Mr.コンティのRising JAPAN

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優勝はイタリア?

2005-12-13 | FIFA World Cup
英国の新聞 Timesに面白い記事が。 来年のワールドカップはイタリアに優勝の機会が大いにありと。ワールドカップ優勝3度を誇るサッカー界の列強の1つイタリアは今大会も当然シード国だ。最後に優勝を果たしたのは1982年のスペイン大会であったが、その大会を境に12年前の1970年大会はペレ率いるブラジルに次いで準優勝。そしてスペイン大会の12年後、1994年大会も決勝戦でブラジルに敗れての準優勝。即ち、70年準優勝、82年優勝、94年準優勝と来れば12年後の2006年は優勝する順番と言うことらしい。だが今のアズーリが24年前の様に優勝の美酒に酔うことが出来るだろうか? 1982年の大会は振り返ると思い出の深い大会であった。当時もNHKは結構深夜に生中継、昼間には中継録画でスペインからの試合を届けてくれた。大学生だった私は夜遅くまでテレビ観戦。翌日は授業も出ずに昼前まで惰眠をむさぼりそのまま中継録画を観戦する日々を続けた。 この大会から本大会出場枠が24に拡大され前回のアルゼンチン大会より五日間長い30日間に渡っての大会であった。当時は欧州のカップ戦も全てがトーナメント戦で試合数が少なく、開幕日が6月13日であったので、日程的には厳しいものでは無かった様に思われたが、大会も進むにつれて高温と当地の長い日照時間は大会が進むにつれて披露回復を含めた体調管理が大きなウェイトが占めたかも知れない。 優勝したイタリアはシード国で1次リーグはポーランド、ペルー、カメルーンと同組。3試合とも引分て勝点、得失点差でカメルーンと並んだが総得点で上回り(イタリアが2、カメルーンが1)薄氷の2次リーグ進出であった。だが1次リーグ、スペイン北部の比較的気温の低いビーゴと言う街のバライドス競技場で全試合を行い(昔は1次リーグ全て同じ地域、競技場で行われた)2次リーグの対戦相手は南米の2強、ブラジルとアルゼンチン。だがブラジルはアリ・カンテ。前回優勝のアルゼンチンは開幕戦をバルセロナのノウ・カンプで終えた後セビージャに廻って、2次リーグの会場、バルセロナのサリア競技場に戻ると言う移動であった。日程も2次リーグの初戦でアルゼンチンを破った事から次のブラジル戦まで中8日おいての日程が組めたが一方のブラジルは1次リーグ終了後2次リーグ初戦のアルゼンチン戦まで中8日開いたが次のイタリア戦には中二日で臨む必要があった。この大会の2年前、イタリアは欧州選手権のホスト国であり優勝は当然義務付けられていた。当時は欧州を7つのグループに分け、各組1位がホスト国に集い覇を競うセントラル方式が取られた最初の大会であった。イングランド、スペイン、ベルギーと同じ組に入ったイタリアは初戦のスペインと引分、正念場のイングランド戦をマルコ=タルデリのゴールで 1-0 で降したが、第三戦のベルギー戦も引分、決勝に進めなかった。3位決定戦でもチェコスロヴァキアに破れ4位に終わってしまった。しかも前年に発覚した八百長疑惑に2年前のアルゼンチンワールドカップで彗星のごとく現れ4得点を挙げた Juventus のパオロ=ロッシも連座していたとして2年3ヶ月の出場停止処分で欠いていた。当時のイタリア代表監督ベアルツォット氏はスペインワールドカップに欧州予選に出場出来なかったロッシをメンバーに入れ各方面から批判を浴びたが、その決断がイタリアを44年振りの優勝に導く。2次リーグではアルゼンチンをタフに戦い、タルデリ、カブリーニと後衛の選手達のゴールで 2-1 で勝利を収め、第二戦をロッシの3ゴールで大会期間中誰に聞いても優勝候補最右翼に挙げられていたブラジルを葬ってしまった。この時のブラジルはあの黄金カルテット(ジーコ、ファルカン、ソクラテス、トニーニョセレーゾ)そしてエデル、DFはオスカール、レアンドロ、らがいたが、欧州のクラブでプレーしていたのはディルセウ(アトレティコマドリード)ファルカン( ASローマ)の二人のみであった。一方のイタリアセリエAは外国人選手が解禁になって4年が経過したばかりで今の様に重要な ポジション を外国選手に頼るという事は少なかった。そして代表にはワールドカップ4度目のGKディノ=ゾフがおり精神的にもチームの重鎮となっていた。1994年大会のバレジの様に。参考までに当時のアズーリは Juventus, Inter Milan , フィオレンティーナ から5人ずつ。トリノ, ウディネーゼ、ASローマ、カリアリ から1人ずつ。そしてAC Milan からはフランコ=バレージ(但し出場機会は無し)とコロバティ の二人しか選ばれていなかった。この様に当時を振り返り今のアズーリと比較すると、容易に決勝に進出するとは少し考えがたい。だが78年のロッシ、90年のスキラッチと本大会に入って彗星のごとく出て来るスターがいるのもイタリアの伝統だ。そういう選手が出てきてゴールを量産すれば、タイトルを争えるか? その辺は大いに気になるところだ。なぜなら、1次 リーグでのイタリア、日本の順位によっては決勝トーナメント1回戦で当たる事もあるからだ。