたらしい。
その中に日本代表のレプリカを着た方がいた。かつて明治大学でラグビーをされていた方との事で試合の事に就いて色々意見を聞いた。開始の連続トライ、特に二つ目のトライが痛かった、そして日本が最初のPGと続いて conversion kick を失敗したのも痛かったとも言っていた。“格下のチームはキックを外してはだめなんですよ。”とも教えてれて色々勉強になった。
明治大学時代はレギュラーになれなかったけど4年間ラグビーを続けて良かった。とも言っていた。そして自分も陸上をやっていた事を話して学生スポーツの話題で大いに盛り上がった。 スポーツを続けていて良かったなぁ…とここでも思った。
翌日から地元新聞は日本の健闘をたたえる記事が多かった。テレビでもそうだったけどこの日最も注目を集めたのは England vs Argentina 戦だった。 England の Wilkinson がPGを2本外した事や England の苦戦が翌日の話題の主役だった。
日本が注目してもらうには….次の All Blacks 戦で…と思ったけど、1995年見たいに145失点もして話題になるのは勘弁してほしいなぁ…と思った…..
( 試合の詳細はまたレポートします。 誰も見ないか…. )
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