Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

本当に弱かった愛するジャイアンツ

2005-12-30 | プロ野球
先日何年か振りにある本を購入した。“ 2006 ベースボール・レコードブック”だ。しばらく我が愛するジャイアンツが優勝する度に購入していたが、最近は予算が取れずに?ここ10年は手にした事が無かった。久し振りに予算取り?をした理由は今季のジャイアンツの低迷振りを数字で見たかったからだ。
まず5位という成績は1979年以来。これはレコードブックを見なくても知っていた。当時は江川卓があの空白の1日を突いて巨人に入団した年で、交換トレードで阪神に出された小林に8敗を喫した年だ。
オールスター前後までは優勝争いをしていたが、夏場以降黒星が先行し終盤は連敗が続き5位に沈んだ年であった。しかし、優勝した広島とのゲーム差は 10.5ゲーム差で今年の巨人は阪神に 25.5ゲーム差をつけられた。また79年は江川以外にも西本が防御率で2位に入り、打者では中畑がレギュラー取りに名を挙げるなど新戦力の台頭も顕著であった。当時主力であった王はまだまだ本塁打を33本放ったが、張本は目の病気で後半は殆ど出場が無く、柴田、高田らの出番は激減していた。特に高田は怪我で離脱中に中畑が台頭し左翼手に再コンバートされたがそれは張本の戦線離脱を受けてだった。投手では新浦が15勝を挙げたがそれは殆ど前半戦で挙げたもので他のローテンションを任されるのは加藤初くらいでシーズン中盤以降上記した江川、西本の台頭でようやく投手ローテーションが組める様になった。この世代交代は2年後の1981年日本一になって実を結ぶ。しかし今シーズンは2~3年後の巨人軍を背負うへの新戦力は見られなかった。現有戦力でも先発投手陣では工藤の11勝が最高で上原は9勝止まり、高橋尚成が8勝。明るい兆しはリリーフ陣の中で林が18S、久保が7勝を挙げたが、サヨナラ負け8回と言うセリーグワースト2位(横浜が9回)が示すとおり2年前から指摘され続けていたリリーフ陣の整備が出来ていなかった。だが防御率 5.06と言うセ・リーグ最下位防御率が示す通り再整備は投手陣総じて言えることだ。
打撃陣も同じでチーム最高打率(規定打席到達打者の中で)は79年時のシピンの.319に対して今年は仁岡の.301であった。小久保が34本塁打87打点でチームの2冠王であったがその他の主力、高橋由伸は怪我で離脱し88試合止まり、ローズは弘田コーチと揉めて100試合のみの出場。阿部は代率.300 本塁打26, 86打点を叩き出したが、3割打者で今年もシーズン打率.300を残した清水を序盤スタメンからはずし.153のキャプラーを使い続けたり、昨年台頭してきた川中、斉藤、鈴木尚にチャンスを与えなかったり首脳陣の起用も疑問符のつくものばかりだった。また同じ相手に、同じ様にやられたのも今年の特徴だ。例えば優勝した阪神タイガースには今季も8勝14敗と大きく負け越し、3年連続も負け越しとなった。これは過去に無かった。巨人打撃陣は下柳、井川に4勝ずつ献上したが特に下柳は阪神移籍以来何勝されたことか?また巨人投手陣にも同じ事が。金本には今年も撃ち込まれ、打率は.458、6本塁打24打点を喫した。そして巨人戦全22試合に安打を放った。1979年、小林繁に8連敗したが翌年からは打ち込んだと言う工夫、研究が見られない。また直接対決での総得点では阪神が128に対して巨人が79.しかし本塁打数では阪神27、巨人23とあまり隔差は見られない。だが与四球は阪神が48、巨人は72.そして犠打が阪神は16、巨人は8だった。失策も巨人が11に対して阪神は7と少なく、併殺でも巨人が22に対し阪神は7.巨人投手陣は阪神打者に四球を与え、バントで送られ失策で失点するのに対して巨人は本塁打以外、得点が取りづらいという試合運びであったと大げさに表現できるのでないか? 来季から原辰徳氏が再び監督の指揮を振るう。史上ジャイアンツが4年連続で優勝を逸した事は無かったが、現状を見ればそのワースト記録を更新しないほうが難しいのではないか?しかし、2,
3年後にでも常勝軍団を作れるのであれば、ワースト記録更新も止むなしか?

どうなる日の丸飛行隊 その2

2005-12-30 | 冬季五輪
アルベールビル五輪翌年の世界選手権では原田はノーマルヒルでついに金メダルを勝ち取った。これは札幌五輪の笠谷以来の快挙だった。そしてその翌年94年のリレハンメル五輪では団体で惜しくも銀メダルに終わったのを憶えておられる方も多いだろう。個人競技ではラージヒルで斉藤が4位、西片が8位、ノーマルヒルでは葛西が5位、西片が再び8位と表彰台にはまだ立てなかったが入賞には手が届くようになった。そして4年後、地元長野開催に向けてジャンプ競技でメダルを量産する為の選手強化が課題となった。だがここから日本ジャンプ陣の快進撃が始まる95年の世界選手権、ノーマルヒルでは岡部、斉藤がワンツーフィニッシュ、西片が7位。そして新星、船木がラージで5位に入賞した。2年後の世界選手権、ノーマルでは地元フィンランドのアホネンが優勝し日本勢のこの種目の3大会連続優勝を阻んだが、原田が2位、船木が4位、8位に斉藤が入りラージでは原田が優勝しノーマルの雪辱を。日本人選手が五輪、世界選手権のラージヒルで金メダルを取ったのは史上初めて、あの笠谷でさえ成し遂げられなかった快挙であった。これで翌年の長野五輪には期待が寄せられる事に。その五輪、ノーマルで原田は一回目1位につけておきながら5位に終わるが、船木が銀メダル。そしてラージでは船木が金メダル、原田が銅メダル、団体では金メダル、合計金メダル2個、銀1、銅1と日本列島を大いに沸かせた。その進撃は翌年の世界選手権にも続きラージヒルで新鋭の宮平が3位、船木が5位、原田が6位そして斉藤が9位、葛西が10位。ノーマルヒルでは船木、宮原、原田で表彰台を独占。過去、五輪、世界選手権、共に表彰台を独占したのは日本だけである。しかも札幌五輪とこの世界選手権と2度も偉業を成し遂げている。
だがこの大会以降スキーの長さの規定やジャンプスーツの大きさの規制が替わり、日本選手は勝てなくなってくる。特にスキーの長さの変更は体格の小さい日本人選手には不利な変更であった。詳細は忘れたがスキー長は身長 + 80cm ( 70cm だったかな??) となり上背のある選手ほど長いスキーで滑れるようになった。スキー板が長ければ長いほど助走でのスピードが出て、飛び出し後も大気から浮力を受け易くなり飛距離が出る様になる。“体格に優る選手が優位であってこそスポーツ競技”と言う無茶苦茶な大義名分の元でのルール変更だ。元々スポーツと言うのは体格の劣るものは決められたルールの中で工夫しながら体格に優る者と渡り合うものであって、体格の優る人間の為にルールを合わせるべきでは無いはずだ。 ジャンプ競技の盛んなのは欧州大陸でワールドカップの開催地も欧州が多い。そこで日本人選手に勝ち続けられては大会スポンサーも就き難いと言うのが本音だ。幾多のスポーツ競技がこの様なルール変更で日本を不利に追い込んでいる。 2001年の世界選手権ではノーマルヒルで原田が5位に入ったのが最高で、他の入賞者は同種目で7位の斉藤のみ。2002年のソルトレーク五輪でも団体で5位入ったのみで個人種目では入賞者が無かった。2003年の世界選手権で五輪では好成績に縁の無かった葛西が1人大奮起。ノーマル、ラージ両種目で3位にはいり、団体でも2位に入る牽引を果たした。だが今年の世界選手権では入賞者どころかトップ10に入った選手はおらず、団体でも9位に沈んだ。こうやってこの10数年を振り返るとルール変更もあるが、五輪、世界選手権で上位入賞するのは同じ選手ばかりで、世代交代が進んでいない事が一目瞭然だ。今、原田はワールドカップ転戦組みから漏れてコンティネンタル杯組に。そしてかつての金メダリスト船木も。岡部が久々にワールドカップ組に復活しているが、ワールドカップでまだ上位入賞は無い。 葛西に是非五輪ではブレイクして欲しいのだが今季のワールドカップでは2回目に進めない大会も少なくない。世代交代が進まない原因はこの不況から来る実業団のリストラが大いに寄与している。新たに選手を引き取っても若手を育てる時間も余裕もないので、結局ワールドカップ遠征や五輪選考は同じ選手に偏ってしまう。 2月から始まる五輪では誰か一発大飛行を見せてくれぬか?前大会のラージ、ノーマルの2冠をあのフィンランドの鳥人 ニッカネン依頼制したスイスの Adams そしてアルベールビルでノーマル銅、ラージ金を勝ち取ったフィンランドのニエミネンの様に。五輪での勝者は往々にして五輪一発大飛行でメダルを獲得する選手が出て来るものだ。ただ彼らは若く、特にニッカネンは17歳で五輪を迎えた。今の日の丸飛行隊にこういう秘密兵器がおれば良いのだが。五輪まであと2ヶ月。なんとか大飛行を見せて欲しいものだ。33年前自分が感動した様なあの大飛行を。