Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

EURO 2008 6.29 Geneva から Vienna へ

2008-07-01 | EURO Football
フランス語で溢れ返っている Genève を出たのが朝5時半。スイスとオーストリアは隣国同士だが列車移動では時間がかかるので飛行機を使わざるを得ない。 Geneve 空港は1年半前に不覚にも荷物を置き引きされたところ。朝早ければジプシー達も“職場”には来ないだろうと思ってはいたがGeneva Air Port 駅を降りてチェクインカウンターまでの約10分間の“道のり”は気を抜いてまたジプシーどもの餌食とならない様に緊張し放しだった。 
チェックインカウンターでは早朝にも関わらず多くの搭乗客が列をなしている。それに多くの荷物が。6月最後の土曜日なのでこの日から長期にバカンスに入る人達も少なくない。 後ろの人がたくさん並んでいてもお構いなしにカウンター嬢とエクセスの事や座席の事、次の乗り継ぎ便の席も並びで取ってくれ……とのやり取りが続いている。まぁ子供連れだから解らなくもないけど….. やっと順番が巡って来たが私の手続きは彼らの10分の1もかからないのでカウンター嬢も愛想よく笑ってくれる。
その微笑み Priceless ……

ここの空港も中央駅同様にフランス行きの搭乗口が別になっている。それだけフランスへの往来が多いのだろう。チェックインを済ませてすぐに税関を抜けてジプシーの入ってこられない“安全地帯”に逃れる。まだ6時前なので人も少ない。その分店も開いていないけど…… 開いていたコーヒーカウンターでコーヒーを注文するが価格は SFR5.00 ( 約525 円也 ) 。PCのキーをたたいたりして時間を潰していると搭乗時間がやって来た。機内はほぼ満席、離陸後機内食サービス(と言ってもサンドイッチと飲み物だけ)を食べたりして離陸後20分もしないうちに睡魔が襲ってきて寝入ってしまい、フランクフルト空港に到着する直前に目が覚めた。

フランクフルトは欧州でも屈指の大空港。次のウィーン行きの搭乗カウンター番号がなかなかスクリーンに現れないのでどこかで座って時間を潰そうとするのだが土曜日とあって人がわんさといてどこに行っても大混雑。仕方がないので Kiosk に行くと1976年欧州選手権決勝戦の DVD が売っていたのですぐに購入した。成田を出て最初にフランクフルトにトランジットで立ち寄った時も 1980 年大会の決勝戦の DVD を見つけて購入した。これはドイツの写真紙 Bild Sports が一昨年のワールドカップ前から販売を始めているシリーズ物のDVD で2年前のワールドカップ時に来た時は1974年大会の東西ドイツ対決の貴重なDVDが販売されていたので当時大喜びでそれを購入した。ようやくウィーン行きのフライトの搭乗カウンター番号が表示されたのでそちらに行くことに。そこにはドイツ代表のレプリカを来た人達や国旗を纏った人も。みんなチケット持っているのかな….いいなぁ……と思いながら座る場所を探した。すると電源も取れるパソコン机があいていたのでそこに直行する。フランクフルト空港では欧州内行きのカウンターの待合スペースの中に新聞棚がありDie Welt や Frankfurt Allgemine の一般紙や Frankfurt Post と言った地域紙、そして Bild 等が無料で取れる様に置かれている。Frankfurt Allgemine には  “ Wir stehen hinter euch 我々は君達の後ろに立っている “  と言う大きな見出しとともにドイツ代表イレブンが肩を組んで並んでいるところを後ろから撮った写真が。また Bild 紙には Ballack の足を赤枠で囲い決勝戦はプレー出来るのか…..を報じている。
搭乗時間が来て機内に入るとキャビンアテンダント達が水色の EURO2008 のマフラーを巻いている。Austria 航空のキャビンアテンダントの制服は赤色。水色がよく映える。そのうちの一人に “ Östrreich Wünderteam !! “ と言うと Thank you !! と返してくれたが判ってくれたかなぁ……… ワールドカップの始まる前1920 年代のオーストリアは無敵を誇り Wünderteam と恐れられていたがワールドカップが始まった1930年代には下降線に入りついにはナチスドイツに併合され当時の優秀な選手達はドイツ代表としてプレーせざるを得なくなった。それでも私が初めてワールドカップに本格的に触れた1978年アルゼンチン大会は下馬評を覆し1次リーグでスペイン、スウェーデンを連破し2次リーグにはやばやと進出を決め、2次リーグではオランダ ( 1-5 ) , イタリア (0-1) と連敗スタートだったが最終戦は終了直前クランクルのゴールで 3-2 と西ドイツを降し有終の美を飾った。この時西ドイツ国民はオーストリアから大量点を奪い、オランダ対イタリア戦が引きわける事に決勝進出そして大会2連覇を狙っていた。そのオーストリアが今は日本代表に勝てない時代になっている。恐らく再来年のワールドカップでもし両国が同じ組に入れば日本はオーストリアから勝点を胸算用が出来る相手だ。オーストリアが弱くなったのか、日本が強くなったのか…..おそらく両方だろう。

ウィーン到着が近付きお決まりの機内アナウンスが入るが、EURO2008 の入場券があればオーストリア国内の普通電車料金が無料になるので電車に乗るときは忘れずに…… との説明が。2002年ワールドカップの時は日本でそんなサービスあったかな…….空港はこの日行われる決勝戦一色とまではいかないがドイツ、スペインのレプリカを着た人達が…..そして欧州各国から着たであろう報道陣達も…..あぁうらやまシィなぁ…….

  

ホテルに向かったがいつも泊まるホテルが大会期間中は満室でとれずやっと取れたホテルであったが、歴史的建物の乱立している街中ではないがレセプションで近くのU-Bahnの駅を訊くと歩いて5分ほど、しかも中心街からも遠くない事が解った。部屋も広くてエアコンもよく効きワイヤレスランの完備された値段も高くないホテルでなかなかのものであった。書類の整理やらメールの返答をして時計を見ると午後5時少し前….何も食べていないので街中で知り合いが経営している寿司のティクアウェィにでも行こうと外に出る。あそこの寿司は安い上に味も悪くないから…….それに UEFA のサイトで調べたが大きなスクリーンが10面ほどある Public Viewing の様なところもその近くにあるので寿司でも食ってぶらぶら歩けば丁度キックオフの時間になるだろう。そうしたらそこでビールでも飲みながら決勝戦をスクリーンで観戦しよう…欧州から来る多くの人がそこで決勝戦を楽しむ様に… 
そう思い U-Bahn の駅に向かった。電車に乗り込むとスペイン、ドイツ両国のサポーター達が多く乗っていたがドイツの方が多かった。そこで私はまだ時間があるので競技場の近くに行ってみよう、そこで写真を撮ったりしてまた中心街に寿司を食べに行こう……と思い彼らの後ろをくっ付いて行く事にした。 U-Bahn を乗り換えて Stadion の駅に到着、出口に向かっていると1人のご婦人が何やら持って立っていた。私の前を歩いていたドイツ人達が声をかけたがすぐにその場を立ち去ったので近づいて今度は私が声をかけた。彼女は決勝戦のチケットを持っている。1枚しかないが買ってくれないか…..という話だ。前の人達もチケットを探していたが複数求めていたの1枚しか無くしかも価格が折り合わないらしかった。売値を訊くと“定価€335” に対してそんなに吹っかけていなかったので少し値下げ交渉して購入する事となった。正直信じられなかった。この日に Vienna 入りしたのは決勝戦というよりも行程の都合で、テレビ観戦で充分と思っていた。欧州のどこかで見られれば大会の雰囲気はより濃厚に感じられるし時差に悩まされずに済むと思っていた…… 訊けば彼女はドイツから来ておりインターネットオークションでチケットを手に入れたがスペイン側なのでどうしてもドイツ側に座りたかったとの事。ドイツ側のチケットは何とか手に入れたが”余った“このチケットをどうしてもドイツ側のチケット代金の”足し“にしたかったらしい。彼女は何度も私に御礼を言い、これはここに透かしが入っていて千切れにくいから間違いなく本物だと言うが、あまり何度も言われると本物かどうかともおもってしまう。最後の Vielen Spass !! と言って握手をして別れた。

こうなると予定が大きく変わってくる。まず何か食べなければ。駅構内にスーパーがありそこで寿司は無いので(あるわけないか??)サンドイッチとジュースと買う事に。そこでは両国のサポーター達がビールを片っ端から買っている。すごい輩になるとケースごと買っていく。店員も補充に追われて大変だ。それにしてもオーストリアの物価の“安さ”に”ありがたみ“の念が絶えない。スイスだと 500ml のペットボトルコーラ1本がSFR 3.4 (約350円 ) がここのスーパーでは €0.98( 約160円 ) 。

 

ここで買った食べ物を持って競技場に向かう。競技場は駅の近くの遊園地を通り抜けて行くのだがその途中でサンドイッチ等を食べているとドイツ、スペインの両サポーター達が気勢を上げている。まだキックオフまで2時間以上もあるのだが。この日の私の服装は Glasgow Celtic のレプリカ。ここで日本代表のユニフォームは場違いすぎるし何か欧州のサッカーファンに今日本の存在をアピール出来るものと言えば中村俊輔の Celtic だと思ったからだ。途中で数人にユニフォームを“いじられた”が全て好意的なもの。中には Rangers のサポーターもいた。勿論  NAKAMURA は皆が知っていた。

結構な距離を歩いてようやく競技場にたどり着いたがここからが緊張だ。入口付近で何組かチケットの価格交渉をしているこちらの方にすべきだったかな…….でもまだ残っているんだなぁ….. まず最初はチケットにしるしが入れられて二重に使われない様にされる。そして所持品と身体検査を受けるがそんなに厳しくはなかった。そして競技場の入り口に近づく。チケットを係りの女の子に渡し改札機を通すと何と赤いランプが。背筋に冷や汗が湧きだすのが解った。“あちらの機械で通して見て下さい。”と言われてもういちど仕切り直すと……緑のランプがついて今度は額から汗が流れる。私の前に並んでいた人が改札口を抜けた瞬間に両手を上げて何か叫んだが私もそう言う気分だった。
座席はスペインサポーター達が多く陣取る地域でコーナーフラッグの後方。競技場には私の好きな陸上競技用トラックがあるが観客席の角度に工夫が施されている上に私も比較的前方なので見通しの良いピッチの迫力がよく伝わってくる素晴らしい席であった。両隣りはドイツ人。前後はスペイン人の家族と仲間達。右側からスペインサポーター達の大歓声が押し寄せて来る。ピッチの上では選手達がアップを始めだし大歓声が渦を巻く。

 

そしてスペインのスタメンが発表される。最初に選手の名前を読んで観客が苗字を叫ぶ。負傷の Villa に替って予想通り Cecs Fabreges が起用される。そしてドイツのメンバー紹介が始まるがこちらは肋骨の負傷でスタメンを外れていたFrigs が Rolfes に替わりスタメンに復帰し、懸案となっていたBallak はスタメンに。 Ballak 映し出されるとドイツサポーターから大歓声が起こる。 

試合開始30分程前に選手達が控室に戻ると衣裳をまとった老若男女達が現れた。どうやら閉会セレモニーが決勝戦の前に始まる様だ。その演出をみるとさすが欧州という気がしてならない。 

そのセレモニーが終わり選手の入場、そして国歌の斉唱が続く。途中で気がついたがドイツ国歌斉唱の時はスクリーンに歌詞がでていたけどスペインはどうなったのだろう…….. そしていよいよキックオフの時間が。スペインのサポーター達の歓声はすごい、恐らく反対側に座っていればドイツがすごいと感じた事だろうが…….

立ち上がりはドイツが Ballak, Klose を中心に攻勢にでる。ロシアを完璧に抑えたスペインのDF陣だが Ballak 相手では勝手が違うか……しかし10分を過ぎて来るとスペインがサイドチェンジやワンタッチ、ツータッチのパスを使って徐々にドイツゴールに迫る回数が増える。 Torres がボールを持てば更に大きな歓声が後押しをする。そして有名なドラムの音が。あのバスク地方出身のバレンシアでレストランを経営するスペインのサポーターならだれでも知っている人のドラムのリズムだ。徐々に劣勢になるドイツは Ballack のポジションを下げて行く。今のスペインの中盤に対抗できるのは Ballack だけか? Chelsea に移籍後は守備もゲームメークもする様になったそのプレースタイルが生きて来るか…..しかし大歓声に後押しされるスペインの攻撃陣に後手を踏む。
そしてついに32分縦パスを受けた Torres がLahm を振り切りGK Lehman の動きをかわすようなシュートが決まりスペインが先制する。赤いレプリカを着たスペインサポーター達が喜びを爆発させる。しかし相手はドイツこのままのスコアーでは終わらない、ドイツが 0-1 で敗れるところをここしばらく観た記憶がないから……

  

35分 Ballack が倒れている、スクリーンでアップになったところを見ると目尻を切って流血している。Senna Marcos と競り合った時にバッティングをしたのだ。ピッチの横で止血治療を受けている。3分程してピッチに戻るが流血が止まっていないという事でイタリア人主審に再治療を命ぜられる。この状況で Ballack が抜ければドイツは少し厳しい戦いとなるが結局絆創膏を貼りピッチに戻るとドイツサポーターから拍手が起こる。前半は結局1分あったロスタイムを終わっても 1-0 以上スコアーは動かなかった。

ハーフタイムの間に有名なドラムを叩くスペインの“応援団長”のところに記念撮影とサインを貰いに行くと既に10人程の人達がチケットにサインを貰おうと並んでいた。私も日本から来た事そして6年前のワールドカップのスペイン対韓国戦の後で一度写真を撮った事を伝えサインと写真を頼むと快く引き受けてくれた。昔は黒のソムブレロを被っていたのだが今は帽子のデザインが変わっていた。

座席に戻ろうとするとその近くに座っていた人達が“ You はどこから来たんだ?”と私の来ていたレプリカを指さす。“ Jo soy Japones, from Japan “ と答えると、” No you Espanol, you must support Spain. “ スペインを応援しろ、と言っているつもりなのか?スペインがリードしているのでみな機嫌がよさそうだった。席に帰る途中で喉が渇いてたまらなかったのでコーラでも買おうかと思ったが長蛇の列。後半もすぐに始まりそうだったので席に戻った。

後半のドイツはLahm に替えて同じ Bayern München 所属の Marcel Jansen を投入され左サイドバックのポジションに入った。スペインが先制した Torres のゴールは Lahm を振り切って放ったシュート。そのショックが残っていたのかそれとも怪我でもしたのか….. 後半ドイツの挽回を期待するもスペインの攻撃が目立つ。エンドが変わって Lehman の守るドイツゴールがスペインサポーター達の前にあるのでスペインが攻撃に転ずると皆立ちあがって大歓声を送る。それはサポーター達の歓声が彼らを吸いこんでいる様にも見える。63分負傷の Villa に替ってスタメン起用された Cecs Fabregas が大歓声に送られてベンチに下がり Xabi Alonso が入る。私はスペインが2点以上リードし終了1分前に唯一まだ出番のないベテラン34歳の第3キーパー Palop Andres が出てくる展開を希望しているのだけど….. 64分にドイツ、スペインの両選手がエキサイトするシーンがあったがこの時スペインベンチからは全員が飛び出して来て何か叫んでいる。このシーンに今大会のスペインのまとまりと好調を持続する原因を見た気がした。
66分に David Silva が下がり Cazorla Santiago が入るが Silva の表情も納得の交替と言った感じがする。これも Villa 効果か?
Ballak はポジションをもうボランチの近くまでさげている。それは 58分に Hitzlsperger に替って投入された長身選手Kevin Kuranyi にロブを送る為かそれとも怪我の具合が芳しく無いのか??
73分ドイツサポーター達はドイツ国家を歌いだすとスペインサポータター達から激しいブーイングと口笛が。1937年4月26日のゲルニカのナチス空爆の遺恨未だ消えずか…….
78分にはこの試合の殊勲者 Torres がベンチに下がり Daniel Güiza が入る。大歓声にこたえる Torres 。しかしこれで 第3キーパーのPalop の出場は無くなってしまった。 その1分後今度は Klose がベンチに下がり Mario Gomez が入る。そして Ballak が前の方のポジションに上がって来た。ドイツなら最後の最後に1点を返すかも知れない、このままドイツが無得点で終わらないかも知れない、と思い続けた。
例えスペインの方が決定機を迎え続け、Lehman のファインセーブとスペインのシュートミスに助けられた展開が続いても。しかし3分なったロスタイムを終えても最後までスペインゴールを割る事が出来ずスペインが44年振りのタイトルを勝ち取った。試合翌日の UEFA のサイトを見ると Ball Possession ではドイツが49%に対してスペインが51%、ボール占有時間がスペインが 25分50秒に対してドイツは 27分56 秒、しかしシュート数では数字は全く差が付き枠内シュートがスペイン7であったのに対してドイツはわずかに1.これでよく 1-0 で終わったなぁと思った。

  

試合終了の表彰式が始まるがまずこの試合の審判団の労が労われる。しかしドイツサポーター達からは口笛の嵐が、前半22分のスペインDFのペナルティーエリア内でのハンドを見逃した事に対する怒りのブーイングだ。
そしてドイツの選手団。プラティニ会長が Ballack に慰めの声を掛け、メルケル首相が何やら話し掛ける。二人とも東ドイツ地区出身だ…….メルケル首相、来週洞爺湖でお会いしましょう…….

  

スペイン選手達がひな壇にあがり、 Casillas 主将がプラティニ会長からアンリドローネ杯を受け取り高く掲げるとスペインサポーター達からこの日一番の歓声が送られた。 70年代以降ドイツ、チェコスロヴァキア、イタリア、フランス、オランダ、デンマークそしてギリシアの後塵を拝し続けた列強がタイトルを奪還した。このシーンを見て最も焦燥感を募らせているのは England のサポーター達だろう。
ピッチ上はQueen の We are the Championが流れ始める。1990年ワールドカップイタリア大会でドイツ代表に送られたこの曲を今度はスペイン代表選手達に送られるのを世代は違うがドイツ代表選手達がみている。 スペイン選手達のウィニングランが始まりお別れの花火が打ち上げられても選手達が控室に戻っても特にスペインサポーター達はその場を離れようとしない。いつまでもその快挙のあった場所にいたいのであろう……

自分も潮時を見つけ “2年後南アフリカで会いましょう….” 私はそう言いながら周囲の人たちと握手を交わしながら帰途に着いた。道中まだテレビ観戦を終えてパブから出て来る人たちそしてこれから飲み直す競技場から出て来た人達が多く入れ違う。私は喉が渇いてたまらなかったのでまだ開いていたケバブーの IMBISS に入りコーラを2本買って教えて貰った U-Bahn の駅に向かった。そこは宿泊ホテルの最寄りの U-Bahn の次の駅であったので早くホテルに帰れた。
もし最初から競技場に行くつもりで帰りに乗車した駅を目指していたらこの決勝戦は観戦出来なかったかも知れない、いや出来なかったと思いたい……….

時計を見ると日本はもう午前6時過ぎ、部活の朝練習に向かう息子が起きる時間だ。朝練がんばれ、パパは今から寝ます。とメールを打ってシャワーを浴びてベッドに入った。
EURO は終わったけど我々に直接関係のある Asian Cup でこれだけ大会の価値と意義がアジア中で盛り上がって、日本が優勝して大いに胸を張れる……… そんな日は来ると信じている。

80年代欧州選手権の結果を試合の翌々日の英字新聞で追い掛けていたのが決勝戦を観戦できる様になったのだから……….