Mr.コンティのRising JAPAN

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Celtic Champions League 初戦 対 M.U.

2006-11-12 | EURO Football
今やすっかり“ドル箱”のトップ商品となった UEFA Champions League 今となっては Europe Champions Cup と呼ばれていて殆どの日本マスコミが関心を示さなかった時代が懐かしい。 1978-79 の Champions Cup の準決勝では 1FC Köln の奥寺が Nottingham Forest の同点ゴールを決め、1981-82 の決勝戦では絶対有利と見られていたルンメニンゲを擁する Bayern München が Aston villa に破れ、1985-86 の決勝戦ではルーマニアの Steaua Bucuresti がPK戦でバルセロナを破り日本人に“ルーマニアのスポーツはコマネチだけでは無い”とアピールした? 1987年欧州王者になったポルトガルのFC Porto は年末に TOYOTA CUP で来日し豪雪の中、国立競技場で激戦を演じた事を憶えている人は多いだろう。翌年は PSV Eindhoven が決勝戦で Benfica Lisbon をPK戦で降し、その翌年オランダトリオ(フリット、ライカールト、ファンバステン)を擁するAC Milan が優勝し前年西ドイツで開催された欧州選手権でオランダが優勝したことも重なり Oranje 旋風が欧州を席圧していた。 どうも歳をとると昔のことばかり思い出す。しかしそれは歳のせいばかりで無く Champions League の肥大化により印象に残る試合が少なくなった事もある。要するにご馳走が多すぎて食事の後ただ美味しかったと言う印象だけが残り、何が美味しかったかと言う事まで記憶に残らなくなってきた。
しかし今年の Champions League は久し振りに開幕前から楽しみな大会となり、進行具合も気になる。総じてワールドカップ直後の大会はそうだ。ワールドカップで活躍した選手達の新移籍先やクラブシーンでの活躍を追いかける楽しみがある。 今年はジダンが引退し、セリエAの“黒い霧”(この意味わかるかな?)でイタリアのビッグクラブが謹慎処分中。そして南米勢では目だった移籍が無かった(あくまでも私個人の興味上で)ので4年前の様にはならなかっただろうが、それでも今大会は中村俊輔( Celtic ) 稲本 ( Galatasary ) らが欧州戦線に参戦しており、そして10年ぶりに Champions League に復活した私が好きな Romania の Steaua Bucuresiti らがおり非常に興味を持って開幕から見ている。

9月13日、私は商用でメルボルンにいた。昨シーズンダントツの強さでScotland Premier League を制した Celtic 。この日は2年ぶりに“リーグ戦”から登場し、その初戦を Manchester United と対戦する。今や中村俊輔の加入で日本ではチームの動向が手に取る様にわかる。(正確に言えば中村の一挙手一挙動 ?) それでは地元の評判はどうなのだろう?     

9月12日、Old Trafford での Manchester United 戦という非常に難しい試合を翌日に控え Celtic の ストラッカン監督は“我々は世界屈指のワールドクラスの選手達と戦おうとしている。国際レベルは忘れよう、そんなもの測ることが出来ない”と言い放った。“ 9月9日にホームで Thottenham Hotspurs を1-0 で降し開幕4連勝中の相手にしかもそのホームであるOld Trafford に乗り込んで試合に臨もうとする指揮官も”もし Manchester United の選手が English Premiership で試合をし、(Champions League 等の)国際試合に臨めば 試合時間の90% は Premiership でのプレーよりもレベルを下げて試合が出来る。“とコメント。要するに Manchester United の選手達の90%が Celtic の選手の最高レベルだと。特にルーニー、ライアン=ギグス等を相手にせねばならないGKアルツール=ボォルツを始めウィルソン、コールドウェル、マクマナナス、ナイラーら若いDF陣を安ずる。 ”我々のDF陣4人はACミランの様に平均年齢36歳とは異なり平均年齢25歳と今回の Champions League の出場クラブでも若い方だ“と話しながらも”我々も(9月9日に)それまでリーグ開幕5試合負けなしでしかも昨年12月以来ホームでは負け知らずだった Abadeen を 1-0 で破っている“と
そしてプレシーズンマッチでは当地 Old Trafford で 0-1 と破れているがその試合後に契約を交わしたオランダ人FWのヘッセルリンクとデンマーク人MFグレーべセンの2人がチーム力を大幅にアップさせているともインタビューに応えている。だが Celtic サポーターの間で最も話題となったのはこの遠征にポーランド人FWのズラフスキーを外しチェコ人MFヤロシック、北アイルランド人MF ナイル=レノンそしてFW ショーン=マロニーを帯同させた事だ。
MFの選手を多く選ぶのは理解できるが昨シーズンのリーグ最優秀選手とは言え夏の間怪我でトレーニングが満足に出来なかったマロニーをこの大一番に何故ズラフスキーを外しでも連れて行くのか?ということらしい。

一方の Manchester United はアムステルダムで開催されたプレシーズントーナメント LG Amsterdam Tournament で退場を喰らったルーニーとポール=スコールズがこの Celtic 戦から合流する。

9月14日。メルボルンで視た朝のスポーツニュース。中村俊輔のフリーキックで私はその日の仕事に使うエネルギーを充分すぎるほど充填できた。ワールドカップではオーストラリアDF陣から足の親指の爪が剥がれるほどがんがん削られたのに、エジプト人主審は警告も出さず、オーストラリアの新聞は“ブラジル人監督ジーコのお気に入りナカムラがブラジル人譲りなのはマリーシアを使おうとする事。しかしこの日はマリーシアも不発に終わる”と皮肉られたがこのシーンを視てくれたかい?と叫びたくなった。昼間には取引先の在留邦人であるTさんから“中村視たか?あのフリーキック”と電話があった。 しかし試合結果は 2-3 と黒星スタート。 2001-02 のシーズンのグループステージの初戦、当時監督を務めるマーティン=オニール氏に率いられた Celtic はユーベントスにトリノで同じスコアーで破れ、結局3勝3敗でセカンドグループステージに進めなかった。勝敗を分けたと言われるグレーべセンのギグスへのミスパスから決勝点を許したが、そのゴールを決めたのが前半31分にライアン・ギグスがハムストリングを痛めて退場を余儀なくされた緊急時にピッチに入ったノルウェー人FWのオーレ・グナー・ソルシャー。1997年ノルウェーの Molden FK から United 入りした、1998-99 の欧州王者に輝いたときからのメンバーだ。そして彼の父親はノルウェーのグレコローマンスタイルの五輪選手で彼自身子供のときレスリングしていた。余談だが1998年ソウル五輪レスリング、グレコローマンスタイル 52kg 級でノルウェーのヨン・ロンニンゲンが日本の宮原を破って金メダルを勝ち取ったがそれがノルウェー史上最初の五輪(もちろん冬季じゃないよ)金メダルだった。
だがギグスは本当にセルティックGKボルツに引き倒されたのだろうか?これに対してストラカン監督は“あれは審判のミスだ”と試合後語っている。だがミスと言えばセルティックMFグレーべセンにとってこの試合は悪夢だろう。先の3点目のみならず、39分の2失点目のゴールもUnited MFキャリックにボールを奪われそこからスコールズに繋がれ最後にサハに決められたもの。 こういう試合ではどう攻略するかと言うよりもいかにミスを減らして相手のミスを引き出すか?が勝利への近道かもしれない。
ベンフィカがコペンハーゲンで引き分けたので Celtic は最下位スタートとなってしまった。 次はホームで Kobenhavn を迎える。 その試合を含めて NAKAMURA の活字が何度地元紙に躍るかな…..





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