Mr.コンティのRising JAPAN

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英国紙が報じた FIFA Club World Cup Vol 2

2009-01-08 | EURO Football

12月17日 World Champions tag attractive to Sir Alex Ferguson and Manchester United

もし Mancheste United が Premier League のタイトルを守りたいならば、何人かが言う様に、極東から西に向かうべきだ。 チームの監督であるSir Alex Fergason まだその事を聞いていない。日本で開催される Club World Cup に欧州代表として参加する事を要望された運命よりもむしろ、今回、彼の指揮するチームでは最も強固な守備陣に与えた自分の望みが大会が翌年 UAE に移る翌年には魅力の無くなるものになる事を危惧したり嘆いたりしている。
他の多くの傍観者と異なり Fergason は常に大陸間の大会の渦中にありそれが Football または Manchester United の歴史の一部である事を認めている。彼は1999年 Felipe Scolari が率いる Palmeiras を今は無き TOYOTA CUP で破り、England のクラブチームの中ではは一人彼が国際大会のトロフィーを勝ち取った事がある現役監督として留まっている。
そして1968年 England のクラブチームとしては初めてこのタイトルに臨みアルゼンチンの Estudiantesde la Plata に敗れた事を思い出させた。 それ以来England の Football が軽蔑と敗北を同じ物差しで混同した。失礼な Liverpool は 1977年と1978 年に、そして Nottingham Forest は 1979年にこの大会に現れず更に3大会に渡って敗北が続いた。 Nottingham Forest は1980 年にウルグアイの Nacional に、 Liverpool は 1981年にブラジルの Flamengo に1981年には Aston Villa がウルグアイの Penarol に敗れた。Fergason の野望が United をEnglish 王者から欧州王者そして世界王者に進行させた。彼は馴染みのない7チームのエントリーと摩訶不思議な予選システムを取り入れ、忙しい週末にManchester United のゲームを組み込むと言った飢餓的に再びこの大会を組織したFIFA の支援を受けているわけでは無い。この環境下では Fergason には大会の美徳を強調する事により Club World Cup に実直さを貸し与えさせる事となる。

“大会参加の核心は30年に渡って人々がレコードブックを見た時に Mancehster United World Champion と振り返ってくれることを望んでいることだ。これはクラブが求めている事で勝つことが重要だと言う事だ。トロフィーというものはクラブに名声を加える。”と彼は述べた。 “異なった相手とプレーする事は我々に害を及ぼさない、これはエキサイティングな事だ。しかし我々のここに来た最大の刺激はこれが世界選手権と言う事だ。12月に Premier League のタイトルは勝ち取れないが世界王者にはなれる。だから終始一貫してこのタイトルを狙う。確かに Premier League が進行しているのにここに来たと言うハンディは負わねばならない。しかしそれは成功には付きものである。我々は European Cup に勝ったからここに来たのだ。だから翌年も Abu Dhabi にやって来たい。何故なら我々はまた欧州王者を目指しているからだ。私に言わせてみれば、言うまでもなくここに来た事が今 Premier League で起こっている事よりも重要性にまさる。” 

Fergason はこの大会の重要性が高まる事のみを見ている、彼が全ての世界規模のクラブゲームを拡大させる過激な提案に眉をひそめる事には興味を持って留意していた。懸案となっている国際大会のゲームにより Premier League のクラブチームが“第39節”を受け入れる事に就いては苦行を表した。
“もし国内プログラムを見ればそれは不可能だと思う。 第39節目を行うことなど考えておらずそれを施行すべきでないと信じている。”と Fergason は述べた。

  

Manchester United は 横浜で初戦のアジア王者ガンバ大阪戦に向けて最終調整を行った。 Fergason は23人の選手団とここにやって来た。従ってガンバ戦は次の南米王者、エクアドルの Liga de Quito と メキシコの Pacucha 戦の勝者との試合に向けてやや駒落ちのメンバーで臨むと思われる。

12月17日 Why the Club World Cup is one big mess 

FIFA はそれを Club World Cup と呼ぶ。しかし Manchester United が東京に到着した現地時間12月15日月曜日の午後4時には既に帰国しているチームがあった。
ほぼ大会から締め出されそうで, ここしばらくワールドカップには御無沙汰でかつてはこの地域では最強であったがアジア連盟への飛び入りが認められたオーストラリアが抜けたオセアニア連盟のチームと、そしてより驚くべき事にアフリカ連盟所属のチームはほぼ1週間前にもう姿を消していた。
そしてこの混乱した大会には特にかつての England のストライカーで今は新聞のコラムニストである Stan Collymore にとっては二次的な大惨事の被害もあった。Manchester United が日本で失望に直面している時に彼は大会前のリサーチ不足粗末な支持と変則的な日程に罪を感じている。

“ エジプトの Al Ahly の様なチ-ムが勝ち上がってくるだろう。彼らの国内でのゲームはタフで今大会でもベストクラブとなり得るだろう。” と書いていた。
これらの貴重な解説は Collymore の考えが紙上に載る2日前に Al Ahly がメキシコの Pachuca に敗れた為に Bookmaker を大いに失望させる事となった。
ここは他人の不幸を喜ぶところでは無いしかし、そこは神の好意なく半数以上のスポーツライターがFIFA の大会開催の論理が話されようとした時に行ったところだ。

例えば 日曜日(12月14日)にガンバ大阪に敗れたAdelaide United の登場を例にとってみよう。彼らはオーストラリアからやって来た。彼らはオセアニア連盟の代表であった。しかし違う。ソロモン諸島等を破って大陸王者となったわびしい New Zealand の Waitakere United がそうであったが、 Manchester United 一行が Heathrow 空港でチェックインする3日も前に Adelaide United に敗れたためそう思われるのだ。
オーストラリアがアジア連盟に所属する事を2006年1月1日より許されたという事実を除けば、 Adelaide United がオセアニアでは最強のクラブチームだ。故に彼らは Asia Champions League を戦った。ならば彼らはアジア王者として日本に来たのか?それも違う。ガンバ大阪がアジア王者で週末に今シーズンのACLの決勝戦同様 Adelaide を破って勝ち上がってきた。ならばなぜ Adelaide は登場したのだろう?
なぜなら FIFA が開催国、今回は日本だがーのチームは Club World Cup に出場できると主張をしたからだ。そういう意味ではJ-League 王者の鹿島アントラーズが登場してもいいのだがガンバ大阪がアジア王者になった時に7チームの出場枠に日本から2つのチームは多過ぎると考えられたので鹿島アントラーズの替りに Adelaide のエントリーがオーストラリアのチームなのに許された。面白く素敵なジョークではないか? まず最初にFIFAが開催を試みた開放されたクラブの大会は滑稽であった。2000年にブラジルで開催された Club World Championship は2つのブラジルチーム間で決勝が行われ南米王者を決める Copa Libertadores に勝ったことがない Corinthians の優勝で終わった。彼らはただ開催国の王者として参加が許されたにすぎず Vasco da Gama が1998年の Copa Libertadores 覇者として出場を果たした。 1999年6月28日に Copa Libertadores で優勝した Palmeiras は FIFA を大いに悩ませる事は無かった。 Palmeiras は Corinthians と同様 Sao Paulo のチームで FIFA は Rio de Janeiro をベースとした地元の興味を惹きたかったので同市の北部にある Vasco da Gama をノミネートした。徐々に明らかになった事は Manchester United の参加は、たとえ他に何か方法がありそうだったが、その年の FA Cup を棄権する必要があったことだった。しかしこの9年間で最も明らかになった事は FIFA はその経験から何も学んでいない事だった。少なくとも 2000年の大会は出場数正しかった。偶数の参加チーム数はシンプルな進行をもたらした。企業イメージを変えた Club World Cup は特殊な数の7チームで構成されている。 FIFA の役員達は誰も算数の授業に注意を払わなかったのだろうか?  

Club World Cup は喜びを与えるもので Football Season 最大のハイライトで名声がありエキゾチックで決まった期間に開催の名誉を各大陸に回すために持ち回りで開催すべきものだ。必要な6つの出場クラブ数、各大陸王者の6チームとで開催都市の2つの競技場だ。 England だけなら少なくとも6個所開催できる。
まず開催地の問題から考えよう。もし FIFA が地元の無関心を恐れるなら大会は参加資格のある各大陸王者の地元を持ち回りで開催すればよい。従って今年の場合なら、持ち回りの順番にもよるが、大会はマンチェスターかキト(エクアドル)カイロ(エジプト)大阪(日本)パチューカ(メキシコ)またはオークランド(ニュージーランド)のいずれかになる。遂行できないだろうか?5つか6つのケースなら可能だ。 Manchester は問題無い。 Old Trafford と City of Manchester Stadium がある。
一方大阪にはワールドカップでも使われた50,000 人収容の長居競技場があり更にガンバの本拠地 Expo’70 ( 万博競技場 ) は21,000 人の収容が可能だ。それがだめなら36,000人収容の室内野球ドームもある。オークランドにはクリケットやラグビーで使われる47,000人収容の Eden Park があり、ラグビーリーグで使われる 30,000 人収容の Mount Stadium もある。 エクアドル王者の Liga de Quito は55,000 人収容のスタジアムを持ち、別個に近所の Olympic Stadium があるがこれはライバルの El Nachional の本拠地でエクアドル代表がここで試合をする時はコンスタントに 40,000 人は観衆が集まる。Cairo International Stadium には 71,000 人の収容能力があり近くの Cairo Military Academy Stadium は30,000 人をやや下回る。(すぐに増設され2倍の集客がある。) 残った Pachuca だがここは同じ Hidalgo 州には地元 30,000 人収容のEl Stadio Hidalgo 以外は競技場がない。しかし60マイル離れたメキシコシティーには巨大な50,000人収容の Azteca Stadium がある。我々はそこまで行ける。

開催地問題は片付いた。 大会フォーマットは早急に改善せねばならない。我々のルールでは参加出来るには大陸王者のみだ。6つのチームを3つずつ2つのグループに分けて総当たりでグループリーグを行い、各組1位チームのみ決勝戦に進める。そうすれば各チーム最低2試合多くても3試合を12試合日に渡ってこなす事となる。最初の試合は火曜日と水曜日に、第二節は土曜日と日曜日に最終節は火曜日か水曜日に。そして決勝戦は土曜日に。何とシンプルなのだろう?
シードは三つに分かれ(オセアニア/アフリカ、アジア/北中米、欧州/南米 )それぞれ最上位にシードされたチームが消化試合を生まぬように常に最後に試合を行う……
FIFA の最善策が殆ど彼らからすれば気ままな手配に過ぎないのではManchester United の 監督 Sir Alex Fergason と選手達らがClub Word Cup は勝利に値するものと断固として心に秘める事は容易でないだろう。現実的にはクラブ世界一になる事は素晴らしい挑戦だが実際にはこの大会でタイトルをとってもその通りとは考えにくい。 Fergason は1999年東京で Palmeiras を Intercontinental Cup で破った時でも自分のチームには充分な名声が与えられたとは考えていない。そして彼は正しい。しかし誰の責任だろう? FIFA は普遍的にクラブトーナメントの実直さを与える機会を策略によって価値を下げる事によって取扱いを間違っている。

翌年の大会は Dubai で開催され、現在 UAE League で首位を行く Al-Jazira が大会に組み入れられる事を楽しみにしている。 しかし 偉大な大会の権威が無礼に取り扱われたFIFA の失敗がある一方、大会に興味のない欧州クラブの横柄さはしばしば Intercontinental Cup の価値を蝕んできた。
前の Liverpool の主将であった Graham Souness は1981年東京でブラジルの Flamengo と対戦する時にこの試合は功労賞であることと怪我をしない様にと言われたと嘲笑う。 Liverpool 対 Flamengoと言う2つの世界でも屈指の偉大なチーム同士の戦いは、大会により敬意を払っていた南米王者の Flamengo が当然の結果を示した。おそらくそれは Liverpool が全くいい処なく Man of the Match に選ばれた ZICO や Junior を擁した Flamengo に 0-3 で敗れた試合後の Souness の自己弁護に過ぎぬかも知れないが。欧州王者が南米王者に敗れた時の言い訳としては大変便利な言い訳がある。それはただ効果の欠乏と言う事だ。そんな馬鹿な話はない、世界でも最高峰のプレーを披露するチームならもう少し出来るだろう。

United の今後五日間の日本に勝つ為にやって来たと言う振る舞いはここに来るまでの長旅の価値があり、称賛されるであろう。 United の選手達は手強いエジプトの Al Ahly との対決を逃れる事が出来たがもっとも奇怪な対戦はもはや Club World Cup のピッチにはいない。チューリッヒの事務所に座りシンプルでスタイリッシュであるべく素晴らしい世界レベルのフットボールのイベントをより困難に、より当惑させそして破壊させようとする。それでは最初から始めよう。まず7チームでどうやってやるんだい? Sepp 君、何もないよ。

  

第一回 TOYOTA CUP を楽しみにわくわくしながらテレビ観戦したことを良く憶えている。月に2回発行される雑誌でしか見れなかった選手達がテレビで見れる。特に2年連続で欧州王者に輝いた Nottingham Forest のプレーに期待していた。
結果はウルグアイの Nacional Montevideo がビクトリーののゴールで 1-0 で勝利を飾った。当時趣味でよく聴いていた BBC の日本語放送を通じてこの試合が地元でどの様に報道されるかも楽しみだったが、地元ではこの試合があった12月は現在の Premier League と異なり”冬休みフ中”であるということがかなり強調されていたらしい。TOYOTA CUP 自信があまり興味をひきつける大会ではないと考えられたのだろう。最初の5大会、南米勢がタイトルを勝ち取り続けたばかりか、欧州のチームが大会初ゴールを挙げるのに4年掛かった。
かつて”名誉ある孤高”を守り続けた英国であるが、この Club World Cup に対しても Ferguson 監督の”孤軍奮闘”ぶりが解る気がする。ガンバや REDS がいくら健闘してもその事を三日と憶えてくれる欧州人は皆無かもしれない。

こんな話をかつて欧州の人と話したことがあったが彼は私を慰めるようにこう言った。”私の国では自分がサポートするクラブチーム以外は全く興味を示さないサポーターばかりだ。自分のチームのことなら何十年分のデータが頭に入っているが、人によっては World Cup の事も憶えていないものだ....."

この話をしてもらった時に私は少し安心した。
そして言われた”来年 World Cup が開催されるのはどこだったっけ?日本は出られのか? ” 
そして答えた”日本と韓国の共同開催ですよ。” 

でも我々も人のことは言えない。今年と来年、どれだけの人が Club World Cup のことを語るだろう? 日本のチームが出なくてもテレビ中継どこかでしてくれるかなぁ....           続く 



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