Mr.コンティのRising JAPAN

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英国紙が報じた FIFA Club World Cup VOL.1

2009-01-08 | EURO Football

12月14日 Manchester United :It's Red Planet 

企業イメージを変える事は究極の無意味をもたらし事も。郵便局が Consignia と名前を変えた事によりGood Service の良識は道に迷ってしまい、 Coca-Cola は New Coke という旗のもとに殆ど崩壊してしまった。両社は共に名前を元に戻した。その一方で Magic Trick となり得る事もある。UKTV G2 は単に社名を Dave と替えただけで英国視聴率ランクを29位から10位に上げた。
FIFA は World Club Championships からClub World Cup に名前を変えた事で大会が Consignia よりもDave になる事を望んでいる。 Manchester United は World Club Championships に出場するのはブラジルで開催された2000年以来。
この時は欧州からは Real Madrid と Manchester united の出場が強いられた。
Rio de Janeiro で開催された当時の大会には世界から8つのクラブが出場。その中で大陸王者の称号を持って出場したのは4チーム。優勝した Corinthians は国際大会で優勝した事の無かったチームだった。
Manchester United と Real Madrid という大会を彩るチュームはこの大会にいやいややって来た。 Manchester United は F.A. の要請により 2006年ワールドカップの開催権を勝ち取る為にブラジルにやって来た。そして日程変更を繁雑にさせない為にそのシーズンの F.A. Cup からの辞退を余儀なくされた。 Fergason 監督は当時のブレア首相に他の国会議員を黙らせる様に電話で依頼した。 
主力選手達もこの大会参加に不快を感じていた。
“我々は理解出来なかった。 League Cup も始まっており3回戦まで進んだのに何故F.A. Cup を辞退せねばならないのか?”  Ryan Giggs は語った。
Roy Keane は “ F.A. Cup , それにまつわるもの全てを失った。  Wembley で民俗音楽に乗ってトンネルをくぐり、 Royal Box にまで登ってメダルを受け取る。 それらすべてが…… “  後に自書に記している。
議論は彼らが Ipamena Beach のホテルにチェックインした時から始まっていた。
チームはぞっとさせられる一連の起こりに悩まされ続けた。
Real Madrid には大会が始まるまで毎日記者会見が催されたが Manchester United には選手達を激高させる様にそれが1回だけしかなかった。そして Community Project の一環であった リオのスラムの見学は参加8チームの中で一番最後に充てられ地元報道陣の間で彼らは “ お高くとまった“とか ”むっつりとした“ と報じられたので初戦の Necaxa 戦では地元サポーター達からブーイングで迎えられた。
その Necaxa 戦は殆ど惨事と言えるもので David Beckham のハイタックルにレッドカードが出されて以降の47分間を10人で戦い、試合終盤に Dwight York のゴールで何とかあまり知られていないメキシコの Nexcaxa と引き分ける事が出来た。
続く Vasco da Gama 戦も惨事であった。 Gary Neville の二つの失策で 3-1 で敗れた。尚も悪い事に United の Martin Edward 会長がその敗戦前夜に娼婦を部屋に連れ込んだとの騒動に巻き込まれた。リザーブメンバーで臨み South Melbournen を 2-0 で破ったUnited の最終戦は意味のないものであった。
この大会は大変低調なものでFIFAは以降5年間開催をする事はなく歴史的な国際大会トヨタカップに併合され日本に移された。
Necaxa 戦は巨大なマラカナスタディアムで灼熱の中8,000人の観衆の前でキックオフとなった。この大会を Real Madrid のメンバーとして出場した Steve McManaman は “ Manchester United や Real Madrid の様なクラブは参加した全ての大会でトロフィーを勝ち取る事を目指し旅行気分で出かける訳では無いが、この大会の運営が良かったとは思えない。私が覚えているのは暑さと FIFA が派遣した人々がいたるところにおり全てのホテルで躍起になっていることだった。地元ブラジルのチームが登場する時はファンは真剣になるがブラジルのチームが相手でない試合は10人程度の観客の前でプレーをしていた。”

   Corinthians 2000

McManaman は今シーズンの Manchester United の状況を良く理解しており日本側がブラジルよりも緩和した状況を提示したとし、 United が2試合しかプレーしないトーナメントにしても、好ましくない影響が Premier League に出て来ると分析している。 1999-2000 のシーズン United はリオデジャネイロに乗込むまで Premier League のタイトル 争いの好位置につけていたがシーズンが終わると Chelsea と Liverpool の後塵を拝した。 United がブラジルから帰国した時 Liverpool が差をつけていた。そして試合日程に上手く乗じた。 Fergason のチームが1月14日から3月4日の間に12試合こなせねばならなかったのに対し Liverpool と Chelsea は8試合しか日程が無かった。
“ Real Madrid は2000年のシーズンには多くの試合で敗れた。ブラジルからスペインに戻った時は殆ど最下位の順位で以降順位を上げる事はなかなか出来ず最終的には5位でシーズンを終えた。“  McManaman は言った。 “今回 United は遅れを取り戻すべくプレーをしようとするだろう。彼らはただ試合を先送りさせるだけで無く長旅を終えるとすぐに最も難しい時期クリスマスと年末年始の期間に遭遇する。トウキョーでは常に Premier League で何が起こっているかが気になるだろう。” 
Fergason は UEFA CUP 以外にまだ勝ち取っていないトロフィーを掴むチャンスだと言う事を強いられるであろう。 彼は 2000年のシーズンに選手達に動機付けをした“自分達が世界一だと証明したくはないかい?”という同じ質問を用いねばならないだろう。木曜日(12月18日)の Manchester United の相手は Adelaide United を破るであろうガンバ大阪になりそうだ。攻撃の観点からみるとガンバ大阪は守備的に来るだろう。 Copa Libertadores の王者 Liga De Quito が日曜日( 12月21日) の決勝戦の相手となりそうだがその前にエクアドルのチームは北中米王者のメキシコの Pachuca の挑戦を受けねばならない。
Cristiano Ronaldo マニア達は地元にも増えている。彼は David Beckham, Ronaldinho, Roberto Carlos と言ったセットボールのスペシャリスト同様、そのセットプレーが多くの日本人の間で人気を博している。日本のあるFootball writer は 2002年の Beckham 程では無いが Ronaldo は今や Ronaldinho や Kaka と同じくらいの人気がある、 と述べている。

12月16日 Sir Alex Ferguson sees no future for 39th game
Sir Alex Ferguson は今シーズンの“第39節”についてはありえないとし Manchester United はそういう日取りも取れないと主張した。 United の監督は今 明日から2試合せねばならないClub World Cup 出場の為に日本に滞在中で Wigan との試合は延期されている。細かくて読みづらい日程には他にも Champions League や国内の2つのカップ戦が含まれているが第39節目の施行については考えられないとの事。
“第39節目を行うことなど考えておらずそれを施行すべきでないと信じている。私はそれを好まない。我々の国内のリーグ戦の日程を見てみればそれはカップ戦と調整されているので不可能である。”と述べた。
Fergason のチームは木曜日 ( 12月18日)にガンバ大阪と相対し恐らく日曜日(12月21日)にはエクアドルの LDU Quito とのゲームとなるだろう。 “ 異なった相手とのゲームはなんら害を及ぼさない。“ 指揮官は言った。 “まず、ここに最初に来た1989年と比較すると日本の Football は進歩を遂げたのは明らかだ。技術的にも組織的にも長足の進歩を遂げている。Football について、日本は若い国だが進歩を続けている国は素晴らしい選手を輩出する。”
Fergason は United が Club World Cup を軽んじ無関係なものと思われている事を否定した。
“これは真剣な挑戦と捉えている。England では我々と同じ考えを持っていないようだが。1960年に欧州王者が南米王者と対戦し世界一をきそうようになり4年前までそれが続いた。しかし世界は進み、日本や韓国、中国の様な新興国が力をつけてきた。したがってこういった大会には各大陸からバランス良く参加するべきだ。 ここでは困難があることは確かだが設備等は素晴らしく今や12時間のフライトも快適に過ごせる。30年間の間 Manchester United は世界王者だったんだと振り返ってもらえる。これが我々の求めていることでありそれ故にこの大会に勝利し、勝利が重要に値する。”
Fergason は選手達のフィットネスの仕上がり具合を見て Asia Champions League で Adelaide United を降し勝ち上がってきたガンバ大阪との試合のメンバーを決める。 GK のBen Forster は 練習中の指の怪我でチームから離脱することになった。

12月17 Dimitar Berbatov out of Club World Cup Semi-final against Gamba Osaka 

Dimitar Berbatov は明日( 12月18日)ニッサンスタジアムで行われるガンバ大阪戦は欠場するであろう。そのブルガリア人ストライカーは日本へ向かうフライトの機中でウィールスにかかり、到着ご一度も練習に参加できていない状態である。 Wayne Rooney もまたトレーニング中の打撲で今日のトレーニングに合流できるかは不明。 “ Berbatov は良くない。 Rooney は火曜日の練習中に打撲をしたが試合には間に合うと期待している。“ Fergason 監督は語った。Cristiano Ronaldo, Paul Scholes, Gary Neville そしてRyan Giggs らは大丈夫だろう。予想されるスタメンは下記の通り。

Van der Sar, Kuszczak, Amos, Neville, Evra, Ferdinand, Vidic, O'Shea, Evans, Rafael, Ronaldo, Anderson, Giggs, Park, Carrick, Nani, Scholes, Fletcher, Gibson, Rooney, Tevez, Welbeck

2000年リオデジャネイロで開催された FIFA World Club Championship は翌年にはスペインで12チームが集って行われることとなっていた。大会前に出場する事が決まっていたジュビロ磐田はグループリーグで Real Madrid と対戦することになっていたが、 FIFA のマーケティング会社 International Spot and Leisure 社が破綻したことで大会自体が霧散してしまった事を覚えている方は多いだろう。
1887 年8月13日、Scottish Cup 王者の Hibernian F.C. が FA Cup 王者の Preston North End に "挑戦”した事が最初と言われている。そして翌年は同様に Scotland の Renton F.C. が West Bromwich Albion との間で覇が競われたがこれが”クラブ世界一決定戦”の始まりとされている。しかし当時は英国でも国際大会は home International が最重要視されクラブチームで最も大切だったのはF.A. Cup の様なカップ戦であった。
FIFA 主催のクラブ世界一決定戦は 1951年 ブラジルのリオデジャネイロで行われたが、当然ながら欧州と南米の間のみで行われた。この試合にはFIFA 会長 Jules Rimet 氏が Vice President を現地に送り2試合が行われ大会名は"Taça Rio" と名付けられ、サンパウロの Sociedade Esportiva Palmeiras が Juventus Torino FC を破り世界王者に輝いた。2000年に再びリオでクラブ世界選手権が開催された背景はこの試合があったのかもしれない。
1960年から南米と欧州のがホームアンドアウェーで一騎打ちでクラブ世界一のタイトルを争うようになった。1962,1963年には神様ペレを擁した Santos が大会連破を果たしたが欧州勢のモチベーションが上っていたとは言い難かった。特に England  勢は 1977年から3大会連続 ( 1977, 1978 Liverpool , 1979 Nottingham Forest ) Europe Champions Cup を制しながら Intercontinental Cup は棄権を続け、1980年 TOYOTA CUP がスタートしてようやく European Champions Cup 1979-80 を制した Nottingham Forest が出てきた。
1968年 Macnester United が欧州王者として Intercontinental Cup に出場しアルゼンチンの Estudiantes La Plata と対戦した。 Old Trafford で行われた第二戦では終了間際に George Best と Jose hugo Medina が退場になる激しい試合であった。 Estudiandes にはチーム史上屈指の名選手と言われた Juan Ramon Veron がいて MF には後にアルゼンチン代表を World Cup Champion に導いた Carlos Bilardo らがいた。そして Sir Matt Busby に率いられた United は Best の他に Bobby Charton, Denis Law 、 GK Alex Stepney  ミュンヘンの悲劇を経験した Bill Foulkes, 後に United のコーチを務めた Brian Kidd らを擁していたが 1分1敗で "世界王者”の称号は入手できなかった。
しかしながら England 勢のみならずクラブレベルの世界大会に興味を示すチームは皆無に等しいのは今も変わりなく、 Club World Cup 2007 で浦和REDSが AC Milan 相手に”善戦”したことを憶えている人は欧州にどれだけ居るだろうか?また AC Milan が2007年世界王者の”戴冠”を受けたことそしてこの大会に参加した事を憶えているミラニスタはどれだけ居るだろうか.......

  

12月14日付けの新聞ではその時点でまだ対戦相手が決まっていなかったのでガンバ大阪のことが少し紹介されていた。そこには Yasuhiro Endo の名前があった。そして Adelaide United の事も。しかしかつてブラジル代表のロマーリオがゲストプレーヤーとして”存在”していたことは述べられていたが今もブラジル人選手が居ること意外は何も詳しく述べられていなかった。

Football はまだまだ欧州だけのものなのかもしれない 
  続く

 


 



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