Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

スペイン相手に白星発進。これで首位通過の可能性も…

2012-07-29 | 夏季五輪

ロンドン五輪もサッカーに日本が出場をしている。これで5大会連続だ。しかも3大会連続で男女が出場している。
日本の五輪がサッカー競技で始まるのが定番になるなんてバルセロナ五輪前迄考えられなかった。

日本選手団の先陣を切って出場したなでしこジャパンは恐らくいつもよりも多くの日本人が注目したであろうこの試合でカナダを 2-1 で降し白星発進。さすが世界女王と言いたくなる。それでも試合後、佐々木監督へはインタビューの中で“我々は確かにチャンピオンにはなりましたけど、オリンピックではチャンピオンではないので我々はチャレンジャーとして選手一丸となってやっていますので……。” というコメントには泣かせられた。

そして日本は何と何とスペインを破っての白星スタート。まるでサッカーのワールドカップの様な気がして来た。

初戦スペイン戦.....

この言葉を懐かしく思い出す人はかなりベテランのサッカーファンじゃないかな....
1979年 ワールドカップやオリンピックではアジアの壁が高すぎて世界の舞台なんて遠くからしか見られなかった時代、自国開催でないと日本が“サッカーの世界選手権”には参加できないと考えられていたその時代に第2回FIFA ワールドユース大会が日本で開催された。自分が記憶に残る始めて日本が世界レベルの公式大会に出場した大会で1年位前からこの大会を楽しみにしていた。最終的に誰が選ばれるのか、とか対戦相手が決まったらどうやって1次リーグを突破するのだろう...とか。

最終メンバーは後に die Bundesliga でプレーする尾崎和寿夫そして柱谷幸一、水沼貴史、宮内聡(元日本女子代表監督)、当時現役高校生だった風間八宏(当時清水東)名取篤(帝京)鈴木淳(仙台向山 -元大宮監督)ら3選手が選ばれた。名取は出場機会が無かったが翌年始めに行われた全国高校サッカー選手権で帝京を優勝に導くなど活躍し自分も同じ高校生なのにえらい違いだなぁと思った。関西勢も選考の時から気にしていた。GK鈴木康仁(摂津-国士舘)、そして猿沢茂(大阪体育大)らが最終メンバーに残った。監督は松本育夫氏だった。 当然候補に上がりながら最終メンバーに入らなかった選手の方が当然多かった。自分が期待していた佐々木博和(枚方クラブ-松下電器-ヴェルディーセレッソ)や樋口靖洋横浜Fマリノス監督(当時四日市中央)今回の五輪代表の関塚監督もその一人だった。

だから最終メンバーに選ばれた選手達は世界を相手にするのでものすごく上手いんだろうなぁと思った(当たり前か?)。

今は FIFA U-20 と呼ばれているけどそのワールドユース大会、日本の相手は初戦がスペイン、第二戦がアルジェリアそして第三戦がメキシコ戦だった。 どこも強豪だった。何とか初戦のスペイン戦は引き分けて第二戦のアルジェリアに勝って最終戦のメキシコ戦は引き分けて上位2カ国が進出できる準々決勝戦に....と願っていた。そうすれば恐らくマラドーナやラモン=ディアスのいるアルゼンチンとの対戦になると思ったけどとにかく1次リーグ突破だけを願った。

夏休みも終わりかけの8月25日、国立競技場で行われたスペイン戦はテレビで観戦した。もちろん優勢に試合を進めるのはスペインだけど日本選手がボールを持つと大歓声が上がった。だけど今も覚えているけど日本はほとんどシュートまで持ち込めなかったんじゃないかなぁ.... 0-0 で迎えた後半スペインの Zuniga が放ったミドルシュートが日本ゴールに突き刺さりそれが決勝点となった。まだ残り時間は35分以上あったけど、その1点が挽回できるとはテレビを見ていて思えなかった。何とか0-0 のまま試合が終わってくれと思っていた。 そして日本ユース代表は続くアルジェリア戦は押し気味に進めながら 0-0 で引き分け、第3戦のメキシコ戦はついに水沼のゴールが決まり先制をするも同点に追いつかれ引き分けに終わった。

メキシコ戦の前に行われたスペイン対アルジェリア戦でアルジェリアが既に1次リーグ突破を決めていたスペインに 1-0 で勝っていたので日本はメキシコ戦を前にして1次リーグ敗退が決まっていた.....

そしていつの日か日本がアジア地区予選を突破して世界の大会に...と願ったがそれが実現したのはそれから14年後、またも地元開催の FIFA U-17 大会まで待たねばならなかった..... でもその2年前に女子代表が第一回ワールドカップに出場していた。

            

アジアとは異なり欧州では五輪サッカーの位置づけが著しく低く、欧州のサッカーファンの中には“オリンピックにサッカーなんてあるのか?”と思っていた人にも多く出くわした。 “地元”英国開催の五輪で最も注目されるのは64年ぶりに結成された英国代表 Team GB とスペインがワールドカップ、EURO2012 に続いてメジャーな大会で“3連覇”を納めるかどうかということ、というのが地元紙を見ても良くわかった。

David de Gea dreams of more Spanish football success 

Manchester United のGKは更なるスペインの偉業を楽しみにしている。
“我々はフル代表の様にプレーをしている。15歳の時から常にそうしている。それがスペイン人のやり方でそうして勝利を得て来た。”こう語ったのは David de Gea だ。

想像をして見ると良い。表彰台の上に立ち、国家が流れる。金メダルが選手のクビに….それが夢だ。“スペインは世界王者で欧州チャンピオン。昨年夏は欧州U-21 で優勝しこの夏には EURO U-19 で優勝したばかりだ。そして今彼らは五輪のタイトルを欲している。

もしあなたがスペインは成功に満ち足りているのか?と考えた時に、もう一度考えてみよ。もしオリンピック何て関係無いと考えているのであればあなたは間違っている。 南アフリカとウクライナでの成功は彼らの望み、そしてプレッシャーとユニークな世界へと繋がって来る。それはワールドカップ、 EURO そして五輪のタイトルを同時に勝ち取ることだ。

スペインは1992年地元開催のBarcelona五輪で金メダルを勝ち取った。決勝戦の相手はポーランド。前半に Wociech Kowakczyk のゴールでポーランドが先制したがこのゴールはBarcelona五輪でスペインが6試合目にして喫した初失点だった。しかしスペインは Abelardo Fernandez のゴールで追いつく。このゴールはこの試合を観戦に来た Juan Carlos 国王とその家族が着席した4分後に決まったゴールだった。そして同点ゴールから6分後 Kiko こと Francisco Narvadez がゴールを決めて逆転をするも72分ポーランドは Ryszard Stanieck の同点で追いつく。試合は延長戦に入るかと思われた89分、最後は Atlético Madrid のKiko のゴールで 95,000人の観衆を集めた Camp Nou での激闘に終止符を討った。この時のスペイン代表は同年スウェーデンで開催された EURO1992 には何と予選で落ちて本大会に残れなかった。それだけにこの五輪での勝利は少し溜飲を下げられたのでは無かったか?

それよりもこの時は久々にハイパフォーマンスを見せたポーランドの方が気になった。大会得点王となった Andrzej Juskowiak や Wojciech Kowalczyk ら優秀な選手が出て来て以降のワールドカップや欧州選手権が期待されたけどその後ポーランドがメジャーな大会に進出すしたのは10年後の FIFA ワールドカップ2002 だった。

そしてスペインはバルセロナ五輪前迄に出場した16回のオリンピックで勝ち取った金メダルは意外にわずか4個であった。そしてこのバルセロナ五輪で13個の金メダルを勝ち取りその1つがこの五輪から年齢制限の設けられたサッカーだった。小学校の時に開催された札幌五輪で Fransisco Fernandez Ochoa の男子回転競技で金メダルを勝ち取ったがそれがスペイン史上最初の金メダルと当時報道されたのを憶えているが、夏季五輪はもっと金メダルを取っていると思っていた。
運動神経ある子供はみんなサッカー選手になるのかなぁ~と思った。

          

   

スペインが五輪に掛ける意気込みとして over age に Juan Mata, Jordi Alba そして Javi Martínez ら EURO2012 のメンバーを入れている。 Sergio Busquets も大会参加をほのめかす程であった。“これが全てを物語っている。 彼らはフル代表では全てを手に入れた。しかしまだ我々と共にプレーをする為に五輪にやってこようとしている。”
De Gea の様にMataも UEFA U-21 2011 のメンバーでこの五輪チームのベースとなっている。 その当時のU-21のスタメンの中でDidac Vila と怪我で参加を見送った Thiago だけが五輪メンバー入りせず Didac Vila に替って召集されたのが Jordi Alba であるが彼でさえ23歳である。  

Atlético Madridの Adrián Lopez は昨シーズンの UEFA Europe League の大会得点ランク2位で Athletic Bilban の Iker Munian はEurope League と Copa del Rey のファイナリストだ。 Malaga の創造的 FW Isco は同世代 ( Isco は20歳 ) の中で最も才能があると前のスペイン連盟のスポーツディレクターに言われた逸材。

昨シーズン Premiership のタイトルを逃した Manchester United のメンバーはシーズン終了後おのおのの生活に入ったが Ryan Giggs は De Gea に “ See you in the final “ と云ったそうだ。

21歳のスペイン人選手が8月11日にウェンブリーで試合を行う事を想像すると言う事はまことしやかなことであろう。“決勝戦で英国と対戦したい。しかし大事な事はそこに我々がいるかと云う事だ。 もしそこに Beckham がいれば彼を見に来る人にとっては良かった事だと思う。しかし Giggs がそこにいる。 彼は一流の兵士だ。 彼は素晴らしい人間で偉大な選手だ。率直にいえば質素でつまらない。信じられない事に彼は38歳でプレーしている。彼は才能を持って生まれた。そして本当に自分をケアーしている。我々はまた Old Trafford でプレーをする。(第三戦のモロッコ戦)”それは私にとってはより特別な事で、それだけに我々の方を応援するファンがいると期待させられる。 私はいつも England ではスペインサッカーは人気があるといつも感じている。それがここは第二のホームと思わせられる事だ。“

Spain's Juan Mata wants Olympic gold after Euro 2012 win

“恐らく我々は苦戦する事も無く金メダルを勝ち取らねばならないと思われているだろう。しかしそれは容易ではない。 タイトルを狙う大変強いチームを構成した国が参加している。我々は勝利しかないと予想されている。私達も出来る限りそうありたいがそれは難しい事だ。スペインはここ数年勝ち続けているがその背景には犠牲と多くのハードワークがあったからで、以降に続く良き道であると思う。 個人的には大変ファンタスティックなシーズンだった。そしてもし五輪で勝つ事が出来れば完璧な夏となり、これ以上求める事のない England での最初のシーズンとなるだろう。“

“我々は長い間共にプレーして来た。お互いにどの様にプレーし、どの様に取り組むかをよく若手いる。 だから早く一緒にプレーするのが楽しみだ。我々は代表チームの様にプレーし、そのスタイルはどういう年代レベルでも同じだ。ボールを後方から前に運びポゼッションをキープしチャンスを創る為に協力する。 U-15 レベルからそのスタイルは変わらずそれがスペインのやり方であり、栄誉を創り続けている。
“フル代表の方は我々が望もうと望まないともレベルを高く上げ我々にプレッシャーを与えている。それが我々にもモチベーションになっている。 我々はフル代表と張り合おうとして来た。 それは容易では無かったが我々が良いチームであった事を知っている。 人々は大会の最優秀選手になりたいかと訊ねる。 私はどちらかと言えば攻撃的選手の一人だ。”

こう語ったのは Juan Mata だった。
Juan Mata はロンドン五輪で金メダルを勝ち取り "perfect summer" を成し遂げたいとの事である。

今シーズンの Mata は Chelsea のメンバーとして UEFA Champions League, FA Cup そして EURO 2012 で優勝を納めた。そしてそのタイトルに五輪の栄光を添えたいと思っていた。

しかし Mata が EURO2012 でプレーしたのは決勝戦のイタリア戦の最後の3分だけ。そこでゴールを決めたとはいえ良い思い出は無いと思われる。それだけに五輪のタイトルには並々ならぬ思いを寄せていると思った

英国の報道を見てもスペインの初戦の相手が日本であるとは皆目報道されておらず、スペインの方も真剣に日本をスカウティングするなんてしなかったと思う。それでも勝てると思っていただろうし、キックオフ前はむしろそれを私は望んでいた。
例え1%に満たなくてもそれが勝点に繋がるとおもったからだ。

 こんなメンバーどうやって…

なでしこがカナダを降した翌日 U-23 五輪チームはスペインと対戦する事に。 

7月11日に国立競技場で行われた New Zealand Oly Whites との壮行試合を見たときには“こりゃまた3連敗とちゃうか?”と思わされたけど、以降ベラルーシ戦 2-1 , メキシコ戦 1-0 をテレビで見るとチームの状態は上がっているなぁと思った。

何と言ってもメキシコに“勝った”事が大きいと思った。 それでもスペインに勝てる保証にはならない。 スペイン相手には何とか引分け、負けても1点差負けまでと云うのが願いだった。両チームのスタメンは下記の通りだった。

                         GK 1 De Gea( Manchester United )

       12 M. Montoya   3 A. Dominguez     5 I. Martinez     6 J. Alba
        ( FC Barça )   (Mönchengladbach )  ( R.Sociedad )   ( FC Barça )

                          4 J. Martinez ( A. Bilbao )

               15 Isco                          11 Koke
              ( Malaga )                       ( A. Madrid )

        10 J. Mata                                 9 Rodrigo
        ( Chelsea )                               ( S.L. Benfica )

                           7 Adrian Lopez( A. Madrid )

                            11 永井

          7 大津              10 東                17 清武

                  3 扇原                16 山口

         2 徳永        5 吉田            13 鈴木         4 酒井宏

             
                          GK 1 権田




GK De Gea, DF Montoya, A. Dominguez MF J. Mata そして FW A. Lopez ら5選手が UEFA 2011 U-21 のメンバーだった。CBの Javi Martinez そして Iker Munyain ( 共に Athletic Bilbao ) らはベンチスタートだった。

日本はover age の徳永と吉田以外はアジア地区予選のレギュラーメンバー。 2列目左に大津が宇佐美に替って入っただけであとは21日のメキシコ戦と同じスタメン。個人的にはワールドカップ南アフリカ大会の初戦の様にアンカーを入れてゼロトップにするのではと想像していた。 それはSBは右に酒井宏樹、左に高徳。CBは吉田と徳永の over age でアンカーに鈴木か山村を入れてボランチは扇原と山口蛍。2列目は右に清武、左に東を入れてトップには大津。守備で頑張れる選手を入れて何とか無失点で防いで終盤に永井のスピードと宇佐美のドリブル。または杉本の高さ…と想像していたけど、流石に関塚監督は違った考えというよりも選手の能力を信頼したスタメンとなった。( 当たり前か??)  
                                                                続く…..



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