Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

ウズベク対バーレーン 異例の再試合

2005-09-07 | FIFA World Cup
前代未聞の決定だ。というよりも後悔の嵐である。結果を解っていたとはいえ何故翌日NHK衛星で深夜に中継録画で放送されたこの試合を録画しなかったんだろう。
9月4日、AFCのホームページを見た時でさえ、その日の深夜の放送の事を気に留めていなかった自分が悪いのだが。 
タシュケントで行われたこの試合。まず11分に カシモフ のゴールでホームのウズベキスタンが先制した。そして問題のシーン39分に シャツキフ のシュートがバーレーン DF モハメッド=ユマの手に当りPKがウズベキスタンに与えられた。そしてキッカーのジェパロフがこれを決めたのだが、ウズベクの選手達がジェパロフがPKを蹴り出す前に ペナルティーエリア 内に入っていた。通常ならここで蹴り直しが命ぜられるが、吉田主審はバーレーンに間接フリーキックを与えて試合を続行させた。これは試合後吉田主審も“誤審”と認めたが、PKが失敗した時に下される判定で、確かにジェパロフはそのPKをバーレーンゴールに捻じ込んだのでPKは成功しており、先述したとおりもう一度ウズベキスタン側にPKが与えられるべきであった。
試合はそのまま続けられ、1-0 でホームのウズベクが先勝を納めたが、収まらなかったのは Houghton 監督。この判定に試合後ウズベキスタンサッカー協会 ( U.F.F. )を通じて FIFA に提訴。 FIFA も この判定を “ Technical Error “ と認め、Lennart Johannson World Cup Organising Committee 会長を始め再試合の決定を下した。U.F.F. 側の 3-0 でウズベキスタンの勝利という要求は棄却されたが、バーレーン側が何かをしでかしたわけでもないのでこれは当然。 勝利を収めたウズベク側が提訴したのも、1-0 と 2-0 では大きな違いがあるからだ。思い出すのは前回のプレーオフの ウルグアイ 対 オーストラリア 。メルボルンでの初戦を ホーム のオーストラリアが 1-0 とものにするも、モンテビデオでの完全な アウェィゲーム を 0-3 で落とし涙を呑んだ事だ。1点差であると、次にホームで戦うバーレーンは追う者の有利となる事がある。
事実、この試合の最初の決定機は バーレーン の Salam Isa が放った フリーヘッド であった。後半に入ると先述のPKの一件もあり バーレーン が息を吹き返す。 Talal Yusuf, Mohamed Salmeen と言った日本を苦しめた中盤が機能し59分には好機を掴むが再び Salmee Isa のシュートは右に外れていった。 後半にはいると重鎮 カシモフも疲れからベンチに退き、
極端に守備的な先述を敷いたので押し込まれるシーンが続いたが、得点に至らなかったのはやはりアジアカップで5得点を挙げた Ala’a Hubail が怪我で不在だったからだ。最後の決定機も Marzooq が大きくはずし完封を喫した。
再試合は10月8日と12日に組まれるが、その日までに Ala’a Hubail が復帰すれば、U.F.F. はこの決定を後悔するのでは? この裁定に最もほくそえんでいるのは案外バーレーンのベルギー人 Luka Peruzovic 監督かも? だが、シャツキフを始め、この再試合の決定に“海外組”も再召集に応じようと気勢を大いに上げている。10月が本当に楽しみだ。 
最後のこのパフタコール競技場での疑惑の判定と言えば 1997年のワールド杯予選のウズベク対日本戦の前半21分、秋田のロングシュートをGKブガロがはじき、そのこぼれ球を山口がショット。再びブガロがブロックしたこぼれ球を城がプッシュしついにブガロを破り完全に先制点と思われたがそれをオフサイドの判定で取り消されたのを思い出す。珍しく日本サッカー協会は FIFA に提訴したが勿論判定は替わらなかった。こういうのは Technical な Error ではないのだろう。